(什参)

 塔南は、東門の城樓から、大京を取り囲むように展開する岑瞬軍を眺めていた。正直勝てるわけはなかった。さっさと、興魏には、降伏するか、脱出するかして欲しかったのだが、今のところ動きは無い。



 さて、どうするか? 塔南は悩んでいた。門を開門し、岑瞬軍を招き入れたり、自分達だけ降伏するなどの、信義しんぎに反する事はしたくなかった。だが、近衛禁軍4万を、無下むげに死なす訳にも、いかない。だから、興魏には早く決断して欲しいのだが。



 そんな事を、考えていると、皇宮の門が開き、こちらに向かって、近衛北方軍が向かってきた。とは言っても、九龍から逃走する際に、離脱した兵も多く、今は5千もいなかったが。


 先頭には、近衛北方将軍の参興。塔南は、根暗で神経質そうなこの男を、どうも好きにはなれなかった。性格は、ほぼ真逆であり、それもしょうがないのであろうが。



 塔南は、参興が東門に来ると、城樓からは下りずに声をかける。参興は、何やら手に木箱を持っていた。


「どうされました?」


「降伏します。門を開けてください」



 ようやく降伏するのか、これで戦いにならなくて済みそうだな。だが、この男、こんな声だったか? 気持ち悪い。塔南は、正直思った。しかし、


「分かった。ところで、興魏様は?」


 塔南は、平静を装って訊ねた。すると参興は、視線を木箱に落とし、


「ここに」


「そうか。開門!」


 興魏は、自害したのか、それも仕方がないか。あんたが、あんな事を、しなければ起こらない戦いだったもんな。と、塔南は考え、さらに心の中で、手を合わせた。



 ゆっくりと、参興達は、東門から出て、岑瞬軍の方に向かっていった。





「陛下。敵が降伏して参りました」


「そうか。興魏か?」


「いえ、参興という者です」


 参興? 岑瞬は、考えた。そうか、確か、かつての大将軍、参騰さんとうの孫だったか。父親が早く亡くなり、かなり甘やかされて育ったと。今は、近衛北方将軍だったのか。忘れていた。まあ、その程度の男なのだろう。



「分かった。通せ」


「はっ」



 先頭には木箱を持った男、その後ろに数人の男が付き従う。


 参興、この男だったか。凱炎は、ようやくこの男の事を、思い出していた。黒髪黒眼で、武将にしては白い肌をしていた。中途半端に延びた髪が、目を隠すように垂れて鬱陶うっとうしい。


 そして、その目は、前見た時は、キョロキョロと落ち着かない様子で、神経質な印象だったが。今は、深く沈んだよどみのような目が、こちらに向けられていた。



「この度は、お目通りがかない、大変喜ばしい限りです。大岑帝国皇帝陛下岑瞬様におかれましては……」


「もう良い。要件は、何だ?」


「はっ。反逆者、興魏を陛下に成り代わり成敗せいばい致しましたので、その報告を」


「興魏を、殺したのか?」


「はい、ここに」



 参興は、そう言って、木箱を差し出した。岑瞬は、目配めくばせして、凱炎が木箱を受け取り、箱を開く。


 凱炎の目には、紫色の顔をした苦しむ表情の、興魏の首が見えた。


「なんと、むごい事を」


 凱炎はなげく。岑瞬は、その様子を見つつ、


「参興。お前は、余に成り代わり、反逆者、興魏を討ったと言う事か?」


「はい、左様で」



 岑瞬は、大きく頷くと、今度は、条朱に目配せした。すると、条朱は、手に持っていた。大刀だいとうを一振りした。


 参興の首が、ポトリと落ちる。参興について来ていた。将達の悲鳴が響く。


「ひっ!」


 すると、岑瞬は立ち上がりながら、声をかけた。


「余は、このような卑劣ひれつな行為が嫌いなだけだ。お前達は、罪に問わん」


「はっ、有難き幸せ」


 将達が、頭を下げる中で岑瞬は歩き始め、そして、歩を止めると、凱炎に向かい、


「敵になったとはいえ、興魏は大岑帝国の功臣だ。丁重に葬って差し上げろ」


「はっ、畏まりました」


 凱炎が応える。すると、今度は、条朱が、岑瞬に、


「この者は?」


「ふん、適当にさらしておけ」


「はっ」


 そう言って、立ち去っていった。





 岑瞬は、大京の門をくぐる。出る時は、逃げるように、いや、実際、逃げ出てきたのが、今は、勝者として悠々ゆうゆう凱旋がいせんだった。大京、やはり帝都に相応しい街だ。


 岑瞬達は、そのまま皇宮へと入り、そして、玉座の間へとやってきた。そして、岑瞬は、玉座に座る。


 目の前には、凱炎、条朱、廷黒の三将。耀勝にも、共に入城するように言ったのだが、断られた。郊外で軍と共に駐屯ちゅうとんしている。さらに、紫丹シタンや、禅厳ゼンゲンは、いまだ、龍会にいるので、使いをやって呼び寄せている最中だった。


「さて」


 岑瞬は、玉座からの眺めを堪能たんのうした後、凱炎達に向け、話し始めた。


「そなた達の働きで、余は再びここに戻ってこれた、感謝している」


「はっ、勿体なきお言葉」


 凱炎が代表して応え、三人はひざまずき、頭を下げる。


「三人共、頭を上げよ」


「はっ」


「でだ。これで行方不明の王正軍と、趙武軍以外は、我が軍となった。そこでだ、多少、反発は受けるかもしれんが、兵の徴集ちょうしゅうを行おうと思う」


 すると、廷黒が、


「岑瞬様の即位を、大義名分とすれば、それほど反発はないかと」


 岑瞬は、大きく頷き。


「なるほどな。ならば、余の即位式を行い、それに合わせて行うとしよう」


「はい、それが宜しいかと。さすれば、我が軍は70万という計算になると」


 廷黒の言葉に驚く、凱炎、条朱。泉水せんすい周辺の地は、如親王国に協力の礼として、返還する事になっていたので、それ以外の地での計算だったが。


「なんと!」


「70万か〜」


 凱炎、条朱は喜び、岑瞬は冷静に返す。


「だが、それを率いる将だが」


 すると、やはり状況を把握している廷黒が、答える。


「近衛将軍では、参興、秀峰は、死にましたが、塔南殿は、自邸で謹慎されておりますし、至霊殿や、斤舷殿は、興魏と袂を分かっております。まあ、至霊殿は、行方不明との事ですが」


「そうか」


 岑瞬は頷き、さらなる廷黒の話を待った。


「大将軍では、興魏、秀亮が死に、呂鵬殿は、敗戦の責をとらされ、牢に押し込められているとの事です」


「何だと! それを早く言え」


 そう言うと、岑瞬は、玉座から立ち上がり、外に向かい歩き出した。


「呂鵬殿を、牢から出してさしあげるぞ」


「はっ!」


 凱炎、条朱、廷黒の三将も続いた。



 呂鵬の牢の前に立つ。その牢はかなり広く、いろんな家財道具や、書物が運びこまれていて、かなり快適なように見えた。それに、監視も居なければ、鍵もついていない。


「随分、快適そうだな」


 凱炎が、呂鵬に声をかける。すると、書物から顔を上げ、呂鵬は凱炎を見た。


「おお、凱炎殿、久しぶりだな」


「久しぶりだなではないぞ。何をやっているのだ?」


「おほん!」


 凱炎の背後から、わざとらしい咳が響く。


「あっ、これは失礼しました。陛下」


 凱炎の大きな体が横にずれると、そこには、岑瞬、条朱、廷黒がいた。


「陛下?」


 呂鵬が、そう言うと、岑瞬は一歩前に出て、呂鵬の目の前に立った。


「呂鵬殿、久しぶりだな。敗戦の責をとらされ、牢に入れられたそうだな」


「これは、これは岑瞬殿。お久しぶりです」


「呂鵬殿! 陛下に不敬ふけいですぞ!」


 条朱が、とがめるが、岑瞬が軽く手で制す。


「良いのだ。呂鵬殿は、まだ、臣下ではないのだからな。で、何だ?」


 岑瞬に、そう言われて、呂鵬は、話を続けた。


「まあ、あの敗戦は、わたしの責任でしたから。それに、牢に入れられた為に、生き残れました。まあ、良かったのでしょう」


 そう言う呂鵬だったが、その顔はちっとも良かったという顔ではなかった。


「そうか。では、呂鵬殿、釈放だ。それで、余に使えぬか」


 単刀直入に岑瞬は聞いた。正直、今は一人でも多くの優秀な臣下が欲しかった。


「そうですね〜」


 呂鵬は、数日前から悩んでいた。必ず言われるであろう、その言葉に対して、どう答えるかと。そして、決めたのだが、言えば殺される可能性もある。岑瞬の器量、次第だった。


「お断りさせて頂きます」


「なっ! 貴様!」


 条朱がたけるが、岑瞬は、再び手で制し、そして、静かに聞く。


「理由は、何だ?」


 呂鵬は、手箱から書状を取り出すと、岑瞬に差し出した。


「岑職様、皇太后様に最後まで仕える者も、必要だと、王正殿に頼まれまして。王正殿は、出家なさるそうです」


「出家だと?」


 岑瞬は、さらっと書状に目を通す。確かに興魏や他の死んだ将をとむらう為に、出家すると書かれていた。


 カナン平原においては、出家という行為はあまり一般的ではなかったが、西京周辺には比較的、寺院が多かった。王正も、信者だったのだろう。


 岑瞬は、呂鵬に目をやると、


「それで、西京に行くと」


「はい」


 呂鵬は、岑瞬をしっかりと見返すと、力強く答えた。


「余が、そのうち討伐するかも、しれんぞ」


「それも運命です」


「そうか、好きにしろ」


 そう言うと、呂鵬に背を向け、歩き始めた。呂鵬は、その背に話しかける。


「ありがとうございます。それと、我が軍の将兵は、岑瞬様に仕えるそうです。よろしくおねがいします」


「そうか」


 岑瞬は、呂鵬の優秀な将が、残ってくれる事に、少し喜んだのだった。





 呂鵬には、断られたが、塔南、斤舷、そして、行方不明になっていた至霊も戻り、臣下になる事を約束したのだった。そして、若き将や、優秀な将も、頭角を現していくことになる。



 龍会から、急ぎやってきた。禅厳によって、軍制改革が行われた。


 4万の兵を率いる、近衛禁軍将軍に、塔南が残ったものの、他の近衛将軍は、廃止。


 代わって、東西南北の拠点には、近衛裨将軍このえひしょうぐんが2万の兵を率いて、入り防御を担当する事になった。これで、近衛軍は、20万から、12万に削減された。


 近衛将軍から外された、至霊と斤舷だったが、上将軍としてそのまま配下を率い、独立遊軍として、扱われる事になった。


 大将軍三人は、俸給が増え、官位が上げられ、さらに配下として上将軍がつけられる事になった。



 凱炎の下には二人、これで兵数では趙武と互角の将となった。そして、その将は、と言うと、一人は、凱炎の長男、凱武ガイブ。もう一人は、元々興魏の将であったが、その後、秀亮の配下として、働いた苦労人、亥常イジョウ



 続いて、条朱の下には、秀峰の配下で、智将として、見事に立ち回ってみせた、朱滅シュメツ。そして、廷黒の下には、呂鵬、麾下きかの名将、冒傅ボウデンが配属されたのだった。




 こうして、着々と、岑瞬の支配体制が固まっていったのだが、岑瞬は、即位式を前に苛立いらだちをつのらされていた事があった。


「凱炎。趙武はどうしたのだ?」


「相変わらずのようですな〜。のらりくらりと。ハハハハ!」


「笑い事ではない! 何故、臣下の礼をとらない。余が、大岑帝国の皇帝だぞ!」


「これは、申し訳ありません。早速、使者を送ります」


「そうか。だが、即位式までだぞ。出席しないのなら、余にも考えがある」



 そう、皇位継承戦争が、一応の結末をみたのだが、肝心の趙武は、何をしているのだろうか?

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