(弐)

 凱炎、呂鵬と楽しく飲んだ数日後、いよいよ、太子のお披露目を行うとの伝達があった。場所は、皇宮内の太宮たいぐうの庭園。普段は大将軍であっても、立ち入りが認められていない場所であった。



 一般的に皇宮と呼ばれているが、厳密には文官や武官が働き、皇帝が政治活動するのが皇城こうじょう。玉座の間もこちらにある。



 対して、皇帝や皇妃こうひ皇女こうじょ、そして、太子等が普段の生活をする場所が宮城きゅうじょう。皇帝の暮らす、太宮。太子の暮らす東宮とうぐう。皇妃や皇女、女官にょかんの暮らす後宮こうぐうがある。普段は宮城への立ち入りは、文官、武官問わず認められていない。



 この皇城と宮城を合わせて、皇宮と呼ばれているのだ。今回お披露目が行われるのは、宮城内の皇帝が生活する太宮の庭園。庭園は、この大京の一番北にある。おそらく、普段は開かれない北の門が開かれ、そこから入城するのだろう。





 そして、太子のお披露目の当日がやってきた。趙武、岑平、慈魏須文斗の三人は、公式行事用の正装に着替えると、馬に乗り護衛と共に一回大京を出て北に周り、北門に向かった。岑平は、子供の頃は、宮城で暮らしていたそうだが、今は、あくまで臣下。趙武達と同様に扱われた。





 北門に近づくと、早くもたくさんの人影が見えた。ほとんどが護衛の兵だろうが、北門から入る人影も多い。趙武達も北門に近づき馬から降りる。そして、馬を、帳下督率いる護衛兵に預ける。


「では、行ってくるね。終わる時間になったら、また来てよ。それまで、自由に過ごして」


「はっ」



 趙武は、そう言うと、歩いて北門に近づいた。そして、さて、どうすれば良いのかな? 等と考えていると、一人の男性が近づいてきた。



「大将軍、趙武様でしょうか? お連れの方は、岑平様に、慈魏須文斗様?」


 近づいて来た男性が、三人に問いかける。おそらくこの人は、宮城で陛下の身の回りの世話や、奥向きの業務を行う官吏である、宦官かんがんであろう。



 宦官とは、いわゆる去勢きょせいされた男性である。少し高い声で話し、肌も艷やかに輝いている。去勢されると、若干肌が綺麗になり、声も高くなるのだろうか? まあ、どうでも良いことだが。



「そうです。趙武と、岑平、慈魏須文斗です」


「かしこまりました。では、こちらで、剣をお預かりします」


「わかりました。では、よろしく」



 趙武は、腰から剣を抜いて、鞘ごと宦官に渡す。岑平、慈魏須文斗も、同様に動く。



「では、こちらに、おいで下さいませ」



 宦官は、近づいて来た下働きの女官に、剣を預けると、三人を奥に向かって案内し始めた。見回すと、同じように担当の宦官がいるようで、数人ずつ宦官によって案内されていた。





 武装した女官や、宦官が守る二つの門をくぐり、趙武達は庭園へと入る。地面には見渡す限りの美しい芝が張り巡らされ、所々ところどころに常緑樹や、花の咲いた木々が植えられている。


 中央に朱塗りの舞台が設置された小島のある、複数の大きな池があり、それを結ぶように小川が流れ、小川は段差によって滝のようになっている場所もあった。さらに、小川の流れの所々に、岩が置かれ、流れを複雑なものにしていた。


 庭園は、華やか過ぎず、とても美しい風景となっていた。これだけの物を作り、管理するのにどれくらいの手間と労力、そして、お金がかかっているのだろうか? と、趙武は、少し考えた。



「いや、荘厳そうごんですね〜」


 慈魏須文斗が、感嘆の声を上げる。


「そうだね。だけど、いくらかかっているのだろう?」


 趙武は、思わず。思っている事を口に出す。すると、岑平が、


「許して下さいよ、趙武さん。この場所から好き勝手には、出ることの出来ない皇妃様や、皇女様、女官達にとっては、せめてものなぐさみなのですから」


 そうだった。岑平の母親は、女官だったな。聞いたところによると、とても美しく、聡明そうめい慈愛じあいあふれた女性だったそうだった。会ってみたかったな。


「ごめん、岑平。岑平の母親もここで暮らしてたんだよね。会ってみたかったな」


「帰りに会います? 春安しゅんあんに寄って頂ければ」


 あれっ。どうやら御存命ごぞんめいだったようだ。岑平から、皇宮で大変な思いをしたと聞いて、亡くなったと勘違いしていた趙武だった。





 趙武達は、庭園のほぼ中央、少し開けた場所に案内された。趙武は、最前列の大将軍が集まっている所へ、慈魏須文斗、岑平は、そのやや後方に並んだ。すでに、かなりの人数が集まり、思い思いに、お披露目が始まるのを待っていた。





 興魏コウギ王正オウセイ岑瞬シンシュンはまだ来ていなかったが、他の大将軍は、すでに並んでいた。呂鵬は厳しい顔をして虚空を見つめていた。挨拶をしたのだが、返事は無く、諦めて、凱炎、条朱ジョウシュ廷黒テイコクに挨拶して列に並ぶべく、歩いていると、凱炎に引っ張られ凱炎の隣に並ばされる。



「御苦労様です。凱炎大……さん」


「ハハハハ、何だ? 凱炎だいさんってのは?」


「すみません。大将軍って言いそうになったので」


「そうか。まあ良い。趙武も、御苦労様」


「はい。それよりも、僕はここで良いんですか? 序列からいったら、末席の気がするんですが?」



 そう、見たところによると、左から序列で並んでいるようだった。呂鵬が一番左側に並んでいるが、おそらく興魏が来てさらにその左に並ぶのだろう。そして、呂鵬と凱炎の間に、王正が並んで、凱炎の隣は、岑瞬ではなかっただろうか?



「良いんだ。そんなの適当で」


「わかりました」



 趙武は、しぶしぶ並ぶ。そして、凱炎の反対側に並ぶ、条朱と廷黒を見る。すると、趙武がそこに並ぶのは当たり前のように、にこやかに笑いかけながら、挨拶を交わしてきた。


「御苦労様です。趙武殿」


「御苦労様です。条朱殿、廷黒殿」



 そして、軽く雑談をしていると、岑瞬が現れ、呂鵬の右隣に並び、続いて、興魏、王正が現れると、それぞれ、興魏は呂鵬の左隣、一番左側に。王正は、岑瞬と、凱炎の間に入った。皆が自然に動いていたので、何らかの序列の変化があって、この並びになったようだ。





 さらに、時が流れ、流石に待ち疲れた時だった。庭園の奥から女官の行列が歩いて来た。いや、行列と呼ぶには、列をなさず、騒がしく、いろいろ動き回り、何事かに対処しながら、固まりとなって進んでいた。趙武達は、静かにその女官の固まりに注視した。



 その女官の固まりは、趙武達が並んだ正面に来ると、動きを止めて列となって並び始めたが、数人の女官は、まだ誰かを取り囲んで、何かを行っていた。



 さらに時が経過して、静かに待っている人々にざわめきが広がり、お互いに話し始めたりした時だった。突然女官の良く通る声が響く。


「大岑帝国太子、岑職シンショク様お出ましです!」



 趙武達は、立ったまま、頭を下げる。そして、視線だけを女官達の方に送る。すると、美しく着飾った女性に手を引かれ、一人の子供が、女官達の列から進み出て来た。皇妃様と、岑職様だろう。趙武は、そう考え、二人を見る。皇妃様は、式典や行事で見た事はあった。しかし、岑職様は始めてだった。



 太子、岑職。確かよわい7歳。趙武は、呂亜達の子供達を思い出す。7歳って、あんなに小さかったっけ? 


 岑職は、下を向き不機嫌そうに歩く。その姿は、体も小さく、顔立ちも幼く見えたので、年齢よりも子供っぽく見えた。



 そして、二人が歩みを止め、皇妃が声を上げる。



「皆さん、大変お待たせしました。頭を上げ、楽になさって下さい」


「はっ!」


 趙武達は、頭を上げ真っ直ぐに、皇妃と、岑職を見る。すると、さらに皇妃の優しい声が響く。


「では、ショク。皆さんに挨拶なさい」


「や」


「いやでは、ありません。教えたでしょ。さあ、皆さんに挨拶を」



 すると、岑職は、皇妃の手を振り払い、女官の列に奇声を発しながら、駆けていった。


「ギャーーーー!」


「待ちなさい。職!」



 皇妃が、驚き振り返り、女官の数人が慌てて、岑職を捕まえる。しかし、岑職は、捕まえ抱きかかえた女官の顔を爪で引っ掻く、慌てて手を押さえようとした別の女官の手に噛み付く。かなり強く噛んだのか、女官の悲鳴が聞こえ、岑職の口からは、血が滴る。



 良く見ると、岑職に対処しようとした女官達は、皆、厚化粧で、着物も手の甲すら隠れるような長い袖の着物を着ていた。おそらく傷だらけで、隠す為にそうなのだろう。


「ギャーーー、ガゥーーー!」


「岑職様。お静かに。キャーー!」



 もう収拾が付きそうにない。岑職の奇声が、女官達の悲鳴が、庭園に響き渡る。そして、ついに皇妃が、


「皆さん、申し訳ありません。今日は、岑職の機嫌が悪いようです。また、日を改めて、挨拶させますわ。では、御機嫌よう」



 そう言い残すと、女官達と共に、騒ぎ暴れる岑職を連れて去っていった。その後を慌てて興魏が追い、さらに、その後を王正が追う。



 残された趙武達であったが、動揺が広がる。


「岑職様って、ちょっと幼いよな」


「ちょっとどころじゃないぞ。あれは……」


「違う。成長されれば……」


「そんな訳は……」


 等と、あらゆる場所から声が聞こえる。そんな状況の中で、岑瞬が叫ぶ。


「大岑帝国の跡継ぎがあれでは、未来は暗いな!」


 そう言って、岑瞬は外に出るために、歩き始めた。慌てて、配下の人間とか、取り巻きの人間達が続く。


 すると、他の人々も、少しずつ、三々五々さんさんごご、徐々に歩き去っていった。



 趙武もさっきの出来事を思い返しながら考えつつ、歩き出そうと一歩を踏み出した時だった。凱炎が、趙武に問うた。



「趙武。お前はどう思った?」


「はい? どう思ったですか?」


「ああ。あの太子を見て、あれが我らの皇帝になる姿が想像できたか?」


「そうですね〜。僕は、皇帝は誰でも良いんじゃないかと。僕達が、支えれば、それこそ岑瞬様が、宰相……。昔の最高位の相国しょうこくを復活させても良いですし」



 本来、大岑帝国における文官最高位は、丞相である。しかし、岑英は若い頃から戦いに専念するために、政務の責任者として最終判断を行える役職として、宰相を置いた。


 そして、かつて幼い皇帝が即位した時に、軍事、政務両方の最高責任者として、皇帝の代理とも言える役職、相国が置かれた時があった。


 趙武は、その相国を復活させれば良いと思っているのだった。



「しかしだな。岑英様のように我らを率い、戦場を駆け回る姿こそ皇帝としてだな!」


「凱炎殿。それは、岑英様の姿であって、それが皇帝の全てではない」



 いつの間に近づいて来たのか、呂鵬がそばに立っていた。すると、凱炎は、呂鵬の方を一目見て、そして、


「わかっている。わかってはいるのだが、俺には、認められん!」



 そう言うと、大きな足音をたてつつ、足早に去っていった。



 趙武と呂鵬は、複雑な表情をして、その姿を黙って見ていた。凱炎は、岑英を深く敬愛し、尊敬していたのだろう。その気持ちは、趙武にも痛いほど分かっていた。

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