第二百六十七話 盗み合う夕刻

 港町であるツー・チザキの町は夕刻になると海岸線に沈みゆく夕日に照らされて日中の爽快さとは違った神秘的な美しさを醸し出す。

 命からがらザッカールから逃げて来た避難民たちも、この時ばかりはその光景に目を奪われてひと時の落ち着きを取り戻していた。

 単純に陸路であれ水路であれ、夜間での移動は危険を伴うから慌てて移動しようとする連中がいなくなり、ひと時の休息を取る事にしたのもあるだろうが……。

 ちなみにザッカールからほぼ直通であるこの町は『ファーゲン』よりも遥かにごった返していて、当然だが宿や飲み屋などスペースが確保できる場所は緊急の治療所として開放されている。

 避難民であれ冒険者であれ健常者であるなら今夜は野宿がマスト、軒下でも借りられれば御の字の状態であった。

 そんなどこであっても人でごった返している状況にあっても、その場所は人気が無く……たった一人の女性が夕日を眺めて腰かけていた。

 町の中に幾つか設置された鐘楼の屋根の上……こんな特等席を見つけ出す事が出来るのは、知っている経験者だけだろうな。

 夕日に照らされ金色に輝き靡く髪は美しいが、憂いに満ちた表情がその美しさに影をおとしている。

 それすらも含めて美しいのだと宣うヤツもいそうだが、俺の知っているカチーナさんの美しさはこんなものではない。


「お一人ですか、お嬢様?」

「……よく分かりましたね。私がここにいると」

「なんとなく……ね。今日のカチーナさんが最終的に落ち着くのはここじゃないかな~って。場所は違うけど、鐘楼は俺が“カルロスを殺した”因縁の場所だからな」

「ふ……」


 冗談めかしてそう言うと、彼女は夕日を眺めたまま苦笑を浮かべた。

 カチーナさんとガチンコで対決した最初で最後の舞台、それはある意味でカチーナさんに今までの自分自身の全てを失わせた場所であり、今の彼女が生まれた場所でもある。

 過去最大の因縁である侯爵ちちについて思う事があるのなら、最終的に落ち着くのはここしかないと踏んでいたのだが…………ビンゴだったようだ。


「お隣、イイっすか?」

「別にここは私の特等席と言うワケじゃない、好きにすれば良いでしょう」

「……じゃ、遠慮なく」


 いつもの彼女には相応しくない棘のある口調を気にすることなく、俺はそのまま隣に腰かけて同じように夕日を眺める。

 そして、しばらく雄大な夕日をただ黙って一緒に眺めていると……隣からアンニュイなため息が聞こえて来た。


「ギラル君……やはり私は君が見て来た『予言書』で言うところの自分勝手な外道聖騎士とまでは行かずとも、自分勝手な人間である事は変わらないらしい」

「……? 何っすか、藪から棒に」

「さっきの話……ファークス家当主バルロスの善行を聞いて、君はどう思った? 確かに自ら進んで民衆の為に自宅を避難所として明け渡し、危険を顧みず王都からの脱出に尽力しているというのは、立派な事だ。こんな非常時に置いてまさに貴族に相応しい、誇りある行いであると言えよう。だがな……私はどうしても考えてしまうのだ。何を今更、私には何一つしてくれなかったクセに、私が死んだあとに他人にはやってやるのかと……」


 そう言うカチーナさんの視線は相変わらず夕日を向いていて、どこか拗ねたような、いら立っているような……どうにも自分自身でもままならない葛藤を抱いているのが分かってしまう。


「最低だろう? 自分でも分かっているのだ、そんな事を言っている場合ではないというのは。過去を悔いて反省し、同じ過ちを繰り返さないよう贖罪の為に善行を重ねようとしているのは称えられるべき事なのだと」

「それは……」

「なのに、分かっているのに心が納得してくれない。私が死んだという事実が侯爵に改心を齎したと言うなら、やはり私は死ぬべき者でしかなかったのか……侯爵あなたにとって私はいらない子でしか無かったのかと」


 そう言うとカチーナさんは膝を抱えてうずくまり、顔を隠してしまう。

 まるで一人静かに泣く、子供の様に。


「ギラル君……君は私を最低な最後から様々な苦労を重ねて救い出してくれた大恩人だ。しかし私が『予言書』の様に闇に堕ちないようにするにはもっと簡単な方法があったハズだ。おそらく君には分かっている事だろうが……」

「……生憎だが俺は最悪を盗む盗賊、悲惨な死を受け入れる最後なんて俺自身が最悪な気分にしかならないって~の」

「ほら、やはり分かっていたのですね」


 確かに分かっていた。

 あの当時、まだカチーナさんがカルロスとして生きていた時に俺がバルロス侯爵に化けるとか、そうじゃ無ければ本人を脅迫するなり説得するなりして一言言わせれば外道聖騎士カチーナが生まれる事は無いと。

 一度だけでも父の口から『良くやってくれた』とでも言われれば、喩えその結果が罪人としての処刑であったとしても、彼女は受け入れていただろう事を。

 外道聖騎士カチーナが最後まで手にする事の無かった、自分を必要とし認めてくれる存在……その役割をたった一度でも実の父が担ってくれれば、それだけで満足であっただろう事を。

 当たり前に……父親に褒めてもらいたかった、という事を。


「何もなければ知る事も無かったというのに、私がいなくなって勝手に後悔して、贖罪だと関係のない者に代理で善行し自己満足に浸っている。そんな最低な考えばかりがさっきから脳裏を離れないのだ……最早、終わった事だというのに!!」


 彼女は元から生真面目な人だ。

 だからこそそんな考えが湧き上がる事自体に、自分で自分に嫌悪している。

 過去はどうあれ、何故今立派な事をしている侯爵の事を認めてやる事が出来ないのかと。

 俺はそんな風に自己嫌悪で顔を伏せる彼女に対して堪らなくなり…………思わずを撫でてしまっていた。


「…………ギラル君?」

「…………」


 不思議そうに顔を上げる彼女の表情を見た瞬間“やっちまった!”と全身から冷や汗が噴出してくる。

 しかしこの場はもう、開き直るしかない!!

 俺は手を引っ込める事無く、冷や汗を無視して彼女の頭をそのまま撫で続ける事にした。


「何を言うかと思えば……そんなの当たり前の事じゃないか」

「うん?」

「あのクソ親父は実際にカチーナさんには何一つしてくれてねーじゃん。死んだ後で後悔しようと贖罪に善行重ねようと、こっちにしてみりゃマジで自己満足してんじゃねぇって感じ……今更遅いってなもんだろ」

「…………」

「それに一応は今やっている事が立派だと認めてやっている時点で、カチーナさんのどこが最低だって言うんだ? 実際にクソみたいな人生押し付けていた過去を無かった事みたいに今を称える必要がどこにあるんだい? 仮に今、村を焼き、俺の両親を殺した野盗共が生きていたとして“今は善行を働いているから許してやれ”なんて宣うヤツがいたとしたら、全力でぶん殴ってやるけど?」

「ふ……」


 そう吐き捨ててから手をどけると、彼女は沈んだ顔のままではあるが僅かに笑みを浮かべてくれた。


「それに、贖罪にカッコつけて今回の騒動を自分の死に場所みたいに勝手に思っているとしたら、死んだことにされているこっちとしては迷惑な話だろ? 俺の大事な仲間をテメェの下らないドラマに利用して悲劇ぶってんじゃねぇってんだ!」


何だか言っててだんだん腹が立ってくる。

 そりゃ~カチーナさんへの過去の所業を後悔し反省して行動するのは悪い事じゃないけど、断罪される事を求めての行動だというのはハッキリ言って今も生きている彼女にとっては更に余計な重荷を背負わせる所業にしかならない。

 自分のせいで死なせた娘を、今度は自分の死の為に利用しようとしているとしか思えん。

 そんな事を考えていると、不意にトンっと左の肩に何かがのしかかって来た。

 それが何かといえばカチーナさんの頭であり……それがどういう状況なのかと言えば、俺と密着して肩に頭を乗せているという状況であり……。

……え? えええええええええ!?

 突然の状況に再び脳内がパニックを起こしそうになる。

 たまに酔っぱらって密着していた時とは違う、自分の意志で密着して来たという事実に心臓が急速に速くなって行く。

 そんな熱暴走する俺を他所にカチーナさんは息のかかるほど顔を近くに寄せたまま、瞳を閉じて呟く。


「確かに、そう言われれば私がそのような事で思い悩むのがバカバカしくなってきます。そうですよね、別に今を認めたからと、過去を許してやる必要はないのです」

「そうそう、それはそれ、これはこれって事でさ」

 平静を装い、何とか口から言葉を発するけど震えていない自信はない。

 彼女の体温が、吐息が、感触が、他の神経の全てを凌駕してしまいまともに機能してくれない!!


「君は、本当に不思議な人だ。私がいて欲しい時にそばにいてくれ、欲しい時に望む言葉を掛けてくれる」

「カ……カチーナ、さん?」

「幼き日から必要とされなかった私を大事な仲間だと言ってくれ、私の心の醜いところまで共感し認めてくれる。私から不幸な生き方も、最低な死に様も、心すらも全て盗み出す、実に悪い男です」

「え……あの?」

「ですが……いつも君に色々と盗まれてばかりでは癪なので、たまには私から盗ませていただきます」

「……へ?」


 いやあの……そうは言いますけどこっちとしては結構貴女に盗まれているのですが?

 そう言う彼女の顔はいつもと同じ……いや、いつもよりも遥かに美しく、かつ何やら悪戯っぽい妖艶な雰囲気を醸し出していた。


「大切な仲間と言ってくれるのならば、君はいつまで私をさん付けで呼んでいるのですか? いくら年が下でも、スティール・ワーストワースト・デッドも君がリーダーなのですから」

「え……いや、それは……」

「もういい加減、付き合いも長いと思いますが……それでもまだ貴方の中で私は敬称で呼ばれる程度の仲間なのでしょうか?」

「うぐ!?」


 チラリと上目遣い、しかも顔を寄せられ夕日に照らされた瞳が憐憫すら誘う、あざといと言えば最高にあざといシチュエーション!

 しかし要求は断りづらい、実に可愛らしい事でしかないというのに、ここで言わないという選択肢は…………俺には無い。


「カ…………カチーナ」

「うん、これからもよろしく……“ギラル”」


 そして満足したように、彼女も俺の名前を呼び捨てで呼んできた。

 そんな様子に、確かに何かを盗まれた俺は思わず言わずにはいられなかった。


「そっちこそ、相当に悪い女じゃん……」

「お互い様です」


 結局夕日が沈み切り、夜の闇が東から空を覆いつくした時間になっても、俺たちはしばらく鐘楼の上で同じ方角を向いたままであった。


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