第伍幕 皇位継承戦争編

(弌)

 岑瞬シンシュン大京だいきょうを立ち退き、興魏コウギは、上機嫌であった。


「何だ。簡単な事ではないか。最初からこうすれば、良かったのだ。さて、次は……」



 この後、興魏はさらなる愚行ぐこうを行う。



 興魏は、宮殿を占拠した近衛西方軍の兵士に直接命令を下す。



「ご苦労だった」


「はっ。ですが、よろしいのですか? 我々の関係は内密にと」


「もう良いのだ。邪魔者は、居なくなった」


「ならば、良いのですが。そう言えば、逃げ遅れた者を捕らえたのですが、いかがしましょう?」


「逃げ遅れた者……。そうだな、岑瞬なぞに味方したらどうなるか、教えてやるか。行くぞ」


「はっ。どこへ、行かれますので?」


「宮殿の外だ。付いて来い。ああ、捕らえた者も連れて来い」


「はっ、畏まりました」



 興魏は、近衛西方軍の兵士達を連れて、宮殿の廊下を外に向かって歩く。そして、外へ。



 すると、衛士えいし達が取り囲む。近衛西方軍の兵士に剣を向け、今にも斬りかかろうと身構える。



無礼者ぶれいもの!」


 興魏が、叫びつつ、近衛西方軍の兵士を押し退けて、前へ出る。突然の興魏の登場に衛士達は、困惑する。


「無礼者と言われましても、この者共は……」


 衛士達が、何か言いかけるが、それをさえぎって、興魏が、


「この者共は、味方だ。近衛西方軍の兵士達でな、邪魔者を排除するのに、協力してもらったのだ」


「はあ」


 興魏の言葉を、素直に納得出来ない衛士達は、曖昧あいまいな返答をする。それは、そうであろう。突然現れ、宮殿に人質をとって立てもった連中を、味方等と言われても。


 それに、戦いの中、衛士達の方が優勢であったとはいえ、少なからず衛士達にも被害があったのだ。納得出来るわけがなかった。


 それでも、大岑帝国だいしんていこく大将軍のめいである。どうする事も出来なかった。



 すると、いつまでも動かない衛士達に苛立いらだち、興魏は、衛尉えいいである岳陵ガクリョウを呼ぶ。


「ええい、岳陵はらんのか、岳陵!」


 すると、衛士達の後方にいた、岳陵が慌てて、飛び出してくる。


「は、はい、ここに」


「おお、岳陵。この者たちを下げさせよ。通れんのでな」


「は、はい、畏まりました。おい、解散だ」


 すると、周囲の、衛士が聞き返す。


「は? 解散ですか?」


「そうだ、解散だ」


「そうですか。わかりました」


 衛士達は、不承不承ふしょうぶしょう囲みを解く。だが、解散はすることなく、道だけを開ける。



 興魏は、それを気にする事なく、進み始めた。後には、近衛西方軍の兵士達が、続く。すると、興魏に、岳陵が近づき訊ねる。


「興魏様は、どちらに行かれるので?」


「皇宮前の、広場だ」


「はあ」



 皇宮前の広場とは、大京の、南第一門から皇宮の正門に向かって延びる大通り、その皇宮の正門前を、そう呼んでいるのだ。何か、公式の発表や、最近は行われていないが、公開処刑等も行われた事があった。


 ちなみに、真柏シンハクの首がさらされたのも、この広場の一角だった。



「そこで、何を?」


 岳陵の疑問に、興魏は、顎で後方を指す。岳陵がそちらを見ると、近衛西方軍の兵士によって、二人の文官が引き立てられて来るところだった。岳陵が訊ねる。



「彼らは?」


「ふん、岑瞬なぞを、支持した馬鹿どもだ」


「えっ!」


 流石に岳陵は、驚き二人の文官を見る。確か儀式ぎしき祭祀さいし統括とうかつする、太常府たいじょうふに所属し、こよみの作成を担当する、太史令たいしれい陶庵トウアンと、裁判を取り仕切る、廷尉府ていいふに所属する属官の、廷尉監ていいかん玩仁ガンジンだった。



 上位の方と言えば上位の方の官吏かんりだが、影響力のある程の上位でも無い。おそらく、さらに上位の高官か、知り合いに言われて、岑瞬の支持を表明したのだろう。



 そして、戦いの中に身を置いた事の無い、この二人は、凱炎ガイエン条朱ジョウシュが暴れ回り血路けつろを開いた、岑瞬派の脱出の際、足がすくんで動けず、部屋の隅に隠れていたが、見つかって捕まったのであった。



「ど、どうか、お助けを」


「わ、私は、何も」


 声は震え、蚊の鳴くような声で懇願するが、


「ふん。あのような男に味方したお前らがいかんのだ」


「それは、あまりにも……」


 岳陵ですら、呆れるような行動をみせる、興魏。


「何だと?」


「いえ、何も」





 銅鑼どらの音が、大京の街の中に鳴り響く。騒ぎがおさまり、恐る恐る家の外に出てきた、大京の民の耳にも届く。その音は、皇宮前の、広場で何かが行われる合図の音であった。それを聞き、一部の民は、皇宮前の、広場に歩み始めた。



 広場には、ひざまずかされた二人の男と、周囲に並ぶ近衛西方軍の兵士達、そして、跪く二人の男の横に得意気とくいげに立つ、興魏がいた。その背後には、落ち着かない様子の岳陵。



 集まった見物客の中には、宮殿より先に追い出されていた、呂鵬ロホウ王正オウセイ。それに塔南トウナンも集まってきていた。



 興魏は、集まった人々を見て満足気に話し始める。



「良く集まってくれた。さて、ここにいる二人の男だが、愚かにも、あの岑瞬等と言う男を皇帝に推し、簒奪さんだつを図ったのだ。まあ、簒奪には失敗し、岑瞬はこの大京を捨て、落ち延びていった」


 そこで、興魏は話を一旦切り、周囲を見回す。ハハハ、良いぞ、良いぞ。皆が注目しておる。



「この二人は、逃亡に失敗し、捕らえられたのだ。岑瞬に味方し、簒奪を企てた者たちだ、その罪、許し難い、よって斬首に処す。おい、殺れ」



 その時、周囲の見物客の中で、塔南が、剣に手をかけ、前に進み出ようとしていた。その動きを、呂鵬が止める。


「なぜ、止めるのですか! あんな事」


 呂鵬は、静かに呟く。


「確かに、許せません。だが、塔南君。君まで死ぬ事は無い」


 そして、力強い目で、興魏を睨み。


「いずれ報いは、受けますよ」



 塔南は、唇を噛み締め、下を向く。塔南は、禁軍の兵士達を連れて来なかった事を後悔していた。



 しかし、呂鵬は、たとえ呂鵬を殺せても、塔南が、興魏殺害容疑で、罪に問われるのを、もったいないと思っていた。あのようなくだらない男を殺して、罪に問われる事もないと。



 そして、それは行われた。近衛西方軍の兵士二人が、両側から腕をひねり上げ、頭を下げさせる。さらにもう一人の兵士が、剣を振り上げる。広場のあちらこちらで、悲鳴が起こる。そして、剣が振り下ろされる。



「ザシュッ!」


 だが、首を斬る事に慣れていないだろう、兵士達は、只々苦痛のみを与え、残酷な惨状を作り出す。それでも、西方軍の兵士達は、血まみれになりながら、首を斬り落とすと、その首を掲げる。斬首された男達の顔は、苦悶の表情で、満ち溢れていた。



「首は、晒しておけ!」


 興魏はこう言い残すと、宮殿の中に、消えていった。



 この時代、大罪人の処刑や、敵将の公開処刑等と、比較的見慣れている、民達であったが、ここまで残酷な処刑は、始めてだった。大京の民達は、興魏に嫌悪感を抱いた。





 広場の片隅、晒された首の前に三人の男が立っていた。それは、呂鵬、塔南、そして、王正だった。



 塔南が呟く。


「何とむごい事を」


「そうですね。あれが、大岑帝国の大将軍とは」


 と、呂鵬。


「本当です。昔は、あんな事する方じゃ、無かったんですが。いや、昔じゃ無いですね。少し前は、ですか」


 と、王正。興魏の腹心として、興魏によって引き立てられて出世した男だったが、今の、興魏には、同調出来なかった。



「だが、わたくしは、この大京の平和を守るのみです」


 塔南は、そう言って、首に向かって手を合わせると、身をひるがえして去っていった。



「それでも、俺はあの方に付いて行くしか道が無いんです」


 王正は、同じく手を合わせると、去っていった。


 そして、呂鵬は、首に向かって話しかける。


「あの男も、いつかこの報いは受けるだろう。だから、安らかに眠ってくれ。我らが、大岑帝国を正しい道に導く」


 そして、懐から白い布を取り出すと、晒された首の目を閉じさせ、白い布を上から掛けて、手を合わせた。





 それから数日後、岑英シンエイの死からすでに三十六日以上が過ぎ、喪は明けていたので、興魏は、岑職シンショクの即位式を行う事にした。



 岑職を抱え、玉座への階段を昇る。岑職は、腕の中で暴れるが、戦いの中で生き、年齢は重ねたが、まだまだ武人としては、衰えていない興魏にとって、何の事は、無かった。



 興魏は、玉座より平伏している者たちを見る。良い眺めだった。



 ここに、皇太后こうたいごうとなった皇妃はいない。因みに、皇帝となった岑職の母親なので、皇太后と呼ばれるようになったのだった。岑瞬が即位していれば、武帝皇后ぶていこうごうと呼ばれる予定だった。



「勝手になさってください!」


 そう言って、皇妃は、後宮に閉じ籠もってしまった。


「娘も、いずれ、わかる時が来る」


 興魏は、そう思っていた。



 興魏は、政務、軍務両方を皇帝に成り代わり行う為に、自らを相国しょうこくとしていた。そして、興魏が相国となり、空いた大将軍の地位には、元近衛西方将軍の秀亮シュウリョウを。そして、空いた近衛西方将軍の地位には。



「秀亮。貴様を大将軍に任ずる」


「ははあ〜。有難き幸せ」


「でだ、近衛西方将軍だが、配下の者で適任な人物はいないか?」


「そうですな〜。おりませんな。使える人間は」


「そうか」


 興魏は、考え込んだ。誰が良いのだろうか? 秀亮のように役立ってくれる人物が良いが。


 すると、秀亮が、思いついたように、声を発する。


「そうでした! 良い男がいました。我がいとこの秀峰シュウホウです」


「ほお〜、どんな男だ?」


「強いです。それに私の言う事を、よく聞きます」


「そうか、それは良い」



 興魏は、始めて秀峰に会った時の事を思い出す。体格は、秀亮よりも一回り以上大きく、髪はざんばらで長く、顔は人殺ししそうな顔だった。



 現にこの秀峰。元々は大岑帝国の将軍であったが、部下が失敗する度に、殴り殺し、遂には職を解かれ、牢に入れられた罪人だった。


 しかし、岑英の死に伴う大赦たいしゃによって、牢から出され、そして、働き口を求め、秀亮を頼ってきたところだった。




 こうして、大将軍には、呂鵬、王正、秀亮。そして、近衛将軍として、塔南、至霊シレイ斤舷キンゲン、秀峰、参興サンコウ。文官は、丞相の野泉ヤセンがその職に留まり、空いた役職も数多く残った文官の中から、野泉が適任者を選んでいた。



「うむ、良い眺めだ」


 興魏は、玉座に座り、膝の上に岑職を座らせていた。興魏は、自分が、皇帝になったような感じになっていた。上機嫌の興魏。



 そして、いろいろと儀式が行われ、最後に、興魏は立ち上がり、右手を上げ、応える。その姿は、興魏が大岑帝国皇帝であるようだった。



「大岑帝国万歳!」


「皇帝陛下万歳!」





 即位式が終わり、呂鵬、至霊、斤舷等の将も、挨拶もそこそこに、それぞれの駐屯地に帰って行った。そして、


「王正。ご苦労だった。何かあった時は、また、頼むぞ」


 王正を見送る為に、興魏は大京の外まで、いつものように見送りにきていた。自分の腹心。興魏は、王正の事をそう思っていた。



「はあ、畏まりました。では」



 王正は、そう素っ気なく返事をすると、馬を走らせ消えていった。後ろを振り返る事も無かった。



「何なのだ、素っ気ない」



 興魏は、民の心や、将兵の心が自分から離れて行ってる事を感じ取れていなかった。

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