プロローグ4 戦争のゆくえ

 謎の仮面剣士であるリネシスと、貧民街に追放されたケルサ元学長は、第五大隊所属になった。


 第五大隊は、ゴルゾバ公爵の率いる部隊で、オルトラン王国における精鋭部隊である。歩兵、弓兵、騎馬兵、魔法兵、四つの兵科が混生していて、猛者ばかり集められていた。


 さて、ゴルゾバ公爵だが、普段は模範的な貴族として、質実剛健にふるまっている。


 だが戦時になれば、勇猛果敢な大佐となる。


 身長二メートル。体重百キロ。ただし無駄なぜい肉は存在せず、まるでヒグマのような筋肉の持ち主だった。


 今年五十歳のはずなのに、白髪まじりの髪の毛には、生気がみなぎっていた。


 そんな男が、近衛兵用の全身鎧を着ているため、もはや人間の形をした要塞である。


 いかにも厳めしい見た目だが、彼は理知的な人間でもあった。だから仮面の剣士と、ケルサ元学長を、個人用の簡易コテージに呼び出した。


「リネシス。仮面をつけてもムダだ。近しい存在なら、お前の正体に気づくぞ」


 ゴルゾバ公爵は、あっさりと仮面の剣士の正体に気づいた。


『大佐。なんでわかったんだ?』


「私は、お前の剣術の師匠だ。足腰の運び方と、体重移動の癖でわかる」


『そんな癖で見抜けるのは、大佐だけだろうが……』


 リネシスは呆れてしまった。いくら卓越した剣豪といえど、眼力だけで、マジックアイテムの効果を退けるなんて、やはりゴルゾバ公爵も普通ではないのだ。


 なおゴルゾバ公爵は、ケルサ元学長にも忠告した。


「ケルサ。お前はもう老人だ。無理をすれば、過労で死ぬぞ」


 ゴルゾバ公爵と、ケルサ元学長は、古い友人だから、忠告が生々しかった。


「なぁに、この枯れ木は、魔法が得意でな。ただ行軍するにも、飛行の魔法を使って、ぷかぷか動けば、若い連中にだって、ついていけるとも」


 ケルサ元学長も、古い友人と話すときは、ややフランクな口調だった。


「先にいっておくぞ、二人とも。この戦争は、かなり過酷なものになる。もし引き返すなら、いまのうちだ」


 だがリネシスも、ケルサ元学長も、覚悟が決まっていた。


 ゴルゾバ公爵は、一呼吸おいてから、小さくうなずいた。


「ならば二人とも、一兵卒として、第五大隊で戦ってくれ。では解散」


 ● ● ● ● ● ● 


 最前線の野営地には、かつてリネシスと冒険パーティーを組んだ、弓兵のテテがいた。


 リネシスは、かつての仲間であるテテにも、正体を隠していた。


 だが、二年間も一緒に行動した仲間だから、初日でバレてしまった。


 原因は、テーブルマナーだ。野営地の食堂で、モノを食べるとき、お上品に食べてしまったのだ。


 リネシスは、反省した。すでにゴルゾバ公爵にも正体がバレているのに、こんなことでは先が思いやられるな、と。


 そんな自省するリネシスをあざ笑うかのように、テテはフンっと鼻を鳴らした。


「リネシス。なんでわざわざ身分を隠して、最前線に出てきたんだ?」


 リネシスは、仮面をつけたまま、テテの顔をじっと見つめた。


『テテと同じ風景を見たくてな』


 野営地の隅っこから、第五大隊の食事風景を見つめれば、オルトラン王国の実態が浮かび上がった。


 身分制だ。


 貴族と聖職者が優遇されて、平民はなにかと冷遇されていた。


 戦争における食事とは、栄養補給と士気を高めるための重要な兵站のはずだ。


 だが現実として、貴族と聖職者だけが、質がよい食べ物を、たくさん補充されていた。


 うつけもののリネシスだって、身分制の弊害が目に入っていなかったわけではない。


 だがこうして、平民の立場から体験してみると、強烈な不快感があった。


 まるで追い打ちをかけるかのように、テテが新しい情報を提示した。


「知っているか、リネシス。首都の評判によれば、お前は王族の義務を放棄して、真っ先に疎開した卑怯者、らしいぞ」


 戦争における王族の義務とは、兵士たちを鼓舞するために、最前線や補給線を表敬訪問することだ。


 他には軍備を調達するために、東奔西走することもある。


 だがリネシスは、それらの義務から逃げた、と民衆に思われているわけだ。


『なるほど、たしかに魔法の仮面で顔を隠して、戦争に参加すれば、そういう評判にもなるか』


 リネシスは、いまだかつてないほど、身分制に違和感を覚えていた。


 民衆が、王族に期待している役割は、政治家である。


 だが、王族に生まれたからといって、政治家に適しているとはかぎらない。


 ならば、あらゆる民衆の中から、政治家に適した人間を抽出するほうが、効率的に国家を運営できるのではないか?


 すなわち民主制である。


 そう考えてしまうのは、リネシスがうつけものだからなのか、それともケルサ元学長の薫陶を受けたからなのか。


 明確な答えは、いまのリネシスには、わからなかった。


「なぁリネシス。いまからでも遅くない。その仮面をとって、素顔をさらせば、民衆の誤解もとけるんじゃないのか? 魔法大学に戻ったラサラ教授や、教会に戻ったマルトロ司祭も、お前の無実を証言してくれるだろうさ」


 どうやらテテは、リネシスを悪者にしたくないようだ。


『だが俺は、この戦争を平民の立場から体験すると決めた。そうしないと、成せない夢があるからだ』


「まだ諦めてないのか。革命なんて絵空事を」


 テテは、現実主義者だ。いくら同い年の友達が、革命という夢を掲げたところで、しょせんは夢であり、現実は変わらないと思っている。


 それに対してリネシスは、理想主義者だ。民主主義革命は夢で終わらず、絶対に成功できると信じていた。


 だが、現実主義者の友人を説得できないようでは、どんな理想も叶えようがないとも思っていた。


『もし俺が、この戦争をただの歩兵として生き残れたら、いよいよ絵空事ではなく、現実的な計画になるはずだ』


 リネシスは、命を賭けて証明するわけだ。民主主義革命は、オルトランに必要なものなのだと。


 そんなリネシスの体当たりの姿勢に、テテは少しだけ心が揺れたらしい。


「ならばオレは、弓兵の目で、お前が本物の革命家なのか、見極めてやろう」


 野営地の片隅で、時代が動き出していた。


 はたして、二人の若者は、この戦争を生き残れるのだろうか?


 ● ● ● ● ● ●


 どんな夢を抱えていようとも、どんな身分であろうとも、戦争の過酷な現実は、平等に降り注ぐ。


 次々と兵士が死んでいった。


 貴族の将官も、聖職者の癒し手も、例外ではない。


 無情なる矢の雨と、攻撃魔法による範囲攻撃で、まとめて戦場の塵となった。


『テテ、前に出すぎるな。敵の魔法使いに狙われるぞ』


 リネシスは、テテに配置を指示した。


 険しい谷での戦いだった。足場も悪ければ、見通しも悪い。隠れる位置もたくさんあるが、それはメリットであり、デメリットでもあった。


 自軍と敵軍が、あらゆる位置に隠れるものだから、ちょっと気を抜いたら戦線が混ざってしまうのだ。


 ふと気づいたら、同じ岩場に敵軍と一緒に隠れていた、なんて笑えない話もあるぐらいだった。


「戦場における魔法使いは、ずいぶんと派手に活躍するんだな」


 テテは、弓矢を構えながら、岩肌の隙間に身を潜めた。


『ああ。戦略級の魔法を使えるやつが、一人でもいれば、それだけで悲惨な穴だらけになる』


 魔法使いの範囲攻撃は『戦闘級→戦術級→戦略級』の順番で拡大していく。


 ちなみにリネシスの範囲攻撃は、戦術級と戦略級の間ぐらいだった。


 ケルサ元学長は、本来戦略級だが、高齢者ゆえに詠唱時間が長くなるし、一日に一発か二発しか撃てない。それ以上無理をすると、おそらく過労で死ぬだろう。


 では第五大隊に、戦略級の魔法使いが、他にいるかといえば、いなかった。


 正確には、開戦当初はいたのだが、すでに戦死していた。


 だから敵であるリンリカーチ帝国に、一人でも戦略級の魔法使いがいれば、それだけで第五大隊は不利になる。


 そう、実際不利になっていた。


「悲惨な穴だらけか。そうだな。帝国の戦略級の魔法使い、味方まで巻き込んでるものな」


 テテは、少し離れたところにある、特大の大穴を見た。


 ついさきほど、帝国の魔法使いが、戦略級の魔法である、火系統の最上級魔法【火竜の咆哮】を詠唱した跡だった。


 ただし、威力のコントロールや、対象範囲の指定を間違えたらしく、王国の兵士も、帝国の兵士も、仲良く爆発四散していた。


 そのせいで、少々戦場が停滞していた。どちらの軍の兵士も、戦略級の攻撃魔法に巻き込まれるのを恐れて、物陰に潜んでしまったのだ。


『テテの目なら、帝国の魔法使いが、どこに潜んでいるのか、わかるはずだ』


 リネシスは、テテの眼力に期待していた。


「期待しすぎだぞ、仮面の剣士」


 テテは、戦場だと、リネシスの名前を呼ばない。仮面の剣士の正体を秘匿するつもりだからだ。


『期待するさ。テテの実力は、二年間の冒険で体感してるからな』


「……見つけた。東の方角。あの岩肌の裏側だ」


 帝国の魔法使いの位置がわかったなら、この局地戦における勝利の方程式が解けたようなものだった。


 リネシスは、後ろに控えていた、ケルサ元学長に、魔法を打ち込む位置を指示した。


 ケルサ元学長は、ゆっくりと魔法を詠唱。ぶつぶつと小声で魔力式の言葉を紡いでいく。魔法の粉がパチパチと弾けて、老人の肉体が太陽のように輝いた。


 ついに戦略級の魔法である、雷系統の最上級魔法【雷竜の尾撃】を発動した。


 まるで伝説の雷竜が尻尾を振りまわしたように、野太い雷の塊が水平に伸びていく。その範囲に入っていた、千名近い帝国兵たちがまとめて感電。高圧電流の圧力によって、体内から弾け飛んでいく。


 そのまま雷の塊は、岩肌を直撃。岩の形そのものを打ち砕き、そこに隠れていた魔法使いの姿を露わにした。


 帝国の魔法使いは、分厚い魔力障壁を張って、【雷竜の尾撃】の直撃を免れていた。


 だから彼には、反撃のチャンスがあった。若さを活かして、素早く魔法を詠唱して、戦略級の攻撃魔法で、ケルサ元学長の位置を吹き飛ばせばいい。


 だが、そんな常識的な反撃行動を、うつけモノであるリネシスが許すはずがなかった。


 すでにリネシスは、帝国の魔法使いの懐に飛び込んでいた。


 リネシスと、帝国の魔法使いの視線が、一瞬だけ交差する。


 帝国の魔法使いは、すっかり怯えていた。もう死んだと思っているようだ。


 だがリネシスは、こんな貴重な人材を殺すのは惜しいな、と思っていた。


 だから、帝国の魔法使いの杖を切り飛ばすと、喉元にロングソートをぴたりと当てて、こう告げた。


『戦後に備えて、降伏しろ』


「な、なにをいってるんだ」


『戦後になれば、お前のような人材が、復興に役立つ。だから降伏して、戦後に備えろ』


 リネシスの仮面の奥で、うつけモノの瞳が光った。


 ただのうつけモノではない。才能を持て余した型破りな偉人であった。


 その才能の光は、どうやら戦場における灯台の光になったらしい。


 帝国の魔法使いは、がくっと膝をつくと、両手を挙げた。


「降伏する」


『いい心がけだ。このルートで逃走してくれ。王国と帝国の境界線で、しかも誰もいない』


 リネシスは、紙のメモを渡した。


「……どういうことだ?」


『お前は戦争中、中立国であるパワテルン共和国に身を潜める。戦後になったら、王国ないし帝国の復興に尽力するんだ。ちゃんとパワテルン共和国の酒場に話は通してある。冒険者時代のツテでな』


「お前は、何者だ?」


 リネシスは、仮面を少しだけズラして、素顔を見せた。


 帝国の魔法使いは、リネシスの顔を見るなり、まるで魂が抜けたかのように脱力した。


「あぁ……お前は、うつけモノという評判だものな。そういう発想にもなるんだろう……わかった。この命、本来なら、お前に刈り取られたものだ。中立国に向かうとしよう」


 なぜか納得したらしく、帝国の魔法使いは、指定のルートで逃走を開始。一瞬だけ振り返って、一言だけ言い残した。


「おれの名前は、ポステラだ。戦後になったら、また会おう」


 こうして帝国の魔法使いことポステラは、戦場から消えた。


 リネシスは、ポステラの杖の残骸を拾うと、大声で叫んだ。


『帝国の戦略級の魔法使いを討ち取った! この局地戦では、オルトランが優勢だ!』


 自軍の戦略級の魔法使いを失ったことに、リンリカーチ帝国軍は動揺した。


 ついさきほど、ケルサ元学長が戦略級の魔法を撃っているから、帝国側の認識は『この戦場では、王国軍にだけ、戦略級が残っている状態』になったわけだ。


 あきらかに劣勢である。だから帝国軍の統率は乱れてしまい、壊走を始めた。


 この険しい谷での局地戦は、オルトラン王国軍の勝利となった。

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