(肆)

 至霊は、皇宮を出ると、三か所に、伝令を急ぎ送った。


 元々、九龍に近い方に拠点を作り、そこに布陣させているので、まずは、出陣の準備をさせておく為に、伝令を送った。


 だが、自分が、急ぎ帰って軍と共に出陣したら、趙武軍の九龍攻略に、間に合わない。


 そこで、九龍城と、趙武に伝令を送ったのだった。九龍城には、撤退命令を。岑瞬の命令とは矛盾するが、死にたくないから喜んで命令に従うだろう。


 趙武には、九龍は、明け渡し、自分は降伏するから、少し九龍城で待ってて欲しいと。



 それにしても馬鹿な男だ。もう少しかつては、切れ者のイメージがあったのだが、考える事をやめたのだろうか?


 岑瞬。せっかく味方したのに、人の使い方を知らない男だ。玉砕覚悟で戦うから共にとか、言われれば、たとえそれが嘘でも、ちゃんと戦ったのに。


 だが、これで呂鵬殿を救って貰った恩義は返した。後は、好きにさせてもらおう。


 やれやれ、これで、本当に息子に家督を譲って、隠居が出来る。さて、どこで隠居するか? 至霊は、そんな事を、考えていたのだった。





 至霊軍が、九龍へと近づく、九龍周辺には、雲霞うんかの如く大軍が、ひしめいていた。本当に70万はいそうだ。至霊は、そう思った。自分の、率いて来た軍勢が合わされば74万か。こうして、至霊は、九龍城へと入った。



 至霊は、城の一室に通された。部屋には、趙武、至恩、そして、呂亜と、後は、筋肉が肥大して上半身裸で、金の装飾を体のあちこちに付けた男が立っていた。誰だ?


 そして、趙武だが、変な凄味が出てきたた。昔はもっと飄々としていたが。野望を……。いや、目標を決めて動き出したからだろう。


 至霊は、思わず片膝をつき、頭を下げた。呂亜が、慌てる。


「いや、至霊さん。頭上げてください」


 至霊は、頭だけ上げつつ、話す。


「それは、出来ない。こちらは、降将だ。それに、趙武君は、おっと、すまない。趙武殿は、大岑帝国の相国を、名乗っているのだ。そこは、きちんとしないといけないぞ」


 すると、呂亜は、素直に謝る。


「そうですね。申し訳ありませんでした。俺達も、水魚すいぎょの交わりが長く、おざなりになってました」


「いやいや、普段の話し合いは、それで、結構。だが、公的な際に、注意すれば良い」


「はい」


 趙武は、感心していた。自分も結構、立場を気にせずやってきたが、きちんとしないといけない時はある。年長者で経験豊富と言えば、中林チュウリンさんもいたが、基本的に優しい人だったので、趙武にも、儀礼的な事、以外は、言わなかった。


 趙武は、思う。恐らく、至霊さんは、隠居を考えているだろうが、顧問的立場で、近くには、居てもらおう。と、考えたのだった。



「それで、至霊さんは、なぜ、九龍に?」


 趙武が、至霊に訊ねる。


「それは、に偽りの降伏でもして、時間を稼げと、言われたのでな」


 その至霊の答えを聞き、慌てる、呂亜。


「偽りですか? それで時間を……」


「いや、そう言う命令だったということでしょう? ねえ、至霊さん」


 趙武が、呂亜の言葉を遮り、至霊に訊ねる。


「ああ、その通りだ」


「それで、僕達の足止めをした事によって、岑瞬さんに義理は果たしたと」


「ああ、まさしくその通りだ」


「で、今後は……」


 すると、至霊は、至恩の方を見て、


「恩、お前に家督を譲って、俺は隠居だ」


「待ってくれ、父上。家督は良いけど、隠居は、早いだろ」


 さすがの至恩も、いきなりの至霊の隠居宣言に慌てるが、趙武は、


「まあ、隠居については、大京、落としてからゆっくりと。それよりも」


 そう言って、趙武は、隣を向いて、


「こちら、狗雀那国王、トゥーゴー様です。トゥーゴー様、こちら至恩のお父さんで、至霊さん」


 趙武のあまりにも、あっさりとした紹介があった。至霊も、そちらに視線を向ける。視線の先には、上半身裸の筋肥大した男。



「よろしくおねがいします。狗雀那国王、トゥーゴーです。至恩さんのお父様だとか。息子さんには、大変お世話になりました」


「これは、失礼しました。狗雀那国の国王陛下とは知らず。先に、挨拶せねばならぬところ、大変失礼しました。我が名は、至霊。大岑帝国で、近衛軍を、かつて率いておりました」


「丁寧な挨拶ありがとうございます。ですが、そんなにかしこまらずに、趙武殿達は、ざっくばらんに、話してくれますよ。ハハハハハ!」


 その言葉を聞いて、至霊は、趙武、呂亜、至恩をにらむ。慌てて、視線を逸らす三人。そして、趙武は、慌てて話を、逸らす。


「それで、至霊さん。今回、狗雀那国王、トゥーゴーさんが援軍出してくれた事によって、我が軍は、70万の大軍になったんです」


「そうだ。東方諸国同盟軍も加わっているそうだな。どうして、そうなったのだ?」


「それはですね……」


「?」


「夜、皆で飲みながら、話しましょう」


「なにっ! 急がなくて良いのか?」


 至霊が、びっくりして問いただすが、趙武は、


「そんなに急いでも、凱炎さん達は、そう簡単に戻って来ませんよ。いる場所が悪い」


「そうなのか」


 至霊は、自分達も正確には把握していない、凱炎達の居所を、正確に把握している事に、驚いた。だから、至霊の偽りの投降の話にも、付き合ってくれたのだろう。



 至霊は、思った。趙武の強みは、この情報収集にあるのだと、そして、至霊は、この情報収集の重要性を、家訓として書き残そうと、決めたのだった。



 そして、夜。至霊はさらに驚かされる事になった。諸将も集まり、盛大な至霊の歓迎会、名目めいもくの宴。


「な、な、な、東方諸国を攻略したのか?」


「ええ」


 至霊の驚きに、何事も無かったように、あっさり答える趙武。至霊は、家訓に趙武には、逆らうなと書き残す事も、決めたのだった。



 そして翌日、かなり遅くまで皆で飲んでいたので、痛む頭を振りながら、至霊が起きると、趙武は、平然と、すでに出陣の仕度をしていた。そして、


「さあ、行きましょうか。目標は、管寧かんねいです」


 至霊が、またしても驚く。


「管寧? 元近衛南方軍の、本拠地ではないか」


「ええ、そうですよ。ようやく凱炎軍から報告が入って、岑瞬さんは、間に合わない事がわかり、一旦、大京を放棄して、管寧に立てもる」


「ああ」


「そして、管寧から水軍を差し向けて全軍は、無理だけど、軍の一部は船に乗せて南河を下り、管寧で岑瞬軍と合流。その後、西方から来た凱炎軍と、管寧から向かう岑瞬軍で、我が軍を討つという感じですかね。なので、我が軍は、直接、管寧に向かい岑瞬軍を排除すると」


「もう情報が入っているのか?」


「いえ、これはあくまでも、僕の予想です」


「そうか。そう動くのか。岑瞬は」


「はい。おそらくは。だけど、本当に大京は何とかしないといけませんね。防備がこれだけ、何も出来ないと」


「確かにな。岑英様の頃は、防御の必要無かったが、こう何度も落ちる帝都では、困るな」


「ええ」


 趙武は、大京についても少し考えたが、今ではないなと思い直した。



こうして、趙武軍74万は、管寧に向けて、南西に向かい進軍を開始したのだった。





 岑職は、九龍から脱出した近衛裨将軍からの連絡を受け、喜んだ。そして、凱炎からの連絡を受けて、肩を落としたのだった。そして、早急に決断を下したのだった。


「水軍を出せ。一部でも良いから遠征軍を、連れてくるのだ。それまでは、南河の対岸にある管寧に移動する。行くぞ!」


 とは、言ったものの、官吏達を全員連れて行くわけには行かず。またしても、上級官吏の一部だけを連れて、兵士と共に、移動したのだった。


 官吏達は、政権が代わっても粛々しゅくしゅくと仕事をし、大きく政策が変わらない限り、国内の安定に、影響が出ないようになっていた。



 そして、相変わらず塔南が残り、大京を守る。官吏達や、残された兵士達も、趙武がやって来て、自分達や民を虐殺するような事は決してしないと思い。特に騒ぐ事は無かった。そして、不思議な事に、大京の民も、一切いっさい逃げる事なく、日常生活をおくったのであった。



「さて、また支配者が代わるのか? 今度は、趙武か……。ん? 趙武は、皇帝じゃ無かったな。というと誰だ?」


 塔南は、大京の東門、城楼に登り、遥か遠く、去って行く、岑瞬を見ながら、つぶやいた。



 その岑瞬は、斤舷の軍と、東西南の近衛裨将軍の軍が、同道どうどうしていった。その数は10万。


 そこに、至霊さんが加わって、さらに自分が、いれば18万。それだけいれば、どこかで、防備を固めれば上手く戦えたかもしれないと、ちょっと考えた、塔南だったが、すぐに打ち消した。


「だが、相手はあの趙武か。昔の岑瞬さんだったら、少しは勝負出来たかもしれないが、今のあの人じゃな。まあ皇帝陛下、頑張ってくださいね」


 塔南は、岑瞬の事を、皇帝としては良いと、思っていたが、謀将と言うのだろうか? そういう意味での凄みが無くなった。昔だったら、陰謀を巡らして、趙武の評判落としてとか、やっていただろうが。


「守るものが出来てから、攻める事も、やめてしまったのかな?」


 今の岑瞬は、皇帝の位、そして家族を守る為に戦っているようだ。


「趙武の行いも、褒められたものじゃないが。皇帝を追い落として、政権を握る。悪役としては充分たっているな」


 塔南は、そう思った。そして、自分も悪役側に、鞍替くらがえか? とも思った。それも良いな。とも。





 管寧に入った、岑瞬だったが。斥候の報告に、驚く事になる。


「真っ直ぐに、こちらへと向かっている?」


「はい。九龍を出発した趙武軍、管寧へと真っ直ぐに向かっております」


「何故だ?」


「え〜と、それは分かりかねますが」


「そうか」


 岑瞬の思惑だと、大京に向かって一週間。そこから、大京の制圧して、兵を分けて南下。全部でニ週間後半から、三週間はかかると思っていた。しかし、直接向かえば、九龍から管寧まで、一週間と少しで到着するだろう。読んでいた? 化け物か? 趙武は。


 しかし、自分の考えが、単純になっている事に、気づかない岑瞬だった。



 そして、岑瞬は、迫りくる趙武軍に、戦う事なく、管寧を明け渡す事を選択したのだった。10万の軍がいたのだ。管寧の城塞があれば、ある程度戦えたはずだった。それなのにだった。これには、趙武も驚いた。


「えっ? 管寧を退去したんですか?」


「はい、岑瞬軍、管寧を退去。南河を、船で下って行きました」


「う〜ん? 張り合いないな〜」


 そう。岑瞬は、管寧を退去。そして、南河を少し下ると、慌てて駆けつけた、廷黒と共に、岑瞬派の本拠地だった。龍会ろんえへと下って行ったのだった。



 そして、岑瞬は、凱炎へと使者を送ると、凱炎軍は、大きく北へと迂回して、北方の、近衛裨将軍と合流。龍会へと、進路を取ったのだった。



 管寧を奪取した趙武は、管寧の守備に馬延を置くと、北上、大京へと向かったのだった。そして、塔南に使者を送ると、あっさりと降伏。大京は、趙武のものとなったのだった。


 こうして、岑瞬は、わずか一年で、大京を放棄、大京近郊の支配権は、一応、再び、岑職となったのだった。

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