第二百七十六話 黒き繭
そして似合いと言うか自業自得と言うか……元貴族だったらしいヤツが飲み込まれると同時に、周囲に散らばった大量のグロガエルの干物にも現れた黒鎧河馬の群れが群がり始めて行く。
縄張り意識が高い連中が、こっちにも敵意を向けるのではないかと警戒していたのだが黒鎧河馬の群れはこっちを気にする様子もなく、むしろ“早くいけ”とでも言わんばかりに進路を開けている。
そんな光景をカトラスを布で拭いつつカチーナは驚いた様子で見ていた。
「ライシネルの掃除屋も私たちが元凶を退治に向かっていると分かるのでしょうか?」
「どーかね……グロガエル共と敵対していたから邪気に関して同類の立場と思ってくれたら幸いだがな~」
逆に言えば自然の驚異ですら忌避する程に邪気と言うモノが厄介だと言えるのだから、不安は尽きないがな。
「しかし、あの邪人たちは明らかにこの船を狙って来ました。ドラスケ殿はアンデッドに近いと言いましたが、邪人とはそこまで命令を聞けるモノなのですか?」
カチーナは浮かんだ疑問を専門家であるドラスケに質問する。
確かに個人個人の思想とか性根とかは薄っすら残っていた気はするが、邪人はあまり細かい命令系統を理解できる状態ではなかった気がする。
宙を舞っていたドラスケは俺の肩に降り立つと器用に骨の腕を組んだ。
『さっき見た通り生前の性格や拘りなど固執したモノは変わらんが、ヤツ等を邪人に堕とした張本人であれば簡単な命令ぐらいは聞けるだろうな。例えば“船を襲え”とか“阻むために蛙を増殖させろ”とか……』
「つまり、今回の聖騎士たちは王都に近寄る船を攻撃しろって……」
「いや、違うだろうな……アイツ等の狙いは船じゃない。たった一人の攻撃目標を設定されて向かってきたんだろうよ。盗賊のギラルっていうピンポイントなターゲットのみをな」
そして肩にメイスを担いで口を挟んでくる大聖女の嫌すぎる見解に、俺はため息を吐くしかなかった。
「じゃあ、アレ等は俺に向けられた刺客って事? 邪人に襲わせる張本人と言えば……」
「アタシの同期しかおらんだろうな。いや~愛されてしまったなぁ……超オールドミスに」
「う……うれしくねぇ……」
という事は、これから先もさっきのような邪人が立ちふさがる可能性があるという事なのだろうか?
正直言ってさっきの連中は不意を突いて倒す事が出来たが、ここから先も遭遇するとなると邪気という要素だけでも厄介極まりない。
まさか『
何とも想像したくない予感に悪寒が走るが、それでもやる事に変わりがある訳じゃない。
それからの行程はワリと順調で、戦闘で疲弊した者たちを船室……この船では倉庫に当たるが、そこで交代制で休ませつつ河を遡上して行く。
相変わらずライシネル大河の水生生物が散発的に襲って来る事はあっても、グロガエルの発生源は聖騎士たちだったのか、奴らを倒して以降めっきり出現回数が減ったのだ。
そして黒鎧河馬に関しては姿すら見せることなく、聖騎士たちの襲撃以降は普段よりも静かなくらいだと船長は語っていた。
そして半日は遡上した頃、はるか遠くに黒い楕円形の黒い塊が蠢いているのがみえた。
それは雲の様に渦巻いているのだが言うなれば巨大な繭の様にも見え、その禍々しさと悍ましさを邪気を感じる事が出来ない俺でも感じ取ってしまう。
その場所に王都ザッカールがあると言う事を記憶が拒否したがるほどに……。
船上でその光景を目にした誰もが呆気に取られていた。
『なんという濃度の邪気。並みの人間では立っている事すら敵わんだろう。アンデッドなら天国かもしれんが……』
「まさか……あれがザッカール!?」
「むう……アタシが最初に見た時より遥かに規模が違う」
王都ザッカール……『予言書』では邪神軍の本拠地にして異界の勇者の最終決戦の場所。
まさか『予言書』を改変しようとこんな風に闇に沈む運命は変えられないというのだろうか?
近づくにつれて巨大な黒い繭に見えていたモノが見覚えのある黒い霧の集合体だという事がハッキリと分かるようになってくる。
それがどういうモノか知っているとは言え……いや知っているからこそ嫌な予感がドンドン高まって来る。
曰く、人が立ち入るべきではない禁足地、忌地にでも足を踏み入れようとしているかの如く。
「ドラスケ、一応聞いておくがあの中に侵入しても大丈夫なんだよな? あの聖騎士共みたく、ここに入ったらグロガエルと合体するなんてのはゴメンなんだが?」
『前に言った通り、邪気は本来目に見えない具体的なパワーでもない感情的な場の空気のようなものだ。視認できるほど濃度が濃くても生者がそこに入ったとて身体に害をきたす事は無い……気分は悪くなるだろうがな』
「……だったらあの聖騎士たちは?」
『さっきも言った通り、安易な力を欲して邪気を操る者に邪気を受け入れる契約をした結果だ。魂が邪気を受け入れる事を容認してしまった時、生きながらに邪気と融合してしまったアンデッド、邪人となってしまう』
「つまり、あんな姿になって死ぬのは御免だと思っているヤツには関係が無いって事か」
ドラスケの解説でホッとするが、どうやらそれは俺以外の連中も同様のようだった。
誰だって自ら死を望むような姿にはなりたくないだろうからな。
「となると、やはり一番のネックはあの霧の中じゃ絶対的に視界が悪いだろうな。何か戦闘時の間合いだけでも立ち込める邪気を散らす事が出来れば……」
俺はそんな事を思ってさっき見事に邪人たちの邪気を散らして見せた『勇者の剣』にチラリと視線を移す。
しかしそんな俺の期待に『勇者の剣』はつれない返事を寄越す。
『不可能、異界の勇者であるなら可能かもしれませんが、貴方の力では先ほどの様にほんの一部分の邪気を一時的に散らすのが精一杯です』
「だろうな……」
だろうとは思っていた。
だからこそ一時的に散らした邪気を再吸収されない為にドラスケに吸収してもらう方法を『勇者の剣』が提案したのだからな。
ちょっとは期待していたのも事実だけど。
『散らすのは無理でも一時的な安全圏を結界で作り出す事は可能である。丁度水中にもぐる為に空気を溜めるみたいに、結界を展開しつつ移動できるタイプなら』
「移動式……か」
移動できる結界……それは防壁などの役目ではなくダンジョンや閉鎖空間で毒ガスなどを遮断する為に重宝するタイプの魔法だが、敵の侵入を阻むワケでは無く入ろうと思えば入られてしまう、防御力と言う意味合いでは全く役に立たないヤツだ。
大地に固定する結界とは使用用途も違うからこそ、普段であれば問題ないのだが……。
「これから突入する場所はアンデッドの巣窟なんだろ? 結界を維持する魔導士は当然結界に集中せざるを得ないだろうから、必然的に術者を守る陣形で戦う事に……」
「結界を守るには無防備な術者の結界魔法をしてもらうのが大前提……シエルなら移動式でも押しつぶす結界を作れたでしょうけど。かといって直接邪気に触れている状況じゃバアちゃんが殺されかけた時の二の舞だし……」
ため息交じりにリリーさんがそんな事を言うが、生憎この場にいない人物の事を言っても始まらない。
もしかしたら、と期待を込めて大聖女を見ると……彼女は苦笑して首を横に振る。
「あたしゃ、どうにも防御系の魔法は昔から苦手でね。どうしても物理的な防御技術と魔術的な防御の感性の違いが理解できないのか性に合わんだけなのか……火属性の聖女には多い傾向らしいがの」
う~む、大聖女ジャンダルムの気質もあるのだろうが火の精霊イフリートに気に入られる聖女は基本的にステゴロ上等の攻撃特化になってしまうのだろうか?
しかしこうなると、この場で魔術に長けた者と言えば数名の冒険者の他に『予言書』でも賢者と称えられた男……。
「ジャイロ君、結界魔法を使えるか? 固定式ではなく移動式の……」
「え? あ、ああ……風属性の結界で良ければ」
急に言われて戸惑った様子を見せるジャイロ君だがさすがは賢者、こっちの期待する魔法をすぐに使えるというのだから役に立つ事この上ない。
「さ~っすが才能豊かな大賢者は違う! こういう非常事態に臨機応変に動ける魔導士ってのは本当に貴重だぜ!!」
「大賢者………………は!?」
俺は嬉しくなって思わずジャイロ君の背中をバシバシ叩くと、彼は一瞬満更でもない顔を浮かべたのだが、慌てて何かを振り払うように顔を振る。
「いやいやいや!? 新たな異名を持ち出して持ち上げないで下さい! その気になったらどうするんですか!!」
「え~? あらゆる魔法を行使し王都からの避難民を救出に向かう仲間を後方から援護する偉大な魔法使い。大賢者って相応しいと思うけど?」
「ふん、アタシの『撲殺の餓狼』よりよっぽど知的で品性があるじゃないか。真のノブレス・オブリージュを抱きし大賢者ジャイロ・グレゴリール……収まりも悪くない」
「お? すげぇな、大聖女様のお墨付きだぜ」
「え? そ、そう………………イヤイヤイヤイヤ、ダメですって!?」
大聖女が自分の
多分今度はダークな感じじゃない正統派ヒーローな自分でも想像したのだろう。
どうやら彼の持病は完治には至っていないらしい。
次に罹患する際は是非とも前回とは違う病原であって貰いたいもんだが……。
・
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そして船は比較的順調に遡上を続けて行き、とうとう目的地である王都ザッカールの船着き場として有名なリガロ地区へと近づいて行く。
ライシネル大河から王都中央を流れるリガロ川へと分岐すると普段であればライシネルの魔物も姿を現さなくなり、王都が近づき旅の終わりに安堵するところだが今回ばかりは全く逆……俺達の本番はまさにここからなのだ。
目的地に近づくにつれて多くなるのは脱出の際に破損したのか沈みかけた船や火災したのか黒焦げに燃え落ちた民家など、まさに廃墟と呼ぶに相応しい光景。
そしてそんな中をフラフラと徘徊するスケルトンやゾンビなどのアンデッドたち。
それらが他から来たのか王都の墓地から発生したのか、それとも厄災後に死亡した人々がアンデッドになってしまったのかは分からないが……目的も無く彷徨う姿は悍ましさと哀れさを感じさせる。
「やはり邪気の中は暗いですね。全くの暗黒って事も無いですけれど……」
「夕闇くらいの暗さってところか? 違いはどこまでも陰気臭いって事だが」
ジャイロ君が邪気の中に侵入する前に発動してくれた結界のお陰で船の周辺には邪気が立ち込めていない事でカチーナを始め仲間たちの姿はしっかりと見えるが、結界外は薄く黒煙が立ち込めているかのように薄暗い。
そんな中を闊歩するアンデッドは、この雰囲気に非常にマッチしている……悪い意味で。
だが目的地の船着き場に近づくにつれて、今までの廃墟感満載とは違う雰囲気になっていく。
王都に入ってから目にした目的も無く徘徊しているのではない明らかに敵、生者を襲う為に集合しているアンデッドたちの大群と、その大群を抑えて一般人を守ろうと奮闘する王国軍や冒険者の戦士たちが激突する状況。
それは脱出の為に船着き場に集まった避難民を逃がす為にアンデッドの大群と戦い、俺達を待っていた英雄たちであり、連中は俺達の船を見るなり歓声を上げていた。
「来た! 救助船が来たぞ!! もう少しだ、全員踏ん張れよ!!」
「おお!! 野良犬共に任せては置けんからな!!」
「ぬかせぇ、王国の番犬共!! これが終わったら酒場で勝負だバカヤロウ!!」
「は! 王国軍に決闘を挑むとは笑止! ほえ面をかかせてやろうではないか!!」
何だか普段あれほど両者ともにいがみ合う王国軍と冒険者たちが結託していて、しかも避難民たちを守るという共通の目的で妙な友情まで芽生えているような……単純で暑苦しいノリは嫌いじゃねぇけど。
ただ、そんな戦士たちに交じって前線でゾンビたちに立ち向かうどっかで見た事のある受付嬢の姿にため息が漏れた。
その受付嬢は皆が一定の距離を取り戦おうとする中、積極的に距離を詰めると拳を振ったかどうかも分からない動作で次々とアンデッドたちを吹っ飛ばしていく。
「その時の飲み代は息子の結婚祝いのついでにギルドが持ちましょう! めでたい門出を盛大に祝う為にも、全員死ぬ事は許しませんからね!!」
「おお本当か! さすがはギルド1の剛腕受付嬢! コイツは張り切らねば!!」
「そうか~アイツもそんな年になったのか~。感慨深いもんがあるな~」
誰よりも強く、そして前線で奮戦する受付嬢は不敵な笑顔でこっちの許可も無しにそんな事を豪語して戦場を鼓舞している。
相変わらずというかなんというか……。
「止めろよカーちゃん……恥ずかしいだろ」
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