(什弐)

 陣触れの銅鑼の合図と、共に凱炎軍は前方へとゆっくり動き始めた。前方には、呂鵬軍が布陣している。


 凱炎軍は、大将である、凱炎大将軍が率いる10万の軍勢と、副将である二人の将。一人は凱炎の長男、凱武ガイブ上将軍が率いる5万。もう一人は、亥常イジョウ上将軍率いる5万で、総勢20万だった。


「趙武も意地が悪いぞ。呂鵬殿と、やり合う事になるとは。しかも、こちらは、20万。呂鵬殿は、10万。いや、こちらは、35万か。耀勝も、思いきった作戦をとるものだ」


 凱炎は、そう呟きながら、馬上ばじょうより、右斜め後方を、見た。そこでは、条朱軍が、凱炎軍の動きに合わせて動き始めていた。


 条朱軍は、大将である、条朱大将軍が率いる10万の軍勢と、朱滅シュメツ上将軍が率いる5万の軍勢で、総勢15万だった。



 最初、岑瞬から聞いた時は、びっくりしたものだった。左翼軍の凱炎軍と条朱軍35万で、敵右翼軍を一気に突破して、本陣を叩く。出来れば、それで戦いを終わらせたいと。


 本陣を叩く。本陣を追い散らし壊滅させるだけでなく、出来れば趙武の首を、とって欲しいと。簡単に言ってくれる。そんな簡単に趙武の首がとれるなら、喜んで向かう。だが、あの男は、そんなに甘くない。逆に、どんな罠が、待ち受けているか。わかったものではない。


 趙武の怖さは、凱炎は、十二分じゅうにぶんに分かっていた。耀勝の策を何度も見抜き、大岑帝国を救ってきた男なのだ。


 だが、


「やらねばならんな。相手が、趙武でも、呂鵬殿でも」



 凱炎は、そう言いながら、出陣前の、亥常との話を思い出していた。



「なぜ趙武は、呂鵬殿をぶつけてきたのだ? しかも10万などと、こちらの半数だぞ。しかも、条朱軍が、加われば35万。いくら呂鵬殿でも、ひとたまりもないぞ」


「さあ? ですが、条朱軍の事はわからないでしょうから、我が軍のみなら、呂鵬殿だけで良いと考えたのではないでしょうか? もし、危なくなれば、援軍を送るつもりだとは、思いますが」


「そうか。う〜ん。そうなのか?」



 どうも最近、考え過ぎて、良くない気がするが。すっきりと気持ち良く、戦いたい。凱炎は、そう思った。そういう意味で、趙武が自分に呂鵬軍をぶつけてきたのは、正解かもしれないな。そうも、思ったのだった。





 趙武は、丘の上から凱炎、条朱軍の動きを見ていた。呂鵬軍に向かって、ゆっくりと進んでいた。最初は、両軍とも、横に長く横陣を引いていたが、今は進みつつ縦長の陣形へと、移行していった。二人とも、先陣をきって戦うのが好きな将だ。軍の先頭を進んでいるのだろうか?


 そんな事を考えつつ、趙武も、軍を動かし始めた。


「龍雲、泉小、麻龍に伝令。敵本陣への突撃準備しつつ、前進を開始」


「はっ!」


 3名の伝令が飛び出して行った。さらに、


「至恩には、先陣と少し間隔をあけて、ゆっくり前進。先陣が敵本陣に突撃しても、こちらから指示あるまで待機」


「はっ!」


 またまた、伝令が飛び出して行った。



 趙武は、呂鵬軍に目をやった。すでに、呂鵬軍は、戦闘準備を開始したのか。単純な横陣から、形が少し変わっていた。長い戟を持った歩兵が前に並び、弓兵が歩兵から距離を、とって少し下がり、騎兵は、歩兵の外、左右に別れる。


 さすが呂鵬さんだな。抜かりないだけど。相手は、凱炎さん。ここは、


「馬延軍に伝令。呂鵬軍の援軍として呂鵬軍に加わるようにって。たぶん、呂鵬さんも、馬延も分かっているだろうけど、まともには戦わず攻撃を受け流しながら、後退。ああ、最終的には、この丘を使うようにも言っておいて」


「はっ!」


 伝令が、さらに駆け出して行った。



 さて、後は、他は動かすことはない。とりあえず、見ていよう。趙武は、ちらりと横を見る。そこには、凱鐵が真剣な顔で立っていた。


「最初から、そんなに力を込めてると、疲れちゃうよ」


「はい、ですが、こんな大決戦、目に焼き付けておかないと、勿体ない気がしまして」


「そうか。そうだね。だけど、一日で終わるものでもないしね。まあ、気楽にね」


「はい」


 まあ、そんなに気楽に出来るもんではないけど。そう。力みすぎても良い事はない。趙武は、自分自身に言い聞かせたのだった。



 趙武は、再び眼下を眺めると、龍雲軍、そして、その後ろから泉小、麻龍軍が動き始めていた。速度は、凱炎軍、条朱軍より速かった。その後ろの至恩軍は、ゆっくりと進んでいた。


「初手はこちらになりそうだな。さて、岑瞬さんは、どうでます?」





「敵、中央軍、先陣。真っ直ぐこちらへと向かっております。その数、およそ10万」


「そうか、ご苦労」


「はっ!」


 岑瞬のいる本陣に、伝令が飛び込んできて、趙武軍の動きを伝える。岑瞬の脇に立ち、斤舷が、それに応える。



「陛下。予定通りで、良いでしょうか?」


「うむ。予定通り、敵軍を迎撃する。斤舷、頼んだぞ」


「はっ、かしこまりました」


 斤舷は、岑瞬の本陣から出ると、四人の裨将軍ひしょうぐんを集め、指示を出す。



「敵10万程が、突撃してくる。こちらは、12万。突破を許せば、陛下の御身おんみが危ない。一兵たりとも突破を、許すな」


「はっ!」


「右翼軍の如親王国軍も、手助けしてくれる予定だ。急げ」


「はっ!」



 岑瞬の軍勢は、防備を固め、龍雲達の軍勢を待ち受けた。そして。戦いの火蓋は切って落とされた。





「突撃〜」


「行くわよ、皆さん」


「野郎ども、行くぞ!」



 龍雲軍、泉小、麻龍軍が、岑瞬軍の本陣へと、突撃を開始した。



「よし、矢を放て。歩兵隊は、下がりつつ、敵、騎兵を受け止めよ」


 斤舷の指示の下、岑瞬の軍勢も敵の動きを止めようと、戦う。敵は10万、こちらは12万。数では上回っていた。押し返せるはずだと。



 しかし、時間の経過と共に、龍雲が、泉小が、麻龍が、三本の矢のように、じわじわと岑瞬軍の中に、くい込んでいった。


 その様子は、岑瞬からも見えていた。数でこちらが上回っているのに何故だ? それに、如親王国軍は、なぜ動かない?



「なぜ、如親王国軍は、手助けに来ないのだ? 急ぎ、如親王国軍に伝令だ! 早く動けと!」


「はっ!」



 伝令は、如親王国軍の陣に、駆け込んだ。だが、


「動けぬのだ。耀勝様よりも、そう言われている。中央軍の後陣が、あそこから動かぬからな。我らは、中央軍が攻め込んだら、押し包むように言われている。岑瞬様も、ご存知のはずだが?」



 そう、耀勝は、中央軍が攻め込んだら、如親王国軍で、蓋をするように包囲。中央軍を殲滅せんめつする策も、たてていた。しかし、それを読んでるかのような、嫌らしい趙武の用兵。さらに、趙武軍の左翼は、動かず。それも、如親王国軍の動きを、封じていた。



「本当に嫌らしい男だな、趙武とやらは。用兵家でもあるのか。後々、一手、手合わせ願いたいものだ」


 揮沙は、趙武軍の動きを眺めつつ、そう呟いた。



 伝令は、揮沙に言われて、すごすごと岑瞬の本陣へと戻る。すると、岑瞬は。


「余が殺されたら、全て終わりだ。そうだ、条朱を呼び戻せ。急げ!」


「はっ!」



 そして、呂鵬軍と戦おうとしていた、条朱軍に伝令を送る。


「陛下の御身が危ない! 急ぎ戻るぞ!」


 条朱軍は、慌てて馬首ばくびを返し、全力で兵を本陣に向けて、急がせた。


 これで、岑瞬軍の左翼は、すでに呂鵬軍と戦い始めていた凱炎軍、単独となり、一気に呂鵬軍を抜いて、本陣に迫る戦いが、困難になったのだった。



 その凱炎軍であったが、さすがの突進力であったが、馬延軍を援軍とした呂鵬軍も、少しずつ後退しながら、凱炎軍の突破を、許していなかった。亥常を参謀格に、助言を聞きながら、凱炎の感性で軍を、動かす。だが、あまり手応えがない。


「さすがに呂鵬殿だ。援軍に来た、馬延とやらも流石だな。いくら攻めても、手応えがないぞ。本当にやりづらい」


 条朱軍が加わっていれば、一気に突破、あるいは、かなり押し込んで、本陣に迫っていただろうが。それも叶わぬ事となった。


「さて、耀勝は、どうするのだ?」





 その耀勝だったが、壬嵐の報告を受けていた。


「予定通り岑瞬軍の左翼、動きました。それに合わせて、敵、中央軍、動き始めました」


「そうですか」


 耀勝は、地図に目を落としながら、報告を、聞く。さらに、



「敵、中央軍動き早く、すでに、岑瞬軍の本陣に突撃を開始した、との事です」


「そうですか。敵の中央軍の、全軍ですか?」


「いえ、後陣は、突入せず、距離を保ち、待機しております」


 壬嵐は、耀勝の聞くだろう事を、正解に把握していた。報告をまとめた上で、正確に報告。だが、それがさらに、趙武の対応と違い、時間差を生んでいるとも言えた。



「そうですか。良く見えてますね趙武は。本当に、嫌らしい男ですね。分かっているとは思いますが、一応、揮沙さん達に、動くなと」


「はい、かしこまりました」



 壬嵐が離れて行くと、再び、耀勝は、地図に目を落とす。そして、


「そうでした。岑瞬様にも、言っておいた方が良かったか。ですが、余計なお世話ですよね」


 そう言った。耀勝だったが、後悔することになった。



「岑瞬様は、敵、中央軍の突破を許しそうになり、条朱軍を、呼び戻しました」


「あ〜。そうですか。悪手あくしゅですね〜。斤舷殿の指揮が、悪いのか? それとも、岑瞬様が、先走ったのか?」


「はい、比較的、近くにいた揮沙様、いわく。岑瞬様が、先走ったようだと。まあ、斤舷殿の指揮も柔軟性に欠けるので、敵にいいようにやられている、ようですが」


「そうですか。本当は、本陣を動かして後退しながら、如親王国軍の方にずらして行けば、敵の後陣も動かざるを得なかったのですが……。まあ、仕方ありません。皆さんに、しばらく動かないように、と。第二の策は手詰まりです。第三の策に、移行しましょう」


「はい、かしこまりました」


 耀勝は、低い天井を見上げた。


「勝てないかもしれませんね。第四の策を用意して起きますか……」





 趙武は、条朱軍が本陣に戻って行くのを、じっと見ていた。策の気配は、無いな。


「至恩に条朱軍が戻ってくるから、動きを合わせて、条朱軍を攻撃。ああ、別に本陣に向かうのを、無理に止める必要性はないからね」


「はっ!」


 伝令が、走り去って行った。



「さて」


 趙武は、呂鵬軍の戦いを見た。凱炎軍が、我武者羅がむしゃらに戦って、前進している。呂鵬軍、馬延軍は、その攻撃を下がりつつ受け止めている。損害は、今のところ、味方の方が多いようだが、そこまでの損害ではない。しかし、明日には、本陣に迫りそうだった。


 逆に、左側は静かなものだった。どちらもなんの動きもない。



 そして、中央は、条朱軍が戻り、慌てて龍雲、泉小、麻龍の軍勢に襲いかかろうとして、至恩軍に阻止される。それでも、条朱は、軍を分けて、おそらく副将の朱滅だろうか? の軍を本陣の救援へと、送り込む事に成功した。


 朱滅軍の参戦で、17万となった本陣は、龍雲軍、泉小、麻龍軍の猛攻を押し返し始めた。だが、今度は、条朱軍が、至恩軍に猛攻を受けていた。やはり条朱も、攻める戦いは得意だが、守る戦いは苦手なのだろう。


 しかし、本陣に救援に行っていた、朱滅軍が、橋をかけるように、本陣と、条朱軍を結び、その後、条朱軍を、本陣の方に導くと、戦線は、膠着こうちゃく状態におちいった。


 戦いは、味方の中央軍が、19万。敵軍は、27万なのだが、互角の攻防になったのだった。



 趙武は、


「朱滅か。良将だね」


「はい。見事なものです。本陣の救援しながら、条朱軍の援護をして、さらに、連携させる」


「うん」


 凱鐵の言葉に、趙武が頷く。さて、このくらいかな?


 趙武は、日が暮れ始めた平原を、眺めた。そして、


「凱鐵。今日は、ここまでだね」


「はい」


 凱鐵が合図すると、銅鑼が鳴らされた。一日目の戦いは、こうして終わった。

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