(弐什弌)

 項弥は、一人、大令国だいれいこく王都の王城、玉座ぎょくざに座り、前方を睨むように見つめていた。その時、玉座の間の扉が開き、孫星が一人入ってくる。


「終わったか?」


「はい。素直に応じてくれれば良かったのですが」


「そうか」


「ですが、これで我が軍は、自由に動けるようになりました」


「そうだな」


 項弥は、自由になった代わりに、何かを失ったような気がした。趙武に踊らされてるような気もした。他に道があったのじゃないか? しかし、もう遅い。進むしか無いのだ。


「進むしか無い」


「ええ、さっそく、南に進軍です。今だったら、不意を突けるでしょう。準備に取り掛かります」


 そう言って、孫星は出て行った。項弥も、玉座から立ち上がると、振り返ることなく、部屋を出て行った。主の居なくなった玉座の間に、静寂せいじゃくが訪れた。





 趙武の下には、東夷国とういこくの降伏後、泉小の親衛隊とも言うべき、御泉隊ごせんたい、5千人が降伏してきたのだった。趙武の陣の天幕に、上級将校だけを、呼び集める。



 そして、趙武の第一声に、皆が驚く事になる。


「で、泉小って言うのは、どの人?」


「何を、言ってるんだ、趙武」


「そうですよ。泉小は華々しく……」


 呂亜と、凱鐵がそう言いかけた時、泉小の高笑いが響く。


「オーホホホ! やっぱり趙武様には、わかっちゃった〜?」


 隊の中央部付近の兵が、兜を脱ぐと、そこには、ド派手な化粧をした、焼け死んだはずの男がいた。


「わかっちゃた〜? では無く、みえみえでしょ、あんなお芝居。どこに、城楼の屋根で火をつけて、自害する人がいるんですか? 芝居じゃあるまいし。しかも、わざわざ、撤退する味方に見せつけるように、西門でなんて。我々に見せるんなら、軍が多く展開していた、南門で良いんですからね。屋根に穴でも開けておいて、そこに飛び込んだのでしょう? 火のまわりが中心部だけ遅かったですし」


「そうか」


 呂亜は、ようやく理解して、言葉を漏らす。凱鐵は、知ってましたよという態度で、たたずんでいたが、激しくまばたきをして、動揺を隠しきれていなかった。



「やっぱり凄いわね、趙武様は。項弥様と、孫星ちゃんには悪いけど、趙武様に、つかせてもらうわ。わたし、強い男が好きなの」


「えーと、呂亜さん。殺しちゃってください。気持ち悪いんで」


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ、趙武様。気持ち悪いって、ひどいわよ」


「だったら、あなたは、何の役に、たつんですか?」


「そうね。わたしは、強く、美しい」


「呂亜さん」


「待ってよ、冗談よ、冗談」


「趙武様は、東方諸国同盟を早く滅ぼす為に、項弥様と、孫星ちゃんの、道をせばめた。慈魏須文斗軍を動かしたり、情報流したりして。まあ、最初からえて、混乱させるような策を使って、孫星ちゃんの心を、幻惑げんわくしたようだけど」


「わかりました。ですが、あまり、頭が良すぎると、長生き出来ませんよ」


「ええ。心に刻んでおくわ、趙武様」



 趙武が立ち上がり、背を向けて、天幕を出る。そして、後に続くように、泉小が続き、御泉隊の将校も出ていくと、天幕には、呂亜と、凱鐵のみに。


 凱鐵が慌てて、出て行こうとするが、呂亜は、呼び止め、話す。


「凱鐵」


「はい」


「何か、最近の趙武。完全にあの悪役の、ままだよな」


「氷の天才軍師ですか?」


「ああ。ちょっと怖いんだよ」


「大丈夫ですよ。趙武様は、趙武様です」


「そうだな。うん」


 呂亜は、自分に言い聞かせるように呟くと、凱鐵の後に続き、外へと歩き出した。



 その後、趙武軍は、再び消息不明となった。その情報は、項弥、孫星の下にも届けられた。





「千載一遇の機会です」


 孫星は、項弥の下に慌てて、やってきて、こう言った。


「ああ、いよいよだな」


「ええ」


 東方諸国同盟軍、本軍はようやく南に向かい、急ぎ進軍を開始した。



 途中落ち延びてきた泉小の残存軍、9万5千と合流、その軍勢は、23万5千の大軍となった。目標は、狗雀那国軍。


 狗雀那国軍も、23万の大軍となっていたが、項弥は負ける気がしなかった。弱かった狗雀那国軍が、いくら努力しようと弱いままだろうと。



 途中、趙武軍の動きを探るが、文創ぶんそう王国からの急報で、その所在を知ることとなる。


「趙武軍、文創王国、王都に向かい進軍中。至急、救援願います」


「そうか。だが、援軍は出せん。文創王国だけで対応してくれ」


 文創王国の急使きゅうしに、こう冷たく返す、項弥。


「ですが、それでは、我が国が……」


「まあ、滅びるだろうな。それに今からでは、間に合わんだろう」


「くっ! ごめん!」


 そう叫ぶと、文創王国の急使は、駆け出して行った。急ぎ戻るのだろう。


「後で取り戻せば、良いのだ。後で」


 項弥は、自分に言い聞かせるように、呟いた。





 さらに南下すると、狗雀那国軍の情報が入ってきた。


「東夷国の平原に、布陣しているそうだな」


「はい。城にこももらず、我らを待ち受けております。よほど、攻城戦の防衛が、苦手なのか……」


「防衛戦を知らぬか、だろうな」


 この時、項弥、孫星は、狗雀那国を完全になめていた。



 我蘇がそ国軍3万、矮南わいなん国軍2万、藍伍らんご国軍1万、黒越こくえつ国軍1万は、見えなかった。先に逃げ出したのか、それとも、再度、東方諸国同盟に、寝返る為に国に一旦戻ったのか。項弥はそう考えた。平原には、狗雀那国軍15万のみが布陣している。



 南部と違い、東夷国まで来ると、気候もやや穏やかになり、こうした平原も見られるようになる。まあ、平原にしては、草の勢いがあり、緑も濃いが。膝丈位の、濃い緑の草が、一面に生い茂っている。馬も、人間も進みづらそうだった。



 項弥は、布陣した狗雀那国軍を見る。噂とは違い、陣に乱れが無い。一番前には、騎兵の突撃を防ぐ為だろうか、大きな盾を持った大柄な兵士が並び、その後方には、長い戟を持った兵が、盾兵を守る為に並び、そのさらに後方に、大きな刀を持った多量の兵士が布陣し、最後方には少ないが弩を持った、弓兵が並んでいた。



「意外と、ちゃんとしているな」


 項弥は、遠く布陣した狗雀那国軍を見て、こう言った。


「ええ。趙武軍が教えたのでしょうか? ですが、所詮、付け焼き刃です。こちらが、攻めればそれが露呈ろていしますよ」


「そうだな。そうだと、良いが」


 孫星の言葉に、項弥は少し不安を覚えつつそう言った。だが、戦うしかない。孫星の策は、まだ、途中なのだから。



 では、行くか。項弥は、不安を打ち消し、気合いを入れた。そして、


「突撃!」



 東方諸国同盟軍は、一斉に動き出した。騎兵が先頭を行く、その後方に、項弥、自ら続き、その後方に歩兵が続く。そして、お互いの弓兵が、矢を放つ。


 東方諸国同盟軍の騎兵は、速度を上げ、矢を避けつつ、狗雀那国軍の盾兵に突っ込む。


「ガッシャッ!」


 狗雀那国の盾兵に阻まれ、同盟軍の騎兵の突撃が止まる、そこに盾兵、後方の歩兵の戟が、騎兵を襲う。騎兵も、慌てて手に持つ槍で反撃する。次々と騎兵が突っ込み、数の多さで、押し込み、さらに、同盟軍の歩兵が盾兵の崩れた所から、侵入を試みる。それを、狗雀那国の歩兵が阻む。かなりの緊迫した攻防が展開されていたのだった。



 項弥も、突破口を探り、斬り込もうとした時だった、突如として狗雀那国軍が、後方を向いて逃げ始めたのだった。あまりにも突然の逃走劇に、同盟軍の兵士は、呆気に取られる。戦いは、均衡を保っていたはずだが。


 だが、同盟軍の兵士も、訓練された兵士達だった。すぐさま、気を取り直して、追撃にうつった。



 狗雀那国軍は、四方八方めちゃくちゃに、逃げた。同盟軍は、追い回すがなかなか倒す事が出来ない。さらに、追いついて斬っても、すぐ倒れるのだが、草の中、姿が見えなくなり、姿を見失う。仕方なく、他の敵を、追いかける。すると、草がモゾモゾと動き、狗雀那国軍の兵士が起き上がり、走り出す。



 同盟軍は、追撃し、兵を斬り倒しているが、その手応えをつかめないでいた。だが、確実に狗雀那国軍は、四散していく。


 そして、項弥も追撃しようと馬を走らせたのだが、敵将に阻まれる。



「ホホホ、我が名はマズダール。狗雀那国軍将軍ですよ。東方諸国同盟、総大将、項弥殿ですな。尋常に立ち合いお願いします」



 マズダールは、古馬に乗ってあらわれ、背中からかなり大きなとうを引き抜くと、地面に降り立った。


 項弥は、それに合わせる気はなく、汗血馬から、下を見下ろし、応える。


「味方は、逃げ惑っているのに良いのか? 良ければ、立ち合うぞ」


 そう言うと、マズダールは、


「そうですね。その為に、時間を稼がないといけないので」


「そうか。では、参る!」


 項弥は、愛馬を飛ばしてマズダールに迫る。そして、手に持った大刀だいとうで、一刀のもとに斬ろうとするが、


「よっと!」


 マズダールは、そのだるまのような身体からは、信じられないような跳躍力で、後方に飛び避けると、今度は、また、跳躍し、項弥に向かい、刀を振る。慌てて、項弥は、大刀で受けるが、マズダールの体重をも、利用した攻撃で、馬がぐらつく。


 項弥は、慌てて手綱をひき、立て直すが、マズダールは、跳躍したまま、さらに攻撃を繰り出してきた。



 戦いにくい。項弥の正直な感想であった。普通の相手だったら、負ける気はしなかった。東方諸国同盟軍の中でも、一番強いという自負はあった。戦った事は無かったが、麻龍や、泉小より強いはずだった。



 だが、今は、目の前のだるまのような男に、翻弄ほんろうされていた。妙な戦い方をするからだ。項弥は、そう思った。



 項弥は、戦い方を変えた。マズダールが、跳躍し、避けられない状態の時に、大刀を振るう。「よし!」項弥は、そう思ったのだが、マズダールは、項弥の大刀の刃に、自分の刀の刃を合わせ、軌道を変えると、そのまま、項弥を飛び越え着地する。そして、すぐさま、マズダールは飛ぶのだが、また、項弥の大刀が振るわれる。こういう攻防が、数度続き、お互いに手詰まりになる。



 すると、マズダールが、


「ホホホ。時間切れのようですね。我が軍は、居なくなったようです。では」


 そう言うと、古馬にまたがり、ドタバタと去っていった。一瞬、項弥は追いかけようとしたが、愛馬が嫌がり、項弥、自身も諦めた。よほど、マズダールの攻撃が嫌だったのだろう。項弥は、そっと愛馬を、でた。



 項弥は、孫星の所に戻る。


「勝ちましたね」


「ああ」


 孫星の祝福に、正直喜べない項弥だった。だが、


「狗雀那国軍は、完全に軍としては、霧散しました。追わせてますが、これ以上は不可能でしょう。このまま、本国に逃げ帰るのでは、ないでしょうか」


「そうか。そうだな」


「ええ、そして、南部諸国は、自国に兵を戻したようです。ですが、これは、後回しで」


「ああ。いよいよ、孫星の策の、仕上げか」


「はい。狙いは、趙武軍です」



 項弥、孫星は、今度は北に軍を向けた。狙いは、大令国、王都にいるはずの、趙武軍だった。

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