第陸幕 趙武の乱編

(弌)

 皇紀こうき243年春、岑瞬シンシュンは、大岑帝国だいしんていこく帝都ていと大京だいきょうにおいて、大々的に、即位式を行った。


 左丞相さじょうしょう紫丹シタン右丞相うじょうしょう、禅厳を筆頭に、文官達が。


 大将軍、凱炎ガイエン条朱ジョウシュ廷黒テイコク、近衛禁軍将軍、塔南トウナン。さらには、至霊シレイ斤舷キンゲン等の、上将軍を筆頭に、武官達が並ぶ。


 そして、皇宮こうきゅうで働く、宦官かんがん女官にょかん。そして、地方の筆頭官吏達が集まり、皇城の玉座の間から、宮殿前の広場まで人で埋め尽くされた。



 ただ、西京さいきょう呂鵬ロホウ、そして、趙武チョウブ。さらに、東方諸国同盟からは、参加者がいなかった。



 西京の呂鵬に対しては、岑瞬は、自らの即位式に、岑職シンショクと呂鵬、もしくは、代理として、呂鵬のみでも即位式に参列し、臣下しんかれいをとってくれれば、岑職を地方領主として認めると。かなり踏み込み、さらにかなり譲歩した書状を送ったのだ。


 だが、それに対しての呂鵬の書状は、丁寧なものであったのだが。岑瞬の即位に対する、祝辞しゅくじ。そして、自分を解放してくれた御礼おんれい等、丁寧に書かれていたが、最後に呂鵬は、二君にくんには、仕えられない事。あくまで主は、岑職で、その為、岑瞬の即位式には参列出来ない事が書かれていたのだった。


 これを見て、岑瞬は、これこそ、誠の忠臣と感動したのだった。だが、いずれ攻めねばならない。国内に、二君が並び立つ事は、出来ないと、決意もしたのだった。



 この書状を凱炎にも見せた岑瞬だったが、


「なんとも、呂鵬殿らしい。文面ですな」


「ああ」


 凱炎の、言葉に短く返事するだけにとどめた、岑瞬だった。



 一方、趙武に対しては、最初の約束通り、大京を手に入れ、正式な皇帝となったので、即位式に参列し、臣下の礼をとるように。参列さえすれば、今までの行いは、不問にすると書いた。


 それに対する趙武の返事なのだが。今回は、ちゃんと趙武の手に渡り、それに対して趙武は、返事を書いたのだが、その内容は、ひどいものだった。


 即位おめでとう。だけど忙しいので、参列出来ません。岑英様のようにはいかないと思いますが、頑張ってください。


 という感じだった。この書状は、岑瞬を激怒させるには、充分なものだった。趙武の目的も、岑瞬を怒らせる為だったのなら、成功だろうか。


 この書状で、岑瞬は、即位式後、準備出来次第、趙武の討伐を決意したのだった。



 この書状も、凱炎、条朱、廷黒に見せた、岑瞬だったが。


「これは……」


 絶句した凱炎。


「さすがに、馬鹿にしている! 趙武殿とはいえ」


 怒る、条朱。


「……。忙しい? 趙武殿は、何をしているんだ?」


 廷黒の、言葉に、


「ただの、言い訳だろ?」


 条朱が、そう答えるが、


「だったら、良いんだが……」


 不安を覚える、廷黒だった。



 最後に、東方諸国同盟だが。使者は、入国する事も出来ず。


「何でも、趙武軍を攻撃したところを、南方から侵略を受けたそうです。南部の国が一部寝返って、かなり激しいいくさに、なっているようです」


「南方から? どんな国なのだ?」


 岑瞬が、訊ねると、


「国名は、狗雀那国くじゃなこく。何でも、南方民族の国で、広大な南方を統一して、東方諸国同盟領に、侵出してきたそうです」


「随分、詳しく分かりましたね?」


 廷黒が聞くと、使者は、


「はい。知り合った商人が、内情にとても詳しく、いろいろ教えてくれました」


「そうですか……」


 廷黒は、何やら考え込んだが、岑瞬が聞くと、


「どうした? 何か気になる事があるのか?」


 それに対して、廷黒は、


「いえ、何でもありません」


 そう言ったのだが、その夜、廷黒は、呂鵬に向けて、何やら書状を出したのだった。





「大岑帝国万歳!」


「皇帝陛下万歳!」


 岑瞬は、見渡す限りの、人波ひとなみが発する、声の波に溺れ、酔いしれた。岑英の葬儀の時は、自分に向けられたものでは無かった。龍会ろんえでの時は、人数が少なかった。だが、今は、


こそが、ただ唯一無二の大岑帝国、皇帝である」


 岑瞬は、万歳の海の中、叫んでみたが、自分以外には聞こえないだろう。この言葉に、とても満足したのだった。


 こうして、即位式は、終了した。



 この後、岑瞬の名は、後々の歴史書においても、正式に皇帝として、記述される事となった。皇帝の位は、岑英、岑英の子、岑職、そして、岑英の弟、岑瞬へと受け継がれる事となった。





 即位式が終わり、大岑帝国以外からの、唯一の参列者となった。如親じょしん王国、大将軍、耀勝ようしょうが、帰国する為に、岑瞬を訪れた。



 この時の耀勝の興味は、大岑帝国や、岑瞬ではなく、趙武へと移っていた。勿論、狗雀那国に攻められているという、東方諸国同盟の事も、ある程度は気になっていたが。あそこには、項弥コウヤ孫星ソンセイといった、優秀な将軍がいた。そうやすやすとは負けないだろうと、踏んでいた。


 なので、岑瞬に会う目的も、趙武と戦わせ、長い長い混乱期を作るためであった。



師父しふ。お帰りになられるとか。もう少し、ゆっくりされていかれれば、良いと思いますが」


「いえいえ、あまり長居ながいしますと、根が張ってしまいます。それに、岑瞬様の邪魔をしては、いけません」


「邪魔ですか?」


「ええ、趙武、討伐を決意されたとか」


「さすが師父、良くご存知で。ええ、あのふざけた男を討ち破り、大岑帝国、再統一を果たします」


 そう言いながら、岑瞬は、耀勝に趙武からの、返書を見せる。


「これは……」


 さすがの耀勝も、絶句した。これは、大岑帝国皇帝である、岑瞬に完全に喧嘩を売っている。よほど自信があるのか、それとも虚勢を張っているのか、大馬鹿者なのか。耀勝は、趙武という人間がわからなくなった。


 ただの天才的な用兵家だと思っていたのだが、その認識を変えないといけなかったのではないか。


 耀勝は平和を愛する男。ただし、自分の守れる範囲が平和で、豊かであれば良かった。だが、趙武は、それを打ち壊し、統一という名の下に、その頭脳で、冷徹に国々を滅ぼしていく、絶対的な悪。


 耀勝の背に、冷たい汗が流れた。だが、それはないだろう。耀勝は思い込むように、その考えを打ち消したのだった。立場を替えればお互い様だ。趙武から見たら、自分も同じように見えるだろうと。


 だから、自分の守れる場所を守る為に、岑瞬をさらに、惑わす。


「岑瞬様を馬鹿にしているのでしょうか? 許せません」


「師父、ありがとうございます。余の為に、怒って下さり」


「当然ではありませんか。我が弟子が、けなされて怒らぬ師匠は、おりますまい」


「師父……」


 岑瞬は、耀勝の言葉に感動していた。耀勝は言葉を、続ける。


「ですが、努々ゆめゆめ油断なされぬように。まあ、優秀な岑瞬様に限って、万が一はないとは思いますが」


「はい。趙武軍は、たかだか20万。我が軍は、70万、それに、師父の軍勢も加われば……」


「だから油断為さるなと、言ったのです。今回、我が軍は、参加出来ません。あまりに長い遠征は、繰り返せませんので」


 耀勝は、そう言ったが、本音は、自分達が加わって、趙武軍の負けが、すぐに決まってしまうと困るのだ。


「そうですか。わかりました。油断せず、戦います。そして、師父に良い報告を出来るようにします」


「待ってますよ」



 こうして、耀勝は、帝都、大京を後にして、如親王国に帰国したのだった。





 耀勝が帰国し、即位式の余韻よいんも収まってくると、岑瞬は、大将軍、そして、上将軍達を集めた。集まったのは、凱炎、条朱、廷黒の三人の大将軍。


 近衛禁軍将軍の塔南。独立遊軍の上将軍、至霊と、斤舷。


 そして、各大将軍の配下に入っている上将軍。


 凱炎の下には二人、凱炎の長男、凱武ガイブ。もう一人は、元々興魏の将であったが、その後、秀亮の配下として、働いた苦労人、亥常イジョウ


 続いて、条朱の下には、秀峰の配下で、智将として、見事に立ち回ってみせた、朱滅シュメツ。そして、廷黒の下には、呂鵬麾下の名将、冒傅ボウデンだった。



 各将を前に、岑瞬は、宣言をする。


「逆賊、趙武を討つ!」


 この宣言に対して、反応は様々であった。廷黒、至霊、塔南は複雑な表情をする。ただ、岑瞬もこの三人の反応は予想していた。至霊の息子は、趙武の配下。塔南は、趙武達と仲が良い。


 そして、廷黒は、呂鵬に頻回に書状を送っていた。一度、岑瞬の耳に入り、使者を捕らえたのだが、内容は、呂鵬に、趙武に連絡し、共に、早く降伏するようにじゃないと討伐軍が送られる、という内容だった。余程、呂鵬、趙武と戦いたく無かったのだろう。



 他の将は、無表情か、戦いに向けて興奮を覚えているかだった。凱炎は、すでに諦めたのだろうか。冒傅も無表情。呂鵬と戦うわけではないので、特別な感情も無かったのだろうか?


 だが、全員が反論等はせず、


「はっ!」



 続いて、攻略軍の編成についての、話し合いになったのだが。


「余、自ら親征を行い、一気に趙武を滅ぼす。なので、近衛軍のみ残し、全軍で攻める」


 近衛軍は、残す。少し中途半端な気がした。全軍と言うなら、近衛軍も半数は、動員すべきでは、と考える者もいた。だが、岑瞬は、そう命じた。しかし、廷黒は、別の意味で、異論を挟む。


「お待ち下さい。可能性の話なのですが、我々が攻めているうちに、呂鵬殿が、帝都に攻め込んだり、が、江陽を捨て、迂回して帝都に攻め込む可能性もあります。それに、呂鵬軍が加われば、さすがの塔南殿も、守りきれるかどうか」


「なるほどな」


 岑瞬が、少し考え納得する。少し、心配し過ぎな気もしたが。


「さらに、陛下、自ら出征されて、趙武の策で、陛下の命を狙う、可能性もあります」


「少し考え過ぎではないか?」


「相手はあの趙武です。万全を期すべきではと。ですから、討伐軍は、凱炎殿を総大将に。斤舷殿、至霊殿を守備隊として残し、その指揮を陛下がとられるのは、いかがかと」


 廷黒にそう言われ、耀勝の言葉を、思い出していた。確かに、油断してはいけない。どんな手を打ってくるか分からないからな。用心するに越した事はないと。


「分かった。廷黒の言う通りにしよう。余、自ら討伐したかったのだが、仕方ない。では、凱炎。総大将として、趙武、討伐軍の指揮は任せた。参謀としては、廷黒、頼むぞ」


「はい。お任せください」


 凱炎、廷黒の声がかぶる。



 こうして、趙武、討伐軍の編成は決まった。凱炎を総大将、廷黒を参謀、副将として条朱が率いる、全軍50万の大軍が、趙武の本拠地、江陽に向けて侵攻する事になった。



 そして、帝都周辺の防御としては、大京の守備に塔南、率いる禁軍4万。そして、東西南北の防御拠点には、裨将軍、四人が率いる2万ずつの軍が守り。帝都周辺の防御として、至霊、斤舷が率いる4万ずつの軍が待機したのだった。





 皇紀243年の夏、江陽に向けて、凱炎の号令の下、趙武、討伐軍が出発した。


「進軍開始! 目標は江陽だ! 行くぞ!」


「おー!」

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