プロローグ7 ブラックドラゴン襲来
はるか上空に黒い影。ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、首都の上空を旋回していた。まるで、どのデザートから食べるか迷うように。
第五大隊の指揮官、ゴルゾバ公爵は、上空の敵を迎撃するとなれば、弓兵と魔法使いが有効なはずだ、と考えた。
だが、帝国との戦争で、かなりの数の魔法使いが戦死しているせいで、安定して対空迎撃ができそうにない。
だからゴルゾバ公爵は、弓兵を中心に対空部隊を編制すると、首都の外壁上に、ずらりと並べた。
弓兵たちは、弓矢を構えながら、ごくりとツバを飲み込んだ。
「大佐。我々は、あんな恐ろしいモンスターに勝てるんでしょうか」
半年以上も帝国と戦ってきた猛者たちも、ドラゴンなんて伝説の生き物との戦いに、不安を感じているようだ。
だからゴルゾバ公爵は、オルトラン王国の歴史を紐解いて、彼らを鼓舞することにした。
「オルトランの始祖は、ドラゴン退治を成し遂げて、この土地に国を作った。ならばその子孫である我々にだって、ドラゴン退治は可能なはずだ」
ただの精神論であり、気休めでしかなかった。
だから、弓兵たちを説得できたとは言い難かった。
だが、仮面の剣士ことリネシスが合流したことで、弓兵たちの空気が一変した。
リネシスは、国宝であるロングソードと防具一式を装着してきたのだ。
ゴルゾバ公爵は、腰を抜かしそうになった。
「お前、国宝を持ち出してきたのか……」
現在の王様は、虚栄心の塊だから、国宝である武具一式をパレードで見せびらかす習慣があった。
だからこそ弓兵たちも、国宝の形と歴史をよく知っていた。
オルトランの始祖が、ドラゴン退治を成し遂げたときの装備。
そんな華々しい装備を、仮面の剣士が持ち出してきた。
仮面の剣士は、素性が知られていないのに、第五大隊の中心にいた。指揮官はゴルゾバ公爵なのだが、精神面を支えているのは、仮面の剣士だった。
どんな逆境であっても、絶対にへこたれないし、仲間を守るためなら、とてつもない活躍をみせてきた。
そんな英雄が、国宝を装備している。
弓兵たちの士気が、ぐんぐん上がってきた。
しかもリネシスは、こんな決め台詞まで用意していた。
『ドラゴン退治をやるんだぞ。ならば、この国で一番強いやつが、もっとも適した装備を使ったほうがいいだろうが』
この決め台詞を聞いたとき、ゴルゾバ公爵は確信した。この世界は、激動の時代を迎えたのだと。
新しい世代が次々と生まれて、国家の形も、戦場の風景も、一変させてしまうに違いない。
オルトラン王国が、将来どんな姿をしているのか、興味があった。
だが、そんな未来への憧れよりも、今すぐ対処しなければならない問題がある。
「ええい。もはや細かいことを気にしている場合ではなくなった。くるぞ、ブラックドラゴンだ」
ゴルゾバ公爵は、空を指さした。
どうやらブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、外壁上の弓兵たちから襲うことにしたらしい。
● ● ● ● ● ●
リネシスは、武芸百般に通じているから、弓矢だって使える。
だから弓に矢をつがえて、近づいてくる黒い影に狙いを定めた。
伝説のブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、間近で見ると、かなりの巨体だった。
人間を鷲づかみできるほどの手。家屋と同じ大きさの顔。闇夜よりも黒い鱗。溶岩よりも紅い瞳。尻尾は水路のように長く、ギザギザの棘がついていた。
まるで人類を面白半分で焼きつくす存在。それが【混沌を司る黒竜/ハリ・ア・リバルカ】であった。
だが人類だって、なんの抵抗もせずに、焼かれるわけにはいかないのだ。
ゴルゾバ公爵は、弓兵たちに号令を下した。
「矢を放て」
弓兵たちは、一斉に矢を射かけた。五月雨のごとく矢が飛んで、真っ黒い鱗に次々と直撃。
だが、すべての矢は、頑丈な鱗に弾かれてしまった。
第五大隊に絶望が広がる。もはや抵抗する術はないのかと。
ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、脆弱な人間を嘲笑した。
『弱いな、弱すぎるぞ、人間』
人間を飲み込めるほどの巨大な口から、黒い炎が轟々と噴き出てきた。空気中のチリが焦げて、硫黄みたいな匂いが広がる。
リネシスは、外壁上の仲間たちに声をかけた。
『外壁から飛び降りて、お堀に着水しろ!』
仲間たち全員で、外壁から飛び降りて、真下にあるお堀に着水。
だが、逃げ遅れた弓兵が一人だけいた。彼は、黒い炎に巻き込まれて、姿が見えなくなる。しかも黒い炎は、燃えないはずの石材に着火した。
『なんで石が燃えるんだ。普通の炎じゃないのか?』
リネシスは、お堀の水から這い上がると、氷系統の魔法で黒い炎を消火。
ぐずぐずに溶けた外壁の石材に、人型の黒い炭が張りついていた。逃げ遅れた弓兵は、すでに炭化していたのだ。
リネシスは、驚愕した。あまりにも焼ける速度が早すぎた。やはり普通の炎ではないらしい。
こういう不可思議な現象を読み解けるのは、ケルサ元学長であった。
「人間が作ったものだけを、燃やしているんでしょう。だから外壁は燃えても、木は燃えないんですよ」
本当に木は燃えていなかった。見た目は炎なのに、木が燃えないとなれば、今この瞬間だけ、燃焼の法則性を無視したほうがよさそうだった。
黒い炎の性質は理解できたが、それだけではブラックドラゴンを倒せない。
リネシスは、ケルサ元学長にお願いした。
『学長。あいつに戦略級の魔法を撃ってくれ。あいつを地面に叩き落としてから、この場にいる全員で近接攻撃を加えるのが、最善策のはずだ』
「仮面の剣士様。あの黒いドラゴンのもっとも恐ろしいところは、飛行スピードです。たった一日で、あの広大な帝国領土すべてを燃やしたとなれば、わたくしの魔法程度では、そもそも当てることが難しい」
速度×時間=距離の話だった。
とてつもない速度で飛行できれば、たった一日でも、広大な帝国領土を網羅できる。
ケルサ元学長は、帝国領土の被害から、ブラックドラゴンの飛行速度を見抜いたのだ。
さすがオルトラン随一の賢人であった。
『そうか。あれだけ素早く飛ばれてしまうと、戦略級の魔法であろうと、回避されるのか……』
リネシスは、己の未熟さを悔やんだ。もし自分で戦略級の魔法を使えるなら、飛行の魔法で接近してから、近距離で撃てばいい。
だが、リネシスは、戦略級の魔法を使えない。
なにか一つ技術が欠けると、作戦の幅が狭くなるわけだ。
もし開戦当初に、ブラックドラゴンが襲ってくるなら、いくらでも対抗策はあった。
だが、半年以上も続いた戦争のせいで、オルトラン王国は疲弊していた。
そんな限られた国力であろうとも、ブラックドラゴンを退治しなければ、国家が滅んでしまう。
リネシスが悩んでいると、ケルサ元学長が作戦をひねりだした。
「そこで作戦があります。仮面の剣士様が、あいつの注意をそらしてくだされば、わたくしの全身全霊をもって、直撃させて見せましょうぞ」
リネシスは、卓越した剣士だから、ブラックドラゴンと接近戦ができる。
ケルサ元学長は、接近戦なんてとても無理だが、戦略級の魔法を使える。
リネシスの長所と、ケルサ元学長の長所を合わせることで、限られた国力を補うわけだ。
『いい作戦だ』
リネシスは、外壁の外にある畑地帯まで飛び出すと、大声で挑発した。
『どうした【ハリ・ア・リバルカ】。こんなちっぽけな人間ごとき簡単に焼けないとは、ドラゴンの名が廃るんじゃないのか?』
ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、リネシスの仮面に着目した。
『【ラミ・ゴハの鱗】で顔を隠して、ドワーフの装備で格好をつける。貴様のような調子に乗った人間をひねりつぶすのも、ドラゴンの役割だ』
ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、まるで新しいおもちゃを見つけた児童のように喜んでいた。
どうやら、リネシスにターゲットを切り替えたらしい。
『勝負だ、ブラックドラゴン。俺の力がどこまで通用するのか、確かめてやる』
リネシスは、飛行の魔法で浮かび上がった。
人間とドラゴンによる、空中戦の開始である。
● ● ● ● ● ●
リネシスは、ロングソードを右手で握ったまま、左手だけで魔法を発動した。
雷系統の上級魔法【雷撃の戦乱】。しかも五連発である。五つの発光した金槌が、ハンマー投げのように、ぐるぐる飛んでいった。
普通の魔法使いなら、上級魔法を五連発なんて、絶対に実行できない。ちゃんと一発ずつ詠唱時間を確保しないと、魔法の形が崩れてしまうからだ。
だがリネシスは、詠唱そのものをキャンセルしていた。
その秘訣は、精神にある巨大な魔法回路に、魔法式をストックしてあることだった。
もちろん、魔力は消耗するため、無限に使えるわけではない。
だが、上級魔法を連発できるなら、対人戦では向かうところ敵なしであった。
ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、嬉しそうに吼えた。
『まさか詠唱をキャンセルするとは。お前、人間よりも、モンスターに近いのではないか?』
棘だらけの尻尾を、ただ適当に振りまわすだけで、【雷撃の戦乱】による雷の金槌は消滅してしまった。
リネシスは、さすがに焦った。伝説級のモンスターになると、強さのケタが違いすぎる。
冒険の旅でも、戦争中でも、命の危機は何度でもあった。だが、【ハリ・ア・リバルカ】と対決しているときほどの切迫感はなかった。
どうやらリネシスは、生まれて初めて、自分より圧倒的に格上の相手と戦っているらしい。
『……だが、この剣が通じることは、【ラミ・ゴハ】から教えてもらった』
リネシスは、【雷撃の戦乱】による発光現象を利用して、すでにブラックドラゴンの懐に潜り込んでいた。
ブラックドラゴンは、真っ赤な目を大きく見開いた。
『いつのまに、こんな近くまで。この人間、高度な知恵まであるのか』
高度な知恵とはいうが、この魔法による派手なエフェクトを利用した戦い方は、リネシスのオリジナルではない。
冒険者時代に、ラサラ教授から教えてもらったのだ。
『いい師に恵まれたからな』
リネシスは、国宝のロングソードで、ブラックドラゴンの腹部を斬ろうとした。
だが、ブラックドラゴンは黒い翼で急加速すると、一瞬で遠くへ離れてしまった。
リネシスは舌打ちした。ケルサ元学長の警告どおり、ブラックドラゴンの真に恐ろしい点は、飛行スピードだった。
あんな速度で逃げられてしまえば、いくらリネシスが剣術の達人であっても、そもそも当てようがないのである。
だが、人間の強みとは、連携行動であった。
リネシスが空中戦で粘ったおかげで、ケルサ元学長は戦略級の魔法の詠唱を終わらせていた。
「ちょっと魔法の形を工夫して、当てやすくしておきました」
風系統の最上級魔法【風竜のはばたき】が、アレンジした形で飛び出した。
普通の【風竜のはばたき】は、一つの巨大な風船が飛び出して、それが炸裂する形で、周囲に風の刃をまき散らす。
風属性の爆風と刃による攻撃なわけだ。
では、このたびケルサ元学長がアレンジした形とは、どういうものなのか?
一つの巨大な風船を、何百個という中型の風船に分割して、ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】の周辺にまき散らしたのだ。
そう、どれだけ素早い標的であっても、逃げ場がないようにアレンジしたのである。
ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、どうやら嬉しかったらしい。
『どんな時代にも、賢者がひとりぐらい、いるわけだな』
何百個という風船が炸裂した。まるで空で風属性の花火が打ちあがったように、小型の爆風が次々と続く。
風属性の爆風と刃が、縦横無尽に拡散。それぞれが衝突して相乗効果を生み出すと、さらに被害を拡大させていく。
空気は津波のように波うち、雲が細切れに散った。
ブラックドラゴンは、直撃ダメージよりも、気流が乱れたことにより、飛行態勢を維持できなくなったらしい。
錐もみ状態となって、地上に落下した。
ついに黒竜最大の長所である、飛行スピードに土をつけたのだ。
人類にとっては、最大のチャンスであった。
● ● ● ● ● ●
リネシスは、地上に着陸するなり、号令をかけた。
『歩兵も弓兵も、剣を装備して、俺と一緒に斬りかかれ! 魔法使いは、あいつが空を飛ぼうとしたら、風系統の魔法で頭を押さえろ!』
だが、第五大隊の動きは、ちょっとぎこちなかった。
なぜなら敵は恐ろしいブラックドラゴン。あんな未知の化け物に、ロングソードで斬りかかるなんて、肝っ玉が必要であった。
だが第五大隊には、勇敢な弓兵がいた。
テテが、ロングソードを掲げながら、他の誰よりも真っ先に突撃した。
「みんな! オレに続け! このチャンスを逃したら、首都の家族たちが死ぬんだぞ!」
テテのおかげで、第五大隊の士気が回復した。
まるで氾濫した河川が材木を押し流すように、千名もの兵士たちが、ブラックドラゴンの巨体を斬りつけた。
一発あたりの威力は、小さな傷を作るぐらいでしかない。だが千名もの兵士が、同時に斬りかかれば、塵も積もれば山となった。
ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、苦しそうな悲鳴をあげた。あの伝説級のモンスターに、ダメージを与えているのだ。
第五大隊は、確かな手ごたえを感じた。あともう少しがんばれば、恐ろしい黒竜を倒せて、この戦争も終わる。
だが【ハリ・ア・リバルカ】も、賢き生き物だ。この永遠に続く痛みから逃げるために、翼を広げて飛ぼうとした。
だが、魔法使いたちが、風系統の魔法を詠唱済み。まるで風のハンマーで頭を叩いたように、【ハリ・ア・リバルカ】を地面に押し付けた。
人類の連携が成功していた。
第五大隊の兵士たちは、これでもかと斬りつけた。
ロングソードが折れれば、予備のロングソードで斬りつけた。それも折れたなら、ショートソードで斬りつけた。それすら折れてしまったら、木こりの斧で斬りつけた。鉄製の武器がなくなったら、石や岩で殴った。
着実にダメージは蓄積していた。あんなに頑丈だった黒い鱗は、傷だらけになっていた。
誰もが思った。あともう少しで、こいつを倒せるぞ、と。
だが、【ハリ・ア・リバルカ】は、そんな簡単に勝たせてくれる相手ではなかった。
『とてつもなく楽しいなぁ、この国とケンカするのは』
恐ろしいことに、この老獪な黒竜は、自分の体に黒い炎を吹きつけた。
黒い炎は、黒い鱗に伝わると、四方八方に飛散。まるで意志を持った蛇のように、近接攻撃を行う兵士たちにまとわりついていく。
何千名もの兵士たちは、慌てて離れようとした。だが、ほとんどの兵士が間に合わなかった。
うわーっと兵士たちの悲鳴が響き渡る。だがすぐに悲鳴も消えた。黒い炎は、火力が高すぎて、一瞬で人間を消し炭にしてしまうからだ。
『惜しかったな、人間ども』
またもやブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、空を飛んでしまった。
もはや、魔法使いたちの魔力も空っぽになっていて、ブラックドラゴンの頭を押さえられるほどの魔法は使えなくなっていた。
ケルサ元学長も失神寸前だった。
人類は、絶体絶命のピンチを迎えていた。
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