さよなら風たちの日々 第11章ー4 (連載35)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

第35話


              【9】


《そしてもうひとつのピリオド》 梗概ー4


ある夏。東京から栃木方面に向かう国道4号線を、一台のオフロードバイクが走っていました。そのオフロードバイクは宇都宮市から日光方面に向けて左折し、東照宮、華厳の滝、中禅寺湖を抜けて金精峠に向かいます。

 やがてそのオフロードバイクは、国道沿いに建っているホテルに気づき、そこで停車しました。


 そのホテルは、廃業してから数年が経っていて、廃墟になっていました。ガラスはほとんど割られ、壁はスプレーによる落書きで汚され、ところどころ壁が剥げ落ちています。さらに駐車場の入り口にかかっていた暖簾のれん状の目隠しは、誰かによってズタズタに切り裂かれています。

 そこにオフロードバイクを停めたライダーはゆっくりヘルメットを脱ぎ、髪をかきあげながらホテルを仰ぎました。


 そのライダーは女性でした。その女性は廃墟となったホテルの周りを歩きながら、思いを4年前に馳せました。

 そう。ここ。このホテル。ここでわたしは先生と一夜を過ごし、やがてそれが大事件になってしまったんだっけ。

 だからわたしはその出来事にピリオドを打つために、ここに来たの。


 女性ライダーはしばしそこにたたずんでから、やがてオフロードバイクにまたがりました。

 さあ、行かなくちゃ。私はもう一か所、行かなくちゃならない場所があるの。

 女性ライダーはそのホテルに合掌し、次の目的地に向かいました。

 次の目的地。それは4年前、二人が乗ったオートバイが故障した、あの未舗装の林道でした。


 やがて女性ライダーはあの日、あのときに入った林道の入り口を見つけ、そこから未舗装の林道に入っていきました。

 紺碧の空と深緑に包まれた林道。

 山林に静かに響き渡るオフロードバイクの排気音。

 その姿を徐々に変えながら、オートバイと並走する白い雲。

 標高が高い山奥だからこそ感じられる、凛とした空気。

 そして樹木の切れ目から、ときどき顔を出す太陽。

 そう。その風景は4年前と、まったく同じだったのです。

 ただ違うのは、あのときは一台のオートバイで二人乗りだったけれど、今はひとりで未舗装の林道を走っている、ということだけでした。

 

 しばらく林道をはしっていた女性は、その林道の脇に横たわっているオートバイを見つけました。もう引き取られ、片付けられたと思っていたオートバイが、朽ち果てた姿で、今もそこに放置されていたのでした。

 いいえ。放置という言葉は、その状態にふさわしくないかもしれません。

 ほかの人には不法投棄にしか見えないオートバイ。けれど女性ライダーにはそれが、二人だけの墓碑銘に思えたのでした。

 ナンバーはありません。保安部品は破損していて、破れたシートからは変色した緩衝材が、無残な姿ではみ出していました。車体はいたる所にサビが浮き、泥をかぶって汚れています。

 けれど女性ライダーはその車体から、待っていたんだよ、という声が聴こえてきそうに思えました。

 待ってたんだよ。あなたが来ることを、ずうっと待っていたんだよ。


 女性ライダーは、残酷なまでに朽ち果てたオートバイに話しかけました。

 待たせてごめんね。もう一度、ここに来るんだ。もう一度ここに来て、ほんとうのピリオドを打つんだ。

 そう心に決めてから、もう4年も経ってしまったの。

 でもこれだけは、わかってください。その4年の歳月は、わたしの心に決心がつくまで、ほんとうに必要な時間だったのです。


女性ライダーは朽ち果てたオートバイの前にしゃがみこんで、そのオートバイに語りかけました。

 4年前、わたしは橋の上からちぎった手紙を風に飛ばしているうち、身を乗り出し過ぎて、橋から落ちてしまったの。

 幸い発見が早かったのと、落ちた場所の水面が深かったので、大怪我はしたけど命に別状はなかったの。でもそのときの怪我で、高校は1年留年しちゃったけれどね。

 女性ライダーは照れくさそうに、そうつぶやきました。

 でもそのとき、私は決心したんです。高校を卒業したら、オートバイの免許を取る。

 そしてこの場所に戻ってきて、わたしは自分の恋にピリオドを打つ。


 女性ライダーはそこまで言ってから、朽ち果てたオートバイに合掌しました。

 長い合合掌のあと、女性ライダーは名残惜しそうに立ち上がりました。そうしてオフロードバイクにまたがり、その場から立ち去りました。心の中で何度も、何度も、さよならの言葉をつぶやきながら。

 

 国道120号線。宇都宮方面に戻る女性ライダーは途中、幾度となく、対向車線を走るオートバイとすれ違いました。

 ツーリングの楽しみ。それは名も知らぬライダー同士がVサインを出し合うことです。言葉も交わさないのに、通じ合う心。一期一会の邂逅。それがまた、オートバイに乗る醍醐味でもあったのです。


 やがて女性ライダーが清滝を抜けようとする頃、一台のオートバイとすれ違いました。その刹那、女性ライダーは息を吞みました。

 あのVサインの出し方。まるでタクシーを停めるかのような、大きなアクションのVサイン。そのVサインはかつて、女性ライダーが恋していた先生の、独特のVサインだったのです。


 先生だ。あのオートバイは、先生のオートバイだ。

 だって今日は、4年前の出来事と同じ日なんだもの。あの日故障したオートバイの、祥月命日なんだもの。

 先生もたぶん、あのオートバイに合掌するために、あの場所に向かってるんだ。

 ということは、わたしはもう一度あの場所で、先生と会えるかもしれない。

 そう思った女性ライダーは、オフロードバイクを鮮やかにUターンさせ、教師のあとを追いました。


 先生。わたしは大人になりました。二十歳になったんです。もう私は先生の前で、泣きじゃくることはありません。これからは恩師と教え子。そんな関係になるでしょう。

 でも先生。先生はあの頃のように、これからもバカだなぁって、わたしの頭を、ぽんぽん叩いてくださいね。わたしは先生に、頭をぽんぽん叩かれるのが大好きだったんです。

 

 女性ライダーのオフロードバイクは先生を追うように、国道120号線を戻りました。その心地よいオフロードバイクの排気音は、女性ライダーの胸を躍らせます。

 青い空に浮かぶ夏独特の真っ白い雲は、それを見届けようと、オフロードバイクと並走しています。

 真夏の国道120号線。深緑に包まれた国道120号線。わくわくする女性が駆け抜けるその道路。それはまるでどこまでも続く、バージンロードのようでもありました。



                           《この物語 続きます》






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