第二百八十一話 躍動するハゲと筋肉

 屋根伝いに高所を駆け抜けるのは俺達ワースト・デッドにとっては常套手段で、それは昼であれ夜であれ人混みに埋もれる事なく目的地まで移動する事が出来るというのが利点なのだが、今日ばかりはその人混みの意味合いが違う。

 建物の下で蠢き徘徊するアンデッドたちを避けるために高所を移動するというのは、子供の頃“地面を歩いたら死ぬ”などという字面は物騒な割に無邪気な遊びとしてやっていたヤツに近い感覚がある。

 最も、今の俺たちは本当に死ぬ危険があるからこその行動であり、全く持って緊張感が違うのだがな……。

 そしてそんな地上を徘徊する魔物はアンデッドのもではなく、時折全身が黒い巨大なネズミや昆虫のような魔物も蠢いている。


「……なんなの、あの巨大なカマキリにネズミみたいな黒いの」

『恐らく高濃度の邪気に精神性の低い小動物が侵され巨大化したか、さもなければ元凶がライシネルのカエルの様に召喚したかのどちらかであろうな』

「うげ……」


 ただ昆虫が巨大化しただけでも悍ましさは何倍にも跳ね上がる……眉を潜めるリリーさんに対する巨大生物についてのドラスケの解説に俺は思わず呻いた。


「まさか、あれらも魔力で増殖したりするのか?」

『いや……恐らくそれはあるまい。あのカエル共は魔力を媒介に増殖してはおったが、体内の構成要素はほぼ水であった。大量の水が無ければ増殖どころか存在維持も出来ん』

「そ、そうか……それは少し安心……」

『ま……代わりに一体一体の邪気を硬質化しておるようだから、防御力は高そうだがの』


 安心できねぇ……。

 同時に俺は『予言書』で聖王が勇者との最終決戦の時に出現させていた邪気の魔物を思い出していた。

 種類は違うが理屈は恐らく同じなのだろうから、そうなれば出所は彼の親戚筋と考えるのが一番打倒な気がするのは俺も同じ。

 あれほど暗躍しての世界の崩壊を望んでいたのに……いよいよもって聖王の叔母様も手段も選ばず、節操も無くなって来たもんだ。

 そしてそんな魔物たちが集中するとするなら人間えものが集中する場所なのは当然の事であり、王都でそんな場所と言えば最早結界で防衛陣地を築いている貴族の邸……避難場所しかありえない。

 俺たちの進行上で最も近くに見えていた青色の結界、恐らく水属性魔法の結界だろうが、そこに到達した時眼下に見えたのは大量のアンデッドと黒い巨大生物が、結界前に陣取る人間たちと激しい戦いを繰り広げる光景であった。


「「「「「「オオ……オオオオオ…………」」」」」」

「「「「「「ギチギチ……チキチキチキ……」」」」」」


 ゾンビ特有の呻き声と巨大になった事でこっちの耳にもよく聞こえるようになった昆虫特有の警戒音が耳障りに不気味に聞こえる中、人間たち……この場では王国軍の騎士が多いが、連中の気合の入った声が響き渡る。


「前衛は無理をするな! 受けに徹して死なぬ事を心掛けろ!! 中衛、後衛は確実にヤツ等を仕留め前衛を何としてでも守るのだ! 我らの命は我らのモノに非ず、市民を守るためにこそ存在する! 誰一人として勝手に死ぬ事は許さん!!」

「「「「「「「了解!!」」」」」」」


 それは実に息の合った効率的な戦い方。

 盾と鎧で固めた前衛が魔物を抑えている間に中衛の連中が槍で突き、後衛の者たちが弓矢や魔法で攻撃……役割分担を徹底する事で守る事に特化した基本的な戦闘を見事にこなしている。

 と言うか前線で戦っている王国軍の格好はバラバラだし、中には近衛兵の軍服を着た連中すら混じっている。

 そして前線で連中を指揮しているオッサンは……確か大元帥ジントリック?

 本来は後衛も後衛、王城で指揮を出して戦場になど立つ事も無いハズの連中が何でこんなところに……。


「グワ!?」

「……あ!?」


 そんな事を思った時、一人の前衛が巨大なカマキリの魔物による強烈な薙ぎ払いを喰らって吹っ飛ばされた。

 そして落ちた先はアンデッドたちが蠢く集団の真っ只中、大量の捕食者の中に一人だけ取り残されるという正に最悪の状況……そんなの下手すれば数分でヤツ等の餌食に!?

 俺は慌ててザックから鎖鎌を取り出し投擲をしようと構える……のだが、その行動は無駄であった事を速攻で悟る事になる。


「むうん! その筋肉は貴殿らには勿体ないのである!! 代わりに我が筋肉を喰らうが良い!!」

ボゴン!!


 そんな何とも言えない暑苦しいセリフを吐きつつ現れた一人の格闘僧は、踏み込みの威力をそのままに肩で巨大カマキリにタックルを叩き込むと、アンデッドたちの群れに向かってカマキリを砲弾の様に吹っ飛ばした。


「ギギギギギ!?」

「「「「「「「ブオ……!?」」」」」」


 そしてその巨体は器用な事に倒れていた王国兵には当たる事なく、立ち上がって襲い掛かろうとしていたアンデッドたちのみにぶち当たり、兵士以外を吹っ飛ばしてしまった。

 自分が助けられた事を理解したようで、王国兵は即座に立ち上がると自身の盾と剣を拾って再び陣を構築する。


「すまない師父! 恩に着るぞ!!」

「気にする事は無い! 貴殿の筋肉の活躍はまだこれからである!!」

「ああ、その通りだ! オオオオオオオオ!!」


 暑苦しいまでの戦場での漢同士のやり取り……こんな状況だというのにどこも変わらない平常運転な筋肉ハゲオヤジに呆れると共に、内心ちょっとホッともする不思議。

 まあこの状況でこの脳筋が出張らないワケが無いものな。


「相変わらずのようだな、あの脳筋ハゲオヤジ……」

「どんな困難な状況であれ己を変える事なく信念を持つのは素晴らしい事。戦士としても聖職者としても中々出来る事ではありませんよ」

「そんな大層なもんじゃないでしょアレは。こういう状況でも戦いの中に喜びを見出している辺り、やっぱりあのオッサンは生涯現場主義なんだろうね~」


この中では誰よりも付き合いの長いリリーさんは、元同僚ロンメル師父の変わらぬ姿に喜んでいいのか呆れて良いのか、複雑な顔を浮かべていた。


 それからも襲い来る魔物たちを相手に一歩も引くことなく奮戦する王国軍とロンメル含む格闘僧たちだが、徐々にだが魔物側の攻撃パターンが変わり始めた。

 どうも連中が集中的にロンメルの事を狙い始めたようなのだった。

 アンデッドに昆虫や小動物など知能が低い類の魔物とは言え、戦略的に最も厄介な敵が誰なのかを判断した結果なのだろうか?

 普通であれば本能的に集団の弱い部分に集中するモノだろうが、その弱い部分に攻撃を加えようとすると途端にハゲオヤジのフォローが入るからな。

 向こうとしても“こいつを何とかしなくてはどうにもならない”と判断したのだろうな。

 見る限り向こうの戦力はある意味無尽蔵にして個々の感情が無い、本当に蟻や蜂のように全体を個として考え、自身の命を顧みる事のない玉砕攻撃だ。

 そんな攻撃を個人で受ける事になるなら、いずれはスタミナも切れて限界が訪れる。

 そうでなくても普通ならビビッて尻込みするか辟易しそうなものだから効果的な戦略と言えなくも無い。

 まあそれが普通であればな……。


「フハハハハハ! 何やら魔物どもの殺気が我に集中しているのである!! 良いぞ良いぞ、命を賭けた戦いに種族も人種も関係は在りはしない。黄泉路の土産に我が筋肉を存分に味わわせてやろうではないか!!」

「「「「「ギギギギ……」」」」」


 物量で押す相手に笑顔で拳を振り回し続ける脳筋ハゲオヤジに、むしろ感情の無い群衆であるハズの魔物たちの方が引いているようにも見える。

 断言できるが、多分ホッといても大丈夫だとは思う……思うのだが。


「少なくとも戦友と情報共有する時間確保の手助けくらいはしても罰は当たるまい」


 俺は瞬時に魔物の群れに仕込んだ魔蜘蛛糸を引っ張り上げて、ロンメルに殺到していた連中の全身を一時的な行動不能に陥らせた。


「「「「ギギュ!?」」」」

「ム!? この捕縛術は!?」


 ゾンビなどは自身の動きが制限された事に気が付いていないのか反応が鈍く、昆虫たちもいきなり行動が制限された事に戸惑いを見せるのみだが、本人たちよりも先に脳筋ハゲオヤジの方が気が付くのが早かったようだ。


ドゴン!!「「「「「「ブギョ……!?」」」」」」


 次の瞬間には凶悪な笑みを浮かべて腰を落とすと、いわゆる正拳を魔蜘蛛糸で一塊になった群れに向かって叩き込んだ。

 更に上空に吹っ飛んだ塊に稲妻の如き俊足で肉薄したカチーナが両断すると、とどめとばかりにリリーさんの狙撃杖の連射がハチの巣にしていく。

 その塊が地面に落下した時には、原形をとどめているモノは一つも無かった。


「おお、来てくれたかリリー殿! それにギラル殿とカチーナ殿も!!」


 ちなみに俺たちの格好は何時もの冒険者スタイルに戻っている。

 一応このオッサンにはまだ正体が知られていないし、何よりも王国軍の連中の面前で怪盗している暇はないからな。

 怪盗をする上で、早着替えは必須項目なのだ。

 そんな俺らに振り返り満面の笑顔を浮かべるロンメルからは、九死の状況下で味方の援軍に喜ぶというよりは、知己の戸再会を喜んでいるくらいにしか思えないほど、いつも通りしか見えなかった。


「助太刀が必要だったとは思えないけど……一応来たよ不良格闘僧ロンメル師父」

「フハハハ! 我より先にクビになった貴殿に言われるのは心外であるな~、落第魔導僧であったリリー殿!!」






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