第肆幕 暗雲編

(弌)

 趙武チョウブは、春のある日、瀨李姉綾セリシアとの結婚式の準備中ではあったが、帝都に向かうために旅立った。



 それは、先に大岑帝国だいしんていこく皇帝岑英こうていシンエイが話していた、太子のお披露目の為であった。正式には皇太子のお披露目なのだろうが、岑英が後継者としてはいないので、皇太子とは呼ばれず、太子という事になっていた。まあそんな事はどうでも良いよ、というのが、趙武の意見でもあった。



 趙武は、帳下督ちょうかとくを長とする護衛に守られながら、帝都への道を、慈魏須文斗ジギスムント岑平シンペイと共に駆けていた。岑平は当然として、慈魏須文斗は、瀨李姉綾に代わっての臣下の挨拶、そして上将軍じょうしょうぐんへの就任の挨拶も兼ねて連れてきたのだ。


 趙武は、他の裨将軍ひしょうぐん、将軍、幕僚にも声をかけたのだが、結婚式の準備で忙しいと断られ、雷厳ライゲンが、


「じゃ、俺行くぞ」


 と言ったのだったが、呂亜ロアが、


「お前は、行くな。最近、酒癖悪いから駄目だ」


 と言われ、泣く泣く諦めていた。



 雷厳は、酒好きという訳ではなかった。最近になってからだが、皆で集まって飲むと、皆が己の飲み方で酒を楽しんでいるのだが、雷厳は、元々酒量の多い趙武や、龍雲に合わせて飲み、限界を超えて騒ぎ人に絡むという失態を演じていた。


 趙武や、龍雲はかなり飲んでもやや饒舌になり、明るくなる程度だった。それに対して、雷厳は、酔って騒ぎ一回は趙武に絡み、本気で怒った趙武に、失神させられていたのだった。その時、あまり飲まない陵乾が、冷静に、


「どんな強い人間でも急所つかれると、失神するんですね、勉強になりました」


 と言いながら、その後の雷厳の面倒を見てあげていた。


 翌日、皆に土下座して謝った雷厳だったが、また繰り返し、ついには、奥さんである雷梨園ライ・リエンさんが一緒に参加し、騒ぎ始めたら奥さんがつまみ出して連れ帰るようになった。



 という訳で、今回の同行者になったのだった。





「流石に緊張しますね。超大国大岑帝国の皇帝陛下に謁見えっけんですか」


 途中、数か所、宿に宿泊しつつの道中。宿での食事時、慈魏須文斗が、そんな事を言い始めた。それに対して、この前の風樓礼州王国攻略戦から、趙武に馴染んできて、趙武に対する呼称も変わった岑平が、


「そうですよね。超大国ですもんね〜。僕は、生まれてからは、一応父親でしか無かったし、まあ、母は結構辛い目にあったようですが、僕は違ったし、趙武さんは、緊張するような人間じゃないですし」


 すると、趙武が反論する。


「ん? 僕だって、緊張するぞ岑平」


「いつですか?」


「う〜ん、そうだ。最近だったら、瀨李姉綾に結婚を申し込んだ時だ」


「ほ〜。それは、聞いてみたいですね〜。姫にですか。どんな感じだったんですか?」


 と、慈魏須文斗。


「言うわけないでしょ、聞くなら瀨李姉綾から聞いて下さいよ。そうだ、陛下との謁見の話でしたね」


 と強引に話を戻す趙武、そして、


「僕が最初に陛下と謁見したのは〜。そうだ、軍侯として、始めて戦場に立った時だ、今から9年前か」


「えっ、9年前に軍侯ですか? そして、今は、大将軍……。恐ろしい」


 と、慈魏須文斗。岑平も、


「そうなんです。趙武さんは、常識では測れないんですよ」


 そして、趙武の昔話が始まった。珍しく饒舌に語る趙武の話は、とても面白かったが、緊張のきの字も出てこない話に、参考にはならないなと思った、慈魏須文斗だった。





 趙武達が、大岑帝国帝都、大京だいきょうに到着する。そして、謁見の申し入れをするが、太子のお披露目に参加するため、各地から集まってくる人々の為に、数日待つとの事だった。しかし、岑平の存在のせいか、それとも他の理由かはわからなかったが、翌日には謁見が許され、趙武達は、皇宮こうきゅうに向かった。





 皇宮、玉座ぎょくざの間には、人払いがなされ、近衛軍の護衛士が、外に控えるのみで、岑英と趙武、岑平、そして、慈魏須文斗のみとなった。ただし、普段は大将軍のみに許される謁見の時の帯剣は、許されなかった。



「良く来た趙武。待っていたぞ。いよいよだ。趙武、心の準備は出来ているか?」


「心の準備とは、何でしょうか?」


 岑英の問い掛けに、とぼけている訳ではなく、本気でわからなかった趙武が、聞き返す。


「ハハハ、相変わらずだな。趙武は。あれだ、の後継者の話だ。太子の披露目で、よく見て決めよと」


「はあ、かしこまりました。ですが、後継者は、陛下が決められる事で、我々が決めることではないと思いますが」


「そうだな。だが、余も思い悩んでいてな。不思議だが、健康な時は悩み等無い、と思っていたが、この体になると、いろいろ考えてしまってな」


「そうなのですか」


 なら健康になって下さい。と口まで出かかった趙武だったが、岑英の体を見て思いとどまった。


「ハハハ、気に病むな。趙武は、これからの事だけを考えてくれ。そう言えば、結婚するんだったな。おめでとう。末永く幸せにな」


「はっ、ありがとうございます」


「うむ。そして、そちは、風樓礼州王国の……」


 岑英は、視線を趙武の右斜め後ろに控えていた、慈魏須文斗に移すと声をかけた。


「はっ、この度上将軍になりました、慈魏須文斗であります」


「そうか、よろしく頼む。趙武を支え、励んでくれ」


「はっ、誠心誠意努めさせていただきます」


「うむ。で、風樓礼州王国の女王が趙武の結婚相手だったな。どのような女性だ?」


「はっ、姫、いえ、瀨李姉綾様は、やや天然……。いえ、天真爛漫ではありますが、素直で、優しい方です。必ずや、趙武様を支え、良い奥方になると思います」


「そうか。うむ。趙武」


「はっ」


「余が死ぬ前に会ってみたいな。今度連れて来てくれ」


「死ぬ前に等と……。しかし、必ずや連れて参ります」


「そうか。ありがとう」



 そして、最後に岑英は、ゆっくりと岑平に視線を向ける。そして、


「岑平。顔つきが変わったな。前回会ってから、わずかな時しか経っていないが」


「はい、ありがとうございます。風樓礼州王国攻略戦で、父上と、趙武さんに褒めて頂き、それが、自信になりました」


「そうか。それは、良かった。だが、過信するなよ」


「それは、重々承知しております。父上や、趙武さんが、目の前にいれば、自分の才能など。ですが、それ故に自分の出来る事が見えた気もするのです」


 岑平がそう言うと、岑英は、嬉しそうに笑う。


「そうか、そうか。ハハハ。うん、お前が、太子であってくれたら、と……。すまん、すまん、馬鹿な事を言った。許せ」


「はっ」


 今の言葉は、岑英の本音だった気がした。そして、その言葉で、趙武は、太子のお披露目にさらなる不安を抱いたのだった。





 岑英に挨拶をし、玉座の間から出る。護衛士から、剣を返され、腰にく。皇宮内での佩刀はいとうは、上将軍以上に許されていたので、三人ともに佩刀した。



 そして、皇宮内を歩いていると、とある一室から深刻そうな顔つきで、出てきた呂鵬と凱炎を見かけた。趙武は、二人に声をかける。


「呂鵬大将軍、凱炎大将軍」


 二人は、振り返り、凱炎の良く響く声が辺りに響く。


「おお! 趙武! お前も来ていたのか」


「はい、凱炎大将軍。今、陛下に謁見して下がってきたところです」


「相変わらずだな。大将軍は、やめろ。お前も大将軍なのだから。いや、下手したらそれ以上だろ。なあ、呂鵬殿」


 凱炎に、声をかけられた呂鵬が、深く頷きながら答える。


「そうだろうな。趙武君は、今や20万の兵を率いる大将軍だからね」


「そうだぞ。言うなれば、大大将軍だ。ハハハハ!」


 凱炎が笑う。こう見ると、凱炎と呂鵬の関係も昔のままのように見えた。そして、凱炎は、


「ところで、趙武。陛下は何か言われていたか?」


 その瞬間、呂鵬の目つきが鋭くなるが、気がつかないふりをしつつ趙武は、答える。ただし、太子のお披露目で、自分なりの後継者を決めろという話は、抜きにして。


「そうですね。結婚をおめでとうと言われましたし、瀨李姉綾さんに会いたいとも言われました」


「そうか。陛下は、結婚式には出られんからな。会わせてさしあげろ。他にはあるか?」


「後は」


 趙武は、後ろを振り返り、慈魏須文斗に視線を向ける。


「こちらは、風樓礼州王国の元将軍で、今は、僕の配下の上将軍の慈魏須文斗さんです」


 すると、慈魏須文斗は、一歩前に出て、


「慈魏須文斗と申します。以後お見知りおきを」


「うむ。凱炎だ。一応大将軍をやっている」


「凱炎殿。一応とは何だ、一応とは。わたしは、呂鵬だ。同じく大将軍で、趙武の所にいる、呂亜の父親だ」


「おお呂亜殿の。呂亜殿には、大変お世話になっております」


 と話がそれそうになったのだが、凱炎が口を挟む。


「それで、趙武。慈魏須文斗殿がどうしたんだ?」


「ええと。陛下に慈魏須文斗さんを紹介して、後は慈魏須文斗さんが瀨李姉綾さんがどんな人か聞かれてました。ねえ、慈魏須文斗さん」


「はい」


 さらに趙武は、慈魏須文斗とは、反対側の後ろを向く。


「後は」


 岑平が一歩前に出て、頭を下げる。


「呂鵬様、凱炎様、お久しぶりです。岑平です」


「ああ、久しぶりだな」


 凱炎は、あっさりと、そして、呂鵬は、


「お久しぶりです、岑平様。それで、岑平様が何か?」


「はい。父上に顔つきが変わったと言われました。それが、謁見での会話の全てです」


「そうですか。わかりました。だそうです凱炎殿」


 呂鵬が凱炎の方を向いて、声をかける。


「うむ。わかった。そうか、なら良いが」


 何か微妙な空気が漂う。すると、凱炎がその空気を振り払うように声を上げる。


「そう言えば、趙武」


「はい」


「呂鵬殿は、この大京に屋敷を貰ったんだそうだ。これから、お邪魔するんだが、一緒にどうだ?」


 趙武は、呂鵬の方に問いかける。


「僕も、御一緒しても良いのですか?」


 呂鵬は、少し考えつつ返答する。


「ああ趙武君なら、大歓迎だよ。そうだね。その方が良いかもしれない」





 趙武は、慈魏須文斗、岑平と別れ、そのまま凱炎と共に呂鵬の屋敷に向かう。そして、どんな話をするのかと身構えた趙武だったが、話は。かつての戦いでのお互いの武勇伝の話を中心に盛り上がった。三人は、酒を飲みつつ笑い合い、盛況のうちに幕を閉じた。そして、凱炎と共に呂鵬の屋敷を辞すと、


「じゃ、またな趙武」


 凱炎は、少しふらつきながら、別れ歩き出す。すると、何処からともなく、凱炎を護衛する為に兵士が現れる。隊長らしき男が、趙武に向かい頭を下がる。そして、周囲を取り囲み、帰っていった。



 趙武は、凱炎には護衛いらないだろうと思いながら見つつ、その護衛兵の数の多さに不安を覚えた。趙武の知らない何かが始まろうとしているのかもしれない。

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