第1話 影の死神

 空が茜色に染まり、秋風は黒い髪を優しく撫でる。心地よく優しい息吹は、神の存在を証明しているかのよう。

 平穏を形にするのならば、きっとこのような状況を指すに違いない。


 ──いつまでも続けばいい。


 今の世で一番程遠い現実であり、夢であり希望であり──非現実的なモノ。そんな事を思いながら、少年・ジルド=バレルは畑で仕事をする農家の人々を目で追いながら、野道を歩いていた。


 血腥ちなまぐささも此処には一切ない。土や緑の香りが鼻腔びこうを優しく温かく満たしてくれる。


 農家の男性が視線に気が付いたのか、手を振り、向日葵の如く明るい笑みと共に口を開いた。


「……嘘つき」

「え?」


 目を疑った。いや耳を疑った。その声は確実に男性から放たれたものであり、憎悪に満ちた女性の声。がジルドの鼓膜を揺さぶった刹那、上空は深紅に染まり、さながら硝子のように空が割れ始めた。


 隙間からは闇が蠢き、割れた硝子から溢れ出す黒い水を止めるすべは最早ない。なすがまま次第に亀裂は空全体へと行き渡る。光も何もない──闇であり、音も匂いも風もないが辺り一帯を覆い尽くす。


 ──リーチェ。


 と、暗闇を揺蕩う中、あるいは暗闇が揺蕩う中でジルドは強く念じる。それは理的にではなく本能的なもの。心奥底に刻まれた誓い──使命。


「……ッ」


 強い衝撃が背中を走るのと同時に、水中から引き上げられるような感覚が襲った。


 次第に体は軽くなり、瞼を持ち上げた。次の瞬間、体は迸る熱気を感じ、視界の殆どは真っ赤に染まる。鼻腔を突き抜ける焼き焦げた臭いに、眉をしかめながらジルドはゆっくりと立ち上がった。


「チィ! まだ生きてやがったか」

「あれだけの集中砲火を受けてなお、ほぼ無傷……コイツは本当に属性攻撃が効かないんじゃ……」

「馬鹿野郎! 奴に呑み込まれんじゃねえ!! 影の死神に狩られるぞ」


 燃え盛る広場には数人の男性が立っており、その誰しもが武器を片手にジルドへ殺意を向けている。


 ──ああ、そうだった。


「影、か。その呼び名も悪くない」


 ジルドは覇気も生気せいきもない淀んだ青い瞳で男達を穿つ。


「俺自身……七年前に死んでいる」


 だが、死んではならないと本能が阻止する──矛盾。


「何を訳の分からねぇ事を言ってやがる」


 そう──七年前。魔王軍幹部が一族を皆殺しにして以来。幼馴染を見殺しにして以来。


「訳を知る必要はない。何せお前達はこの影に呑み込まれ、死ぬのだから」

「ハン! この人数相手にいつまで強気な態度を取れるよなあ!?」


 視認できるだけで十はくだらない。

 

「だが……問題は無い。これより、執行する」


 ─────────────────────


「ふむふむ。無事に反勢力を壊滅させたか」


 開放的な空間。


 白を基調とした大広間で異彩を放つ赤い玉座に腰を据えた男──国王・ライハルは、そう単調に述べた。


「だが、彼等は反勢力の一端に過ぎん。ジルドよ」

「はい」と、膝をつきこうべを垂れて応える。しかしここの空間はいつ来ても慣れない。


 重苦しい雰囲気もあるが臭いがキツい。芳香剤に混じって流れ込む油臭さが吐き気を催す。それもこれも、目の前に座る肥えた王から放たれる体臭。


 床を見つめながら、堪らず眉を顰めていれば──


「お前は一族を殺し、故に死刑を免れぬ大罪人。だが、余の道具である限り、使ってやる。分かっておるな?」

「……はい」


 弁明は赦されない。あの魔王幹部を見たのも、リーチェの最期を見たのもジルドたった一人。証明出来る物もなければ、証言できる者もいない。


「良かろう。して、どうだ? 能力の向上は感じれたか?」


 ただ一つ、道具として使われる利点があるとするならば、“本来”なら強くなれると言う事だ。


 だが──ジルドの首は縦ではなく横に動く。


「いいえ、変わりはありません。──七年前、その時から」

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