(弐什)

 その頃、項弥、孫星は二つの敵と戦っていた。一つは、趙武軍。いや趙武だった。



 項弥達が、まさに南方へと移動を開始しようとした、その時。風樓礼州に残っていた、慈魏須文斗が、国境を越え隣国、文創王国へと攻め込んだのだ。



「兵も僅か5万。ただの陽動でしょう」


 孫星は、項弥にそう言ったが、


「だが、捨て置く訳には、行かない。西へ出兵し、文創王国を助ける」


「そうですね」


 項弥、孫星は、早期の決着をつける為、全軍27万を率い、文創王国の王都へと、向かった。



 しかし、軍が国境を越えるか、越えないかのうちに、慈魏須文斗軍は、さっさと撤退。孫星の提案で、騎兵だけを、集め、後を追撃させたが、追いつくことは出来なかった。



 孫星は、一計を案じた。兵を返すふりをして、一部、兵を隠し、慈魏須文斗が出て来るのを待ったが、動く気配さえなかった。



 項弥、孫星は、無駄に時を浪費し、大令国へと一旦、兵を返したのだが、ここで大問題が起きる。項弥が、大令国国王、管義より呼び出されたのだ。これが、二人にとってのもう一つの敵だった。





「神出鬼没の趙武軍に、翻弄されてるそうだな」


「いいえ、そのような事は」


「ふん。嘘をつけ。街で噂になっているぞ。北で戦っていた趙武軍が突然消え、南に現れ、南方の国々を攻略して、今度は、また北に現れたそうではないか。


「それは、別の軍で……」


「ふん。まあ、南方の国々がどうなろうが知った事ではないが、我が国に何かあったら、どう責任を取るつもりだ」


「天地神明に誓って、守リ抜きます」


「なら、良いが。そうだ、項弥、お前は大令国から動くなよ。我が国の軍を率い、この国に留まれ。良いな」


「それでは、他の国が……」


「ん? 何か言ったか?」


「いえ」


「だったら、さっさと下がれ」


「はっ」


 項弥は、こぶしを震える程、握りしめて退出した。





 項弥は、陣に戻ると、孫星の所に直接向かった。



「いかがでした?」


「街の噂に踊らされてるようだ、我が国王は。俺に、この国から動くなだそうだ」


「街の噂ですか?」


「ああ、趙武軍の、神出鬼没だそうだ。南へ行ったり、北に行ったり」


「ふむ。街の噂自体が、趙武の策略でしょうね。例え、街々を行き交う商人でも、北に行ったり、南に行ったりという情報は、得られないですからね。せいぜい、南で戦いがあった、北で戦いがあったというところでしょう」


「では、我が国王は、趙武の策略にまんまと踊らされてるわけか」


「ええ。ですが、本当の情報かどうかは、そう簡単に判断出来ませんよ。それに、国王の耳に直接入れるのでは無く、街の噂とは、趙武は、さすがですね」


「感心している場合では、ないだろう」


「ハハハ、すみません」


「だが、どうするのだ? 我は動けん。西からは、慈魏須文斗軍。南には、狗雀那国軍と、趙武軍」


「西には、文創王国軍を戻し、城に入れましょう。我々は、自由に動けるようにしましょう」


「どうするのだ?」


「それは、これから考えます」


「そうか。だが、南は、どうするのだ?」


「それは……」



 すると、孫星の天幕の入口がすーっと開く。


「オーホホホ! それは、わたしの出番でしょ、項弥様」


 入って来たのは、東夷国将軍、泉小だった。


「なっ。貴様、立ち聞きしていたのか?」


「立ち聞きとは、人聞きが、悪いわよ。偶然よ、偶然」


 と、言ったが、項弥が孫星の天幕に入るのを見て、気配を殺して立ち聞きしていたのだった。


「それで、孫星ちゃん。どのくらい時間稼げば良いの?」


「えっ! 良いのですか?」


「勿論よ。これから攻められるのは、わたしの国だし」


「そうではなくて、時間稼ぎです」


「そうね。項弥様の為に、頑張っちゃおうかしら」


 項弥は、顔をしかめたが、孫星は、茶化したような物言いの中に、泉小の本気を見ていた。


「出来れば、半年程」


「なっ! 半年だと。孫星、何をするつもりだ?」


 項弥が、孫星に訊ねたが、泉小がさえぎ


「項弥様、野暮は駄目よ」


「すみません、泉小殿」


「大丈夫よ。孫星ちゃん。兵はちゃんと残すから。ただし、項弥様も、孫星ちゃんも強くあってね。わたし、強い男が好きなの」


「貴様の好みなど……」


 項弥がそう言いかけたが、それを遮るように、孫星は、


「はい、必ず勝ってみせます」


「そう。分かったわ。じゃあ、そろそろ行くわね。二人ともお元気で。じゃあね〜」


 そう言い残すと、泉小は、天幕を出て行った。その後ろ姿に、深々と頭を下げる孫星、そして、その孫星を訝しげな表情で見る、項弥だった。


 だが、後々、孫星は深々と頭を下げた事を、後悔する事となる。泉小は、強い者が好きだった。その表情は、自分達を翻弄ほんろうする趙武を見る事が出来ると言う事に、恍惚こうこつとしていたのだった。


「まあ、ちゃんと戦っては、あげるわよ。兵もちゃんと生きて返すわね。ただし、その兵士がどう動くかは、項弥様、孫星ちゃん次第ね〜。頑張ってね」


 泉小は、孫星の天幕から離れると、そう呟くのだった。





 泉小は、項弥、率いる大令国軍、孫星、率いる南龍海王国軍、そして、自国を守る為に戻った文創王国軍3万を除く、自国の東夷国軍4万、巣椀教国軍3万、辛丑国軍2万、崙土国軍1万、計10万の兵をを率いて、東夷国王都に向かった。



 そして、趙武軍、狗雀那国軍は、一向に動かなかった。


 狗雀那王、トゥーゴーは、矮南国で港に夢中になっていた。降伏した矮南国王や、我蘇国王に助言を貰いつつ、港の再整備を行うと、自ら船を買い、さらに、耀勝のいない、如親王国へ船で訪問し、如親王国国王と会い、定期航路の開設や、海洋交易の認可を取りつけていた。



「なんでも、遠く南の地からだとか。余が如親王国国王、如恩ジョオンじゃ」


「はい。はじめまして、狗雀那国国王、トゥーゴーです。以後、宜しくおねがいします」


「ああ。で、え〜と、東方諸国同盟の矮南国に航路を開拓したいとか。そこから、狗雀那国は、近いのか?」


「ええ。まあ」


 トゥーゴーは、東方諸国同盟と戦っている事は言わず、誤魔化す。


「そうか。如親王国は、海洋国家。交易拠点が、増えるのは嬉しい事だ。早速、開設しよう」


「ありがとうございます」


「うむ。我が国の品物をたくさん買ってくだされよ、ハハハハ」


「はい。必ず」


 その後、家臣達に如親王国各地を案内してもらい。こうして、耀勝のいない如親王国を満喫し、トゥーゴーは帰国した。



 なので、我蘇国軍を加えた、狗雀那国軍22万と、泉小軍10万との間に、偵察部隊同士の小競り合いは、起こったが、本格的な攻略戦は起きていなかった。


 そして、一方の趙武軍は、我蘇国近郊に駐屯したまま動かなかった。少なくとも、見た目では。



 そんな状態で半年が経過した。趙武軍が侵攻を開始して一年。本当に後一年で、東方諸国同盟を攻略するつもりなのだろうか?





 だが、トゥーゴーが戻って来ると、狗雀那国軍は、東夷国王都に向けて、動き始め、それに合わせるように趙武軍も動く。そして、東夷国王都の近くまで来たのだが。


「う〜ん。ぐちゃぐちゃだね」


 趙武は目の前の光景を、こう表現した。周囲にいた呂亜、凱鐵も同様の感想を持った。


「時間を与えすぎたな」


 呂亜の言葉に、趙武は、


「ですが、東方諸国同盟を早く滅ぼすには、必要な時間だったんですけどね〜」


「そうか。だけど、これどうやって攻めるんだ?」


「う〜ん」


 趙武もうなる。



 東夷国、王都は、海に面していた。その為、東側は港となっていて、水軍を連れてきていない趙武軍としては、攻め手は三方向の陸地から、攻略するしかなかった。


 だが、泉小は、王都の周囲に張り巡らされた、川を使った水堀みずぼりを、海への出口を塞ぎ、溢れさせ、さらに、周囲を囲むように少し盛り土をして、軍が布陣する辺りを、水浸しにしたのだった。


 しかも、ご丁寧に予め地面を掘り返し、底なし沼のようにしていた。だが、街道から続く道だけは土を盛り、通行可能にしていたが、細すぎて軍の移動は不可能だった。



 見方によっては、周囲を取り囲まれて水攻めされているようだったが、それは補給が出来ない場合で、東夷国は、海側からいくらでも補給が出来た。


 さらに、例え、趙武が水軍を連れて来たとしても、大岑帝国の水軍は、河船で、海の船と異なり、海では、船足でも、安定性でも劣っている。海上封鎖する事も出来なかっただろう。



「本当に性格悪いよね。こういうのって、性格が出るから、泉小って、ねちっこくて嫌な性格だよね」


 趙武が、呂亜に言うが、呂亜は、


「向こうも、趙武には言われたくないって、思ってるぞ、きっと」


「そうですか?」





 趙武は、頭を切り替える。さて、どうやって攻めるか?


「凱鐵、どうやって攻める?」


 趙武は、そばにいて、一生懸命、頭を捻りつつ、考えている凱鐵に、声をかけた。


「そうですね。盛り土をもう少しして、船で攻めるというのは?」


「船、どこにあるの? 作るにしても、ある程度時間かかっちゃうよ。そんな時間は、無いよ」


「では、木の板を浮かべて。木なら周囲にたくさんありますし」


「木の板の上に乗って戦うの、不安定だよ。だけど、木の板の案は良いね」


「えーと、どういう意味でしょうか?」


「木の板の上に乗って戦うのも良いねって、思ったんだよ。ただし、盛り土を崩して水をある程度抜いた後ね」


「なるほど。では、さっそく」


「待った!」


 凱鐵が、走り出そうとすると、趙武が呼び止める。


「はい!」


「盛り土を崩して水を抜くのは、良いけど、その先はちょっと変えるね」


「は、はい。どのように?」


「油を撒いて、火をつける。早く乾くよ」


「えっ!」


 呂亜と、凱鐵の驚きの声が、重なる。さらに、趙武は、続ける。


「地面も固くなるし、まあ油臭くなるかもだけど。それに、周囲、火の海になって御覧。戦意も下がる」


「さすが、趙武様。さっそく準備致します」


 そう言って、凱鐵が、走り出す。すると、呂亜は、


「本当にこういうのって、性格出るよな。良い性格してるよ趙武、お前は」


「何か、言いました、呂亜先輩?」


「いいや」





 そして、すぐさま盛り土が崩され、水を抜き。その後、一週間程の準備の後、地面がある程度乾くと、大量の油が流され、そして、行き渡ると、趙武は、地面に火をつけた。



 火は、数日に渡って燃え続け、東夷国の兵士は、眠れぬ日々を過ごす。そして、根こそぎ兵士の戦意を奪ったのだった。



 轟々ごうごうと燃える火を目にして、泉小は笑う。


「アハハハ! 良いわね、趙武様。こういうのは、項弥様や、孫星ちゃんは、出来ないわよね。良いわよ〜。決めたわ」


 そう言うと、兵士を振り返って、大声で、


「降伏よ! わたしの愛する、御泉隊ごせんたい以外、全軍退去。項弥様の所に行きなさい!」


「はっ!」



 こうして、戦わずして、東夷国は降伏。そして、


「趙武様。良い物見せてもらったわ! これが、わたしのお礼よ!」


 泉小は、近づいて来た趙武軍に見せつけるように、西門の上、城楼の屋根に上り、松明たいまつ片手に見得みえを切ると、周囲に火をつけた。


 油が撒かれていたのか、あっという間に燃え広がり、泉小は火に包まれたのだった。



 その光景は、西門から出て、退却中の東方諸国同盟軍からも、見る事が出来た。兵士達は、壮絶な光景に涙しながら退却した。


 趙武軍、狗雀那国軍も、その壮絶な光景に圧倒されていたが、ただ趙武だけは、その光景を冷めた目で見ていた。


「ふ〜ん。派手な男だね。そうか、だから西門なのか」



 趙武は、退却した軍をあえて追う事はしなかった。

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