プロローグ8 散っていく命 ブラックドラゴンとの決着

 第五大隊の損害は、膨れ上がっていた。


 すでに半数が焼死していた。


 残りの半数も、まともな武器は残っておらず、魔法使いたちも魔力が空っぽになっていた。


 ただでさえ帝国との戦いで、物資と食糧が尽きていたので、継続して戦闘する環境が残っていないのである。


 唯一まともに動けるのは、リネシスだけだった。


『俺が時間を稼ぐ。だからみんな、魔法大学に逃げろ』


 だが、誰も逃げようとしなかった。


 いや、違う。逃げる場所なんてどこにもないことを知っていたのだ。なにせリンリカーチ帝国は、すべての領土を焼かれてしまったのだから。


 それでも、仲間たちは、もはや戦う力が残っていない。


 だからリネシスは、国宝のロングソードを構えると、たった一人でブラックドラゴンに挑もうとした。


 だが相手は、超高速で空を飛べる。戦いたくても、戦わせてもらえなかった。


 ヒット&アウェイ戦法により、黒い炎を吹きつけては、瞬時に離脱していくのだ。


 そのせいで、第五大隊の兵士たちは、次々と焼けていった。


 リネシスだって、ちょっと油断すれば、黒い炎に巻き込まれそうになる。ドワーフの鎧を着ていなかったら、今ごろ焼け死んでいたかもしれない。


『くそっ、あの翼の生えたトカゲめ。徹底して接近戦を避けるつもりだな』


 ブラックドラゴンの恐ろしさは、巨大な肉体・高速飛行・高度な知能の三点セットだった。


 もはや人類に、為す術はないんだろうか?


 どうやら、じわじわと追い詰められていく状況を見かねたらしく、【すべてを洗い流す海竜/ラミ・ゴハ】が、【混沌を司る黒竜/ハリ・ア・リバルカ】に話しかけた。


『もういいだろう、【ハリ・ア・リバルカ】。思う存分、人間たちを殺したはずだ』


 だが【ハリ・ア・リバルカ】は、つまらなさそうに返した。


『相変わらず酔狂なやつだな、【ラミ・ゴハ】。なんで人間なんてくだらない生き物に、手を貸すんだ?』


『人は脆いのだ。だから我々のような超常のものが、時には手を貸してやったほうがいいのだ』


『バカバカしい。こんな愚かな生き物、暇つぶしの材料でしかない』


『何万年経っても、人類の敵をやめようとしないのだな』


『すべては混沌のためだ』


『なにが混沌だ。このロクでなし黒竜め』


『おもしろい。ならば、リネシスとかいう王族の小僧と一緒に、お前の鱗を焼き払ってやろう』


 そう、【ハリ・ア・リバルカ】には、【ラミ・ゴハ】の魔力が通用しないから、鱗の仮面による偽装効果が通用していなかったのだ。


 だからリネシスの名前を読み取れていた。


 しかしそれは、巨大生物の大声により、仮面の剣士の正体をバラしたことを意味していた。


 第五大隊の兵士たちは、激しく動揺した。まさか、あのうつけモノが、仮面をかぶって、一兵卒として戦争に参加していたなんて。


 しかも、うつけモノは、剣術も魔法も優れていた。世間の評判では、剣術も魔法も投げ出した、ダメ王子だったはずなのに。


 しかもうつけモノは、人柄だって優れていた。第五大隊の兵士たちは、リンリカーチ帝国との戦争で、何度もリネシスに命を助けられてきた。


 物資が不足してからは、彼の存在に、精神面を支えられてきた。


 もう疑いようがなかった。リネシスは、うつけモノではない。


 世間の悪評は、すべて嘘だった。


 それを知った第五大隊の動きは、露骨に変わった。


「リネシス王子を守れ!」「王子が最後の希望だ!」「この戦争が終わったとき、リネシス王子が生き残っていれば、俺たち平民の生活は変わるはずだ!」


 第五大隊は、まるで王族の親衛隊のごとく、リネシスの壁になった。


 人間の命で作られた壁だった。


 リネシスは、あ然とした。なぜ、同じ部隊の仲間たちが、命をかけて、自分を守るのか、理解できなかったからだ。


 そんなリネシスの感傷なんて、ブラックドラゴンは考慮しなかった。


 まるで紙細工の人形を蹴散らすように、黒い炎と棘だらけの尻尾で、第五大隊の壁をぶち破っていく。


 ほんの一瞬で、とんでもない数の死体が積み上がった。


 ずっと一緒に戦ってきた仲間たちが、おもしろ半分で殺されていく。


 リネシスは、仮面を外すと、悲痛な声で叫んだ。


「やめろ! 俺を守るために死ぬな! 俺は、王族なんてものに、価値を感じてないんだ! だからみんな、魔法大学に逃げてくれ、頼むから……」


 だが、パン屋の長男坊が、リネシスを守るために、両手を広げて、黒い炎の前に立ちふさがった。


 轟々と渦巻く黒い炎は、パン屋の長男坊を焼いていく。


 リネシスは、氷系統の魔法を使って、パン屋の長男を消火した。


「大丈夫だ。俺は治療魔法だって使えるからな。今すぐ治してやろう。そうだ、お前の弟には、さっき助けられたんだ。勇敢な子供だった。あの子が走ってくれなかったら、いまごろ首都の民衆は、黒い炎の犠牲になっていたかもしれない」


 だが、パン屋の長男坊の、胴体の下半分は、完全に炭化していた。


 こうなってしまえば、治療魔法では助けられない。


 パン屋の長男坊は、力なくほほ笑んだ。


「王子。我々平民には、あなたしか、希望がないのです。だから、どうか、オルトラン王国に、平等な時代を……」


 平等な時代を求めながら、パン屋の長男坊は息を引き取った。


 リネシスは、ぐっと下唇をかんだ。


「なぜだ、なぜこうなる……! 俺が弱いのが悪いのか……!」


 第五大隊の兵士たちが、どれだけ犠牲になろうとも、ブラックドラゴンの猛攻は止まらなかった。

 

 ついには、リネシスを守るために、テテまで体を投げ出した。


「リネシス、逃げろ。あいつには勝てない……」


 テテの左足は、真っ黒に炭化していた。氷系統の魔法による消火が、ギリギリ間に合ったから死んではいない。


 だがテテは、足を失ってしまった。彼はもう、一流の弓兵として、活躍できないのだ。


 リネシスは、ぼろぼろと涙を流しながら、テテを抱きしめた。


「なんでお前まで、体を投げ出して俺を守るんだ。王族が嫌いなんだろうが」


「バカをいえ。友達を見捨てて、逃げられるものか……」


 リネシスは、嗚咽を漏らしながら、自分の力不足を後悔した。


 たった二年ほど冒険の旅に出て、強くなったつもりだった。


 戦場でいくつもの手柄を立てて、最強の戦士になったつもりだった。


 だが、伝説級のモンスターには届かなかった。


 もっとたくさん修行していれば、もっとたくさんの経験を積んでいれば、仲間たちの命と、大事な友達の片足を守れたかもしれないのに。


 リネシスが自分の人生に後悔しているとき、ケルサ元学長が謎めいた魔法式の詠唱を始めた。


「リネシス王子。この国の未来を、あなたに託しました」


 ケルサ元学長には、魔力が残っていないはずだった。


 老人だから、たとえ無理やり魔法を唱えようとしても、発動しないはずだった。


 だがしかし、彼がいま唱えている魔法は、そういう一般的な法則から、解き離れたものだった。


 リネシスの記憶に、一つだけ該当する魔法があった。


 自爆魔法だ。


「学長。よせ。それを唱えたら、死ぬんだぞ」


「自爆魔法の破壊力なら、かなりの広範囲に威力を伝えられます。これを使って、【ハリ・ア・リバルカ】の翼をもぎとります。そうすれば、リネシス王子の剣術が届く」


 すでにケルサ元学長は、魔法式を完成させていた。あとは起動するだけである。


 リネシスは、ぶるっと震えた。


 学問と魔法の師匠を、失おうとしていた。


 そんなこと許容できるはずがなかった。


「よせ、学長。俺がなんとかするから。俺は、まだ学長に教わってないことが、たくさんあるんだ」


「お元気で、リネシス王子。あなたとすごした数年間、本当に楽しかったですぞ」


 ケルサ元学長は、飛行の魔法で、はるか上空へ飛翔した。


 若いころのように、素早く鋭い角度で、ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】に急接近していく。


 まるで一筋の流星が、黒い竜に近づくようだった。


 ブラックドラゴンは、ケルサ元学長みたいな、しわしわに痩せ細った老人の接近に、まったく気づいていなかった。なぜなら彼がずっと警戒しているのは、強くて若いリネシスだったからだ。


 そこまで計算して、ケルサ元学長は、自爆魔法を選んでいた。


 ケルサ元学長は、ブラックドラゴンの間合いに達すると、カっと目を見開いた。


「この老人の命と引き換えに、地面に這いつくばれぇええええ!」


 自爆魔法が発動した。


 ケルサ元学長の人生を象徴する、大きくて美しい生命力の爆発だった。


 爆風はどこまでも広がり、首都の空を覆いつくした。


 あまりにも衝撃が大きすぎて、首都のガラス製品が次々と壊れていく。遠くの森林では、鳥たちがバタバタと落下していく。川の水面は波紋が広がり、地面の砂は嵐のように舞い上がった。


 それだけの爆風を浴びれば、さすがのブラックドラゴンといえども、翼と背中の鱗が、ばっさりと千切れていた。


 黒竜が墜ちていく。彼の自慢である高速飛行を失って。


 ついには、畑地帯に頭から落下して、地面に這いつくばった。ケルサ元学長の宣言通りに。


 ● ● ● ● ● ●


 リネシスは、この絶好の機会を逃さないように、真っすぐ走り出した。


「仲間たちの敵を討たせてもらう!」


 国宝のロングソードを両手で握りしめると、ブラックドラゴンの首に狙いを定めた。


 リネシスの使う剣術は、ゴルゾバ公爵から習ったものだ。これは、オルトラン王国に伝わる伝統の流派でもある。


 過去の文献によれば、オルトランの始祖は、これから使う技によって、ドラゴン退治を達成したらしい。


 おそらく本当のことなんだろう。そう思えるぐらいに、高威力の技であった。


 リネシスは、国宝のロングソードを、ぐるぐる回した。ただ回すだけではない。魔力を流して、刀身に魔力を巻きつけていく。


 だが、ブラックドラゴンは、黒い炎を吹いて、リネシスを邪魔しようとした。


『なにをやるつもりだ、リネシス』


「ドラゴン退治に決まってるだろうが」


 風系統の魔法で、黒い炎を蹴散らす。それから氷系統の魔法で、氷の階段を作って、ブラックドラゴンの首元に駆けあがっていく。


『なんて器用なやつだ』


 ブラックドラゴンは、棘だらけの尻尾で、氷の階段を破壊した。


 だがリネシスは、すでに跳躍していた。


 飛行の魔法を細かく操作して、全身を風車のように大回転させる。


 全身の回転は、さきほど刀身に巻きつけた魔力を、さらに加速させた。


 きぃいいいいんっと耳障りな音が、刀身から漏れてくる。


 技の準備が整った。


 リネシスは、オルトランの始祖が使っていた古代の言葉で『ドラゴンの首を落とす刃』という意味を叫んだ。


「【ダン・シエール・ガルバンガ】」


 これが技の名前だった。


 風車のように回転したリネシスは、ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】の首に、体当たりした。


 国宝の剣と、黒い皮膚が激突した瞬間、刀身に巻きつけた魔力が、ノコギリのように躍動した。


 ガリガリガリと火花が散って、ブラックドラゴンの首が削れていく。


 斬った感触から、リネシスは己の実力不足を痛感した。


 さきほど、第五大隊の仲間と一緒に、黒竜の肉体を散々斬った。あのダメージが蓄積していなかったら、この技を当てたところで、威力不足で首を切断できなかったのだ。


 逆に考えれば、仲間たちが命を顧みずに、接近戦を挑んでくれたことで、首を切断できるんだろう。


「この勝利は、第五大隊全員で、つかみとったんだ」


 ブラックドラゴンの首が、ズルりと落ちていく。


 国宝のロングソードも、真っ二つに折れていた。


 首だけになった【ハリ・ア・リバルカ】は、古代語を知っているから、大笑いした。


『ドラゴンの首を落とす刃か。なるほど、リネシス、見事だ。人間の分際で、よくやった』


 ブラックドラゴンの胴体も横倒しとなり、黒い炎が体内からあふれてきて、皮膚が溶けていく。


 リネシスは、本当にドラゴン退治を達成したのだ。


 それなのに、ブラックドラゴンの首は、愉快そうに笑うばかりだった。


 リネシスは、壊れた国宝の剣を投げ捨てると、【ハリ・ア・リバルカ】に質問した。


「首が落ちたし、胴体も溶けてるのに、痛くないのか?」


『痛いには痛いが、伝説級のモンスターは、超常のものだからな。死という概念とは別のところで生きている』


「……つまり、いつか蘇えるわけか」


『ああ、次はきっちり殺してやるからな、リネシス。だから復活するまでの間、お前に褒美をやろう。伝説級のモンスターを倒したら、体の一部を分け与える。それがこの世界の裏ルールだ』


【ハリ・ア・リバルカの翼】が、リネシスの背中から生えてきた。


 だがリネシスは、不愉快だった。


「こんなものいらん」


 仲間を大勢殺したやつの翼なんて、ほしいはずがなかった。


 だが、ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、相変わらずニヤニヤしていた。


『断れないのさ、リネシス。レジェンダリークラスのマジックアイテムは、祝福と呪い、両方の属性を持っているからな』


「呪いだって?」


『超常のものを殺したんだぞ。その時点で、お前はもう普通の人間ではない。だから呪われるんだ』


 いまいち実感はないが、もはやまともな道を歩けないことは、なんとなくわかっていた。


 だがリネシスは、民主主義革命を目指しているのだから、むしろ呪いなんて、おまけみたいなものだろう。


「だったら、お前の翼など、絶対に使わない。俺は魔法で空を飛べるんだからな」


『本当にそうかな、リネシス。いつかきっと、我の翼を使わなくてはならない事態がくるぞ。そのときは、高みの見物をさせてもらおう』


 ブラックドラゴンの頭部も、黒い炎に包まれて、この世から消えた。


 あとには静寂と、大勢の焼死体が残った。


 リンリカーチ帝国との戦争は終結した。だが、大団円とは呼べないほどに、犠牲者の数が多すぎた。

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