(陸)

 大岑帝国帝都大京玉座の間。皇帝岑英は、嘆息たんそくした。


「はあ~。で、のこのこ逃げ帰って来た訳か」


 眼前には、信頼して送り出したはずの5人の大将軍のうちの4人と、近衛将軍2人がひざまずき、項垂うなだれていた。凱炎が、いち早く謝罪するが、


「はっ、誠に申し訳なく」


「良い。余は呂鵬、凱炎に言っているのではない。御苦労だった、呂鵬、凱炎、至霊。後で、詳しい話を聞かせてくれ。下がって良いぞ」


「はっ、失礼致します!」



 3人が退出すると、岑英は、怒気の孕んだ目を向けた。


「負けるのは、良い。兵家の常だ。だが、なぜ仲間を見捨てて逃げ帰って来たのか、納得出来る理由を話せ」


「は、は、あの。真柏めが、各街で帝国に対する暴動が起き、収拾がつかないと、言いましたゆえ」


「なっ、創玄殿!」


「黙れ! 真柏! 陛下の御前だぞ」


 傍らに控えていた大将軍興魏が、注意する。


「はっ、申し訳ありませぬ」


「まあ、良い真柏。で、お前の言い訳はなんだ?」


「いえ、言い訳なぞ。ただ、我が軍が駐屯していた、邑洛において、なぜか、民衆の暴動が起き」


「なぜか? 聞いているぞ、真柏。お前の軍が、統制を外れ、民への暴行、略奪、あまつさえ強姦までしたそうじゃないか!」


「は、はい、誠になんと申し上げれば良いかとぞ」


「ふ〜。で、斤舷キンゲン。お前は何かあるか?」


「はい。私の役目は、陛下の代わりに戦う事でした。ですが、それも叶わぬまま撤退したこと、大変申し訳ありませんでした」


「うむ」


「ですが、本隊が撤退する以上、引き揚げるのが良いと、考えました。至霊殿は、残ると言われたので、考えはしたのですが」


「そうか、わかった」


「では、創玄、真柏、大将軍の任を解く。処分は、帝国法と合わせて検討する。しばらく、家で謹慎していろ!」


「はっ、陛下。今後」


「誠に申し訳なく」


 岑英は、2人の元大将軍が何か言い始めたのを無視して、話を続けた。


「で、斤舷。誠に正論である。よって、処分は、しない。今後も、励めよ」


「はっ、有難き幸せ!」


「下がって良いぞ」


「はっ」


 斤舷は堂々と、創玄、真柏は、引きずり出され、玉座の間は、静かになった。



 岑英は、考えた。負傷した者は、徐々に帰って来るかも知れないが、現状送り出した58万の兵のうち、無事に帰国した者は、創玄軍、至霊軍、斤舷軍は、無傷だったが。興越軍が約1万、真柏軍が約3万、凱炎軍が約7万5千、そして、呂鵬軍が約9万5千。合計で39万、約19万の兵士が失われた計算になる。それに……。


 岑英は、傍らに控える。興魏を見つつ。


「興魏。興越のこと、誠にすまなかった」


「いえ、陛下。この出兵は、あ奴の言い出したこと、悔いはありますまい。それに、死んだのは、自業自得です」


 そう言いながら、興魏の目は、哀しそうに空中を見つめていた。岑英には、少し潤んでいるようにも見えた。そして、


「馬鹿め、わしより、早くに死におって」


 興魏の呟きが、哀しく響く。




 そして、翌日。岑英が、凱炎、呂鵬、至霊、そして、興越配下の裨将軍、条朱ジョウシュ、真柏配下の裨将軍、廷黒テイコクの話を聞いていた時だった。



 扉が勢い良く開き、皇帝近習が転げるように入ってくる。そして、


「お、恐れながら、報告させて頂きます」


「なんだ」


「はい、昨夜創玄様が、御自害なさったとの事です」


「なに!」


 岑英は、驚いて立ち上がり、その顔は、みるみる怒気に包まれた。周囲の者達も驚き、呆然としていたが、


「早まった真似を。創玄は、謹慎処分だけで済ますつもりだったのだが。手厚く葬る様、家族に伝えよ。それに、創家にはなんの処分もしないとも伝えよ」


「はっ」


「それと、真柏を早急に連れて来い!」


 最近、岑英の感情の起伏が激しい。そして、どうやら、岑英の怒りは、真柏に向かったようだったが、それを口に出す者はいなかった。




「お、お呼びにより、罷り越しました」


「うむ。創玄が死んだそうだ」


「は、はい」


「なぜ、お前は生きている?」


「は?」


「即刻、この者の頸を刎ねよ!」


「そ、それはあまりにも、御無体ですぞ」


 確かに少し、強引な岑英の行為に周囲の者も、少し疑問を持った。しかし、岑英の心は、この敗戦の責任を1人でとったように見える、創玄の行為が許せなかったのだ。


「1人責任は、とらせんぞ創玄!」



 真柏は、親衛隊に取り押さえられ、刑場に連れられて行った。さらに、真柏の頸は刎ねられると、この敗戦の責任者として、大京にしばらく晒された。しかし、親族には累が及ぶ事は無く、真家は、長男が継いだようだった。




 真柏が引きずり出されると、岑英は玉座に座り、何事も無かったかのように、会話が再開した。そして、最後に、


「皆、御苦労だった。失われたものは、小さくはないが、それぞれ、軍の再編を頑張ってくれ」


「はっ」


「そうだ、条朱ジョウシュ廷黒テイコク


「はっ」


「生き残った兵が帰る場所が必要だろう。今までの駐屯地をそのまま使え」


「はっ」


「そして、両名を上将軍に任ず。今は、足りないが、5万の兵を率いる権利と人事権を与える。その力存分に発揮せよ!」


「はっ。謹んでお受け致します」


「ああ」





 しばらく帝都に滞在していた、凱炎、呂鵬も大京を後にしようとしていた。2人並びくつわを共にする。凱炎が、話しかける。


「陛下のお怒り、凄かったな」


「ああ、だが、我らが、ああなっていたかもしれんぞ」


「ハハハハ、呂鵬殿、それはない。我らは、逃げたりしないだろ」


「そうか、そうだな。ところで、条朱と廷黒だが、陛下は、後々、大将軍にするおつもりだろう」


「そうなのか? まあ、2人とも、立派に上司の尻拭いしたし、良いのではないか?」


「そうだな、だが、将来的にだが、あと一人足りんな」


「そうか。誰か良い者が、いるのか?」


「ああ、凱炎殿の所の、策士だ」


「ん? 趙武か? ないない奴は、まだ校尉だぞ」


「そうか? 裨将になったのではなかったか?」


「あれは、臨時だ、臨時」


「本当に、そうか?」


「ん?」


 凱炎は、少し腕を組んで考えた。そして、


「そうか、そうか、そう言う事か。それは、面白い、ハハハハ。だが、良いのか、自分の息子の方ではなくて」


「あれは、まだ、人のサポートに徹する方が向いている。趙武だったら、まわりに優秀な人間が集まれば、良い大将軍になるだろう」


「なるほど、では、早速奴を昇格させて人事権を与えるか」


 こうして、2人の大将軍の企みによって、趙武は、将軍になることになったのだった。




 その趙武であったが、その人事に悩まされていた。幕僚は、黄悦将軍の幕僚がいるからと、安心していたら、黄悦将軍の死に際しての引退等で、数人残して居なくなり、武官も足りなかった。


 そんな、ある日凱炎大将軍に呼び出される。



「苦労しているようではないか。将軍府の場所移動は、スムーズだったのにな」


「はあ、申し訳ありません」


 黄悦は主城の大将軍府の一部に、将軍府を開いていたのだが、趙武はそれを、見張台のように作られた副楼と呼ばれる建物に、移したのだ。理由は、眺めが良いから。最上階に、将軍執務室を作り、そこから、泉水を眺めていた。


「それでだ。いろんな方々が、お前に推薦したい人材を紹介してきたぞ」


「えっ、はい、有難き幸せ」


「あまり、幸せそうではないな、ハハハ」


 趙武は、お見合いの紹介状のイメージから、こういう書類に、良い思い出がなかったが、凱炎大将軍から、受け取ると広げてみる。


「えーと、当軍軍司馬雷厳を貴軍校尉に推薦する。大将軍呂鵬。ってこれなんですか?」


「何とは? ただの推薦状だぞ、ハハハハ」


 趙武は、次々と開けていく。至霊近衛東方将軍からは、至恩を。聞いた事は無かったが、中央幕僚部軍師の藤苑トウオンという方からは、陵乾を。そして、最後に


「それは、俺だ」


 豪快な文字で、龍雲を校尉にしろと書かれていた。全て、凱炎大将軍が調べて、頼んでくれたのだろう。まあ、実際動いたのは幕僚だろうが。


「本当に、ありがとうございます。」


「うむ」



 こうして、趙武の将軍府は、動き出して行くことになった。文官は、まだ足りなかったが。趙武は、ようやく揃った、幕僚や、武官の名前を確認する。


 幕僚、軍を統括する軍師ぐんしに、黄悦将軍の幕僚から残ってくれた、経験豊富な中林チュウリン。そして、参謀長としての長史ちょうしに陵乾。監察官の司馬に、黄悦軍から残留の真面目な洞袁ドウエン。そして、参謀である従事中郎じゅうじちゅうろうに、馬車内で、趙武の独り言に対処してくれた、禅葎ゼンリツ。もう1人の従事中郎は、今のところ空席。そして、副官に当たる主簿しゅぼに、軍侯時代の副官、典張を。


 軍官は、筆頭裨将に、呂亜。もう1人の裨将に、黄悦軍で校尉だった、公哲コウテツ。そして、筆頭校尉に至恩。他に、雷厳、龍雲であった。そして、黄悦軍から続いての筒憲に、


「えっと、最後の校尉は岑平シンペイですか。ん? 岑ですか? それに、若いですね20歳ですか」

 

 趙武の疑問に、凱炎は、珍しく言いにくそうに返す。


「うむ。その岑平だが、陛下の庶子しょしだ。若い頃に、その、身の回りの世話をする、女中にお手つきされてな。で、趙武の下で学ばせたいらしい」


 確か、陛下は、戦に明け暮れた為に、なかなか、お子が出来ず。最近太子が生まれたと聞いた気が、名は確か岑職シンショク


「そうですか、わかりました」


「良いのか?」


「いけませんか?」


「いや、頼む」


 皇帝岑英の息子まで入って、趙武の将軍府は動き出す事になった。そして、



「着任しました、至恩校尉です」


「雷厳校尉です」


長史ちょうしの陵乾です」


「着任御苦労」


「はっ!」


 こうして、3人が着任した。


 趙武は立ち上がりつつ、声をかける。


「着任早々だけど、飲みに行くか」


「えっ!」


「ガハハハ」


「相変わらずですね。趙武君は」

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