第二百八十九話 聖魔女《しんゆう》最期のワガママを
邪気汚染された魔物たちの群れを排除して聖堂までの道を作ってくれる調査兵団ミミズクたちに礼を言う余裕などなく、駆け抜けた俺たちは聖堂の扉を開けて滑り込んだ。
そこそこ頑丈な扉を急いで閉じると、外の喧騒とは打って変わって静寂に包まれる。
以前俺が最後に来たのは国王ロドリゲスを求める精霊神、邪気吸収装置として封じられた古代亜人種に引き合わせた時以来だが……聖堂自体はあの時と何ら変わることなく厳粛な雰囲気を醸し出していた。
あの時は禍々しく思えた精霊神像も今は普段通りに荘厳で神々しい感じである。
その像の前に、一人の女性が瞳を閉じて静かに佇んでいた。
長く美しい水色の髪に黒い服装は修道女のモノではなく聖女が纏う法衣、そして手にする武器は師から受け継いだであろう巨大なメイス。
静かに佇むその姿は聖女と言うよりは手練れの武人……そんな彼女の全身には顔も腕も無いところが無いという程に傷跡が刻まれていた。
己が今代において最高の光の聖女だというのに、自らに回復魔法を使用する事を頑なに禁じた悲しき堕ちた聖女。
聖魔女エリシエルはその場にいるだけで消えそうになるくらいに薄弱な存在感で、待ち人の到来を待っていた。
「で……この流れならここで待っているのはアンタしかいないよね。アタシ専用の足止めって考えるなら、本来邂逅するはずも無かった聖魔女しか……」
「……お久しぶり、リリー。良かったです……貴女が生きている世界が存在して」
ゆっくりと瞳を開き、親友の存在を確かめる彼女には蟠りも憎悪も何もなく、ただ親友が生きている事に喜んでいるようにしか見えない。
そんな彼女、聖魔女は俺へと視線を移すと背後の像に向かって道を開けた。
「ギラルさん、貴方を待ち構える古き復讐者はこの像の先、皆が精霊神と称えるモノの間にて待っております。最早封印者の血に関係なく進めるよう魔術を改変されておりますのでご安心を」
「あ……そうっスか」
元々は邪気吸収装置を作った者の血を引く末裔、王族連中しか入れなかった場所に行けるように改造しましたと言われても、素直には喜べんな。
なんせ、その様を見届けた時は国王ロドリゲスが手を伸ばして助けを求める姿だったし。
そんな躊躇する俺に対して、聖魔女エリシエルは深々と頭を下げた。
「改編者ギラルさん……リリーを救っていただき、そしてイリスを見送っていただき、誠にありがとうございました」
リリーさんの事は一目瞭然だが、イリスを見送ったという事については現代のイリスではなく『最後の聖女』だった、真に『聖魔女』の後輩にあたる方のイリスの事である事に結び付くのに少々時間を要した。
そして同時に理解する。
『聖魔女』にとって『最後の聖女イリス』への深い深い罪悪感と感謝の念、そして自身の死を押し付けてしまった事に対する後悔。
彼女にとってイリスは可愛い後輩であり、自らを終わらせてくれた恩人であり……そして自身を殺す罪を背負わせてしまった心残りだったのだろう。
その事を分かった上で、俺は何でもないようにヒラヒラと手を振った。
「あの娘も俺にとっては仲間だった。等しく最低な未来を盗む為の共犯者だったってだけさ。仲間の生き様、散り際を見届けるのは当然だろ?」
「そうですか……それは何よりです」
最早あのイリスが生まれる可能性は皆無、何しろ異界の勇者が召喚されなければイリスが『最後の聖女』を名乗る事も無い。
その事実は『聖魔女』にとって喜ぶべき事でしかないようで、邪気からの具現化のワリに彼女は実に清々しい笑顔を浮かべていた。
そしてその視線は『予言書』では同じ邪神軍の四魔将として戦っていたハズのカチーナさんにも。
「驚きました、リリーが生きている事もさる事ながら私とあれほど意見を違え、同じ邪神軍であっても決して相容れず隙あらば私でさえ命を奪う事を躊躇わないほど憎らしかった『聖騎士カチーナ・ファークス』とこの世界では親友が協力して同じ敵を倒そうとしているというのですから」
そう言えばそうだったな。
『予言書』で『聖騎士』と『聖魔女』は互いに殺し合いも辞さないくらいに仲違いする程だったな。
あのタイマン上等の脳筋思考が隙を見て殺したいくらいに思っていたのは少々予想外ではあったけど。
「ついでに言えばこっちの世界のシエルとカチーナは好敵手って言ってもいいくらい技をぶつけ合う仲だよ。こっちとしてはアンタらがいがみ合ってた『予言書』の方が信じられないけどね」
「そっちの私も『聖魔女』の実力は認めていたようです。ただ、それでも自分が得られなかった想われる人がいると言うのが認められず……平たく言えば羨ましく嫉妬していて、どうしても否定したかったのですよ。実に幼稚な事に……同類を、友達を欲していただけだったんですよ」
「あらら……」
当時の『聖騎士』の本音を『予言書』に至らなかった本人から聞かされるという妙な状況なのだが……『聖魔女エリシエル』は目を丸くして驚いた。
どうやら自分が羨まれていた、友を求めていたなど予想もしていなかったようだ。
「そっちの私とこっちの私の違いは少しだけ……逆恨みの感情を盗んでくれた唯一の人がいた、それだけの事です。それだけで、私は貴女と友になる事が出来ました」
「そうですか…………友を失い聖女を捨てて私の瞳は雲っていたようです」
自嘲するように薄く笑みを浮かべると『聖魔女エリシエル』はそのままリリーさんとアイコンタクトをし……軽く頷いた。
「やれやれ、ワーストデッドの一員として最後までトリオで行きたかったんだけど、この娘の相手をするのはアタシしかいないでしょ」
「リリーさん……」
「長い付き合いだから、アタシには分かるんだよ。『聖魔女』に堕ちたシエルが今何を欲しているのか。アタシが生きていてともに地獄に堕ちるハズの男と宜しくやっている世界の結果を見届けて尚この場に残ってしまった最後の未練ってのがさ」
「…………」
この先は人数が多い方が有利とか、この場は3人で戦った方が効率がいいとか、そんな事は分かり切っているけれど……そんな分かり切った事で二人の友の語らいを邪魔する事が無粋である事くらいは理解している。
そういった矜持も含めてアルテミアが準備をしていたとするなら、正直大したものだ。
『聖魔女』の前を無言で通り抜け精霊神像の前に俺とカチーナが立ち、そのまま振り返らずに
「……明日も仕事の予定があるからな。遅れは許さねーぞ、ポイズン・デッド」
「ついでに祝勝会の予定もありますから……我らワーストデッド全員で」
*
何ともヤツ等らしい“勝て”とか“死ぬな”でもない明日の予定を押し付けるようなエールを残して、二人は精霊神像に同時に触れるとそのまま像を中心に発生した魔法陣に消えて行った。
それを見届けてから、リリーは苦笑交じりに狙撃杖を一回転させて棍棒のように構える。
それはいつのも様に弾丸を狙撃するスタイルではなく、文字通り棍棒として使う為の構えなのだが……対する『聖魔女』は特別驚く様子も無くメイスを正面に構えた。
「さ~て……これで二人きりだぞシエル。
「そうね……本当に久しぶり。こうして貴女と正面から語らう機会があるだなんて……どれほど渇望した事か」
リリーには分かっていたのだ。
親友が己の望む未来を確認して尚この場に、自分の前に現れる理由など一つしかない。
「ったく、アタシの事なんて忘れて構わず惚れた男とどっかに行っちまえば良かったんだよ。山奥でもどっかの離島でもいい……地獄まで共にする変人が傍にいたんだ。どんな場所でも生きていけただろうが」
「そうね……私はその事に気が付くのが余りに遅かった。それゆえにどんな道であろうと共に歩もうとするあの人を地獄まで共にさせてしまった。あの人が地獄に至らない為には自身が違う道を歩むしかなかったと言うのに」
『聖魔女』の言うあの人、ノートルムは彼女が闇に堕ちようと手を汚そうとも、共に歩み支えてくれた掛け替えのない存在ではあった。
分かりやすい善悪の区別など無く、シエルが親友を失った絶望を共有できるからこそ彼もまた『聖魔女』の選んだ道筋を否定する事なく地獄まで共にいてくれた。
どんなに自分と違う道を行くよう突き放そうとも……。
『聖魔女』がその事に気が付いた時は……最早全てが遅すぎた時だったのだ。
「こっちのアンタは既にその変人と結婚しちまったぞ? それも盛大に祝福されてさぁ……アタシの復讐に囚われて人知れずベッドで傷をなめ合ってたアンタらとは違って…………アレ? その辺に関しては今と大差ないのか?」
「あ……はは、その辺はまあ……世界が変わっても彼の愛情に変わりが無かったって事で」
「何だよ、結局惚気か?」
二人は一しきり笑い合うと、そのまま正面からにらみ合い……対峙する。
「最期に
「本音を言えば自分が道を間違った時こそリリー、貴女に止めて貰いたかったのですけど……残念な事にその時に貴女はおらず、その代わりをイリスにさせてしまいました」
「それを言われると……正直辛いね。だからまあ、折角知らずに終わったイリスに役割を蒸し返させない為にも……この場はアタシが何とかするしかないワケだ」
「戦績は……確か私の勝ち越しでしたよね?」
「接近戦においての勝率は完全にゼロだよ。本来狙撃手専門のアタシが聖女と正面切って戦う事自体がイレギュラーなんだから……けど!」
「!?」
そこまで言った瞬間リリーは一気に地面を蹴って『聖魔女』へと肉薄、そのまま狙撃杖……ではなく杖を持たない左の掌をそのまま腹部に押し付けた。
限界まで火の魔力を込めたミスリルの弾丸を隠し持って……。
「今日は勝ちを頂くよ、ポイズン・デッドの名に懸けて。そして……アンタを笑って終わらせてやるために!!」
静寂に包まれていた聖堂に“ドン”という激しい爆発音が響き渡る。
奇跡的な邂逅を果たした親友同士の最後の喧嘩、そのゴングが今鳴らされたのだった。
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