第二百八十三話 化粧怪獣の餌
「折角ムカデの運命は避けられたのに、今度はタコみたいに……」
崩壊する城の土煙が晴れて行くと、巨大な顔面の下で無数の触手が蠢いているのが見え始める。
じっくり見なくても断言できる……吐きそうだ。
「ギラル、一体何が……う!?」
「何なのよこの地響きと不気味な声……ウップ!?」
俺の後から屋根に上って来た二人は揃って青春の雄たけびを上げかけて、何とかとどまっていた。
無理も無い、もっと間近で見ていたら耐え切れなかっただろうがな……俺も含めて。
「ドラスケ……幾ら邪気を受け入れた邪人だったとしても、アレは無いんじゃないか? 生粋の死霊使い《ネクロマンサー》のマルス君でもあそこまでデカくは無かったぞ!?」
『あの少年はあくまで邪気のみで物体を具現化しておったからな。しかしあの化粧ババアの成れの果ては、性根の部分で自分の足りないモノを他者から奪い取ろうとする欲求でもあったのか、周囲のモノを何でも取り込んでいるようだの……それこそ人であろうと魔物であろうと、植物であろうと瓦礫であろうとな』
マジかよ……自分に無いモノを他者に求め依存する。
そう考えればあの王妃が厚化粧で塗りたくっていたのも地位をひけらかして他者を見下していたのも分かる所業ではある。
結局威張り散らそうと贅を尽くそうと、ヤツは自分自身に自信が無かったのだろう。
他者どころか自分以外の全てのモノで固めて自分自身を決して見せないように。
それでも最終的に最も他者から見られる外側には自身の悍ましい顔が表出するという本末転倒な状況。
「邪人になっても化け物になっても……化粧で塗り固めて己の醜さを隠すどころか晒してしまうってのは、最早あの化粧ババアの性なのか?」
『哀れと言えば哀れだが……かと言ってヤツの罪が無くなるワケでもない』
ごもっとも……ドラスケの呟きに俺は深く頷いた。
どんな悲惨な過去があろうと辛い人生を歩もうと、他者を害した時点で最早被害者を気取る事は出来ない。
そんなのは自分の顛末を『予言書』で見た日から身に染みて分かっている。
そして、俺達がそんな気色の悪い怪物を直視出来ずにいると、いつの間にか登ってきていたロンメルのオッサンが顔を顰めつつ呟いた。
「むう、あの化粧怪獣……徐々にだが結界のある方向へ向かっておらぬか? 周囲の建物を破壊しながら……」
「え!?」
そう聞いた瞬間、リリーさんは狙撃杖のスコープを怪物が進行しているであろう方角へと向けるが、確認した彼女は思わず声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってちょっと待って!? アレって光魔法の結界……ファークス家の方角じゃないの!?
「何ですって!?」
ファークス家の光属性魔法の結界!? そこはカチーナさんの実家であり避難所として大勢の市民が避難している、シエルさんが結界を張っている場所だ。
しかもそこにはノートルムの兄貴は勿論の事、孤児院のマルス君含むガキどもやファークス家の面々、そしてクルトの兄貴や身重のスレイヤ師匠も避難している……俺達にとっては最も重要な防衛拠点と言っても過言ではない場所なのだ。
「何なんだよあのクソババア!? まさかあそこが“俺たちにとって”要所である事を分かった上で向かっているのか!?」
恐らくは偶然、単純にあの化け物は目についた人間たちの結界に向かっているだけだろうとは思うが、それでも思わず言ってしまう。
あの体たらくになってもなお『ワースト・デッド』への恨みで動いているのが確かなら、万が一にもと………………って。
その瞬間自分で言っていて、二番煎じとは思いつつ一つの作戦が思いついた。
「あ、そうか……しかしそれは……」
「何!? 何か手があるの!?」
「手って言うか、アレが大本の指令を無視してまで殺したがっているのは要するに俺らって事だろ? 要するに餌の存在に気が付けばそっちに向かうだろうって事さ」
「あ……」
基本的にいつも冷静な方であるリリーさんなのだが、やはり親友たちに危機が迫っている状況で冷静ではいられないらしいな。
俺の言葉でハッとした表情になった。
しかし以前は邪気で強化されたマルス君を誘導する為に餌にしたヤツを、今度は誘導する為に俺たち自身が餌になるとは、なんという皮肉なのか。
「それは最もだけど……ここからでは距離があり過ぎる! 幾らアタシ等の足でも辿り着く前にファークス家は結界もろとも蹂躙されてしまう!」
「そこなんだよな……光属性最強のシエルさんの結界でもそれ以上の攻撃を加えられたらお仕舞だ。あの物量じゃ一発堪え切れれば御の字だろうし」
この場にイリスがいれば……などと考えてしまうが、今の彼女はまだ時空魔法の入門状態、この距離を一気に転移させる技術はないだろう。
最早ダメもとで全力疾走するしか無いか……そう思って踏み出そうとしたその時、不意に脇で聞いていたロンメルのオッサンが口を開いた。
「……詳細は分からんが、要するにとにかく速くあの怪物の元に貴殿らを送り込めれば良いという事であるな?」
「それはそうなんだが、さすがに一瞬にしてあの場所まで到達するような方法は……」
しかし最悪の状況すら思い浮かべる俺に対して、ロンメルのオッサンは状況に似つかわしくない実に良い笑顔で俺の肩を掴んだ。
「何を水臭い事を、我と貴殿の仲では無いか。今こそ友情の合体技とやらの使い時ではないか!!」
「…………え?」
*
一方、突如ザッカールの王城から出現した悍ましい怪物が迫るファークス家の邸では結界内に避難した大勢の人々パニックを起こしていた。
城クラスの巨大な頭が気色の悪い触手をウネウネさせながら迫ってくるのだから、怯えるなと言う方が無理と言うモノ。
誰しもが共通の、一生もののトラウマになっても不思議では無い。
「うわああああああああ!? 何だ、何なんだ!? あの気持ち悪いババアは!?」
「アレってまさかクソ王妃!? う、うえええええ……」
「うわああああああん! ママーーー!!」
泣き叫ぶ子供に、絶句する者、阿鼻叫喚の状況の共通しているのは誰もが恐怖しているという事に尽きる。
そんな中、同様に恐怖を抱いていても、何とか冷静に対処しようとする者たちもいた。
その女性は顔を青くしながらも気丈にこの邸で最も高い位置にある見張り台に赴くと、現在のファークス家の防衛に最重要になる人物に声をかけた。
「聖女エリシエル! あの怪物に襲われた場合、貴女の結界は耐え切る事が出来るのでしょうか?」
「……難しいでしょう。ある程度の耐久なら出来るでしょうが、物量が違い過ぎます。残念ですが現状であの怪物は“この結界を”目印に向かっているようですので、今のうちに避難民たちを引き連れて逃げるのが得策かと」
「そう……ですか……分かりました」
そんなシエルの見解に難しい顔になるものの、決して激高も絶望もする事なく頷いて見せるのはファークス夫人。
この邸の主の一人であり、以前は選民思想の代表の様に高飛車で高価なドレスを纏っていたハズの人物だったのだが、今は安物ではないものの動きやすい服装に化粧すらしていない以前とは真逆な姿であるのに、以前よりも遥かに貴族らしい立ち振る舞いである。
その姿は彼女だけではなく娘たちも同様で、邪気の発生から魔物の出現の初期から積極的に避難民を守る為に活動する様は、これぞ本物の貴族であると称されるほど避難民たちに称えられる程であった。
もっとも、そんな人々の評価を誰よりも否定しているのがファークス家の面々であるのだが……。
「ファークス夫人、貴女も早く脱出して下さい。ご子息の年齢を考えればどうしても足が遅くなるでしょうし、結界の外に出れば魔物に襲われるのは必至。夫たち聖騎士団の指示に従い、準備が出来次第限定的に結界を解除いたしますのでその間に……」
アッサリとまるで定期連絡の様に告げられたが、その言葉の意味を夫人は理解していた。
『光の結界を囮にするから、その間に逃げろ』
当たり前のように自分自身を犠牲に他者を逃がそうとするその姿に、ファークス夫人は複雑な表情を浮かべた。
「やはり聖女という生き方をする者はどこまでも高潔な魂をお持ちなのですね。他者を生かす為であるなら迷いなく己を盾にする」
「それこそ個々人で違いますよ夫人。聖女……聖職者であっても欲に塗れ本質を見失った偽物もいます。同様にこのような非常時にこそ民の為に動く事が出来る本物の貴族だって現れる……貴女や侯爵様のように」
「わ、私は……そのような立派な存在ではありません」
シエルの言葉に目を伏せる夫人の顔は後悔に満ちていた。
彼女も彼女でバルロス侯爵同様、怪盗に奪われた息子をカルロスに命がけで助けられた日以来、己の所業を後悔し続けて来た一人なのだった。
「犯した償いきれない罪を贖うために、少しでも“あの子”が行ったハズである善行を肩代わりしようとしているだけなのです。必要であるなら、喩えこの命であっても“あの子”なら迷いなく賭ける事でしょう……。わ、私にはそこまでの覚悟はありませぬ……」
夫人のその姿を見てシエルは言葉とは裏腹に、彼女自身が死して罪を償う……死に場所を求めているのが見て取れた。
後悔するのも贖罪するのも人それぞれ……償う相手が本当にソレを望んでいるというのなら何とも言えないが、少なくとも“対象の人物”を知るシエルとしてはその贖罪の仕方だけは許すワケには行かなかった。
「あの方は死での償いを認めて下さるほど甘くはありませんよ? 仮にそのような考えで死して黄泉路で再会したとて『私が守った大事な弟をほったらかして何をやっている』と激高されるのがオチです」
「……え?」
「守るべき者を守る為に生きる……それこそがあの方の望む贖罪ではないのですか?」
フッと笑いながら、そう告げるシエルの表情は聖女らしく美しいモノだが、夫人にとってはどこまでも優しく、そして厳しいモノであった。
そして覚悟を決めた侯爵夫人として、そして母としての表情になった夫人は避難誘導を行う為に見張り台から降りて行き……入れ違いで一人の聖騎士が登って来た。
「自分の罪を贖えると思った貴族から名誉の死を奪うとは……ウチの嫁は厳しいね」
「アラ、幻滅したかしら?」
「いいや、惚れ直した」
そう言いつつノートルムはシエルを背後から抱きしめて、少し前では絶対に自然には出来なかったハズの口づけをかわした。
「……結界から外に出たら魔物が集まって来るだろうからな。避難民たちを誘導する為にも聖騎士団は一緒に行く事になる。少しの間別行動だな」
「帰ってからほとんど一緒だったんだから、少しは距離を取った方が良いでしょう? スレイヤさんも言ってたけど程々の距離は夫婦円満には必要らしいですよ?」
それは図らずもギラルが『予言書』で見た最終決戦前夜の逢瀬にも似たやり取り。
囮としてこの場に残るシエルと避難民の護衛の為に出るノートルムは戦略上どうしても別行動をする事になってしまうのだから。
しかしどちらも命の危険が伴う状況なのは同じはずなのに、『予言書』ではあった悲壮感が現在の二人からは感じる事が出来ない。
また再会する事を確信しているように、互いに互いを信じているように……その目にあるのは悲壮とは真逆の光であった。
当たり前な事にどちらも死を賭して、などと言う覚悟はサラサラない。
図らずもシエルが恋心を知ったのはつい最近の事。
だというのに流れで夫婦にまでなってしまったのだから、彼女は現在付き合いたてのカップルと新婚という状態であり……バカップルにおける浮かれ状態が二倍になっている。
さっきは一方的にファークス夫人に尊敬されていたシエルだったが、本音の彼女は誰よりも強欲に、今の幸せに固執しているのだった。
「ご武運を……」
「そっちこそ、俺はまだまだ愛し足りないんだからな! 全て片付いたら三日三晩は覚悟しておいてくれよ。確か有給はまだ残って……」
「も~こんな時まで! 早く行きなさい!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます