(什伍)
東方諸国同盟軍、孫星の下には次々と報告が入ってきていた。
「敵、岑平軍。我が軍、後方に向かい移動中」
「そうですか」
「敵、騎馬隊。前回同様、左方、山岳を移動中」
「分かりました」
「敵、主力。前進を開始しました」
「出て来ましたか」
孫星が座る床几の前には、地図が置かれ、その上には、兵種を模した駒が置かれていた。いわゆる、軍略囲碁風だが、実際の戦場に即して、駒は動かされていく。周囲では、報告があると共に幕僚の参謀である、長史、
孫星、戦場においても、軍装では無く、文官の着るような、漢服を纏い、頭には
「どうも、おかしいですね」
孫星が呟く。すると、長史が、
「何がでしょうか?」
「ええ、恐らく趙武の策は、一軍が背後を、そして、別働隊が左側方を強襲。そこへ、敵主力が正面から攻撃するのでしょう。しかし、みえみえの作戦ですし、それに兵力が足りない。ふ〜む」
そこへ、さらなる報告が入る。
「敵主力後方に、台車に積まれた、把切朱絶を確認。数はおよそ二十門!」
「何ですと! 把切朱絶ですか。台車に……。移動可能な兵器として、配備されているのですか。さすが趙武」
孫星は感心していたが、これは、趙武が慈魏須文斗に命じて、城壁の把切朱絶を外して、台車に乗せただけだった。だが、
「なるほど。前後を挟み、一時的に、我が軍の動きを、封じたところを、把切朱絶の斉射で、我が軍に、大損害を与えようという策ですか。何と、恐ろしい。至急、撤退です。全軍に通達を」
「はっ!」
孫星には、戦場での兵の動きに対する指揮権が、任されていた。そうでないと、常時変化する戦場の動きに対応出来ないとの、項弥の判断だった。
「本当に、撤退していったな」
「ええ」
「さすが、趙武様です」
「ああ」
呂亜と、凱鐵が声をかけるが、趙武は生返事を返すのみ、思考は、次に移行し、集中しているようだ。
呂亜は、趙武の様子を眺める。趙武は、會清と、その配下によって作られた、詳細な東方諸国同盟の地図を地面に並べ、その上を裸足で歩き回りながら何やら、ぶつぶつと言っていた。こうなるとしばらくは、無理だな。
呂亜は、一旦、軍を休ませると共に、野営の準備をさせた、そこは、元風樓礼州王国領から、国境を越え、隣国に少し入った場所だった。
周囲を、見回すと一面の草原。風樓礼州王国の東部もそうだが、この辺りも、南にしては、夏でもやや涼しく高原の風が吹いていた。草原には、恐らく飼育されているのだろう、牛や、古馬の群れが所々に点在していた。あまりにも牧歌的な雰囲気に、呂亜の心は、のどかな気分になっていた。
翌日、呂亜達が起きると、趙武は、まだ、地図の上に立っていた。だが、早起きしたのか、それとも、一緒に起きていたのか、凱鐵が、紙に何か書き込みながら、趙武の話を聞いていた。
しばらく眺めていると、趙武は、一回、大きく伸びをすると、地図から降り、どこかに去って行った。すると、周囲にいた舎人達が、地図を片付け始め、凱鐵は、周囲を見回し、目が合うと、こちらへと歩いてきた。寝てないな。金色の髪はボサボサで、目はとても眠そうだった。
「呂亜さん。おはようございます」
「ああ、おはよう。で、大丈夫か?」
「はい、何とか。それよりも、趙武様から伝言です」
「ああ。何だって?」
「ええと、まずは」
凱鐵は、手に持った紙の束をめくると、話し始めた。
「まずは、會清さんに、至急連絡。狗雀那国に、東方諸国同盟の南方に攻め込んで欲しいそうです。ただし、布陣するのみで、実際に城攻めは、しないようにとの事です」
「分かった。おい!」
すると、呂亜の周囲に伝令が集まってきて、跪く。そして、呂亜は、手早く紙に筆で何やら書くと、それを伝令へと渡し、
「會清に、早馬だ」
「はっ!」
伝令は、素早く立って駆け出して行った。
「ええと、次は、周囲にいる、馬や、牛を出来るだけ集めて、借りて欲しいそうです。期間は二週間ほど、もしかしたら、殺されたり、逃げ出したりするかもしれないので、料金は多めに払ってくれ。だそうです」
「分かった。それは、後で皆に伝えて、やって貰おう」
呂亜が、そう言うと、凱鐵は頷き、さらに紙をめくると、素早く目を通しながら、話す。
「さらに、我が軍は、この先にある、荒野に移動布陣するそうです」
「荒野に布陣? この国の城は、無視か?」
「はい、そのように聞いております」
「分かった。これも、まとめて伝えた方が早いな」
呂亜が、そう言うと凱鐵は、話を続ける。
「これで、最後なのですが、慈魏須文斗軍は、重装歩兵が主力で、素早い移動に向かないので、風樓礼州に戻り、防備を固め。他の軍は、馬車を慈魏須文斗軍に預け、荷駄隊の荷持は分割し、それぞれが、背負うようにとの事です」
「分かった。趙武は、移動して戦おうっていうのか?」
「さあ? わたしには、わかりません」
「そうか、すまなかった」
呂亜は、凱鐵に、そう言うと、伝令に、
「各将に至急集まるように伝えろ。趙武が、起きるまでには、目星をつけたい」
「はっ」
そう言うと、伝令達は、駆け出して行った。そして、呂亜は、凱鐵に、
「お前も寝ろ。疲れた頭だと、これからの趙武の動きに、ついていけないぞ」
「はい。では、休ませて頂きます」
そう言って、凱鐵は去って行った。
趙武が起きると、だいたいの準備は終わっていた。そして、趙武軍は、出立する。慈魏須文斗軍と別れ、ただし、趙武は、慈魏須文斗に、こう声をかけた。
「慈魏須文斗さん。たぶん、再び活躍してもらう事になるから、準備だけはしておいてよ」
「はい、畏まりました。姫の所にいて、動けないとかは、避けるようにします」
「ハハハ、それは大丈夫だよ。瀬李姉綾や、子供達の様子は、時々見てあげて、僕の代わりに。其れぐらいの余裕をもって、連絡するから、宜しくね」
「そうですか。畏まりました。では、お気をつけて」
「うん」
こうして、趙武軍は、東方諸国同盟領内、元風樓礼州王国、
東方諸国同盟軍は、大令国内に布陣していた。そこへ、もたらされる、急報。
「趙武軍、文創王国領内を侵攻中です」
「王都に向かっているのですか?」
孫星の問いに対して、
「いえ、王都には向かわず街道をそのまま進んでおります」
「そうですか。分かりました。引き続き趙武軍の動きを、知らせてください」
「はっ!」
そう言うと、孫星は、目の前に置かれた地図に目を落とす。地図を挟んで反対には、東方諸国同盟軍、総大将、項弥が座る。
項弥。こちらは、黄色の軍装に黄色の鎧をしっかりと、纏っていた。キリッとした濃い顔に、武将然とした体格の男である。
「どうであるか?」
項弥は、孫星に訊ねる。
「何がしたいのでしょう? 我が軍の方が数は多く、そして、こちらに地の利のある、領内にわざわざ入ってくる。目的もわかりません。本当に、趙武は、頭の良い将なのでしょうか?」
すると、項弥は、
「俺は、孫星より頭の良い男がいるとは、思えん。耀勝しかり、趙武しかり」
「ありがとうございます。ですが、耀勝、趙武の今までの戦功は、本物です。ですが……」
「なら、分かってからで良いだろう。ある程度の不利は、俺が戦いの中で取り返す」
「そうでしたね。項弥がいれば、安心でした。頼みましたよ」
「任せろ」
長年の戦友でもあり、敵でもあった二人は、お互いの能力を信頼していた。項弥のカリスマ性と統率力、孫星の知力。大岑帝国によって、押されていた、東方諸国同盟を支える両輪であった。
それから数日後、再び急報がもたらされた。今度は南から、だが、これで、孫星は納得したのだった。報告は、狗雀那国軍、15万が、東方諸国同盟の南方、
「趙武の狙いはこれでしたか。南から狗雀那国を攻め込ませ、分断をはかる。ですか。ただ、兵力が足りないですね、狗雀那国軍は、弱すぎる」
この時も、同じように前に座る、項弥が同意する。
「そうだな。あまりにも弱兵だ。こちらは、敵兵力の半数も兵を送れば、充分だろう」
「ええ。それで、充分かと。後は、彼がやって来るのを、待てば良いですね」
「ああ。奴か。聞けば、飛んで来るだろうな」
そんな事を話していると、ドカドカと走る音がして、男が一人走り込んで来た。
「項弥の
「うるさいぞ、
駆け込んで来た男の名は、麻龍。南方にある、
麻龍は、南方民族との混血で、髪の色こそ黒だが、肌の色は浅黒く、眉も太く濃い、目もギョロッと大きく、唇も厚く、口も大きい、ちょっと怖い顔だが、さっぱりした気質は、項弥は好きだった。
「おっと、すまねえ。で、旦那。俺に行かせてくれ」
「狗雀那国か?」
「ああ。俺の軍だけで、追い返してくるぜ」
どうやら、我蘇国軍4万だけで追い返すという事らしかった。項弥は、麻龍の能力と、兵の強さ、そして、狗雀那国の弱さから、それでも大丈夫だと思ったのだが。
孫星が、口を挟む。
「いえ、麻龍さん。攻められたのは、黒越国です。それに、周辺国も不安だと思います。黒越国軍1万、
「ちっ。孫星の旦那には敵わないぜ。分かったよ。じゃ、行ってくる」
そう言って、麻龍は、慌ただしく出て行った。
孫星は、項弥に向かい。
「南はこれで良いでしょう。後は、我々です」
「ああ、どうするんだ?」
「それなのですが、趙武軍が布陣したのは、大令国西部に広がる大森林地帯の出口の、荒野となっている場所に布陣しました」
「ああ」
「これは、大森林の中を通る街道が隘路となっていて、出口部分で半包囲するような布陣に見えます」
「そうだな」
「しかし、そうならないように、街道とは別に、左右に迂回するように、街道とは離れた場所に軍用道路を作り、荒野に出る事が出来ます」
「そうだったな。だとすると……」
「ですが、趙武の事、その軍用道路の存在も把握していると、思います。だとすると、その軍用道路を使った、我が軍の左右からの
「うむ。ややこしいな」
「これは、失礼しました。まあ、要するに、趙武軍は、我が軍が左右からの挟撃を実行するのに対して、各個撃破を狙ってくると思われます」
「そういう事か」
「はい。ですが、各個撃破されるのは、左右に別れた軍が、状況が分からないからで、連絡を密にとり、一方が襲われた時に、素早く駆けつければ、逆にこちらが、包囲殲滅する事も可能です」
「さすがは、孫星だ。それで、いこう。俺が一軍率いるとして、もう一軍は、孫星か?」
「いえ、わたしは、出来れば、情報収集、現状把握に集中したいので、もう一軍は、
それを聞くと、項弥は眉をしかめる。
「あいつか。しかし、他に適任もいない。仕方ないか」
「では、出陣!」
こうして、項弥率いる14万と、泉小率いる11万の東方諸国同盟軍は動き始めた。対するは、趙武軍、15万。
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