プロローグ5 戦争は、良くも悪くも、新しい発想を生み出す

 たとえ局地戦に勝利しても、戦局そのものが決まるわけではない。


 この戦争は、総力戦だった。


 オルトラン王国と、リンリカーチ帝国は、国力が拮抗していた。


 開戦当初のデータから見ても、甲乙つけがたい。


 オルトラン王国:兵力五十万 / リンリカーチ帝国:兵力五十万


 両国ともに、従属国を保有していて、兵士と食糧と武器の供給が行われている。


 もちろん、武器ないし日用品の技術レベルも同等だ。


 オルトラン王国は、ガッタール大陸の南側の覇者。


 リンリカーチ帝国は、ガッタール大陸の北側の覇者。


 これだけ巨大な国家同士の戦争は、ガッタール大陸でも例がなかった。


 だから、どうやって決着をつければいいのかわからなくて、戦争が長引いていた。


 もうかれこれ、半年以上、戦争していた。


 ● ● ● ● ● ●


 リネシスは、あらゆる戦場で、武功を立てていた。


 大局からすると、第五大隊が敗走するしかない戦場であっても、優れた剣術と魔法により、多くの敵兵を倒し、多くの味方を救った。


 公式の記録によれば、たった一人で四千名の敵兵を葬ったらしい。


 ――オルトラン王国軍には、仮面の剣士という天下無双の傭兵がいる。


 そんな噂が、両軍の陣営に流れるほど、リネシスの活躍は、目を見張るものがあった。


 もちろん、才能のある敵兵を見つければ、中立国に送り込んで、戦後に備えた。


 だが、必ずうまくいくわけではなかった。


 才能のある敵兵のなかには、戦場で散ることこそ戦士の本懐である、と信じているやつもいるから、そういうときは倒すしかなかった。


 不思議なことに、中立国から抜け出して、帝国軍に戻る兵士はいなかった。あとになってわかったことだが、どうやら帝国の皇帝は、理不尽な圧政を繰り返しすぎて、国民の信用を失っていたようだ。


 では、オルトラン王国の王様が優れた為政者だったかといえば、そんなことはない。


 圧政こそ敷いていないが、決断力はないし、大局観がなかった。


 それなのに、オルトラン王国が、この長期戦で持ちこたえられているのは、

息子たちが優れていたからだ。


 二人の兄たちは、軍費の調達と、従属国との外交をやっていた。


 リネシスは、最前線に立って、密かにゴルゾバ公爵を補佐しながら、兵士として暴れまわっていた。


 実質、オルトラン王国の戦争は、三兄弟によって、運営されていたわけだ。


 だがしかし、いくら優秀な三兄弟といえど、限度があった。


 もはや戦争を継続する力が残っていなかった。


 だが幸か不幸か、オルトラン王国だけではなく、リンリカーチ帝国も、戦争を継続できなくなっていた。


 その証拠に、両国の最前線に、武器が届かなくなっていた。


 そう、人間よりも先に、物資が不足してしまったのだ。


 どちらの軍も、剣は折れたまま、矢の補充は間に合わない、盾も鎧もボロボロだ。


 これは戦争の形を保てているんだろうか? そう思ってしまうほどに、総力戦は貧乏くじの引き合いであった。


 大局観を持っている人間ほど、確信していた。この戦争に勝利しても、なにも得られない。それどころか、マイナスになるだろうと。


 だが、革命家であるリネシスにとっては、プラスになる光景もあった。


 戦争が長引いて、食糧まで足りなくなってくると、だんだんと身分の差が埋まってきたのだ。


「なんで王様は、最前線に食べ物を届けてくれないんだ」


 と不満を口にしたのは、貴族の将官だった。しかも粗野な仕草で、野ウサギを焼いたものをガブっとかじりながら、げっぷをした。


「きっと、城の裏庭で遊びほうけてるのさ。自分だけうまいものを食べながらな」


 と返したのは、平民の歩兵だった。貴族の将官と同じものを食べながら、やはりげっぷをしていた。


 そう、身分の差を越えて、同じものを食べて、お互いに遠慮がなくなっていた。


 もちろん第五大隊の指揮官が、ゴルゾバ公爵という、優れた人格者だったからこそ、この状況も生まれたんだろう。


 だが、民主主義革命を目指すリネシスにとっては、希望のあふれた光景であった。


 ● ● ● ● ● ●


 どんな苦境にも、良い悪いを問わずに、必ず終わりがくる。


 ついに戦争は終盤を迎えた。


 なぜかリンリカーチ帝国の動きが、停滞したのだ。


 この意味を確かめるために、最前線の部隊から斥候を送ることになった。


 最前線となれば、第五大隊だ。


 ゴルゾバ公爵用の個人テントに、仮面の剣士ことリネシスと、ケルサ元学長が招かれた。


「ケルサ。なぜか帝国の動きが鈍くなった。なにか心当たりはないか?」


 ゴルゾバ公爵は、机の上に地図を広げた。


 だがケルサ元学長は、地図を無視して、テントの隙間から、空を見上げた。


「ゴルゾバよ。北の空を見るのだ。帝都で、魔法を伴った儀式が行われておる」


 帝都の上空に、魔法の粉を含んだ煙が、もくもくと立ち昇っていた。


 まるで、生きとし生けるものを不幸にするような匂いが、帝都全域をどっぷりと覆っている。


 土も、風も、川も、動物も、あらゆる大自然の象徴が、まるで怯えたようにざわめいていた。


 どうやらリンリカーチ帝国は、よからぬことを考えているらしい。


 ゴルゾバ公爵は、険しい顔で、妖しい煙を見上げた。


「儀式か……とんでもなく出力の大きな攻撃魔法を使うつもりとか?」


 ケルサ元学長は、地図上に表示された帝都の中心に、どすっと拳を置いた。


「いや、あの煙は、召喚の儀式だ。それも暗黒の契約書を使っているはず」


 暗黒の契約書、という名前を聞いて、ゴルゾバ公爵も、リネシスも、存在そのものを疑った。


 なぜなら、この本の形をした契約書は、おとぎ話や寓話で頻繁に出てくるからだ。


 どの物語でも『追い詰められた悪役が、暗黒の契約書を使って、とてつもなく凶悪なモンスターを召喚する』パターンが多かった。


 だが、現実に存在しているなんて信じられなかった。


 少なくとも、直近の歴史書や史料には、こんな物騒なマジックアイテムは登場していない。


 だが、ケルサ元学長は、体験談を語りだした。


「若いころに、暗黒の契約書が発動するところに立ち会ったことがある。遠い異国の地で、どうしても必要になって、【すべてを洗い流す海竜/ラミ・ゴハ】を召喚したのだ」


【ラミ・ゴハ】――リネシスの仮面と同じ名前であった。


 ケルサ元学長は、続けて事情を語った。


「この海竜はな、伝説のモンスターだ。肩書きどおり、魔法の津波で、あらゆるものを洗い流せる。


 では、遠い異国の地で、なにを洗い流したかといえば、魔女の呪いだ。


 その土地は、かつて稲作の盛んな土地であった。だが、地下に埋まっていた遺跡に、古代の魔女の呪いが残されておった。その呪いが暴発してな、人の住める土地では、なくなりつつあった。


 そこで【ラミ・ゴハ】を召喚して、あらゆるものを洗い流してもらった」


 あらゆるもの、というフレーズに、ゴルゾバ公爵が、渋い顔になった。


「……大勢の犠牲者が出たわけだ。呪いは人にも伝染するから」


 ケルサ元学長は、厳かにうなずいた。


「うむ。生き残った人々が、津波に巻き込まれた犠牲者を悲しんでいると、【ラミ・ゴハ】は、謝罪のように鱗を置いていった。それをワシが管理することになってな。いまは、リネシス王子が、かぶっておる」


 リネシスは、自分の顔に張りついた【ラミ・ゴハの鱗】に、そっと触れた。


 どうやらこの仮面は、大勢の犠牲者の上に、成り立っているらしい。


 そんな大事なものならば、魔法の宝箱に封じておくのも納得だった。


 だが、感慨にふけっている暇はなかった。リンリカーチ帝国は、暗黒の契約書を使って、伝説のモンスターを召喚しようとしている。


 リネシスは、自ら申し出た。


『大佐。俺が偵察してくる。みんなは、いつでも逃げられる準備をしてくれ』


「わかった。気をつけていけよ」


 こうしてリネシスは、単独で偵察に出た。


 やけに嫌な予感がしていた。それも国家の存在を揺るがすほどの、特大の悪い予感だ。


 ● ● ● ● ● ●


 リネシスは、【ラミ・ゴハの鱗】を顔から外すと、帝国兵に変装した。


 イメージは斥候兵である。顔や首筋に泥や草をこすりつけて、いかにも戦場で疲弊した雑兵のように見せかけた。


 これだけ念入りに変装すれば、リネシスがうつけものの王子様だとわからないだろう。


 なにげない足取りで、帝国領土へ侵入した。


 その瞬間、強烈なプレッシャーを感じた。鎧の下に大粒の汗をかいていたし、ただ道を歩くにも身体を重く感じた。


 いったい、帝都でなにが起きているんだろうか?


 そう思いながら、リネシスは、帝国軍の野営地を素通りしようとした。


 だが、そもそも誰もいなかった。


「……なんで無人なんだ?」


 この野営地は、いうなれば帝国領土における最終防衛ラインである。ここが無人ならば、リンリカーチ帝国は防衛を放棄したことになる。


 あまりにも様子がおかしいので、リネシスは野営地の物見やぐらに登ると、遠くにある帝都を観察した。


 結論からいえば、手遅れだった。


 あらゆるおとぎ話における悪役、伝説のブラックドラゴン、【混沌を司る黒竜/ハリ・ア・リバルカ】が、帝国の首都を焼き尽くしていた。


 伝説のブラックドラゴンが、黒い炎を吹くたびに、あらゆる建物が炎上していく。


 もはや燃えていない建物のほうが珍しいぐらいだった。


 まるで絨毯のように燃え広がった黒い炎と、視界を覆いつくす黒い煙が、帝都民の逃げ場を奪っていた。


 リネシスは、絶句した。なんで子供のころに読んだ絵本の悪役が、現実世界で大暴れしているのかと。


 しばらく呆然としていると、首都から焼け出された兵士が、物見やぐらの前で倒れた。


「みず、みずをくれ……」


 リネシスは、物見やぐらから飛び降りると、彼に水筒の水を分け与えながら、事情を聴くことにした。


「俺は田舎から徴兵されたばかりなんだが、帝国軍でなにが起こったんだ?」


 リネシスは、適当な嘘をついた。だが、焼け出された兵士は、もはや嘘を疑う気力も残っていなかった。


「反乱だ。皇帝の圧政に耐えられなくなったから、革命を起こして、戦争を終わらせようとしたんだ。だが、失敗した。皇帝は、暗黒の契約書でブラックドラゴンを召喚して、反乱兵とオルトランを焼いてもらおうとした。だが、そんな甘いやつじゃなかった……」


 ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、帝都の人間たちに、こう伝えたという。


『混沌とは、すなわち完全なる乱数のことだ。あらゆるものに、炎のブレスを吹きかければ、その意味がわかる』


 乱数。偶然性。運。


 リンリカーチ帝国は、皇帝も、将軍も、国民も、反乱兵も、負傷兵も、病人も、いっさい関係なく、ただの運によって焼け死ぬか、生き延びるかが決まった。


 だが炎の特徴は、延焼することにある。


 こうして帝都は、真っ黒に焼け落ちて、そのまま壊滅した。


 ただの偶然により生き残った人々は、煤だらけの顔で白旗をあげて、オルトラン王国に保護を求めた。


 彼らの証言によって、帝国の要人は全員焼死したことがわかった。


 いや、それだけではない。ブラックドラゴン【ハリ・ア・リバルカ】は、帝国領土内に存在する、あらゆる都市を焼いて回っているという。


 この日、リンリカーチ帝国は、文字通り歴史から消滅した。


 だが、恐ろしい伝説の脅威が消え去ったわけではない。【混沌を司る黒竜/ハリ・ア・リバルカ】は、オルトラン王国の領土も焼き尽くそうとしていた。


 偵察兵の観測によれば、最初の標的は、オルトラン王国の首都だという。


 首都防衛戦の始まりだった。

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