プロローグ2 うつけもの、冒険者になる

 リネシスは、十五歳の春を迎えていた。


 身長もすっかり伸びていたし、体の節々にたくましさが出てきた。まだどこか寝ぼけたような顔つきは残っていたが、それを覆い隠すほどに、溌溂とした若さが芽吹いていた。


 リネシスが成長したのは、外見だけではない。


 この年になるまで、影でこっそり修行をこなしたおかげで、剣術も魔法も、過酷な冒険に耐えうるだけの実力が伴っていた。


 ついに出発の時である。道楽旅行と見せかけた冒険の旅へ。


 なお単独の冒険は、あまりにも危険すぎるため、ゴルゾバ公爵の紹介により、口の堅いお供をつけてもらった。


 魔法使い、僧侶、弓兵、の三名である。


 このうち弓兵は、かつてリネシスが修行をサボって、本を読んでいたころの友人だった。


 馬小屋の息子で、名前はテテ。年齢はリネシスと一緒。黒髪褐色の偉丈夫であり、すべての存在を疑うような目をしていた。つま先から指先にいたるまで、生命力があふれていて、どんな過酷な環境からも生還しそうだった。


「まさか、うつけもののお前が、冒険者をやりたがるなんて、夢にも思わなかったぞ」


 テテは、リネシスと話すときに、敬語なんて使わない。王族や貴族みたいな特権階級が大嫌いだからだ。


「テテと出会ったころは、本を読むばかりで、修行してなかったからな。そう思うのも、無理はないだろう」


 リネシスは、この同い年の友人を大切にしていた。城から抜け出して、馬小屋で本を読んでいることを、他の誰にも告げ口しなかったからだ。


 それぐらい信頼できる男だからこそ、物事の分別をはっきりとつけていた。


「先にいっておくぞ、リネシス。温室育ちのお前が、冒険の足を引っ張るようなら、問答無用で首都に帰るからな」


 正論であった。たとえゴルゾバ公爵の頼みとはいえ、甘ったれたうつけモノのお世話をするために、自分のすべてを投げ出す必要はないだろう。


 きっと冒険の旅は、つらくて厳しいものになる。だからこそ、現実主義者のテテが、手堅い道しるべになるはずだ。


 そう思ったリネシスは、テテと握手した。


「いい心がけだ。その調子で頼んだぞ、わが友よ」


 さて、お供になったのは、テテだけではない。他にも二人いた。


 まずは、魔法使いから触れておこう。名前はラサラ教授。今年三十歳の女性だ。古風な魔女の格好をしていて、古代文字を刻んだドレスが特徴的だった。紫色の髪は、魔力の風で揺れていて、怪しい薬品の香りをぷんぷんさせている。


「はぁーい。わたし、魔法使いのラサラ。魔法大学に勤務する、お肌ぴちぴちの三十歳よ」


 ラサラ教授は、熟れた体と、魔法の杖を、くねくね揺らしながら、自己紹介した。


 その滑稽な姿に、リネシスは仰天してしまった。


「…………三十歳で、お肌ぴちぴち?」


「このクソガキ! いくら王族だからって、舐めた口きいたら、しょうちしないよ!」


 ラサラ教授は、烈火のごとく怒った。魔法の杖から、赤黒い魔力が漏れるほどの怒りだった。


 彼女の直情的な怒りが、リネシスの気を引き締めた。


 冒険の旅では、仲間たちと寝食を共にすることになる。だから不用意な発言や、うかつな行動が、仲間を怒らせることだってあるだろう。


 もし仲間を怒らせてばかりでは、信頼関係の構築など不可能である。


 だからリネシスは、きちんと謝罪した。


「舐めたつもりはない。もし怒ったなら、謝罪しよう」


「あらら? リネシス王子って、意外に思慮深いのね」


 ラサラ教授は、どうやらリネシスが謝罪するとは、思っていなかったらしい。


 だが、うつけモノの評判をそのまま受け取るなら、むしろ謝罪しないと思うほうが自然だろう。


 リネシスは、冒険の仲間に信頼してもらうために、うつけモノの仮面と、その下にある素顔について、触れておくことにした。


「人々に注目されないように、うつけモノを演じてきた。だから悪い評判が先行しすぎているのさ。まぁ、パンツ一丁で走り回ったのは、演技ではなくて、ただの素だが」


「なんか、本当は俺様はなんでもお見通しさ、みたいな態度が生意気よ。めちゃくちゃ気に食わないわ」


 ラサラ教授は、ぷりぷりと怒っていた。どうやら年齢とお肌のことを揶揄された怒りを引きずっているらしい。


 そんなラサラ教授を、まぁまぁとなだめるのは、もう一人の仲間だった。


 彼の名前は、マルトロ司祭。温厚な顔立ちの男性である。パーティーの年長者であり、今年三十五歳だ。オルトラン王国の国教である【テネタ教】の聖職者であり、彼が身に着けたローブも杖も、すべてテネタ教の支給品だった。


「小生は、リネシス王子と、何度か顔をあわせているので、悪い評判が所々間違っていることも、知っておりますよ」


 マルトロ司祭は、ゴルゾバ公爵の修行に顔を出すことがあった。どうやらマルトロ司祭は、聖職者でありながら、軍の密偵も務めているらしい。


 聖職者の立場なら、各地の情報を仕入れるのが容易なわけだ。おそらくだが、この冒険でも、各地の情報を仕入れて、首都に送るつもりだろう。


 リネシスは、ゴルゾバ公爵の抜け目なさを、心の中で称賛した。


 そんなリネシスの思惑なんてあざ笑うかのように、ラサラ教授のノリは軽かった。


「いつも思ってたけど、マルトロ司祭って、いい男よね。わたし、あなたみたいな生真面目な男性が、好みなのよ」


 ラサラ教授が色目をつかえば、マルトロ司祭は苦笑いした。


「困りますね。小生は聖職者なので、女人禁制なのです」


「いいじゃない。旅の最中ぐらい。ねぇねぇ、いいじゃなぁーい」


 こんなヌルっとした感じで、リネシスの冒険は始まった。


 ● ● ● ● ● ●


 冒険には、戦闘がつきものだ。


 普通に街道を歩いていたら、山賊の集団が襲ってきた。


 仲間の三名は、実戦経験者なので、山賊を殺すことに躊躇がなかった。


 テテは弓矢で射抜き、ラサラ教授は高出力の魔法で焼き、マルトロ司祭は精霊を召喚して砕いた。


 だがリネシスは、今日が実戦初体験なので、躊躇があった。


 たとえ正当防衛が成立しようとも、殺人は殺人だ。


 だが躊躇なんてしていたら、一方的に殺されるだけだろう。


 だからリネシスは、ロングソードを構えた。標的は、こちらに迫ってくる山賊だ。


 山賊は、いかにも粗野な顔をしていて、旅人を襲うことに手慣れていた。


 だが強くはなかった。立ち回りも、武器の扱いかたも、すべてが未熟だ。


 だからリネシスは、流れる水のごとく、剣を振り抜いた。ゴルゾバ公爵から習ったとおりの動きであった。


 だが、修行と大きく違う点がある。この攻撃が成功すれば、相手は死ぬということだ。


 そう、攻撃は成功した。ロングソードの刃にも、べっとりと返り血が付着していた。


 山賊は、まるで糸の切れた人形のように、ばたっと無造作に倒れた。血が池のように広がって、内臓の生臭さが広がっていく。


 山賊は死んだ。リネシスが殺した。鍛錬した剣術によって。


 リネシスの心には、二つの感覚が生まれていた。


 戦士としての通過儀礼を終わらせた達成感と、人を殺したことによる重苦しさだ。


 いくら相手が悪人とはいえ、殺人は殺人である。


 軽く考えるよりかは、重く考えたほうがいいだろう。だがしかし、いちいち内省していては、闘争の場で生き残れない。


「敵の屍を乗り越えていくことも、戦士の通過儀礼なのだろう」


 リネシスは、すぐに気持ちを切り替えて、次の標的を探した。


 遠くの林に、山賊の弓兵が伏せていた。だからリネシスは、攻撃魔法を詠唱した。


 風系統の中級魔法で【狂乱の竜巻】である。乱れ狂った竜巻が、林ごと山賊を飲み込んだ。風の塊は、やがて竜巻内部の山賊を押しつぶして、ぐちゃりと真っ赤な塊を地面に産み落とす。


 これで魔法による殺人も体験したことになる。


 剣で殺すよりも、体にまとわりつく衝動が薄い。おそらく人間は、飛び道具のほうが、殺人の敷居が下がるんだろう。


 そんなことを考えているうちに、仲間たちが山賊を全滅させた。


 リネシスは、そこまで活躍できなかった。だが、初めての実戦で、二人も殺せたなら、上出来であった。


 リネシスが戦闘の総括をしていると、ラサラ教授が近づいてきた。


「リネシス王子ってさ。魔法の詠唱時間、ほとんどなかったわよね? あれ、どういうカラクリなわけ?」


「ケルサ学長によれば、俺の精神にある魔法回路の容量は、尋常じゃないほど大きいそうだ」


「なんかムカツクわ。才能の塊って感じで」


「だが俺は、ラサラ教授ほど、魔法の出力が高いわけではない。ケルサ学長みたいに、魔法の幅が広いわけでもない」


「当たり前よ。わたしが、この技術を身に着けるまで、どれだけ苦労したと思ってんの? 一朝一夕で追いつかれてたまるもんですか」


 ラサラ教授は、山賊の死体から、金目のものだけ剥ぎ取ると、さっさとカバンにしまった。


 マルトロ司祭は、山賊の死体に祈りを捧げて、魂を浄化していた。このまま放置しておくと、最悪アンデッドモンスターになるからだ。


 テテは、弓を背中に戻しながら、リネシスに声をかけた。


「初めて人を殺した感想は?」


「なんで山賊たちは、誰かから奪うことに抵抗がなくなったのか、疑問に思った」


「これはおかしな感想だ。王族や貴族は、平民から奪うことに抵抗がないくせに」


 テテの率直な感想に、リネシスは完敗した。


 王族として生きてきたからこそ、つい忘れがちな視点もあるわけだ。


 いくらリネシスが、うつけものだったとしても、この肉体の血肉となった食料品は、すべて平民から搾り取った税金で賄われている。


 そのことを忘れてしまっては、平民の友人に対する侮辱だろう。


 だからリネシスは、自分なりの言葉で敬意を表した。


「やはりテテは発想が柔軟だな。一本取られたぞ」


 テテは、いぶかしげに目を細めると、山賊の死体を指さした。


「バカなこと言ってないで、さっさと山賊の死体から、売れそうなものを剥ぎ取ってこい」


「なぜ、剥ぎ取るんだ? ラサラ教授どころか、マルトロ司祭まで死体漁りをするなんて、正直理解できない」


 ラサラ教授の性格なら、死体から装備を剥ぎ取ることに、違和感はなかった。


 だが聖職者であるマルトロ司祭まで、いそいそと金目の物を回収していた。


 その理由を、テテが現実主義者の目線で説明した。


「近くの町で売り払って、路銀を稼ぐためだ。冒険者をやるからには、きれいごとだけじゃ通用しないんだよ」


 路銀。つまりお金がなければ、冒険を継続できないわけだ。


 純然たる現実を通して、リネシスはお金の大切さを学んだ。


 だからこそ、仲間たちを見習って、山賊の死体から装備を剥ぎ取っていく。


 装備の種類も、装飾品の傾向も、すべてバラバラだ。つまりすべての荷物が、誰かから奪ったものなのである。


 そんな罪深い荷物の中に、なぜか子どもの好きそうなアヒルのおもちゃがあった。


 売れるかどうかはわからないが、これを持っていくことが本来の持ち主の供養になるのではないか、とリネシスは思った。


 ● ● ● ● ● ●


 山賊の死体から剥ぎ取った荷物を、近くの村で売り払うことになった。


 そのとき、八百屋の女性が、ちょっとしたことに気づいた。


「ちょっと待っておくれ。このアヒルのおもちゃ、行商人をやってる旦那が、子供からお守りとして受け取ったやつなんだ。ほら、アヒルの首のところに、イニシャルが刻まれてる」


 こういうとき、綺麗に事情を説明できるのは、温厚なマルトロ司祭だ。かくかくしかじかと、山賊の群れについて伝えた。


 八百屋の女性は、がっくりと肩を落とした


「なら、うちの旦那は、山賊に襲われて、死んじまったのかい……」


「気休めかもしれませんが、あのあたり一帯に祈りを捧げて、浄化してあります。旦那さんの魂は、安らかに昇天しているはずですよ」


 マルトロ司祭が、僧侶の杖で祈りを捧げると、八百屋の女性は手を合わせた。


「ありがとう、司祭様。うちの旦那も、きっと安らかに眠ったはずだよ……」


 だが八百屋の女性は、悲しみに耐えられなかったらしく、店の奥に引っ込むなり、小さな子供を抱きしめて号泣した。


 彼女が悲しむ姿を見て、リネシスは、オルトラン王国が、乱れていることを痛感した。


 首都の防壁の内側で、ぬくぬくと育ったままでは、民衆の痛みに接する機会もなかっただろう。


 あらためて、ケルサ元学長の導きに感謝した。彼と出会うことがなければ、リネシスは本当の意味でのうつけものとして、その生涯を終えていたはずだ。


 しかしリネシスは、数々の恩人たちとの出会いにより、成長した。


 ならば、このあふれんばかりの力を、人々のために使ったほうがいいのではないか、と思った。


「みんな聞いてくれ。なんの目的もなく、ただブラブラするだけでは、本当の意味で放蕩三昧になってしまう。だから、人助けをするために、冒険しよう。異論はないはずだぞ。この冒険は、俺を成長させるために、始まったんだからな」


 異論なし。全会一致で、人助けのために冒険することになった。


 リネシスは、弓兵のテテと肩を組んだ。


「まさか、現実主義者のテテが反対しないとはな」


「くっつくな、リネシス。オレは王族が嫌いなんだ」


 テテは、いぶかしげに目を細めた。


 この友人が何度か繰り返す目の動きを見て、リネシスは小さなことに気づいた。


 どうやら、いぶかしげに目を細めるのは、テテなりの照れ隠しらしい。


「なんだテテ。恥ずかしがるなよ。友達ではないか」


「ええい、うっとうしいやつだな……」

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