(陸)

「ヒュッ、ビュン、ヒュッ」


 趙武は、空気の切り裂かれる音で目を覚ます。おそらく中庭で同室となった男がまだ仄暗ほのぐらい早朝に起き、中庭で矛を振るっているのだろう。中庭には、夜でも勝手に出れるのだ。


 趙武は、再び目を閉じる。そして。少しウトウトとすると、


「グワーン グワーン グワーン」


 朝の起床の銅鑼どらが鳴る。趙武は慌てて起きると、寝間着を脱ぎ、軍服を着ると、寝床を整え、寝間着をキチンと畳んで、置く。そして、走って水場に行くと、口をすすぎ、顔を洗い。外に出て、運動場のある外庭に並んだ。この間十分。



「番号! 一!」


「二!」 


「三!」


「四!」


「五!」


「六! 22班全員います」


 教官が班全員を見渡す。軍服が乱れていないか。キチンときれいにしているか。そして、


「よし! では、駆け足開始!」


「はい!」


 班員全員で、運動場を周回し始める。落後者が出ないように速さを調整して走る。10里(約5km)走って日課終了。これは、休みの日以外、雨の日も行われる。


 今まで、こんな生活してこなかった趙武だが、1週間ほどで慣れて、今は、走るのも苦では無くなった。



 駆け足が終わると、水浴びをし、着替えて食堂へ。朝食を食べて、少し休んで、班の皆とは別々に別れ教練が始まる。



 教練の内容は、馬術教練の日、武術教練の日、生存訓練の日、兵士教練の日、用兵教練の日、そして、何をしても良い自習の日となっていて、班内で順送りして行っている。要するに班員は別々の教練を行っていることになるのだ。


 馬術教練、武術教練、用兵教練は、軍官学校でもやっていたような物だったので、苦にもならず。むしろ得意なくらいであったが。


 ひたすら武器や、食料等の荷物を持って山の中を延々と歩き回る生存訓練や、自分が実際に兵士達の長になって行う、兵士教練は、当初苦戦した。


 特に、兵士教練は、兵士を率いたことがないので、何を行って良いのか、戸惑った。しかし、兵士達の方が熟練であったので、



「えーと、什長様。言われた通り動くので、緊張しなくて大丈夫ですよ」


「ありがとうございます。ですが、何を目指して良いのか?」


「何を目指してですか? たぶん最初に説明あったと思いますが、定期的に什長様含めた我々で、他の部隊と戦って勝つのが目的です」


「そうでしたね」


「で、我々は、だいたい他の部隊と強さ同じように調整されているので、まあ、勝つか負けるかは什長様の指揮次第ってことです」


「なるほど、わかりました。では、よろしくお願いします」



 基本兵士は、5人で一つの集団を形成し、と呼び、その長が伍長ごちょう。そして、その伍、2つを率いるのが什長じゅうちょうで、それを趙武達が担当するのだ。要するに自分含めた11人で戦うことになる。


 趙武は、まず、兵士を2人一組で、組んで動く練習をする所から始めた。


「はい、一、ニ、一、ニ」


 まず、行進する練習から始めた。兵士達は、苦笑しつつも、真面目に練習した。


 そして、2人一組で動きを合わせて、戦う練習へ。


「戦う時は、常に2人一組で戦って下さい。そうすれば、数でも上回ることも可能ですし、お互いの危機も察知出来るので」


 そして、2人の動きが連動すると、4人で連動する訓練へ。そして、


「伍長さんが、二組の動きを見て指示して下さい」


「はい、わかりました」


 そして、それが上手くいくと、趙武自身が、指示して伍と伍を、連動させて戦う練習をした。



 こうして、始めての定期交流戦に突入し、見事勝ち抜いた。


 しかし、趙武は、それで満足しなかった。兵の中の、動きの機敏で、体の小さな人を伍の中から1人ずつ選び、偵察の訓練をした。


「偵察の2人は、1人が前歩いて、1人が少し離れて歩いて下さい。後ろの人は、前の人が見つからないように注意してください。そして、もし前の人が見つかったら、後ろは隠れてください。で、連絡用にこの鳥笛を渡しておきます」


 残りの伍では、偵察用員除いた、4人で戦う練習をした。



 そして、


「よし、敵部隊2つ目撃破ですね。ん、鳥笛の音が聞こえる。もう敵ですか。そして、偵察の2人は、直線距離では、帰って来れないようですね。第一隊は、そのまま、第二隊は、左斜め前方から迂回、たぶん、その進路で、偵察隊と合流出来るので、合流後、背後をついてください。行きますよ!」


 と、いう感じに次々に撃破。最優秀部隊の称号を得ることになる。兵士の指揮能力というよりは、用兵家としての、趙武の能力が優れていたという感じでの勝利だったが。兵士たちが、趙武に全幅の信頼をおいて、何でも言うことを聞いてくれたことが、大きかった。



「いやー、あの学生、凄いね。今まで、あんなことまで、する人いなかったな」


「ああ、面白いように上手くいくから、こっちもつい楽しくなって、のせられちゃったな」


 と、兵士たちの評判になっていた。


 趙武は、兵を上手く率いるのは、信頼関係があってこそと学んだ。この後の、趙武は、その信頼関係を重視して、兵を率いていくことになる。




 こうした軍官幹部候補生学校の、生活の中で、知り合いのいない、趙武は、休みや、自習時間は暇を持て余した。


 見ていると、自習時間と呼ばれる時間は、同じ時間の友達や、仲間と一緒に何かしている学生が多かった。そして、休みでも、とりあえず、周りに何もない場所にあるため、友達同士で遊んでいるようだった。


 そこで、趙武は、班員を見渡した。班員は、趙武、猛藩モウハン孔哇コウケイ辛憲シンケン玖桜クオウ、そして、朝から矛を振り回して訓練する。ストイックな男、龍雲リュウウンだった。


 しかし、趙武は。


「うーん、面倒くさい」


 というわけで、興味もわかず。1人、自習時間は、大京だいきょうで集めた物や、注文して届けてもらったお酒をちびちびと飲みつつ、写本や論文を読みふけっていた。



 この時代の酒は、濁酒だくしゅいわゆるにごり酒。だが、アルコール度数は低く、長持ちしない。そして、やや値段は高くなるが、長持ちさせる為に、繰り返し発酵させ、アルコール度数を高めたのが昔酒せきしゅ。さらに発酵させて出来た澄んだ上澄みだけを集めたさらに高い酒が清酒せいしゅであった。



 幹部候補生学校は、学生に給金は出るし、祖父からのお小遣いという名の、お金もだいぶあったので、昔酒や、清酒をわざわざ取り寄せていた。


 そんなある時、休みの前日、趙武がちびちびと清酒を飲みつつ、本を読んでいると、何やら視線を感じた。ふと、目を上げると、班員の、1人龍雲がじっと見つめていた。


 趙武は、自分で言うのも何だが。黙っていれば、銀髪の長い髪を後ろに束ね、切れ長の碧眼は冷静に見え、そして誰が見ても眉目秀麗。月明かりの下、本でも読んでれば、とても絵になる。


 対して、龍雲は、男前と言うのだろうか? 長身で、凛々しい顔立ちの男であった。


 趙武は、もしかして、惚れられたのか? と思った。趙武には、そう言う趣味は無かったが、ほぼ男ばかりの軍の世界では、良くある事だし、珍しいことでも無かった。


 だが、よく見るとそういうことでは無いようだ。龍雲の視線は、趙武の手元に注がれていた。


「えと、飲みます?」


「えっ、良いんですか! では、遠慮なく」



 普段は、ぶっきらぼうで、克己的こっきてき武骨ぶこつな男が、喜色満面きしょくまんめんの笑顔で近づいて来る。そして、お茶を飲んでいた、茶碗をサッと差し出した。


 趙武は、笑いつつ


「それじゃ、味気ないでしょう。はい、使ってください」


 と言いながら、余っていたはいを渡し、徳利とくりから、清酒を注いだ。


「ありがとうございます」


 と言いながら、龍雲は、グイッと一口飲むと、


「これは、良いやつですね。とても美味しいです」


「良かったです。酒好きなんですね」


「はい、大好きです」


「では、これからも飲むのに付き合ってください」


「はい、ですが」


 と、言いながら懐から、巾着袋きんちゃくぶくろを取り出すと、中を覗き込んだ。


「ハハハ、気にしないでください。これでも給金はだいぶ多くもらっているので」


 そう、幹部候補生学校の給金は、任官時の一階級下の給金が基本なので、龍雲とは、かなり差がある給金を、もらっているのだ。


「では、遠慮なく」


 そう言うと、龍雲は、子供のような無邪気な笑みを浮かべた。

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