(参)

 趙武は、南龍に入ると、その郊外に作られた邸宅へと入る。


「お待ちしておりました。上様、姫様」


慈育ジークさ。上様、姫様って、何?」


「いえ、父が、瀬李姉綾様の事を、姫様と呼ばれていたので、趙武様も、上様が良いかと」


「そう。上様は、良いとして、56にもなって、姫様はね……」


「趙武様! 何ですか? わたしの年齢ばかり強調しないでください。ぶ〜」


「だから、ぶ〜は……」


「は〜い」



 慈育は、慈魏須文斗の次男で、趙武の家宰かさいを、やってもらっている。



 慈魏須文斗は、趙武の乱が、終わると本人の希望により、趙家の家宰となり、名前もカナン平原風に改め、慈文ジブンと改め、慈家じけを興したのだった。



 そして、慈文の引退後も、その息子達が、趙家に仕えている。長男の慈唐ジトウは、趙英に仕えている。



 こうして趙武達は南龍にやってきたのだが、南龍の邸宅で、のんびり過ごす。と思っていた、瀬李姉綾は、大いに慌てる事になった。



「慈育。予定通り、出港の準備をしてくれ」


「はっ、かしこまりました」


「えっ! 出港?」


「あれ? 瀬李姉綾に言って無かったっけ? 西方諸国に行くよ」


「聞いておりませんよ〜。でも、西方諸国には、行ってみたいです」


「そうでしょ。だから、行こう」


「は〜い」



 実は、如親王国の海洋冒険家の壬嵐ミランという男が、東の海に、島国と、未開の大陸を見つけていた。


 その大陸や、島国で採れた珍しい品々は、大岑帝国はもとより、西方諸国にも人気で、東の海から、如親王国の北府へ、大岑帝国の龍海、南龍、そして、狗雀那国くじゃなこくを結び、西方諸国へと向かう航路は、より一層、賑わっていたのだった。


 西方諸国は、知らないが、カナン平原は平和になり、陸路、海路を使った交易で、豊かになり、人口も増えていった。



 趙武達は、邸宅の目の前に作られた港から、船に乗ると、狗雀那国に一旦立ち寄り、その後は、西方諸国に向けて旅立った。


 銀髪碧眼ぎんぱつへきがんの趙武の活躍は、西方諸国でも有名であり、行く先々で歓迎され、その旅は、5年もの長期に及んだと言う。



 帰国後も、繰り返し旅に出たり、落ち着かない趙武だったが、健康そのものに見えた趙武は、突然倒れた。皇紀279年、趙武、77歳の事だった。



 いまだ、帝位についていた、岑平。そして、息子の趙英、丞相の凱鐵。引退していた、龍雲等、次々と人々が、南龍の趙武の邸宅へと、集まっていった。



 趙武が、横たわる枕元には、73歳ながら、健康的で、元気に見える瀬李姉綾の姿があった。


「えっ、何ですか? はい、はい。分かりました。伝えますよ。はい、はい」


 そして、冬の早朝、趙武は、皆が見守る中、眠るように亡くなったという。享年77歳。大帝国、大岑帝国を作り上げた英雄の死に、民も嘆き、哀しんだという。こうして、一つの時代が終わった。





 いろんな事を学び、知る事が出来た。楽しい人生だった。


 趙家を継いでいく者は、色々なものを学び、知識をつけろ。


 知識とは、知恵をつける事ではない。見識を広め、色々な事を、知る事だ。


 広い知識でものを考え、己の為に、人の為に役立てよ。



 これが、趙武の遺言となった。なんとも、趙武らしい遺言だった。



 その言葉を、聞いて、趙英は思い出していた。相国を継いだ趙英に、趙武が、言い続けていた言葉を、


 知らぬなら、調べよ。分からぬなら、知る者に聞け。そして、理解せよ。上に立つものは、下の者の疑問に、答え続けよ。わからぬなら、調べ、納得せよ。


 そして、答えをつむげ。そして、考え、答えを決めたら、信念を曲げるな。考えが、ぶれれば、下の者も動揺する。上の者には、己の考えに、責任をとる義務があるのだと。



 知に生き、知で答えを出し続け、その責任を取り続けた趙武。己の考えに、ぶれはなかったが、己が間違っていると思うと、あっさりとその考えを捨てた。常に考え続け、何が良いかと、考え続けた智将。それが趙武だった。



 趙武記の記述も、本来、ここまでだったが、少し、歴史を覗いていこうと思う。



 趙英は、趙武の言葉に、答え続けた。そして、ただ、父ほどの才能が無かった事を、悔やんだ。


 だが、考え、自分なりの答えを出し、それを信念とし、国を導き続けた。



 趙武よりは、穏和で、人の言葉をよく聞き、政治家、寄りだった趙英は、大岑帝国を大きく発展させるのだった。



 むしろ、趙武よりは、優れた治世者だった趙英のおかげで、大岑帝国は栄え、人口も増えた。



 そして、趙英が、皇紀295年、相国を33年、勤め上げ、58歳で、病気で亡くなると、相国を、趙英の長男、趙天チョウテンが継いだ。





 趙天は、この時、34歳となっていた。趙英は、趙天が、趙家の後を継ぐ事を、不安視していた。確かに頭は良かった。趙英でも、読めないような書物を読破し、幼少の頃から、大人顔負けの議論を展開し、大人を論破していた。周囲は、今、趙武と持ち上げたが。



 だが、趙武も、趙天に会った事があった。趙武は、趙天の話を、ニコニコと聞いていたが、趙武が、一言二言ひとことふたこと、呟くと、趙天がうつむき黙った事を、趙英は、覚えている。


 趙武は、そのまま、つっと立って、趙英に、


頭脳明晰ずのうめいせきなれど、そのしき、紙よりも軽し」


 と言ったという。ただ、その後は、趙英がいくら聞いても、趙武は、ただ笑い、誤魔化すだけだったと言う。



 どういう意味だったのか。だが、結論はすぐに分かった。



 趙英の死後、趙英の子、趙天は、祖父の言葉に、こう答えを出した。自分が、皇帝になれば、この国は、もっと良い国になると。



 龍家、凱家の者は、趙天の言動に反発、反対し、野に下ったが、呂家、至家、雷家、陵家、麻家、泉家、廷家、条家、の者達は、趙天に同調し、これを、趙下八家ちょうかはっけと呼んだ。



 趙英の死から、四ヶ月後。趙天と、趙家の家宰、慈恩ジオン。そして、趙下八家の者達は、兵士を率い、参内すると、そのまま、玉座の間に押し入った。



「趙天殿。これは、なんの真似だ!」


「おお、これは、これは、塔円トウエン殿。お勤め、御苦労様です」


 趙天達の、前に、塔南の孫、塔円が立ちふさがった。塔円は、近衛禁軍将軍を努めている。だが、塔円の周囲にいる近衛兵は、圧倒的に少なかった。玉座の間に向かう、趙天達を見て、邪魔にならないよう道を開けた近衛兵が、大多数だった。



「ここは、陛下の居られる玉座の間。例え、相国といえども、兵を連れての参内は、無礼であろう」


 塔円は、顔を引きつらせながらだが、趙天に立ち向かった。大岑帝国に仕える、最後の忠臣。


「殺れ」


 趙天が冷たく、命じると、趙天の率いる精兵達は、無表情で、近衛兵と戦い始めた。だが、10名程の近衛兵は、100名近い、趙天の兵士にあっという間に斬り殺されていく。そして、塔円も、


「お、おのれ、趙武様が、作り上げられた、趙家の名を汚すのか」


「黙れ。趙家の名声は、俺の代で、頂点に達するのだ。この、今、趙武。趙天様によってな! 殺せ」


「はっ!」


兵士達が殺到し、塔円に剣を突き刺す。四方八方から、剣で刺された、塔円が倒れる。


「ぐっ! 大岑帝国に……栄光……あ……れ」



 塔円達が死に、玉座の間が、血で染まると、趙天は、ゆっくり玉座を見上げる。


 玉座には、岑平の孫、岑陽しんよう。岑陽の父、岑高しんこうが先年、崩御し。帝位を継いだばかりであった。年齢は、27歳。


「し、しょ、相国よ。塔円をなぜ。な、なんの真似だ」


 何が目的かは、わかっていた、しかし、顔を真っ青にし、震えながら、精一杯、位高いだかげに、振る舞う。


「その席を、お譲り願いたい」


「それは……」


「出来ませんか? でしたら、力ずくという事になりますが、いかがでしょうか? 陛下」


「ひっ!」


 顔を引きつらせ、岑陽は、玉座で縮こまる。


 趙天は、一歩一歩、玉座の段を登ると、岑陽の襟首えりくびつかみ、段の下へと、放り投げる。


「ぎゃっ!」


 岑陽は、床に顔をぶつけ、鼻血を出した。そして、顔面を血に染め、うらめしそうに、玉座に座る、趙天を見上げた。



會億カイオク!」


「はっ、ここに」


 影から、會億と呼ばれた男が現れ、ひざまずく。會億は、會清の子孫ではなく、會清によって作られた組織の、頭領だった。最も優秀な男が、頭領となり、會の名を継いでいるのだ。



「陛下。いや違うな。先代陛下は、御病気だ。まだ、お子もおられないので、皇帝の位を、に譲って隠居いんきょされるそうだ。丁重ていちょうにな」


「はっ」


 會億と、その手下によって、岑陽は、玉座の間から連れ出された。


 そして、岑の名を持つ者は、その日のうちに、何者かによって、次々と殺害されたのだった。そして、岑陽の行方も、それ以後、誰も知らなかった。



「陛下。即位、誠におめでとうございます」


「うむ。お前達には、大いに感謝するぞ」


「ははっ」



 こうして、大岑帝国は、滅び、大趙帝国が誕生したのだった。皇紀295年、趙帝紀ちょうていき元年がんねんの事であった。



 趙天は、趙武がやめた、大将軍制度を復活させ、八家の、者達を大将軍に任命すると、まずは、如親王国に侵攻させて、これを滅ぼした。続いて、トゥーゴーの死後、内部分裂していた狗雀那国を、カナン平原から追い出し、真のカナン平原統一を果たした。これが、大趙帝国にとって、最大版図であり、最盛期となった。



 そして、趙武や、趙英にとっては、迷惑な事だろうが、趙天によって、趙武は、太祖たいそ。そして、趙英は、太宗たいそうおくりなされ、まつられたのだった。



 代を重ねる毎に力を増していった、八人の大将軍は、大趙帝国の歴代皇帝に恐れられ、領土を与えられ、地方へと派遣され、個々の軍事力を持ち、統治者として君臨くんりんしていく。



 そして、その地方、地方で、徐々に力をつけると、趙帝紀147年。趙下八家が、大趙帝国に反旗はんきひるがえし、反乱を起こした。


 八家はっけの乱は、一応、十年程の、戦いで講和が結ばれ、八家は、領土を拡大し、大趙帝国からの、半独立を勝ち取り、大趙帝国の力は、大きく弱まったのだった。



 八家の乱から、国々は乱れ、お互い相争あいあらそう、戦乱の世へと、逆戻りをする。八家の当主は、当初、あくまで、大趙帝国の臣下、公王を名乗っていたが、大趙帝国の力が、弱っていくと、それぞれが王国を名乗り、国王を名乗ったのだった。


 呂国ろこく至国しこく雷国らいこく陵国りょうこく麻国まこく泉国せんこく廷国ていこく条国じょうこく。これが、八国。


 これに、国王の家系は、唐家とうけに変わったものの、勃興ぼっこうした、如親王国。さらに、新興国家の樹越じゅえつ、帝都大京周辺を支配する、大趙帝国を加えた国々の戦いは続いていった。





 そして、約五十年の時が流れる。





 趙武記 了

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