(陸)

 呂鵬が、趙武の目の前に立つ。


「遠路、ご苦労様でした呂鵬さん」


「趙武君も。いや、失礼しました。趙武殿も、お出迎えありがとうございます」


「いえ。それで、岑職様は?」


「それなのですが。一月ひとつきほど前に崩御ほうぎょされました」


 趙武は、やはりと思いつつも、珍しくはっきりしない呂鵬の書状を思い、少し嫌な考えが浮かんだ。


「そうですか。呂鵬さんが、手を下して、ですか?」


「いやいやいやいや。違う。違いますよ。大京を脱出する時から、体調を崩され、脱出する時の疲労や、環境の変化に対する、精神的苦痛で、ますます悪くなったのだ。決して、暗殺とかはしていない」


 呂鵬は慌てて、言った。少し怪しく思えるが、まあ、違うだろう。だがそうすると、呂鵬さんは、早い段階で、岑平を皇帝へと考えていたのだろう。


 それでか。良く書状に岑平の名がよく出ていたのは、それで、趙武も岑平に皇帝の準備をなんて、冗談交じりに言っていたのだが。


「分かってますよ。呂鵬さんは、そういう事から、一番遠い人ですもんね」


「なら、良いのだが」


「で、皇妃様は? いや、皇太后様か?」


「皇太后様か……。陛下が崩御されて、出家された。どうも、王正おうせい殿に影響受けたようで。自ら新しい寺を作られて、周囲の女官達を、連れてな」


「そうですか。ですが、皇太后様らしくない行動ですね」


「それだけ、我が子の死は、重いのだろう。趙武殿にもわかるだろう」


「そうですね。確かに」


「だから皇太后様の事は、忘れて欲しい」


「そうですね。それが良いでしょう。ですが、岑職様の事は、皆にも伝えないと」


「ああ。それは、わたしから伝えよう」



 呂鵬は、そう言うと、北門の前に集まっていた人々の方に、向かった。趙武も、その後ろを進む。そして、皆の前で、呂鵬が口を開く。



「趙武殿には、話したが、岑職様は、一月ほど前に、崩御さた」


 すると、呂亜が、


「崩御? 御病気ですか?」


「ああ。そうだ」


 それを聞いて、皆の表情が、一瞬、くもる。当然だった。自分達が担ぐはずだった、御輿みこしが無くなってしまったのだ。


 だが、大半の者は、会った事もない、亡くなった皇帝をしのびつつ。気持ちは次へと向かった。趙武の言っていた通り、次に担ぐ御輿も決まっている。


「父上。という事は、岑平様に皇帝になって頂くという事、でしょうか?」


 呂亜が、父親である呂鵬に訊ねる。が、


「それは、趙武殿が決める事だ」


 すると、皆の視線が趙武へと、集中する。だが、趙武の答えは単純明快。


「岑平様、皇帝となり、我らをお導きください」


 そう言って、岑平の前にひざまずく。呂鵬、はじめ、周囲の者達もそれに倣い跪き、頭を下げる。


 岑平は、一瞬慌てるが、次の瞬間には、しっかりと、目に力を込めて話す。


「わかりました。趙武さん。庶子だったから、皇帝には成るつもりもなかったけど、これも運命ですね。やりますよ、皇帝」


 すると、趙武は、岑平を見返しつつ、


「僕は、相国として、陛下を支えます。ですが、それは己の為でなく、カナンの全ての民の繁栄の為に。そして、このカナン平原を統一し、陛下の威光をこの地の全てに行き渡らせます。それが、陛下のお父上、岑英様の望みでもありました」


 岑平が大きく頷く。すると、趙武は立ち上がり振り向く。周囲の者達は、まだ頭を下げている。そして、趙武が、周囲を見回しながら、


「相国となっても、僕は、その権力を私物化するつもりは無い。もし、僕が欲望の為に、間違った事をしたら忠言して欲しい。ただ、その力は、帝国の栄光の為に振ることを誓う。そして、僕の頭は、皆の為だけに、使う。敵の損害などは、今後、気にしない。効率良く、敵を倒し、味方の損害は少なく、そして、皆が、生き残る為だったら、どんな行為でもしよう。そして、勝つ。その為に、皆の力も貸して欲しい。そうすれば、戦いに勝つ事も出来ると思う」


 すると、呂鵬が、


「我らの力、存分にお使いください。我ら、陛下そして、相国様の為に懸命に働きます。なっ、皆の者」


 すると、全員の声がはもる。


「はっ。陛下の御為おんため、相国様の為、懸命に働きます!」



 こうして、岑平は本当に皇帝にまつり上げられる事になったのだった。そして、その即位式の準備が始まった。





 そして、一方。岑瞬は、管寧を脱出すると、如親王国の耀勝ヨウショウへと、早馬を出したのだった。


 そして、その書状を、受け取った耀勝は、


「だから、言ったのです。努々ゆめゆめ油断なさるなと」


 すると、副官である壬蘭ミランが、


「ですが、相手はあの趙武。相手が悪いのでは?」


「いやいや、昔の岑瞬だったら、こんな失態はおかさないでしょう。戦わずに逃げる等と、少なくとも、戦っていれば、こんな惨めな事には、ならなかったでしょう」


「そうでしょうか?」


「ええ。趙武軍70万と言ってますが、狗雀那国でしたっけ? 聞くところによると、南方の民。それこそ平原の戦いには、慣れていないでしょうから、敵は趙武軍のみ。だったら、帝都近郊にいる軍を集めれば20万。それこそ管寧に籠もって戦っていれば、遠征軍が戻ってくるまで、持ち堪えていたでしょう」


「そうですかね? 狗雀那国は、東方諸国同盟を破ったと思われると、書いてありますが」


 壬蘭が、岑瞬の書状を読みながら、耀勝に応える。


「まあ、真実は、ちゃんと調べないと分かりません。ですが、岑瞬に関しては、わたしの失態ですよ。わたしに頼りきりになり過ぎました。どこで、失敗したのでしょう……」


「まあ、過去を振り返ってもしょうがないじゃありませんか。前向きに行きましょう、前向きに」


「壬蘭。あなたにそんな事言われたくないですよ。まったく。ですが、そうですね。それでは、前向きに行きますか。さっそく、岑瞬の所に向かいますか。ですが、その前に、狗雀那国と、東方諸国同盟に関する情報を集めるよう、配下の者に伝えて下さい」


「はい、かしこまりました」


「それと、師越シエツ揮沙キシャ穂蘭ホラン泯桂ミンケイに、軍の準備だけは、するように伝えて下さい。まあ、向こうも準備があるでしょうから、近々きんきんに戦争にはならないでしょうが」


「はい、かしこまりました」


「さて、それでは、国王陛下に御挨拶して、向かいましょう」


 そう言って、耀勝は立ち上がり、部屋を後にした。



「なんですと!」


「耀勝。お前でもびっくりする事があるのだな」


「はい、それはありますが、もう一度言って頂いてよろしいでしょうか? 狗雀那国王が……」


「うむ。我が国に長期間滞在されていたぞ。とても良い男だ。この国と同盟も結びたいと、言っていた。勿論喜んで同盟したぞ。そして、その時に貰ったのだ、この道具は」


「そうですか。それは、よう御座いました」


 耀勝は、如親王国国王、如恩ジョオンの玉座周囲に置かれた道具を見る。なんでも狗雀那国王が作った、筋肉を鍛える道具だそうだ。それで、如恩も健康の為に体を鍛え、確かに体格が変わったような気がする。


「健全な精神は、健全な肉体から」


 と書かれたしょもある。これも、狗雀那国王が、贈った物だろうか?


 だが、耀勝にとって、そんな事はどうでもよかった。


「それで、東方諸国同盟と、戦争中なのに、良く来れましたな」


「いや、趙武軍の助けを借りて、南部はすでに抑えてな。北部も、趙武軍が支配しそうだとか言っていたぞ」


「そうですか……」


 こんな所から情報が出てくるとは、しかも自分の居ない間に、狗雀那国王が訪れていた。何か探っていたのか? いや、違うな。


 耀勝は、目の前の国王を見上げた。自分で言っていたが、能力的には平々凡々へいへいぼんぼん。だが、悪意のある人間を近くに寄せる事はしない。それだから、長年、国王として君臨出来たのだ。まあ、悪意のない人間が、馬鹿な……。阿呆な助言をした事はあったが。



「では、行ってまいります」


「うむ。気をつけるのだぞ。あまり、無理をなさらずな」


「はい、ありがとうございます」



 耀勝は、少人数で海路、龍会へと向かった。その船中、耀勝は、地図を広げる。広大な平原の地図を。





 準備が整い、岑平の即位式が行われる事になった。一年前に岑瞬の即位式が行われ、また一年後の事であった。


 皇紀236年秋、岑英が崩御し、同年冬、岑職が即位。その後、岑職は敗北し、皇紀243年春、岑瞬が正式に即位。そして、その翌年、皇紀244年春、今度は岑平が、皇帝に即位する事となったのだった。



 そして、趙武は、その経緯けいいをカナン平原、全土に、正式文書で御触おふれを出すと共に。大岑帝国の歴史書に、こう書き込んだ。


 武帝ぶてい世子せし哀帝あいていは、簒奪帝さんだつていにより帝都を追われる。簒奪帝、帝都にて即位。その後、哀帝、崩御され、意思を継いだ、岑英の庶子、岑平。帝都を奪還。その後、帝都にて帝位につく。



 哀帝とは、岑職のおくりなであった。そして、生きているが、岑瞬に諡を贈り、さらに簒奪帝。とても意地の悪い仕打ちであった。勿論、岑瞬は、激怒したが、その為には、再度、勝つしかなかった。



 そして、岑平の即位式であったが、ガチガチに緊張した岑平が玉座に座り、その隣には、また、同じようにガチガチに緊張し、顔面が蒼白になった、可愛げのある大人しそうな、岑平の奥様が、皇妃として座っていた。


 さらに、玉座の左後方には、諦めたような表情で、皇太后となった岑平の母親、岑優菫シン・ユウキンが座っていた。



 岑平は、前方を見る。一段低い中央に相国となった趙武がいた。


 岑平は思った。この人のせいで……。おかげで、皇帝になった。庶子であった自分が皇帝になるとは正直思っていなかったし、望んでもいなかった。だが、なった以上はきちんと勤め上げよう、残り少ない岑家しんけの人間なのだからと。



 この即位式には、やはりたくさんの人間が出席していた。岑瞬の勢力範囲の人間が来なかった代わりに、生き残った、元東方諸国同盟の王族達が、使節団を結成し出席。さらに、狗雀那国王、トゥーゴーやその家臣たち。さらに、トゥーゴーに誘われたと、如親王国の王族まで、出席したのであった。


 この事実を、如親王国国王、如恩は、耀勝に知らさなかった上に、岑平にお祝いの国書こくしょを送っていたのだった。これも、生き残るための方策だった。



 そして、大京の民も、岑英に顔立ちの似た岑平の即位を喜んだ。岑英よりは、優しく穏やかな顔であったが。


 大京の民までもあげる、万歳の声は、遠くまで、響き渡ったという。



「大岑帝国万歳!」



「皇帝陛下万歳!」


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