(漆)

 呂鵬が、その光景を見て驚く。


「海が燃えている」


 見ると、辺り一面の海が燃えていて、さらにその火が船に燃え移って、火はどんどん大きくなっていった。


 第四軍は、まだ下船途中だったのか。船上を逃げ惑う兵士が、多数見えた。そして、いよいよ逃げ場を失うと、海に飛び込んだり、桟橋に直接飛び降りたり。海に飛び込んだ者達は、鎧の重さで、そのまま海に消える者や、火に包まれる者、なんとか泳いで桟橋や、港に泳ぎ着き、上陸する者もいた。だが、その体は、黒く汚れていた。


「油か」


 呂鵬は、ようやく海が燃えている理由を理解した。海一面に油がかれ、それが燃えてるのだ。そして、その酸化した油で、兵士は黒く汚れているのだと。



 一面の火の海に照らされ、港では、第四軍と、突然現れた、緑の鎧をまとった如親王国軍の兵士とが激しく戦っていた。最初見始めた頃には、数は互角であったのだが。如親王国の兵士は、続々と増えていった。



 火の壁の中から蒙衝もうしょうと、呼ばれる小型の揚陸艇が現れ、次々と桟橋に乗り上げる。すると、中から如親王国の兵士が現れる。その蒙衝は、火の海の中を走り抜けるのだが、引火しない、おそらく何かしらの加工がなされているのだろう。



 呂鵬が、戦いの趨勢すうせいを見ていると、第四軍の将、安崑アンコンが駆け寄ってくる。



「呂鵬様。ここはお任せください。呂鵬様は、全軍を指揮して、龍会を攻略ください」


 確かに、如親王国の援軍が、ここにいるだけだったら、可能だが。そんなに甘くは無いだろう。呂鵬は、何か言いかけて止めると、言葉を絞り出した。


「分かった。ここは任せた。安崑、後で会おう。死ぬなよ」


「はっ、畏まりました!」



 そう言うと、安崑は、馬首を返し、戦いへと戻る。そして、呂鵬も、馬首を返し、街中へと戻っていった。


「死ぬのではないぞ、安崑」





 呂鵬が戻ると、そこもすでに戦場となっていた。建物の屋根には、弓兵がを持って立ち、雨のように矢を降らせていた。こちらも、淳建の指揮のもと、歩兵が盾を上に掲げ、攻撃を防ぎつつ、弓兵が弩で、反撃を試みていた。しかし、分が悪い。呂鵬は決断する。



 呂鵬は、ちゃんと伝わる事を祈りつつ、伝令を呼ぶ。


「第一軍、第二軍に伝えてください。攻撃は中止、南西の門より脱出、撤退します。第一軍、第二軍は、合流を目指してくださいと」


「はっ」


 伝令が馬を飛ばし、道の奥に消えると、呂鵬は、淳建、陳永に合流し、第三軍に指示を出す。


「我が軍は、合流しつつ最も近い、南西の門より撤退する。続け!」


「お〜!」


 こうして、呂鵬軍の撤退戦は、始まった。



 呂鵬の目の前には、道を埋め尽くす歩兵の壁が見えた。道の両脇の建物の上には弓兵。絶望的な状況だが、突破を開始する。


 この時、如親王国軍は、港に5万。さらに、街中に岑瞬の兵を含めて、20万が展開していた。呂鵬軍は10万。龍会の民を、全て避難させた上で、龍会の街中を、戦場とした耀勝の大胆な策であった。




 呂鵬軍は、騎兵を前方に持ってきて、歩兵の壁に突入する。騎兵は敵を倒す事よりも、前へ前へと、進む事を優先させる。文字通り、斬って捨てながら、人の波をかき分け進む。その後を、弓兵を取り囲んだ、歩兵が続く。


 歩兵で、盾を持っている者達は、上に掲げ出来るだけの矢を防いでいたが、完璧ではなく、弓兵も走りながら頭上の敵に反撃するものの、あまり効果は無かった。それでも、呂鵬軍は、前へ前へと進んだ。



 第三軍は、ようやく一つの壁を突破し、十字路に入る。すると、今度は左右から、騎兵による突撃を受ける。呂鵬軍は、げきを構えた歩兵が、敵騎兵の動きを封じ、味方の騎兵が駆け回り敵を粉砕、追い払う。見事な連携をみせる、しかし、進む度に確実に数を減らす呂鵬、第三軍。


 呂鵬ですら本当に突破出来るか、不安を覚える。だが、如親王国の将達が、直接立ち塞がらないのが救いだった。



 三つか、四つ目の歩兵の壁を突破した頃、左右からの騎兵の突撃が途絶えた。見ると、左右の道を走る、友軍の姿が見えた。ようやく合流出来たようだ。それと共に、左右の軍から伝令が戻ってくる。


「第一軍、合流致しました!」


「そうですか。ご苦労さまでした」


「はっ!」


「第二軍、合流致しました! ですが、蒙闘将軍、討ち死に! 現在は、冒傅裨将軍が指揮をとっておられます!」


「そうですか、蒙闘が……。ご苦労さまでした!」


「はっ!」


 蒙闘が討ち死に。歴戦の勇将でも、どうしようも無かったのだろう。呂鵬は、心の中で冥福を祈った。


 だが、これで合流は果たした。後は、第四軍だが、おそらくは……。止めよう。


 これで、左右からの、騎兵の突撃は無くなった。だが、それは、第一軍、第二軍がそれぞれ片側からだが、攻撃を受けていると言う事だった。だが、慶泉、冒傅は、呂鵬軍の中でも傑出した将だった。上手く凌いでくれるだろうと。



 呂鵬は、目の前の歩兵の壁を見る。我が軍も集結したが、それは敵も同じ事、これで、敵も、ここに攻撃を集中出来る。歩兵の壁はより厚く、矢の雨はより激しさを増すだろう。騎兵の数を増やした突撃は、左右の軍をも突破するかもしれない。呂鵬は、さらに、気合を入れると、全軍に号令をかける。


「第一軍、第二軍も合流した。第四軍もいずれ、追いついてくる。さあ、もうすぐ南西門だ。後、ひと頑張りです。行くぞ!」


「お〜!」


 呂鵬軍は、南西門に向かって突破を再開した。だが、如親王国軍は、兵を集める事はしなかったようだった。





「ほ〜。南西門に向けて最短距離を進んでますか。良将ですね。流石、呂鵬大将軍ってところですかね」


 ここは、龍会の沖合に浮かぶ、如親王国自慢の最新高速船の中であった。そこには、如親王国大将軍、耀勝と、その副官、壬嵐ミランの姿があった。壬嵐は、金髪の長髪をかきあげながら、金眼の目を、耀勝へと向ける。すらっとした長身で、もう良い年齢だが美少年にも見える、中性的な、顔をしていた。



 耀勝は、龍会の地図を見ていた。龍会は、やや上に長い楕円形をしていた。卵型と言うのだろうか? そして、南東に港があり、そこがやや欠けているような形になっている。門は、北、西、南西にあり、港からだと、南西門が最も近い。呂鵬は、その最も近い南西門に向かったそうだった。


「何故、南西門に向かうと良将なのですか?」


 と、壬嵐が訊ねる。


「それは、目先の事象にとらわれず、冷静に道を選んだからですよ。実は、見ただけだと、北や、西に進む道の兵は、凄く少なく見えるのですよ。実際少なくしておきましたし。ですが、北や、西に向かっていた軍まで呼び戻して、南西門に向かっている。ね、良将でしょ?」


「はあ」


 壬嵐は、たまたまではとも思ったが、あえて言わなかった。だが、実際は、呂鵬は見た上で、これだけの策を行う人間が、兵の少ない道を作るのはかえっておかしいと、冷静に判断して向かっていた。


「で、北や、西に向かっていたらどうなっていたのですか?」


「それは、分かりきった事でしょ。逃げ道の無い、大軍に囲まれて終わりです。特に北門には、師越を配して、起きましたしね」


「それは、完全に終わりですね。では、他の将軍はどこに?」


「さあ? 城壁の上から、呑気に見物しているんじゃないんですか? まあ、愚将だったら、殺しに向かったかもしれませんがね。ですが、良将なら逃げ延びて頂かないと、何せ、大岑帝国の混乱は長引いて貰った方が良いですからね。ふふふふ」


 船の中に、耀勝の笑いが響く。





 その頃、呂鵬軍はようやく門が、見える所まで来ていた。


「あと一息だ〜。頑張れ〜。続け〜」


 呂鵬自身も、剣を振るって戦う。剣を敵兵に叩きつけるように振るい、相手を潰していった。


 そして、遂に城門に辿り着く。城門には、かんぬきがされていたが、兵達が、取り付き外す。そして、ゆっくりと内側に向かって城門が開く。


「よし」


 そう思って、何気なく、城門の上の城樓を見上げると、二人の男が、こちらを見ていた。戦い続け、火照った背中に冷や汗が流れる。呂鵬は、慌てて再度、気を引き締めた。



 二人の男。一人は、如何いかにも、武人然ぶじんぜんとした、背の高い引き締まった顔をした、白髪の老将だった。がっしりとした体格の落ち着いた風貌の男。


 対してもう一人は、老将よりはだいぶ若い金髪金眼の大男だった。まあ、凱炎等から見るとだいぶ小さいのだが。呂鵬よりは大きい。筋肉質の両腕を組んで、ニヤけた顔を向けられると、不思議な威圧感があった。



 呂鵬は、二人を見ながら馬を飛ばして城門を潜り、外へと向かう。だが、二人に動く様子は無かった。


 そのまま、呂鵬は、城外へと出た。だが、まだまだ安全では無い。出来るだけ遠くに逃げないと。第一軍、第二軍が、城門を確保し、第三軍は、走って城門を走り抜ける。そして、第一軍、第二軍も、逃げて来る者がいなくなると、城門を放棄し、龍会を離れ、駆け始めた。





 二人の男の視界から、呂鵬軍の姿が完全に消えた。


穂蘭ホラン。わしは、耀勝様に報告に行ってくる。呂鵬軍、約3万程が、龍会からの脱出に成功したとな。だから、穂蘭、お前は……」


「はいはい。分かってるよ、じいさん。呂鵬軍の追跡だろ。大丈夫だよ。逃さぬよう、捕らえぬよう」


「わしは、じいさんでは無い! 輝沙キシャと言う名があるのだ! それに老人でも無い」


「ハハハハ、ごめん、ごめん、じいさん」


「こやつは」



 耀勝、配下の二人は、年齢は一番上と一番下、性格もまるで違う二人だったが、妙に気の合う二人だった。亡国の老練な用兵家、輝沙と、優れた統率力を持つ、戦いの天才、穂蘭。二人の姿は、いつの間にか城樓から消えていた。





 一方、北門では、


「う〜ん残念! こっちには来なかったですか。残念ですね、師越さん」


「ああ」


 黒髪の童顔の男が、残念そうに呟く。男は、城樓の上から、城門の周囲を取り囲むように作られた、防衛施設を見渡す。入口は一か所だけ、周囲から矢の雨が振り、城門から早く脱出しないと終わり。


 この男は、これだけで無く、道を所々塞ぎ、迷路のようにした上で、このような防衛施設を数カ所で作り上げていた。迷い込んだら終わり、死の迷宮。さらに、仕上げは、闘神とうしん、師越。



 男の名は、泯桂ミンケイ。耀勝の実家の商家の勤め人だったが、独特の能力を買われ、そのまま耀勝の配下の将となった男。


「あなたの頭脳を使った、ネチネチとした嫌らしさ、意外と軍人向きかもしれませんね〜」


「そうですか〜、ありがとうございます」


 耀勝と泯桂の不思議な、会話の後、如親王国の将となった、泯桂だった。



「せっかく作ったのですがね〜。使いませんでしたね〜。師越さんも、戦えなくて残念でしたね」


「ああ」


「ちゃんと、話聞いてます?」


「ああ。行ってくる」


 そう言うと、師越は、城樓から飛び降り、馬に乗り走り去った。



「まあ、いいや。それより、僕は片付けだね」


 師越は、呂鵬軍を追って城外へ出て、泯桂は、兵士を使って片付け始めた。こちらは、気の合いそうに無い二人だった。

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