第二百七十二話 最早忘れられないヤツの名

「なんだいお前ら、そりゃモログの小僧の事じゃないのかい?」

「「「あ!!」」」


 呆れたような顔でメイスを担いだ大聖女が口にした言葉に、俺たちは三人揃って“そうだそうだ、そんな名前だった”とばかりに声を上げた。

 

「……ギラルやカチーナは付き合い浅いからしょうがないにしてもリリー、お前さんは聖職者時代から散々絡まれて関りがあったハズだろうが」

「そうなんだけど……何か妙に印象に残らなかったと言うか」

「散々人の事を脳筋呼ばわりするクセに、善きにしろ悪しきにしろ印象に残らなければ名前も憶えない辺りはシエルと変わらんな~お前さんも」

「う……」


 ため息交じりにそんな事を言われグウの音も出ないリリーさん。

 一度でも拳を交わした者は決して忘れないシエルさんとは違い、リリーさんは自身にとって影響を与える者は基本的に忘れない質だ。

 それは良い事ばかりではなく策略や悪口なども含まれて来るハズなのだが……そんな彼女が覚えていない程取るに足らないと思われていたと言う事みたいだ。


「そうは言うけどさ~、いっつも隊長を悪く言ってシエルをこき下ろそうとする割に自分自身がいつでも殺られてもおかしくない状況に気が付けない程の雑魚だと思うと、いまいち印象が……ね」

「たわけ、喩え取るに足らん者であったとしてもいつ何時どうなるかは分からん。こういうところはまだまだなんだよな~お前ら」


 取るに足らないとか大聖女も似たようなひどい事を言ってはいるが、こういう自分の好き嫌いや印象だけでは無く名前を憶えて置くというのは上に立つ者としては必須な事。

 この辺が聖女たちの上に立つ大聖女の所以なのだろうと感心してしまう。

 しかし俺の気持ちとは裏腹に、大聖女は不思議そうに首を傾げた。


「しかしリリー、今モログの小僧が白銀の鎧……聖騎士のフルプレートを纏っておると言ったか?」

「え? ああ、言ったけど……見てみる?」


 そう言って狙撃杖を渡された大聖女はスコープをのぞき込んで……更に首を傾げる。


「ふむ、確かにモログの小僧が聖騎士の格好をしとるの……何か様子がおかしいが。他のあやつの取り巻き共も同様に」

「……何か問題でも?」

「あやつら先日のパーティーで王城が魔物の襲撃に合ったと言うに王侯貴族を差し置いて真っ先に逃げ出したのが問題になってな……聖騎士を除隊処分になったのさ」

「除隊……」


 先日のパーティーと言えばマルス君が大ハッスルした時の事だろうが……なるほど、あいつもその場にいたってワケだ。


「王侯貴族だって精霊神教にとっては大事な信者であるし、貴族の名をひけらかすのなら守らなくてはならない最高の対象。そうなると今まで自慢していた貴族出身のレッテルはマイナスにしかならん。結果教会どころか実家からすらも見限られた」

「そりゃまた、自業自得を体現したような」


 分かりやすい程の転落人生。

 そして今までロクに訓練もしていなかった事が祟って、お貴族の坊ちゃんの再就職先は皆無。王国軍などは入れるワケも無く、傭兵も勿論門前払い。

 唯一冒険者だけはやろうと思えば出来ない事も無いが、プライドが邪魔するのかはたまた生存率の低さにしり込みしたのか無職のままだったとか。

 しかしそうだとするなら今の状況は……。


「リリーや……何かアイツ喋ってないかい? アタシは読唇術は出来んけど、な~んか嫌な予感がするんだが……」

「ん? どれどれ……」


 そう言われて再び狙撃杖を構えたリリーさんが件の聖騎士(?)のモログを見据えると、彼女はお得意の読唇術で内容を読み取り始めた。


「…………オレハ、エライ。オレハ、スゴイ。オレハ、サイキョウ。オレハ、タイチョウ……ナニあれ?」


 リリーさんは読唇術で読み取った言葉の無いように露骨に眉を潜めて見せた。

 それは何とも心を病んだ者特有の独り言にしか思えず、そんなヤツが邪気から生まれたグロガエルの上に乗っているというのは不気味でしかない。

 そんな反応をする魔物を一つ知っているのだが……同じ事を考えたのか、肩に留まっていた骨のあるアイツ、ドラスケがリリーさんの腕へと飛び乗った。


『リリー殿、我にも見せて貰えぬか? 何やら嫌な予感がする』

「うえ? ええ、どうぞ」


 そしてリリーさんの腕を足場としてスコープを除いたドラスケだったのだが、骨しか無いというのに器用に舌打ちをした。


『チッ、邪人だ。生きながら邪気を生み出し続ける邪人と化しているぞあの男』

「邪人……」


 グロガエルに乗っている時点でこっちの味方じゃない邪気関連の何かだとは思っていたからある意味予想通りではあり驚きは少ない。

 むしろ“やっぱりか”と思ってしまった。


「それって兄貴やジャイロの親父さんに別のナニかが憑りついたみたいな事か?」

『少し違う。ノートルム殿は強大な邪神と意気投合して強力しあったという稀有な例で、かの子爵は抵抗する人間に無理やり憑りついていた状態だ。しかしアレは完全に邪気と融合してしまっておる!』

「邪気と融合? それは四魔将になる予定だった私、聖騎士の邪闘士のようなモノでしょうか?」


 カチーナが『予言書』の自分と重ねて質問するが、ドラスケはまたしても首を振って否定する。


『それとも違う。邪闘士は善きにしろ悪しきにしろ強靭な精神力で膨大な邪気を自身の力として“喰らい”屈服させた強者。アレは邪気に“喰われ”邪気に動かされるだけになった、いわゆる生きながらにしてアンデッドになってしまった存在だ。ああなってしまうと最早人に戻る事は出来ない』


 ドラスケの言葉で真っ先に思い出したのが『予言書』で『聖王』が自身の馬車を引かせていたムカデの化け物みたいな異形と化した王妃クソババアの姿。

 邪気に喰われた……か。


「ようするに元聖騎士のアレはアルテミアの先兵にされたってワケか? 邪気に体を乗っ取られて俺たちの上陸を阻止する為に」

『邪気に侵されるのは要は麻薬中毒のようなモノ。邪気を操り自身の力、利益として使いこなすのが悪霊遣い《ネクロマンサー》や邪闘士だとすれば、邪人は中毒者、心身共にむしばまれた末に力と快楽を得るが、迎えるのは惨たらしい最後でしかない』

「最後は使い潰されての死……か」

『……死ねるのならまだ救いがあるとも言える。邪気の誘惑に乗ってしまうだけの下地……ヤツ自身欲望や嫉妬の感情に任せてしまった末路は永劫なる孤独』


 アンデッドであるドラスケのその言葉は何よりも重く、そして背筋を寒くさせる。

 つまり……今こっちに向かってきているヤツは……。

 その事実に俺が気が付くと、大聖女が何とも悲し気な瞳でため息を吐いた。


「哀れな…………元々は後継者候補から外れた貴族、実家のコネで聖騎士に入隊した脛かじりだったとは言え、努力する事、感謝する事を忘れず邁進しておれば……」

「たらればを言い出したらキリがない。ヤツは引き返す時に引き返さなかったって事だからな」

「確かにな……こうなると大聖女としてヤツにしてやれるのは、人として最後を迎えさせる事だけのようだ」


 いつもは豪快な大聖女ジャンダルムもこの時ばかりはやり切れない表情になった。

 エレメンタル教会で長年過ごして来た彼女は、今までも自身の手が届かずに救えなかった人々が数多くいるのは知っている。

 しかしエレメンタル教会にだって色々な連中はいたはずだ。

 分かりやすい脳筋バカな大聖女やシエルさん、ロンメル師範や兄貴みたいなヤツ等だけじゃなく陰でコソコソ悪だくみをする後ろ暗い連中も。

 善悪の判定はそれこそ本人の受けと入り方次第、踵を返せる時は幾らでもあったハズなのだ…………俺達のような『予言書』で闇に堕ちる予定だったヤツに比べれば。

 そして流れのままに徐々に連中との距離が近づいて来て視認可能な距離になり、とうとう『気配察知』の索敵範囲内に到達すると、さっきリリーさんが読唇術で言っていた内容の言葉が俺の耳にも届いて来る。

 こういう時は五感の強化である『気配察知』の特性が疎ましくなってくるな。


「オレハ、ツヨイ。オレハ、ツヨイ。ノートルムより遥かニ……地位もカネも権力も。隊長ハオレ……オレノハズ、俺がフサわシイハズ……。隊長はオレ、タイチョウハ俺、俺、オレ、オレオレオレオレオレ……」


 同時にアイツが何を疎んでいたのか、嫉妬していたのかを理解できた。

 第五部隊の副隊長となった経緯は知った事じゃないが、貴族出身である自分が隊長に任命されると思いきや、実力主義な聖騎士の中では隊長になる事は叶わず、その事をずっと妬み続けていたようだ。

 そしてつい最近、その件の兄貴は今世紀最大のカップルとばかりに光の聖女と結ばれ時の人として注目される事になった。

 自身が執着していた隊長を取られ挙句に失態を重ねての除隊、頼りにしていた実家には絶縁され、その上で平民と見下していたヤツが自分より遥かに高みに行ってしまった。

 逆恨み野郎が邪気に魅入られるには十分な理由か。

 同情はしねぇが……せめて引導は渡してやらんとな。

 運よく引き返せた身としては……。


 いよいよヤツ等との交戦可能距離が近づいて来て、俺はザックの七つ道具を残量を確認して備える。

 しかしこの時俺は妙な事に……正直言えば気が付かなければ良かった事に気が付いてしまった。


「ちょっとリリーさん、少し確認するが……あの元聖騎士、モログだったっけ? アイツ、本当に蛙に乗っているのか?」

「は? どういう事? そんなの見れば分かるじゃ…………う!?」


 俺が何を言いたいのか分からないようで、リリーさんは再度スコープを確認して……そして俺が何を言いたかったのかを視認してしまったらしく、盛大に嘔吐く。

 どうやら俺が『気配察知』で感じた事は、残念な事に予想通りだったみたいだな。


「ななななな何よアレ!? モログが蛙に乗っているんじゃない……生えてる!?」

「「「「「「「!?」」」」」」」


 リリーさんの絶叫の内容を船上の仲間たちは理解できなかったようで、全員が呆気に取られてしまった。

 それくらいにリリーさんが見てしまったモノは理解不能な上に、理解したくない程悍ましい。

 五感強化の索敵である『気配察知』は集中すれば水が物体に当たる音も風が当たる音も拾って立体的な映像を頭で描く事が出来るのだが、どう考えても蛙に乗っているにしては波の音が妙だとは思ったのだ。

 空想上の生物ケンタウロスの様に下半身が蛙になっているという、あんまり理解したくない状況じゃない限りおかしいと。

 本当に……こういう時は『気配察知』の特性が疎ましい……。

 そして『気配察知』は俺に更なるホラーな情報を教えてくれる。


「ゲ……ゲゲゲゲゲゲ! オレオレオレオレ、ゲギョゲギョ『『『ゲギョゲギョゲギョ』』』」

「オイオイ、オイオイオイオイオイ! 冗談止めろよ!?」

「うげぇ……」


 とうとう今まで数々の修羅場を潜り抜けて来たリリーさんですら、たまらずにスコープから視線を外してしまった。

 無理も無い……この前まで普通の人間だったハズのヤツが“ああなって”いるのをまともに見てしまったら……。


「ギラル!? リリーさん!? 一体何があったのですか?」


 情報共有は大事……俺は思わず『気配察知』をOFFにして何もかも忘れて寝てしまいたい感覚に襲われるが、聞いてきたカチーナを含めて全員に聞こえるように言う。


「たった今……目の前から来た元聖騎士の体から、あのグロガエルが生えて来た。背中と腕から3匹程ボコボコと……」

「「「「「……………………う」」」」」


 上流のどこかにあると思われたグロガエルの発生源、そのまさかの出所の情報を耳にした仲間たちは全員が船酔いの如き顔色になってしまった。

 無理も無いがな……俺もさっきから嘔気が収まらん。







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