第11話 貧民街の病状 次につながる情報

 リネシスが貧民街に到着すると、案内人が待っていた。彼は、ケルサ元学長が遺した学習塾の経営者であった。


「王子。こちらの建物に、熱を発した子供がいます」


 患者がいるのは、かつてケルサ元学長が住んでいた、掘っ立て小屋であった。


 現在は、別の家族が住んでいた。彼らの服装を見ればわかる。元帝国民だ。


 どうやらこの夫婦の子供が、高熱に苦しんでいるようだ。


 顔色はかなり悪く、体力の消耗も激しい。急いで治さないと、力尽きてしまうだろう。


 リネシスが子供に近づこうとしたら、元帝国民の夫婦が震えた。


「あ、あの。リネシス王子。我々は、元帝国民です。ちゃんと、ルールを守っています。だから、お助けください」


 彼らのセリフから、リネシスは色々と察した。


 この家族は、元帝国民という理由だけで、首都の民衆に迫害されたんだろう。


 絶対に見逃してはならない、不当な待遇であった。


 リネシスはオルトランを愛しているが、民衆の非道を認めるわけにはいかなかった。


「元帝国民を差別しないように、お触れを出す。だからその子を、俺にまかせてくれないか」


 元帝国民の夫婦は、弱々しくうなずくと、恐る恐る子供を明け渡した。


 リネシスは、子供の様子を詳しく調べた。


 頬に湿疹があって、目の周りが黒ずんでいた。


 ブロブス病の典型的な症状だった。


 この病は、オルトラン王国の風土病であり、魔法感染症の一種だ。


 自然界には、魔力の粉をまき散らす草花が、多数存在している。この魔力の粉を吸ったとき、魔法防御力の低い子供と老人が、感染する仕組みだった。


 治療薬はないため、治療魔法でしか対処できない。


 もし医療系の魔法使いに依頼しても、高額の報酬を要求されるだろう。


 魔法使いたちは、自分たちの技術に自信と誇りを持っているからこそ、値切りには応じない傾向にあった。


 だが本件に関しては、幸運なことに、リネシスが治療魔法を使いこなせる。もちろん治療費を受け取るつもりはない。


 ただし、魔法が発動する瞬間を、第三者に見られたくなかった。


 政治家として暗躍するようになってからも、魔法を使えることを隠していた。うつけモノだと思わせる作戦は、王党派に対しても有効だからだ。


「ご両親も、野次馬たちも、しばらく建物から離れてくれ。これから治療をやるにあたって集中力が必要になるし、ただ見ているだけの人間に感染したら困るからな」


 適当な嘘をついて、掘っ立て小屋から第三者を追い出した。


 さらに魔法が発動する瞬間を見られないように、マントを広げて手元を隠した。


 すぐさま治療魔法を発動。手のひらから緑色の光が漏れて、子供の体を優しく包み込む。


 ほんの一瞬で、魔法感染症は消え去った。


 子供は、すっかり元気になって、目をぱちくりさせていた。


 リネシスは、マントを元の位置に戻すと、元帝国民の夫婦に伝えた。


「もう大丈夫だ。子供は助かった」


 元帝国民の夫婦だけではなく、野次馬をやっていた貧民たちも、わーっと喜んだ。


 リネシスは、彼らが喜ぶ姿を見て、こう思った。


 魔法使いに依存する社会システムは、必ずどこかで無理が生じる。科学をもっと伸ばして、誰にでも安価で使えるシステムを拡充していかなければ。


「王子様。我らには代金が払えません」


 元帝国民の夫婦が、申し訳なさそうにいった。


「気にするな。いつかお前たちが、オルトランの労働力として活躍する日がくる。そのときに返してくれればいいさ」


「元帝国民は、本当に救われるんでしょうか」


 元帝国民の夫婦は、不安そうであった。この夫婦に限らず、帝国民は数奇な人生を歩むことになってしまった。


 皇帝の圧政に苦しみ、ブラックドラゴンに焼かれて、オルトランに拾われて、首都の民衆に迫害された。


 未来への希望は薄れていて当然だろう。


 だからこそリネシスは、彼らに誓わなければならなかった。


「救われるさ。なぜならこの俺が救うからだ。元帝国民だけではなく、貧民街ごとな」


 リネシスは、将来の国造りについて考えながら、掘っ立て小屋の外に出た。


 案内人でもある塾の経営者が、リネシスの善行を評価した。


「最近の王子さまは、かつてのケルサ元学長みたいな、頼りがいのある智者になってきましたね」


 ケルサ元学長に比類する存在。


 リネシスにとっては、最大限の誉め言葉であった。


 嬉しさのあまり、空を見上げた。


 大きな雲が、うねっていた。まるで、あの世にいるケルサ元学長が、リネシスを褒めたかのように。


(学長。俺は、自分の信じた正しさを、突き詰めていくぞ)


 心の中で決意を新たにしたとき、天才児のイルサレンが貧民街にやってきた。


「王子。連れてきましたよ。マルトロ司祭です」


 マルトロ司祭は、昇進して高位の司祭になっているため、豪華な帽子をかぶっていた。


 ● ● ● ● ● ●


「やれやれ、リネシス。あなたは相変わらず、人使いが荒いですね」


 マルトロ司祭は、以前よりも老けていた。かつての冒険パーティーでは最年長だったので、立派な中年男性になったわけだ。


 リネシスは、これから内密な話を行いたいので、イルサレンを魔法大学に戻した。


 イルサレンが遠ざかったのを確認してから、魔法障壁で周囲を囲った。


 魔力の壁に覆われたおかげで、リネシスとマルトロ司祭の会話は、外にもれなくなった。


「適材適所がうまいといってくれ。マルトロ司祭みたいな、有能な人物を使いこなせるんだからな」


 リネシスは、マルトロ司祭の杖に注目した。精霊魔法を強化する杖である。


「この時期に、貧民街で、司祭が必要。十中八九、風土病であるブロブス病の流行だろうなと」


 マルトロ司祭は、精霊魔法を起動。大地の精霊ノームたちを呼び出した。


 ノームは、帽子をかぶった小人だ。体のサイズは長靴ぐらい。いつもは精霊界で暮らしている。


 そんな人間の隣人に、魔力の餌を与えることで、便利な力を貸してもらう。


 それが精霊魔法だ。


 テネタ教に限らず、だいたいの宗派の司祭たちは、精霊魔法が得意であった。


「ノームたちにお願いがあります。このあたりの町に、魔法防御アップの効果を授けてください」


 ノームたちは、マルトロ司祭から魔力を受け取ると、ぴょんぴょんはねながら、貧民街を走り回っていく。


 ただ走り回るだけで、貧民街の魔法防御力が上昇していく。


 町全体に魔法防御アップを授けたので、元帝国民だけではなく、貧民街にいる人々は、ブロブス病とは無縁になった。


 リネシスは、マルトロ司祭に、ちゃんとお礼をいった。


「助かった、マルトロ司祭。仕事の報酬は、俺が払おうじゃないか」


 マルトロ司祭は、慇懃無礼に会釈した。


「いえいえ、この程度の人助けであれば、報酬などいりませんよ。それでは、小生は、教会の仕事がありますので……」


 マルトロ司祭は、まるでリネシスから逃げるように、馬に乗ろうとした。


 だがリネシスは、マルトロ司祭の肩をつかんで、動きを止めた。


「ところでマルトロ司祭。元帝国民たちのために、新しい仕事を創設したい。なにかいいアイデアはないか?」


 彼は、ゴルゾバ公爵の密偵である。それも戦前から情報を管理しているから、商売につながるアイデアを持っているはずだった。


 どうやらマルトロ司祭は、会話がこの流れになることを、読んでいたらしい。驚くのではなく、とても嫌そうな顔をした。


「困った王子様ですね。小生は司祭ですよ。あなたの商売に手を貸したら、上から怒られてしまいます」


 そう、商売である。元帝国民たちは助けられるし、リネシスとテテの会社はさらに儲かる。


 ウインウインの関係であった。


 リネシスは悪い顔になると、マルトロ司祭に耳打ちした。


「俺がオルトランを完全に掌握したら、マルトロ司祭にやってもらいたいことがあってな」


「リネシス。あなたの強引な手法には、手を貸せませんよ。ラサラを魔法大学の学長にしたときから、要注意人物になったんですから」


 マルトロ司祭の感覚は、常識的な知識人の感覚だろう。


 リネシスみたいなカリスマ性の塊が、とんでもない勢いで軍事と経済と司法を掌握している。


 一歩間違えれば、独裁者の誕生だ。


 リネシスとて、自分自身が独裁者になる危険性は理解している。そうでなければ、耳に痛いことをいう、テテやゴルゾバ公爵を身近に置いていない。


 ちゃんと安全策を考えているからこそ、マルトロ司祭は絶対に必要だった。


「マルトロ司祭を天珠にする。この国の宗教勢力で、もっとも影響を持った人物が、俺に批判的なポジションを持ってないと、俺を止める人間がいなくなるからな」


 天珠というのは、テネタ教の最高位のことだ。


 そしてテネタ教は、オルトラン王国における国教だ。


 宗教の力は、ときに王の権力を上回ることがある。たとえこの国が民主化しようとも、宗教が人々の価値観と密着しているかぎり、その力は衰えないだろう。


 そんな重要なポジションに、かつての仲間を置く。しかも批判してもらうために。


 リネシスは、権力を握るための覚悟がついていた。


 マルトロ司祭は、帽子を外した。


「小生とて、権力に興味がないわけではないです。密偵として、ゴルゾバ公爵に協力もしてきました。たとえそうであっても、あなたに手を貸すのは、大変危険なことだと感じています」


「そういう人物でないと、民主制に肯定的でありながら、俺に対しては批判的なんて難しいポジションは維持できないだろう?」


 リネシスは、マルトロ司祭のバランス感覚を信じていた。


 世俗を理解しながらも、理性と理想を捨てることがない。


 そんな難しい立ち位置を、戦前から戦後まで一貫している人物は、彼以外に存在しないからだ。


 どうやらマルトロ司祭も、自分以外に適任者がいないことを受け入れたらしい。


「わかりました。あなたを独裁に走らせないために、天珠になることを受け入れましょう」


「ありがとう、マルトロ司祭」


「お礼を言うのは、まだ早いですよ。あなたが、どれぐらい無茶をするのか知るために、大事な情報を差しあげましょう」


 マルトロ司祭は、帽子をかぶりなおしてから、大事な情報を語りだした。


「大規模農業です。元帝国領土は、どうやらブラックドラゴンの黒い炎に焼かれたことで、栄養満点の肥沃な土地になったようです」


 肥沃な土があって、しかも現在誰も住んでいない。


 いくら焼け落ちた旧帝国領であっても、馬車用の道路だけは残っている。


 まさしく大規模農業をやる条件がそろっていた。


 リネシスは、マルトロ司祭と握手した。


「さすが教会のネットワークは、情報が早いな」


「いいですか? もし、この情報を悪用するつもりなら、小生は王党派の人間となり、あなたを徹底して追い込むことになる。それを忘れないように」


 マルトロ司祭は、鋭い言葉を残すと、教会用の馬で去っていった。


 その後ろ姿を見送りながら、リネシスは政治の難しさを実感した。


 かつての友であろうとも、ちょっと意見が食い違うだけで、政敵になってしまう。


 しかも、ただの政敵ではない。こちらの手口を全部知っている天敵だ。


 いくら魔法障壁で会話が漏れないようにしても、その秘密の会話を知っている相手が天敵になってしまえば、なんの意味もなくなる。


「ケルサ学長。あなたがもし生きていたら、俺の政治にどんな評価を与えたんだろうな」

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