(参)

 趙武は、お披露目から数日後、大京から江陽に帰る為の支度を開始した。再度お披露目が開かれるとのことだったが、その可能性は低いそうで、大京に集まって来ていた人々も帰り支度を開始していた。



 そして、いよいよ出発しようかとしていたその時、趙武は岑英から呼び出しを受ける。趙武は、急ぎ皇宮に向かい、岑英に謁見する。


 だが、謁見する為に案内された場所は、玉座の間では無く、岑英の治療の為に皇城に作られた岑英の寝室であった。その寝室で、趙武は、岑英に謁見する。



「済まないな、わざわざ呼びたてて」


「いえ」


 趙武は、簡潔に答えると病床の岑英を見る。かなり体調が悪く見えた。先日のお披露目にも、出てこなかかったし、かなり悪いのかもしれない。それに、お披露目での事を伝え聞いて、心労が増したのやもしれないと、趙武は思った。



「それでだな。呂鵬から聞いたが、太子を跡継ぎとする事に、賛成だそうだな」


「はい。と言うよりは、正統な後継者が跡を継ぐのを反対する理由が無いというのが結論ですが」


「そうか。だが、太子はあの状態だぞ。あの年齢で、未だにちゃんと喋れず、感情の起伏が激しい。それでもか?」


「はい。それが跡を継ぐ事を、困難にさせる理由が分かりません。周りの人間が、支えれば良いのです。重要なのは正統な後継者である事です。必要なのは、血筋の正統性による、皇帝の威光です」


「う〜む。そうか、趙武の意見は分かった、皇帝に能力は関係ないという事だな。極端だが、趙武らしいとも言えるな。極めて正論だ。だが、趙武」


「はっ」


「その正論が、全てでは無いのだぞ。書物の中が、全てではない。人間の感情の機微と言うものも理解した方が良いな。余はな、太子が皇帝になって果たして幸せかとも思うのだ。趙武は、どう思う?」



 趙武は、意見を口に出そうとして止めた。


「分かりません」


「そうか。うん。済まなかったな。わざわざ呼び立てて、しかし、趙武の意見はわかった。参考にさせてもらうよ」


「はっ」





 趙武は、岑英との謁見を終え、深刻な表情で、皇宮内を歩いていた。それは、考え事をしながら歩いていたからなのだが、見た人々は、何か重要な話を陛下としていたのではないかと、思われた。



 重要な話、それは誰にも語ろうとしない、岑英の後継者に対する考え。実際その考えを唯一漏らしているのは、趙武に対してのみだが、趙武は、それを重要視しないと分かっているので、岑英は話しているのである。



 そして、実際趙武は、興味を持ってはいなかった。ただ、何か起こった時の為について考えていた。そう、趙武の興味は、岑英が死んだ時の混乱を、どう凌ぐかであった。



「うむ。會清の手の者がいたよな。あいつ等使って調べさせるか」



 趙武は、ポツリと呟き、皇宮を後にした。混乱の種を蒔いて。趙武の様子を見た人々から、大将軍を始めとする、権力者達に話が伝わる事となった。





「何だと。趙武が、陛下と重要な話をだと」


 大京にある興魏の屋敷の一室、興魏が書斎で書き物をしていると、一人の男が入ってきた。男は、興魏に長く使える男であった。


「はい。皇宮で、趙武様を見かけた方から注進がありました」


「ふ〜ん。で、話の内容は何なのだ?」


「は? 内容ですか?」


「そうだ、話の内容だ。重要な話なのだろう?」


「は、はい。そう聞いておりますが」


「で、だ、その重要な話の内容だ!」


「それは、分かりかねますが」


「だったら、調べろ! じゃないと意味がないだろ、動きようがない」


「は、はい、すぐに」


 男は、脱兎の如く部屋を飛び出し去っていく。


「全く、どいつもこいつも、使えん」



 興魏は、先日のお披露目の事もありいらついていた。だが、気持ちを落ち着けて考える。


「だが、話によると、趙武は、太子が跡を継ぐ事に賛成だったな。陛下もそれをわかっていて、呼び出したのだろう。という事は、その内容も、こちらにとっては都合の良い事か、うむ」



 興魏は、そう独りちていた。そして、同じ頃、凱炎、呂鵬にも同様の話が伝わっていた





「何だと! 趙武を陛下が呼び出して、重要な話をした? ふ〜む。わからん! ほうっておけ! 趙武は、そう言うのは面倒くさがるからな。眉唾だろ」


「はっ」


「いや、待て。一応、岑瞬様に伝えておけ。何かあるといけないからな、念の為だ」


「はっ!」



 と、凱炎。対して、呂鵬は、



「趙武君が、陛下に呼び出されて、重要な話をされた。そうですか、わかりました。御苦労様です」


「はい、失礼致します」



 配下の者が去っていくと、呂鵬は、少し顎に手を当てて首をひねり、考える。そして、


「陛下も人が悪い。趙武君を何も呼び出す事はないだろうに。だが、そこまでして期待していると言う事ですかね。趙武君に」



 岑英、趙武、両方の事を良く知る呂鵬だけが、起こったであろう事を把握していた。



 そして、そんな趙武はと言うと、


「えっ、すでに出立しゅったつされたと」


「はい、昨日お戻りになられて、すぐに出立されました」


「そうでしたか。ありがとう」



 廷黒は、趙武の宿舎から出て外で待っていた条朱と合流する。


「すでに、昨日出立したそうだ」


「そうか。陛下と何を話したのか直接聞こうと思ったんだがな〜」


「まあ、正直に話してくれるとも思えないけどな」


「そうか? 趙武殿ってそう言うの隠さないと思うが」


「そうだけど、流石に陛下との重要な話なら……」


「なあ、今話してて思ったんだけど、本当に重要な話だったのか?」


「わからないよ。だから聞こうって話になったんだろ」


「ああ。そうだけど、趙武殿に後継者とか重要な話しても、興味を持つか?」


「まあ、言われてみれば、そうだが、とりあえず、岑瞬様に報告だ」


「わかった」



 その足で二人は、岑瞬の屋敷に向かう。そして、岑瞬配下の舎人とねりに案内されて、奥に通される。場所は書斎だった。岑瞬は床几しょうぎに座り、そのかたわらには、とても美しい女性が立っていた。岑瞬の妻だった。



 廷黒、条朱は顔を見合わせる。


「岑瞬様。申し訳ありません。お人払いを」


「うん? ああ」


 岑瞬は、傍らの女性を見上げ、


「ああ、これか。居ても大丈夫だと思うが」


 すると、岑瞬の妻は、


「瞬様、何か重要な話なのですよ。わたしが、居ては出来ない話がございますでしょ。わたしは、出ております。終わりましたら、また、お呼び下さい」


 そう言うと、条朱、廷黒ににこやかに、頭を下げ、部屋から去っていった。どこか名残り惜しそうに、岑瞬の視線が追いかけ、岑瞬が話し出す。


「出来た女だろ。元々は、わたしの身の回りの世話をする下女げじょとして雇われていたのだがな、知識量が多くて、機転も効くんでな、話相手としても優秀でな。まあ、血筋もしっかりしているし。泉水の商家の出だ」


「はあ」



 条朱と廷黒は、そんな事を聞いていないのだが、珍しく自分から話始めた岑瞬を見ていた。少しおいて、廷黒が、岑瞬に声をかける。


「そうでした。聞きましたか? 趙武殿の事」


「ああ、珍しく凱炎から、連絡がきて、聞いたぞ。趙武が陛下に呼ばれて、何やら重要な話をしたそうだな」


「はい、そのようです。それで、どのような内容だったのか、直接聞きにいったのですが、すでに出立されてました」


「そうか。まあ、聞いたところで、まともには答えるまい。それよりもだ。わたしは、ついに立つぞ。兄上の跡を継いで皇帝に」


 すると、今まで黙っていた条朱が大声を出す。


「おお、ついに決心されましたか」


「ああ。動くぞ」


「はい!」



 拳を握りしめ、燃える条朱、そして野心的な目で見つめ返す岑瞬を、やや冷めた目で見つめる廷黒。この時、廷黒は、起きるかもしれない皇位継承の争いで、条朱と共に、どう上手に立ち回るかのみ考えていた。そして、声には出さず、口の中で、呟く。


「友達だからな」



 二人は、岑瞬の書斎を出る。すると、すぐ目の前に、岑瞬の妻が、優しい笑みを浮かべ立っていた。


「あら。もうお帰りになられるのですか? せっかく、お茶をお持ちしたのに」


「奥様、お心遣い、申し訳ありません。用も済みました、長居してはお邪魔でしょう。失礼致します」


 条朱が、そう声をかけ、挨拶して歩き出す。廷黒も頭を下げつつ、チラッと茶道具を見る。だが、湯が熱そうではなかった。早い段階で、用意して立ち聞きしていたのか? と、廷黒は思った。



 そして、岑瞬の妻、実は泉水せんすいにて趙武は会っていた。そう、泉水にあった、廻船問屋かいせんどんや耀家ようけの泉水店。要するに耀勝ヨウショウの実家の支店にいた女性だった。會清カイセイと共に、見分けんぶんしたのだが、その女性は、店主の娘との事だった。結婚はしておらず、


「美しいですな〜。それに優しいそうな方で。趙武様いかがです?」


 と言う會清に、趙武はチラッと見て、


「作り笑顔だな。腹で何を考えているかわからない」


 と言って、興味を示さなかった。





 その数日後、遠く如親王国では、耀勝が、側近の壬嵐ミランと話をしていた。何か知らせが入ったようで、手紙を読みながら、とても、恐ろしい話を、


「何かの知らせですか?」


「ええ、大岑帝国の大将軍、岑瞬の情報です」


「なんと?」


「ええ、ようやく決心されたようですね」


「決心と言いますと、自分が後継者となるという事ですか?」


「そうですよ。あの方は、見た目よりも、ずっと律儀で真面目な方なのですよ。現に妻もめとらず、子供も作らず、兄を支える為だけに生きてきました」


「そうなのですか。偉い方ですね〜」


「そうですね。しかし、その兄が病に倒れる。そして、子供はいない。まあ、その後、めでたく太子は、誕生しましたがね」


「岑職ですね」


「ええ。さあ、話を続けましょう。兄の病気について、あの方は大変悩みました。そして、兄の子が生まれ、その成長を見るうち、さらに悩みました。自分はどうすれば良いのか? と。そんな時、自分の事を支え励ましてくれる女人にょにんが現れます。献身的なその態度に、あの方は、恋心を抱き、やがて結ばれ、子を成す。すると、その子の為に何かを残したくなる」


「そうですよね。わかります。わたしも……」


「あなたの事はどうでも良いのですよ。そんな時、その女人が呟くのです。あなたが、お兄様の代わりをつとめれば良いのですよと。すると、素直なあの方の中に、小さな欲望が生まれます。そして、そんな小さな欲望は、兄の子の成長、そして、女人の優しい献身によって、花開くのです」


「もしかして、その女人は、耀勝様の策なのですか?」


「いえいえ、そんな話を聞いただけですよ。ふふふ」


 そして、耀勝の目が妖しく光る。


「趙武君。戦争は戦場だけでするものじゃないんですよ」



 耀勝、稀代の策略家は、趙武の及びのつかない、大きな戦場で戦っていた。



 局地的な戦いでの勝利を目指す人を戦術家。大局的な戦場での勝利を目指す人を戦略家。そして、それよりも大きな戦場での勝利を目指す、耀勝を後世の人間は、なんと呼ぶのだろうか?

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