(捌)

 呂鵬軍は、街道を西へと進んでいた。味方と合流し、撤退する為に。だが、先は、とても長かった。呂鵬は、背後を振り返る。どうやら追撃は無いようだ。それが、救いだった。



 だが、呂鵬は、自分の軍の惨憺さんたんたる有り様を見た。脱出、出来たのは、およそ3万。元々は、10万だったので、3割程だった。それに、無傷な兵はいない。完敗だった。将も、蒙闘に、そして、安崑。安崑の死は、生き残った第四軍、千人に満たない生き残りが、教えてくれたのだった。


「我が第四軍は、必死に戦ったのですが、衆寡しゅうかてきせず、追いつめられ、安崑将軍は、我らに、呂鵬様に謝罪の言葉を伝えるよう、言われ、討ち死にされました。ぐっ、ぐぐう〜」


 生き残りの、指揮官が最後泣き崩れる。


「いや、お主達の奮戦で、我が軍は、背後から襲撃されずに、無事、脱出が出来たのだ。ありがとう」


 呂鵬は、今回の戦いを思い出す。奇襲のつもりだったのだが、完全に読まれていた、もしくは、動きを把握されていたのか。上手くいかないものだ。後悔の念だけが心を支配する。


 呂鵬は、敗戦の重み、何より失った将兵への申し訳なさで、心が潰れそうだった。しかし、それは、逆に失った将兵に失礼だと、歴戦の大将軍である呂鵬は分かっていたので、周りには見せ無かった。ただ、心の中、手を合わせて祈るのみにしていた。


 昼間走り続け、夜となる。だが、天幕や糧食も無い、全て船と共に燃えた。呂鵬は、適当な草むらを見つけ横になる。戦い続け、走り続け、流石の呂鵬も、疲れきっていた。横たわると、静かに寝息をたて始めた。起きて警備に当たる、兵士達に心の中で謝りながら。



 翌日起きると再び、西へと逃亡する。負傷兵を先に逃し、比較的、元気な者を集め、殿しんがりとしていた。さらに、呂鵬、自ら殿軍の指揮をとろうとしたのだが、断られ、冒傅がとっていた。



 先の見えない逃避行ではあったが、明るい兆しも見えてきた。


 呂鵬軍が、休んでいると、近くの街の住民達に、食糧を分けて貰えるよう頼みに行った、裨将軍、陳永が戻ってくる。


「おお、陳永ご苦労だった。少しは、分けて貰えたか? もし、分けて貰えているなら、負傷兵に優先して分け与えてくれ」


 すると、陳永は、何やら様子がおかしい。何やら言いにくそうにしている。そうか、貰えなかったか。しょうがないではないか、ここは敵地、陳永のせいでは無い。


「気にするな陳永。しょうがないではないか。貰えなかったのなら、水でもいっぱい飲んで腹を誤魔化すとしよう。この地は豊かだ、川の水と馬の餌となる草だけはいっぱいあるからな〜」


 すると、陳永は、


「いえ、そうでは無く」


 そう言いながら、後ろを振り返る。するとそこには、山のような荷物を積んだ荷車が列をなしていた。


「何なのだ、あれは?」


「街の有志からの、贈り物だそうです。かつて呂鵬様からは、恩を受けた、そのお返しだそうです」


「だが、有志とは言え、もし岑瞬に伝われば……」


「そう言ったのですが、同じ大岑帝国のたみ。何も間違った事は、していない、だそうです」


「そうか。それならば。では、有難く頂こう。陳永、食事の準備だ」


「はっ」



 こうして、呂鵬軍は、一日半ぶりに食事をとることが出来た。あわひえ、麦、それに米が混ぜられたお粥にあんがかけれた、簡素なものであったが、空腹だった腹も、人の暖かさと共に満たされていった。



 この後も、呂鵬軍は、街々で歓待を受けた。中には、街の防衛指揮官、自ら、街に招き入れ、歓待しようとする街もあったが、呂鵬は、丁重に断り、郊外に野営した。


 こうして、呂鵬軍は、敗戦の痛手から、どうにか立ち直り、それと共に、呂鵬軍の置かれている状況も分かってきた。



「そうか、ご苦労だった」


「はっ」


 呂鵬は、斥候せっこうからの、報告を聞くと、息を吐き、上を見上げた。そこには、ただ青い空があった。


「どうやら、逃して貰っているようだな」


 呂鵬は、呟く。斥候の報告によると、10(約5km)程、後方に如親王国軍が、距離を保ってついてきているようだった。さらに、その数は、徐々に増えているとの事だ。その数、約20万。攻撃されたらひとたまりもない。



 如親王国の狙いは、何だ? 我が軍の殲滅ではない。だったら、さっさと近づいてきて、攻撃するだろう。では、凱炎達と、合流して、興魏達への攻撃? それも、違う。だったら、負傷兵がいて、撤退速度の遅い呂鵬軍を無視して、直接行けば良いのだ。だったら、何が狙いだ? 呂鵬は考える。そして、結論みたいなものを導き出した。


 まあ、結局は、興魏達への攻撃が目的だろう。だが、直接向かえば、大軍に攻撃されるをおかさぬ為に、撤退するかもしれない。だが、呂鵬軍が合流する時に、攻撃を仕掛ければ、呂鵬軍の撤退を手助けする為に、軍は展開して、退路の確保をするだろう。そこへ、如親王国軍が、攻撃を仕掛ける。そうすれば、興魏達に痛手を負わせる事が出来る。


 呂鵬は、敗北を知らせる早馬を出していたが、もう一度、如親王国軍が近づいている事を記し、早馬を出した。





「何? 負けただと、何故だ?」


 興魏は、勢いよく床几から立ち上がったものの、呂鵬からの早馬での報告を受け、茫然ぼうぜんとした。


「はい、如親王国軍の強襲を受けまして」


「如親王国だと? 賊軍に援軍を送ったというのか、何故だ?」


「えっ、それは、分かりかねますが……」


 興魏は、信じられない敗北を理解出来ないでいた。なぜ負けた? なぜ如親王国が? 呂鵬の必勝の策ではなかったのか? なぜ? なぜ? なぜ?


 興魏は、とりあえず言葉を絞り出す。


「分かった。ご苦労だった」


「はっ、失礼致します」


 そう言って、天幕から使者が、出ていくと、興魏は床几に座りこんだ。負けた。勝たねば意味が無いではないか。この戦い。勝って、唯一絶対の皇帝に岑職が成らなければならないのだ。それを邪魔しおって。岑瞬、如親王国、そして、呂鵬めも


 興魏の心は、今度は怒りに支配された。だが、ここからの逆転は不可能に思われた。だったら、こんな戦い……。そして、


「おい! 王正達を呼び出せ!」


「はっ、ただ今!」



 興魏は、王正、秀亮、至霊、斤舷、秀峰、参興を呼び出した。そして、


「呂鵬は、龍会で、如親王国の強襲を受けて負けたそうだ」


「なっ、呂鵬殿が?」


 至霊が、驚きの声を上げる。


「ああ。呂鵬、自身からの連絡だ。正確だろう」


 興魏が、嫌味いやみも込めて言う。そして、皆を、見回し、


「呂鵬が負けた以上、こちらの戦いも無益。撤退する」


 すると、すぐさま至霊が口を挟む。


「お待ち下さい。それでは呂鵬殿が、敵中で孤立してしまう」


「しょうがないではないか。負けたのだ。それも、覚悟の上だろう」


 興魏の冷たい言葉に、至霊は、食い下がる。


「だが、呂鵬殿は、決死の覚悟で行ったのは確かだが、それは、我が軍の勝利の為だ。それを見捨てるなどと、俺は、出来ん」


「だったら、至霊殿は、残られると良いだろう」


 興魏が冷たく言い放つが、斤舷が


「なら、私も残る」


 続いて、王正も


「至霊殿、斤舷殿が残るなら、自分も残る」


 と、宣言する。そして、秀峰は、


「戦いは、終わりか?」


「ああ、そうだ。これで、帰って……」


 秀亮が何か言いかけるが、秀峰は、


「俺は、もっと凱炎と殺りあいてえ」


「だそうです」


 と、秀亮。参興は、


「興魏様は、撤退されますか?」


 自分は、撤退するから、一緒にと、言う口調だったが、興魏は、


「ふん、勝手にしろ!」


 そう言い残して、床几にゴロリと横たわる。


 これ以後、興魏は、誰にも会おうとせず、この事は、呂鵬に幸運をもたらす事となった。


 呂鵬からの、次の早馬で、如親王国の動きから予測される興魏達への、攻撃を考慮して、興魏達の早期撤退を注進した伝言は、興魏に伝わらず。なので、興魏達は、そのまま、布陣し続けていた。



 戦いも、呂鵬の敗北を知って、興魏軍が、積極的に動かなくなった事に加え、凱炎達も、静観していた為、戦いらしい戦いは無かった。唯一、秀峰が、凱炎に突っ掛かり、適当にあしらわれるくらいであった。



 しかし、呂鵬の敗北から10日あまりが過ぎ、呂鵬軍が、地平線に現れると、事態は慌ただしく動き出した。





「報告致します。呂鵬軍、およそ3万、ここより東、約10里(約5km)にいます。ですが、その後方、約1里(約500m)に、如親王国軍約20万が追撃しております」


「何!」


 斥候からの報告は、各将、王正、秀亮、至霊、斤舷、秀峰、参興、そして、興魏に伝わっていた。すると、いち早く至霊が動く。


「呂鵬軍を助ける! 続け!」


 至霊軍は、呂鵬軍と如親王国軍の間に割り込むように動くと、如親王国軍の動きを、止める為に、攻撃を開始した。しかし、僅か4万、逆に押し包まれそうになった。そこに、やや遅れて斤舷軍、4万も突っ込み、そして、呂鵬軍も、反転迎撃し、なんとか如親王国軍を押し止める。


 しかし、これでも数は、12万対、20万。さらに、呂鵬軍は負傷兵も多い。じりじりと、押され被害が増えていく。特に、呂鵬軍をかばうように動く、至霊軍の損害は大きく。損害は、至霊軍の2割ほどになろうとしていた。



 これを見て、王正軍が、動こうとするが、それは、前方に展開していた。条朱軍に阻止され、両軍の戦いは、今までで、一番激しい戦いへと、発展していった。



 その状態で、参興軍は、興魏を連れて安全圏へと逃げ出した。呂鵬軍を、救う為に、皆が必死で戦う中でのこの動き。これで、各将は、興魏にさらに失望する事になった。



 徐々に押されていく、呂鵬、至霊、斤舷の三軍。何とかすきを突いて、反転離脱したかったが、それも出来ず。じりじりと時間は、過ぎていき、被害のみが増える。



 だが、その時だった。凱炎に相手にされていなかった、秀峰は、如親王国の中で、一際ひときわ、暴れまわる男を見つけ、その男に勝負を挑む為に、単騎、如親王国軍に突っ込んだ。慌てて、秀峰軍が続く。



 如親王国軍は、呂鵬、至霊、斤舷、三軍に集中しており、完全な不意討ちとなった。秀峰軍が、如親王国右翼後方から突入、前方中央まで、切り裂く形になった。この機会を逃す、三軍では無く。混乱の起きた如親王国軍に、力を振り絞り攻撃すると、反転し、急速に離脱した。


 秀峰軍も、師越に挑もうとした秀峰を取り囲むと、軍の前方中央部にいた、師越の脇をすり抜け、そのままの勢いで、離脱していった。如親王国軍は、慌てて態勢を立て直し、追撃を仕掛けようとするが、今度は、秀峰軍をかばうように動いた秀亮軍に、阻止され、動きを止めた。


 そのまま、秀亮軍を殿として、王正軍も撤退を開始し、興魏軍は、全軍撤退する事に成功した。しかし、最後、凱炎軍が、まるっきり動かなかった事により、秀峰、秀亮軍の動きが自由になった事を、一応書いておこう。



 こうして、皇位継承戦争と呼ばれた戦いの初戦は、岑職側の大敗で終わった。岑職側の損害が10万を越えたのに対し、岑瞬、如親王国軍側の損害は、負傷者含め2万に達しなかったと言う。

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