#1 雨の日のお茶会

 専用庭のコンクリートを大粒の雨が叩きつけている。クッションから立ち上がった奏雨そうちゃんは、窓の外を見に行った。二階建てのアパートの一階。土のない庭だけれど、奥の側溝沿いにはドクダミがたくさん咲いているし、所々ひび割れてタンポポやツユクサも生えている。そして目の前の壁は植物園のよう。隣のマンションは、アパートの一階を覆う高さの擁壁の上に建っている。引っ越してきたときは、壁の上の柵からバラの花がいっぱい覗いていた。きっと今も、いくつか雨に打たれている。柵の向こうは花壇になっているのかもしれない。壁の隙間から生える植物は、園芸種らしいものが多い。零れた種が芽吹いたのだと思う。あまり見かけないようなつるを垂らしたり、小さな葉や花をつけたりしていた。


 にわか雨が通り過ぎてから、ショッピングセンターに前売券を買いに行った。この夏上映予定だった映画を楽しみにしていたのだけれど、延期になったまま公開の予定はまだない。地下のデリで紫キャベツのザワークラウトと人参のラペと赤かぶのピクルスを一〇〇グラムずつ買う。エスカレーターで一階に上がり、裏通りのエントランスを数段下りる。通りに面した花屋の切り花が、湿度の高い曇った空気に鮮やかに映えている。

「これ、庭に咲いてない?」

 舗道に置かれた鉢植え。ヒメイワダレソウ。小さなシロツメクサのような花は、擁壁をかわいく飾っているものとよく似ていた。

「買ってく?」

「ううん」

 棚の上にハーブティの包みが並んでいる。店員さんが、きれいな紫色のお茶だと言った。レモンを入れるとピンク色に変わるとも。

「ひとつください」

 数杯分だという小さな包みをデリの上に乗せる。


 奏雨ちゃんと一緒に、庭にテーブルセットを運ぶ。元々アウトドア用らしい木製のセットは、前にアンティークショップで見つけたもの。少し凸凹する天板に白いリネンを敷く。どこかにやってしまったのだけれど、常連さんがパリの蚤の市で買ってきてくれた水晶のペンダントを思い出す。

「100%レモンがあるよ」

 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。花屋で買った包みを開くと、くすんだ紫色の花が詰まっていた。マロウ。大きな葉を持つ木の下に置いたテーブル。足下をドクダミが敷き詰めている。二つのワイングラスにマロウを入れて水を注いだ。ガラスのマドラーで掻き混ぜると、紫色が水に滲む。花が膨らんでいく。

 透明のボウルに取り出した花は、山盛りのサラダのようだった。水を張ると薄紫に変わる。

「入れ過ぎたね」

「いっぱい飲めるね」

「入れたままだと苦くなるんだって」

 グラスを合わせて小さな音を立てる。紫色のハーブティーは味も香りもしなかった。濃縮レモン水を垂らすと下半分がピンク色に染まる。

「わあ。きれいー」

 微かな酸味が口の中に漂って消えた。


 映画の前売券とセットの特典を開封する。フォルダからベディヴィエールを外して、空にかざした。クリアポートレートに木の葉が透けている。ベディヴィエールは緑が似合うなあ。リネンの上の iPhone を取って FGO にログインした。

「どこまで進んだ?」

「マーリンがベディヴィエールに色々教えてるところ」

「映画の公開までに、キャメロットがクリアできるといいね」

「うん……。映画、いつになったらやるのかな。再延期したから心配」

「大丈夫だよ。また前売券を買いに行こうね。何回も観るんでしょ。……サポート誰にした?」

「うん? あー、負けそう!」

「サポート欄のいちばん上にいるからって、いちばん強いわけじゃないんだよ」

 貸して、という奏雨ちゃんに iPhone を渡して、ピンクになったグラスを傾ける。特典のフォルダに雨粒が落ちた。私がよく分からずにプレイしていたから、奏雨ちゃんでも苦戦している。ハイドたちが戦う声と雨が葉を叩く音。今月で二十二歳になった奏雨ちゃんは私の二歳年下だけれど、初めて会った四年前からずっと年上みたいな気がしている。

 コンクリートが雨に濡れていく。水滴を弾く花たちは、白い十字架のよう。テーブルの上で水が跳ねる音がした。波紋に揺れるマロウの周りで、溢れたハーブティーが斑点しみを作る。見てて、と椅子を近づける奏雨ちゃんの手元。手の甲に双子の咬魚のタトゥーが入っている。右腕の黒いドラゴン。左腕の外国語。左脹脛の蠍。奏雨ちゃんは黒いタトゥーしか入れない。左胸のバラ。見上げると、一輪のバラが柵から伸びていた。雨が落ちてくるのが見える。

「マーリンの宝具は、貯まったらすぐに打った方がいいよ」

 首筋に小さな悪魔が羽ばたいている。奏雨ちゃんの髪や肩に落ちる雨を見ながら、天使の羽が生えていてもおかしくないと思った。



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