(什参)
塔南は、東門の城樓から、大京を取り囲むように展開する岑瞬軍を眺めていた。正直勝てるわけはなかった。さっさと、興魏には、降伏するか、脱出するかして欲しかったのだが、今のところ動きは無い。
さて、どうするか? 塔南は悩んでいた。門を開門し、岑瞬軍を招き入れたり、自分達だけ降伏するなどの、
そんな事を、考えていると、皇宮の門が開き、こちらに向かって、近衛北方軍が向かってきた。とは言っても、九龍から逃走する際に、離脱した兵も多く、今は5千もいなかったが。
先頭には、近衛北方将軍の参興。塔南は、根暗で神経質そうなこの男を、どうも好きにはなれなかった。性格は、ほぼ真逆であり、それもしょうがないのであろうが。
塔南は、参興が東門に来ると、城樓からは下りずに声をかける。参興は、何やら手に木箱を持っていた。
「どうされました?」
「降伏します。門を開けてください」
ようやく降伏するのか、これで戦いにならなくて済みそうだな。だが、この男、こんな声だったか? 気持ち悪い。塔南は、正直思った。しかし、
「分かった。ところで、興魏様は?」
塔南は、平静を装って訊ねた。すると参興は、視線を木箱に落とし、
「ここに」
「そうか。開門!」
興魏は、自害したのか、それも仕方がないか。あんたが、あんな事を、しなければ起こらない戦いだったもんな。と、塔南は考え、さらに心の中で、手を合わせた。
ゆっくりと、参興達は、東門から出て、岑瞬軍の方に向かっていった。
「陛下。敵が降伏して参りました」
「そうか。興魏か?」
「いえ、参興という者です」
参興? 岑瞬は、考えた。そうか、確か、かつての大将軍、
「分かった。通せ」
「はっ」
先頭には木箱を持った男、その後ろに数人の男が付き従う。
参興、この男だったか。凱炎は、ようやくこの男の事を、思い出していた。黒髪黒眼で、武将にしては白い肌をしていた。中途半端に延びた髪が、目を隠すように垂れて
そして、その目は、前見た時は、キョロキョロと落ち着かない様子で、神経質な印象だったが。今は、深く沈んだ
「この度は、お目通りが
「もう良い。要件は、何だ?」
「はっ。反逆者、興魏を陛下に成り代わり
「興魏を、殺したのか?」
「はい、ここに」
参興は、そう言って、木箱を差し出した。岑瞬は、
凱炎の目には、紫色の顔をした苦しむ表情の、興魏の首が見えた。
「なんと、
凱炎は
「参興。お前は、余に成り代わり、反逆者、興魏を討ったと言う事か?」
「はい、左様で」
岑瞬は、大きく頷くと、今度は、条朱に目配せした。すると、条朱は、手に持っていた。
参興の首が、ポトリと落ちる。参興について来ていた。将達の悲鳴が響く。
「ひっ!」
すると、岑瞬は立ち上がりながら、声をかけた。
「余は、このような
「はっ、有難き幸せ」
将達が、頭を下げる中で岑瞬は歩き始め、そして、歩を止めると、凱炎に向かい、
「敵になったとはいえ、興魏は大岑帝国の功臣だ。丁重に葬って差し上げろ」
「はっ、畏まりました」
凱炎が応える。すると、今度は、条朱が、岑瞬に、
「この者は?」
「ふん、適当に
「はっ」
そう言って、立ち去っていった。
岑瞬は、大京の門をくぐる。出る時は、逃げるように、いや、実際、逃げ出てきたのが、今は、勝者として
岑瞬達は、そのまま皇宮へと入り、そして、玉座の間へとやってきた。そして、岑瞬は、玉座に座る。
目の前には、凱炎、条朱、廷黒の三将。耀勝にも、共に入城するように言ったのだが、断られた。郊外で軍と共に
「さて」
岑瞬は、玉座からの眺めを
「そなた達の働きで、余は再びここに戻ってこれた、感謝している」
「はっ、勿体なきお言葉」
凱炎が代表して応え、三人は
「三人共、頭を上げよ」
「はっ」
「でだ。これで行方不明の王正軍と、趙武軍以外は、我が軍となった。そこでだ、多少、反発は受けるかもしれんが、兵の
すると、廷黒が、
「岑瞬様の即位を、大義名分とすれば、それほど反発はないかと」
岑瞬は、大きく頷き。
「なるほどな。ならば、余の即位式を行い、それに合わせて行うとしよう」
「はい、それが宜しいかと。さすれば、我が軍は70万という計算になると」
廷黒の言葉に驚く、凱炎、条朱。
「なんと!」
「70万か〜」
凱炎、条朱は喜び、岑瞬は冷静に返す。
「だが、それを率いる将だが」
すると、やはり状況を把握している廷黒が、答える。
「近衛将軍では、参興、秀峰は、死にましたが、塔南殿は、自邸で謹慎されておりますし、至霊殿や、斤舷殿は、興魏と袂を分かっております。まあ、至霊殿は、行方不明との事ですが」
「そうか」
岑瞬は頷き、さらなる廷黒の話を待った。
「大将軍では、興魏、秀亮が死に、呂鵬殿は、敗戦の責をとらされ、牢に押し込められているとの事です」
「何だと! それを早く言え」
そう言うと、岑瞬は、玉座から立ち上がり、外に向かい歩き出した。
「呂鵬殿を、牢から出してさしあげるぞ」
「はっ!」
凱炎、条朱、廷黒の三将も続いた。
呂鵬の牢の前に立つ。その牢はかなり広く、いろんな家財道具や、書物が運びこまれていて、かなり快適なように見えた。それに、監視も居なければ、鍵もついていない。
「随分、快適そうだな」
凱炎が、呂鵬に声をかける。すると、書物から顔を上げ、呂鵬は凱炎を見た。
「おお、凱炎殿、久しぶりだな」
「久しぶりだなではないぞ。何をやっているのだ?」
「おほん!」
凱炎の背後から、わざとらしい咳が響く。
「あっ、これは失礼しました。陛下」
凱炎の大きな体が横にずれると、そこには、岑瞬、条朱、廷黒がいた。
「陛下?」
呂鵬が、そう言うと、岑瞬は一歩前に出て、呂鵬の目の前に立った。
「呂鵬殿、久しぶりだな。敗戦の責をとらされ、牢に入れられたそうだな」
「これは、これは岑瞬殿。お久しぶりです」
「呂鵬殿! 陛下に
条朱が、
「良いのだ。呂鵬殿は、まだ、臣下ではないのだからな。で、何だ?」
岑瞬に、そう言われて、呂鵬は、話を続けた。
「まあ、あの敗戦は、わたしの責任でしたから。それに、牢に入れられた為に、生き残れました。まあ、良かったのでしょう」
そう言う呂鵬だったが、その顔はちっとも良かったという顔ではなかった。
「そうか。では、呂鵬殿、釈放だ。それで、余に使えぬか」
単刀直入に岑瞬は聞いた。正直、今は一人でも多くの優秀な臣下が欲しかった。
「そうですね〜」
呂鵬は、数日前から悩んでいた。必ず言われるであろう、その言葉に対して、どう答えるかと。そして、決めたのだが、言えば殺される可能性もある。岑瞬の器量、次第だった。
「お断りさせて頂きます」
「なっ! 貴様!」
条朱が
「理由は、何だ?」
呂鵬は、手箱から書状を取り出すと、岑瞬に差し出した。
「岑職様、皇太后様に最後まで仕える者も、必要だと、王正殿に頼まれまして。王正殿は、出家なさるそうです」
「出家だと?」
岑瞬は、さらっと書状に目を通す。確かに興魏や他の死んだ将を
カナン平原においては、出家という行為はあまり一般的ではなかったが、西京周辺には比較的、寺院が多かった。王正も、信者だったのだろう。
岑瞬は、呂鵬に目をやると、
「それで、西京に行くと」
「はい」
呂鵬は、岑瞬をしっかりと見返すと、力強く答えた。
「余が、そのうち討伐するかも、しれんぞ」
「それも運命です」
「そうか、好きにしろ」
そう言うと、呂鵬に背を向け、歩き始めた。呂鵬は、その背に話しかける。
「ありがとうございます。それと、我が軍の将兵は、岑瞬様に仕えるそうです。よろしくおねがいします」
「そうか」
岑瞬は、呂鵬の優秀な将が、残ってくれる事に、少し喜んだのだった。
呂鵬には、断られたが、塔南、斤舷、そして、行方不明になっていた至霊も戻り、臣下になる事を約束したのだった。そして、若き将や、優秀な将も、頭角を現していくことになる。
龍会から、急ぎやってきた。禅厳によって、軍制改革が行われた。
4万の兵を率いる、近衛禁軍将軍に、塔南が残ったものの、他の近衛将軍は、廃止。
代わって、東西南北の拠点には、
近衛将軍から外された、至霊と斤舷だったが、上将軍としてそのまま配下を率い、独立遊軍として、扱われる事になった。
大将軍三人は、俸給が増え、官位が上げられ、さらに配下として上将軍がつけられる事になった。
凱炎の下には二人、これで兵数では趙武と互角の将となった。そして、その将は、と言うと、一人は、凱炎の長男、
続いて、条朱の下には、秀峰の配下で、智将として、見事に立ち回ってみせた、
こうして、着々と、岑瞬の支配体制が固まっていったのだが、岑瞬は、即位式を前に
「凱炎。趙武はどうしたのだ?」
「相変わらずのようですな〜。のらりくらりと。ハハハハ!」
「笑い事ではない! 何故、臣下の礼をとらない。余が、大岑帝国の皇帝だぞ!」
「これは、申し訳ありません。早速、使者を送ります」
「そうか。だが、即位式までだぞ。出席しないのなら、余にも考えがある」
そう、皇位継承戦争が、一応の結末をみたのだが、肝心の趙武は、何をしているのだろうか?
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