第二百七十八話 誰もが知る、誰も知らない悪党

「ワ、ワーストイデッド!? ほほ本物……」


 未だ接岸できずにいる船の上から驚愕と憧憬を混ぜたようなジャイロ君の声が聞こえる。

 やめんか、そう言う反応は……頼むから再発するんじゃねぇぞ。

 再び若者が自分のせいで道を踏み外さないか心配になっていると、慌てた様子でもう一人の古参メンバー、ポイズン・デッドが現れた。

 いつもの黒いつばの広い帽子にポンチョの姿なのだが、大急ぎで着替えたのか若干肩のあたりが崩れている。


「ちょっと、どういう事? 今回はこっちの仕事は無かったんじゃないの?」

「そのつもりだったんだけど、どうしてもあちらの親御さんには俺たちの茶番が必要みたいだからな……」


 俺が視線だけで尻もちついて未だに驚愕の瞳でこっちを見ているファークス侯爵を示すと、リリーさんは「ああ……」と納得の声を漏らした。


「ただ……その件とは別に厄介な案件が立ち上がったのは否めないんだがよ。まさかこんな時にザッカール王国の汚職の頂点とも言うべきカザラニア公爵が現れるとは……な」


 俺は唐突に姿を現した厚顔不遜、自分以外の全てを見下しているような嫌な貴族の代表としか思えない男がこの場にいる事が心から疑問だった。

 カザラニア公爵……ザッカール王国における経済、表の利益も犯罪や汚職も交えた裏の金も含めた流れを全て司る最上位貴族。

 その権力の高さゆえに裏組織全てと繋がっていると誰もが分かっているのに、繋がりを証明できた事はただの一度も無い。

 それは数多の組織を末端から大物まで潰して来た調査兵団であっても同様だ。

 戦闘は元より未だに情報戦でも上に立てる気がしないホロウ団長ですら、この男の全容を掴む事が出来ないという、ある種の化け物と言える。

 が……最近俺達のような特殊な“世界の異物”と付き合うようになってからホロウ団長は違う着想を得たらしく、彼自身がカザラニア公爵に対して認識を変える事になった。

 その事で先日、オリジン大神殿でホロウ団長に頼まれた事があった。

 もしもこの先、カザラニア公爵を名乗る人物と遭遇したら一つの質問を投げかけて欲しい……と。


「お初にお目にかかります公爵閣下、我が名はハーフ・デッド。この世に隠された真に不要なモノを盗み出す薄汚れた窃盗団、怪盗ワースト・デッドが首魁ハーフ・デッドと申します。以後お見知りおきを……」

「ハン、汚れたコソ泥が名乗り上げとは……その程度の礼儀を弁える教養はあるらしいな」


 俺の名乗り上げ、自己紹介を不遜な態度を崩す事無く鼻で笑うカザラニア公爵。

 逆に言えば幾らフルプレートの私兵たちに守られているからと言って、余裕を崩す事もないのだから随分と余裕があるように見える。

 体格からそんなに戦闘に向いているとも思えないのに、実に不自然なほどに……。


「よろしければお尋ねしたい公爵閣下。これから宿敵として見える事になる公爵閣下、貴方の御名を」

「ふん……怪盗などを名乗るワリには随分と情報に疎いようだな。我が栄光ある家名は先ほどそこで這いつくばるファークスめが口にしたであろうに。その程度も耳に出来ないとは随分と注意力が足りん」

「いや、そっちじゃねぇよ」

「…………あ?」


 得意げにこっちの上げ足を取ろうとして来る公爵に、俺は団長から託された一つの質問を投げかける。

 何故か口にする瞬間、全身の毛が逆立ち一瞬にして口がカラカラに乾いていく異様な緊張感に包まれながら。


「俺が聞きたいのはカザラニアなんて言う家名の方じゃない。この場に居合わせた一人の男に対して貴方自身、個人としての名を訪ねているのだが?」

「…………」


 その質問を投げかけた瞬間、どこからともなく“ヒュ”と誰かが息を飲む音が聞こえる。

 そしてその妙な空気は、この場に集まった冒険者、王国兵、避難民たちにも同様に広がっていく。

 無理もない、俺だってホロウ団長に言われて初めて気が付けた事だったからな。

 ザッカール王国に住む者なら今の俺の質問に、全員が思う事だろう。


『そう言えばカザラニア公爵ってどんなヤツだっけ?』と……。


 カザラニア公爵の名は俺の中にも長年情報としてだけじゃなく、故郷を滅ぼした野盗たちの大元締め、最終的で究極の怨敵として存在していたモノだった。

 それどころかザッカール王国において全ての富に通じる犯罪組織のまとめ役として誰もが憎悪の対象として記憶していた人物のハズなのだ。

 なのに、それなのに誰もが家名も顔も知っているのにそれ以外を知らない。

 それどころか知らない事に疑問を持つ事が出来ない。

 その事に一度でも気が付いてしまうと何故今まで気が付く事も出来なかったのか、そんな事が浮き彫りになって来る。

 カザラニア公爵……会議でも式典でも必ず名を連ね国王や大臣たちと席を共にしている誰もが知るハズの公爵家。

 しかし気が付いてみるとカザラニア公爵の住居は? 役職は? 家族構成は? そして本人自身の名前は?

 カチーナもリリーさんも、俺の言葉で思い当たったようで額から汗を流し、固い口調になる。


「どういう事ですハーフ・デッド。今貴方の言葉で私も初めて気が付きましたが、以前の立場でも良く知っていたハズだったカザラニア公爵という人物について、家名以外の事を全く知らない事に今初めて気が付きました」

「平民出身のワタシだってヤツの悪名も顔すら知っているのに、数ある犯罪の元凶だと知っているのに、それしか思い浮かばないんだけど?」

「そう……それだ、疑問にも思わなかったんだよ。まるで一般人には認識出来ていないかのように。そいつが本当は存在していない事を認識できないかのように……な!」


 次の瞬間俺は手にしたロケットフックをそのまま公爵の顔面に向けて射出。

 普段は移動手段に使うコイツだが、鎖分銅を投げつけるよりは万が一の時に威力を抑えられるだろうという考えもあったのだが……その気遣いは全く無駄だった。

 顔面に当たった瞬間、ロケットフックは“パン”と軽い音を立てて公爵の頭部そのものを貫いてしまったのだから。


「は!? ……え? 何が……いくら何でも……」

「慌てるな。飛び散った頭の残骸をよ~く見てみな」

「……え!? こ、これって!?」


 カチーナは頭がはじけ飛んだ事で殺害したように思ったようだが、そんな彼女に俺は公爵を名乗るヤツの正体を示しす。

 頭が飛び散って散らばったハズの地面に残されているのは大量の金貨や宝石……いわゆる財宝であり、血液も脳みそも……生き物の残骸は欠片も見られないのだ。

 誰もがその光景の意味が分からず驚愕、絶句する中……首が無くなった公爵だけが口も無いのに声を出して笑い始める。


「ふふふ、ははははは……どうやら貴様は知っていたようだな。カザラニアという王国に巣食う欲望の正体を」

「ほんと……当たって欲しくない予想だけは毎回当たりやがる」

『邪気の専門であるアンデッドの我でも気が付けない程の隠匿性は恐ろしいモノがある』

「邪気!? ではカザラニア公爵はライシネル大河で遭遇した聖騎士たちと同様に邪気に侵され邪人に?」

『ちと……違うな。単なる邪人であるなら我にも容易に感知出来ていたハズ。あれはアンデッドとは似て非なる者』


 ドラスケは俺の背中にしがみついたままカチーナの言葉を首を振って否定する。


『王国最大の悪徳貴族、全ての欲望の象徴たるカザラニア公爵という貴族は存在しない。正体は数多の財に身を隠し、表も裏も犯罪すらも厭わずあらゆる人間の欲から負の感情邪気を溜め込み生じさせる為に建国時から国に巣食っていたカザラニア公爵という存在を肯定する話が生み出した何かだ!』

「それは……死霊とか魔導霊レイスの類とは違うのか?」

「くふふふふ…………その答えは私自身が教えてやろうではないか。どうせ私の役目もこれで最後の様であるしな」


 まるで慄く大衆をあざ笑うかのように、楽しむかのように公爵がそんな事を言うと……飛び散っていた金銀財宝が再び集まって頭部を形成していく。

 それはまるで目に見えない糸で操られているかの如く。


「カザラニア……元は公爵どころか貴族でもない男の名だった。そいつは誰よりも何よりも欲望に飢えていた。金が欲しい、宝石が欲しい、食い物が欲しい、女が欲しい、誰よりも何よりも自分が、自分だけが得する事が出来ないか……。最初に手に入れたのは使用人として仕えた貴族家の小さな小さな指輪であった」

「指輪……」

「しかしまあ、使用人程度の悪事が見逃されるほど主人は甘くはなくてな……ヤツの最初で最後の盗みはヤツの処刑と言う形で幕を下ろした」


 すっかり顔の形が戻っていくと、金銀財宝の塊とは思えない人間の顔立ちが鮮明になっていく。

 今まで誰もが知っていたカザラニアという名の、公爵としての憎たらしいと万人が思えるような悪徳貴族の顔に。


「しかし、その小さな小さな指輪を欲した男の激しい欲望だけは尽きる事は無く指輪に宿り続け、やがて主人の家が無くなって指輪があらゆる人々の間を巡る中で人間の欲望を発端とする負の感情はまるで蜘蛛の糸の如く細く広く王国全土へと広がった」

『そ、そうか……そう言う事か!! だからアンデッドである我にも邪気の存在が感知できなかったのか!!』

「……どういう事だ?」


 得意げに語るカザラニア公爵の説明にドラスケは合点が行ったようだ。


『つまりヤツは王国の金の流れ、ある意味で人間の欲望の流れを細い糸の様に張り巡らされた金銀財宝に纏わりつき隠れ潜んでいた邪気。富に対するその程度の邪気は普通あって当然なのだが、そんな邪気に“カザラニア”という名を与えられ実在すると何者か……あの女にでっち上げられたのだ』

「……は? つまり、簡潔に言えば」


 俺がそのあまりにも面倒で悍ましい結論を口にしようとした次の瞬間、カザラニア公爵を守護していた何十人もの兵たちの仮面が一斉に開き、その正体を露わにした。


「う!?」

「う、うえ!? なにコレ!?」

「「「「「つまり金さえあれば、金にまつわる人間の欲望がある限り……この国においてカザラニアという存在は不滅であるという事だ」」」」」


 その光景を見た者は全員トラウマにある事は請け合い……実際ある程度のグロ耐性はあるつもりだった俺自身も夢に出てきそうと思う程の不気味さ。

 なにしろ顔を露わにした兵士たちは全員が同じ顔、高慢で嫌な貴族の代表を体現したような男、カザラニア公爵の顔をして、みんな同じように万人が不快になる笑みを浮かべて同じことを喋っているのだから。





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