#2 カモメとダウニー

「ほっぺ真っ赤じゃん。やっぱり、すごく熱い」

 奏雨そうちゃんが体温計を持ってきた。脇に挟んでしばらくすると電子音が鳴る。四〇・二度。正確に体温を計るには五分必要らしいのだけれど、一分で体温を予測するこの体温計は高めの数値を表示するらしい。それを差し引いても高い熱だと奏雨ちゃんがいう。

「病院行こ」

「もう行きたくない。前も何でもなかったじゃん。小六の時は三十九度で遠足に行ったんだよ」

「親は止めなかったの?」

「親っていうか、おばあちゃんだけどね」

「今日は総合病院に行くから」


 二回目のPCR検査を受けた。今回も新型コロナウイルス感染症の可能性は、ほとんどないという。

「先月も発熱して、検査は陰性でした。高熱のほかに症状はありません。食欲はないけれど、普段からあまり食べません。熱が出るまであまり眠ることもなかったみたいです。長くて一時間半くらい、短いと二十分くらい。それくらいの睡眠を一日数回繰り返していると思います」

 奏雨ちゃんは、見た目で偏見を持たれないような言葉遣いを心がけているらしい。眠くてぼーっとする私に代わって、医者に説明してくれる。次に訪れるように指示されたのは心療内科だった。


「痩せすぎですね」

 ひどい先生だなー。でも食べたいものはある。おばあちゃんが育てていたキュウリとかトマトとか。イチゴはいつも摘むのを手伝っていた。おばあちゃんはキュウリのことをウリというから、食べた友だちはびっくりしていた。ウリってキュウリに似ているけれどめちゃくちゃおいしい、って。

「うつ状態だと思われます」

 先生と奏雨ちゃんがいろいろ話してから一度待合室に戻った。壁に貼られたヨガ教室のチラシを眺めていると、別の部屋に呼ばれていくつもの質問が書かれた紙を渡された。もう一度待たされている間に採血される。

憂羽ゆうはさんは、双極性障害です」

 治療に時間がかかるかもしれませんが、治りますよ。でもお仕事を続けられると、治りにくいばかりか悪化してしまうかもしれません。福祉事務所のナカハラさんという方に連絡してあります。お二人で行けますか。ここから近くです。いろいろと説明してくれる女の人は、医者ではなくケースワーカーだといった。

「いまは仕事していません。それに、たくさん薬を飲むつもりもないし。たまに熱が出るくらいだから困りません」

「ふたりで野菜を作って一緒に食べます」

 奏雨ちゃんが歯を見せて笑ったので、私は舌ピを見せた。


 気づくとまた私は眠っていて、部屋に青い金魚が泳いでいた。

「ベタだよ」

 部屋の壁を泳ぐ魚を目で追う。体を起こせない代わりに、奏雨ちゃんの声がはっきりと響く。

「昔、客にもらったんだ。バカラと、青いベタ。グラスに泳がせておけばいいからって。コンテストに出るショーベタで何千円もするとか言ってたけど、餌もねえし買いに行ってさあ。店員と話してたら、ベタって魚は水面からも呼吸できるからグラスで飼えなくもないけど、環境が悪いと他の水に飛び移るんだって。バカラから飛び出して部屋の床に落ちてるかもしれねえなと思った。俺の手を店員が見てて、墨が珍しいのか? と思ったけど、生き物と暮らすのは責任が大きいよねって笑った。ベタは飼いやすいですよって、水温とかヒーターとか水槽とか教えてくれたけど、ここで世話してくれないか訊いたら、連れてきてもいいって。『でも、お引き取りの代金を支払ったりは、できなくて。申し訳ありませんが』——それからベタがどうしてるか見に行きたかったけど。なんか店に迷惑そうだからやめた」

「バカラはどうしたの?」

「手で割ったよ」

「何でー?」

 奏雨ちゃんが持っている白いコントローラーに、青い魚が映った。シオノメ油田の空のカモメがテレビの液晶に浮かぶ。海の上に作られた金網の足場を散歩していた奏雨ちゃんのイカは、ハイカラシティに戻った。何回も、すり抜けバグを試しているみたいだ。きっとダウニーの後ろ側や、隣のカフェのカウンターに入ってゆっくりするんだろうな。私はもう一度目を閉じた。



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青色金魚は夜を泳ぐ 𝚊𝚒𝚗𝚊 @aina

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