(什弌)

「何だと! 趙武殿が、大京から出て、江陽に戻ったと」


「ええ、そう報告がありました。近衛禁軍将軍の塔南殿から」


 皇妃が趙武の行動を話すと、興魏から、驚きの声が上がる。



 趙武の抜け出した翌日の会議に際して、皇妃より、趙武に関しての報告があった。この時になって、上級文官、武官達は、趙武の目的を知ったのだ。眠くて出て行ったわけでは無かったのだと。



「う〜む。それでは、斎真の暗殺は、あやつの所業という事も。それで、逃げたとか?」



 興魏は、自分の仕業なのではと言われている、斎真暗殺事件を無意識であったが、趙武の責任なのではと考えたかったようだった。しかし、


「それは、無い」


「それは、無いでしょう」


「それは、ありえませんわ」


 三方向から否定の声が上がる。凱炎は、趙武の事を良く知っているので、直感的に。呂鵬は、趙武の人となりを考慮した上で。皇妃は、斎真襲撃事件の顛末てんまつを聞いていたので。三人は顔を見合わせた後、皇妃が、話を続ける。



「斎真殿の暗殺未遂事件ですが、実行犯は、近衛西方軍の兵士であると、判明しました」


「何と!」


 驚きの声が上がる。これは、近衛西方軍が、というよりも、近衛兵が行ったという方にであったが。


「それで、近衛西方軍の将軍に確認したのですが、「知らん」だそうです。その後の正式な回答としては、一部兵士の暴走だと言う事です」


「近衛西方軍。秀亮か。ふん、どうだかな」


「同感ですね」


 凱炎は、秀亮の事を知っているのか、疑わしむ声を上げ、呂鵬も同意する。だが、興魏には、別の意味で心に残った。



 報告が終わったところで、呂鵬が声を上げる。


「さて、趙武君は、この結論の出ない会議を嫌って、降りたようですが、残った我々は、結論を出さないといけませんね。趙武君の期待に応えないといけませんから。さあ、始めましょうか」



 この時から、会議の潮目は変わった。お互いの批判から、妥協点を探る話し合いへと転換していったのだった。





「ついに、大京が見えてきましたね〜。いや〜、それにしても大きい」


 慈魏須文斗は、感嘆の声を上げる。



 趙武達の目には、まだ遠いが街道の先に大京の街が見えてきていた。


「そうだね」


 趙武は、別の事を考えつつ返事をする。すると、呂亜が、


「で、これからどう動くんだ?」


 と、訊ねる。すると、周囲に集まっていた将達が、勝手に発言する。


「あれだろ、まずは大京を攻め落とす」


 と至恩、


「皇宮に集まっている文官、武官は、皆殺しだ!」


 と雷厳、


「あれですね。岑職は、精神錯乱せいしんさくらん廃嫡はいちゃくして、岑瞬は、簒奪者さんだつしゃとして、処刑して、岑平さんを一時的に帝位につけ、その後、禅譲ぜんじょうという形が、良いですかね」


 と、龍雲、


「どうか、岑職の命だけは〜」


 と、岑平、


「姫が、皇妃ですか〜」


 と、慈魏須文斗、


「とすると、我々は大将軍に?」


 と、馬延、


「そうすると、丞相は、呂亜さんですかね。私は、御史太夫ってところでしょうか?」


 と、陵乾、


「私は、変わらず趙武様の御世話を、という事は、侍中でしょうか?」


 と、典張、


「お前ら、趙武が聞いてないからって、適当な事を」


 と、呂亜。



 會清は、東方諸国に潜入していなかったが、趙武の将、ほぼ全てが、発言した事になる。まあ、内容はともかく。



 すると、趙武は顔を上げて、周囲を見回し、応える。


「聞いてるよ。皇帝に成れか。陛下にもそう言われたけどね。でも……」


「でも?」


 趙武の発言に呂亜が聞き返す。


「考えたけど、面倒くさいな〜ってね。それに、龍雲! 発言が具体的過ぎて怖い!」


「えっ、駄目でした? すいません」


 趙武達に、笑いが起こる。趙武の軍は、明るい。趙武軍の、風通しは良好だった。





 趙武軍は、大京近郊に向かった。まずは、近衛西方軍を排除する為に、西方軍と対峙する。西方軍4万に対して、趙武軍20万。西方軍は、単独での交戦は無益と思い、近衛各軍に救援を求める。しかし、禁軍、東方軍、南方軍は、呼応せず。北方軍のみ呼応の動きを、見せる。しかし、二軍8万ではどうにもならないと、揃って近衛北方軍の本拠地方面へ、撤退する。



 それを見て、趙武軍は、さらに大京方面へ進むと、南河の河港かこうを占拠し、川止めを行っていた。近衛南方軍の排除に乗り出した。しかし、南方軍は、さっさと河港を捨て、やや東方に後退、あっさりと趙武軍は、南河の河港を確保する。



 趙武軍は、川止めによって、止まっていた大京の流通を再開させた。これで、ほとんど南河を使った流通が主であった、大京の流通が回復する。



 ただ、趙武軍も、南河河港での検査を徹底し、各軍への連絡は遮断していた。近衛軍、趙武軍だけでなく、他の軍も出てきてしまっては混乱が起きてしまうと考えた為であった。



 しかしながら、会議中の将達に、軍を動かす気は無かった。いや、無くなっていた。近衛軍だけだったら、どうにかなるかもしれなかったが、数々の戦いで、完勝を収める趙武軍を相手に戦いたくはなかったのだった。



 趙武軍が、大京近郊に展開すると、皇宮内にも情報が伝わり、話題にもなった。


「趙武君は、全軍を率いて、大京近郊に来たそうだ」


 と、呂鵬が、凱炎に話しかける。


「何だと! 近衛軍と戦っているのか?」


「いや、近衛西方軍を戦わずに排除して、その後、近衛南方軍が占拠していた、南河河港を開放して、その後は動かないそうだ。大京の流通も再開して、民は喜んでいる」


「そうか。秀亮は別にして、斤舷キンゲン殿がよく引いたな。あの真面目で、忠実な男が」


「まあ、それは、至霊シレイ殿が、何か言ったのではないか?」


「なるほどな。至霊殿か。恐いからな、ハハハハ」






「では、岑職が成人を迎えた暁には、再び、帝位について話し合う事で」


「ああ、それで、構わない」


「うむむ。そんな事、信じられるか」


「父上!」



 皇位継承に関する話し合いは、一ヶ月は経過していたが、何とか方向性がまとまってきていた。基本路線は、岑瞬が帝位に就き、岑職が成人した時に、再び帝位について話し合う。


 さらに、両派の融和をはかるために、辞める者以外は、役職の変更も行わない。と決められていった。



 これは、お互いの妥協点を探し合って、ようやく進んできた道のりだった。まあ、斎真が出した岑英の遺言書があったため、運命とはいえ、岑瞬派が優勢になり、それに合わせていった形だった。


 岑瞬派からは、廷黒と、紫丹が比較的積極的に、岑職派からは、呂鵬が比較的積極的に、お互いの派閥も含めて説得して結論を導いていった。



 そして、それに、皇妃、岑瞬、凱炎、条朱、禅厳、関直、何故か、王正も納得していき、ただ、興魏のみが、一人取り残されていた。



「何故だ、なぜ、我が孫は皇帝になれん。娘も娘だ。皇帝に成らないほうがあの子にとって幸せなどと。そんな事があるか! あの子は皇帝に成るために生まれてきたのだ。それ以外の幸せなど。それに、呂鵬も、関直も、王正までも、わたしを裏切りおって。許せん、許せん、許せん!」



 普段だったら、平静に、そして、冷徹に物事を判断していく老練な男だったが、徐々に追い詰められ、弱った心は、普段だったら思いつかない悪手を思いつく。



「そうだ。斎真暗殺に関わったのは、近衛西方軍の兵士だったな。秀亮か、奴を使ってみるか」



 興魏は、密かに秀亮と会う。大京内で会うと目立つので、大京の郊外に出掛けていった。


 案内された場所に入ると、大柄な男が平頭して待っていた。体は縦というよりは横に大きく、腕は丸太のように太い。ただ、太っている訳ではなく、所々で盛り上がる筋肉は、戦いの中で生きている男のものだった。


 興魏が前に立つと、そのやや禿げ始めた黒髪の頭を上げる。


「盗賊の親玉のようだ。このような男が近衛将軍とは」


 興魏は、心の中で思った。秀亮。家柄的には、名門の家系。そして、この男は、家柄だけで近衛西方将軍になったわけではなく。岑英のそばで戦い、数々の敵将を打ち倒して、この地位にある。まあ、気に入られていた訳ではなかったが。







「秀亮。斎真襲撃に、関わったそうだな」


「いえいえ、あれは、この国の行く末をうれう、一部兵士の暴走でして。わたくしは、何も」


「そうか。まあ、あの件に関しては、とやかく言うつもりはない。だが、私は、この国の行く末を憂いておる」


「はあ」


「お主は、この国の行く末を憂いては、おらぬのか?」


 すると、秀亮は少し考え、そして、何か思いついたのか、表情が明るくなり、口元に笑みが広がる。醜悪だ。興魏は、思った。


 秀亮は、顔を上げて応える。


「そうでしたか。わたくしも、憂いておりますです。はい」


「そうか」


 そう言うと、興魏は、秀亮に顔を近づけて、


「お主にやってもらいたい事がある」


「はっ、何なりと」


「兵士の暴走をもう一度起こせ。今回は、ちょっと激しくな」


「ははあ、畏まりました。で、報酬の方は?」


 興魏は、心の中で、舌打ちした。この国の行く末を憂う男が、報酬だと! まあ良い、こういう打算的な男の方が使いやすい。


「わかった。報酬は言い値で渡そう。それに、成功した暁には、出世は思いのままだぞ」


「ははあ、それでは、早速、準備致します」


「うむ」





「何? 東門から入る、旅人が多いだと?」


「はい。近衛北方軍が、街道の封鎖を解いたそうですが、北方に、そんな大都市がある訳では無いので、不思議に思いまして。解かれて数日で、かなりの人数になりましたし」


 近衛禁軍将軍、塔南は東門の警備責任者からの報告を受けていた。


「わかった。足止めをくっていた者が、一気に流入したのかもしれないが。だが、その旅人の検査を厳重にしろ。何かあるといけないからな」


「はっ」


 しかし、この報告は、一歩遅かった。翌日から、ぱったりと旅人はいなくなったのだった。東門の警備責任者は、首を傾げる。


「何だったのだ。今日は、一人もいないではないか!」





 それから数日後、事件は起こる。



 皇宮内の警備は近衛兵では無く、衛尉えいいに率いられた衛士えいしが行っている。衛士は、要するに、兵士は居なくて、全員が普通の軍だったら隊長以上で、構成されていた。


 その衛士が、皇宮内で怪しい兵士を発見。捕らえようとすると、その兵士の仲間が集結。衛士達も集結し、戦闘になった。


 なぜ、皇宮内にこんなに謎の兵士がいたのか、分からないままに、衛士達は、謎の兵士を駆逐していく。だが、謎の兵士の数が予想以上に多く。謎の兵士は、宮殿内部に逃げ込み。皇宮は謎の兵士達によって占拠され、一部武官、文官は人質となった。



「ええい。大人しくしていろと言ったではないか。なぜ、勝手に出歩く」


 と、興魏は思っても、もう遅い。起きてしまったものは、仕方が無かった。


「さて、次は……。殺すしか、ないか」





 その後から、謎の兵士達は、岑瞬派のみを襲い始めたが、武将としてもかなり強い凱炎、条朱に蹴散らされて近づくことさえ出来なくなった。



 部屋に立て籠もりつつ、善後策を練っていた、岑瞬派の面々であったが、


「あの軍、やはり近衛西方軍か。それに、この数、やはり首謀者は、秀亮のやつか!」


 凱炎が怒りに震え、吠える。それを冷静に岑瞬が返す。


「かもしれないな。だが、それよりも、我々だけが襲われている。岑職派で、手引きした奴がいるって事だな」


 凱炎は、困惑する。


「まさか、興魏殿が……」


「誰でも、良いが。こんな愚策を行うとは」


 廷黒も、顔をしかめる。


「ああ、そうだな。だが、むざむざ殺されるのもしゃくだな。凱炎、条朱」


 岑瞬は、決断したようだった。


「はっ!」


「突破できるか?」


「もちろん!」


「お任せください!」


 凱炎、条朱が威勢良く応える。

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