第二百六十五話 馴染みの浅い名前
それから俺たちはファーゲンから北方に位置する王都ザッカールまでライシネル大河で繋ぐ玄関口にして港町の『ツー・チザキ』へと向かう事になった。
以前の仲間たち、師匠やミリアさんたちを心配したドレルのオッちゃんも同行したがっていたようだが、オッちゃんも現在は避難民たちの護衛任務中という事で『あいつ等の事は頼んだ』と言われたのだった。
『酒盛り』のリーダーから任せられるようになれたのか? と俺は少しだけ誇り高く思え、オッちゃんに『任せてくれ』とガッチリと握手をして別れた。
大怪我を負って未だ回復しきっていない大聖女が同行するのだから、強行軍は不可能かと少しだけ考えたりもしたのだけど、まさにそんな考えは杞憂でしかなかった。
時間短縮の為に道なき道を直線に、森の中を進む何時ものルートを進むスピード特化の俺達にアッサリと付いてきたのだから。
脳筋で豪快な性格とは裏腹に大聖女の基本的な動きは極限の体重移動を駆使した“羽の如き足さばき”であり、要するにリリーさんやシエルさんと同じ最も体に負担を掛けない動きだとは言え……やっぱあのババアは化け物だ。
そして普通なら1~2日はかかってしまう道筋をそんな感じで半日で走破した俺達は、目的の『ツー・チザキ』へと到着したのだったが……やはりザッカールを直接河川で繋ぐこの町はファーゲン以上に避難民で溢れかえっていた。
「王都から避難してきた者は順次町の外に移動してくれ!」
「おい、押すんじゃない! 怪我人がいるんだぞ!!」
「娘は!? うちの子を知りませんか!?」
「グアアアア……早く……治療……を」
まさに阿鼻叫喚、前回祭りで賑わっていた港町とは同じ人込みでも似ても似つかない状況に陥っている。
街道をショートカットしてきたから俺たちは余り人込みに紛れることなくここまで来れたが、今はツーチザキからファーゲンの町に至る道は行列が出来ている。
そして今まさにザッカールから避難してきた人々を乗せて来たであろう船が大河に所狭しとごった返している。
どこが船着き場なのかは最早分からない程、隣り合った船同士が接触し合っていても誰も気にしない……それほどまでに混乱をきたしていた。
「コイツは酷いな……船着き場からずっと大河がず~っと船で埋まっちまってる」
「あまり良くないね。いくら非常時と言ってもこの大河は決して安全な場所じゃ……!?」
「あ、ヤバい!?」
その瞬間、俺はライシネル大河のほとりで行列を作っている避難民たちの傍で蠢く巨大な存在を『気配察知』で感じ取り、同様に『魔力感知』で危険を察知したリリーさんは慌てて狙撃杖を構える。
普段ライシネル大河に馴染みなく過ごしている王都の人々にとっては分からない事だが、大河を生活の糧にしている『ツー・チザキ』の者であれば不用意に大河付近に近寄る事はない。
何故なら、この大河には人間などあっという間に飲み込んでしまうような巨大生物や肉食魚がうようよしているのだから。
ドバアアアアアアア……
「ギョギョギョギョギョ!!」
「「「「ウ、ワアアアアアアアアアア!?」」」」
案の定次の瞬間、巨大な水しぶきを上げて大河から現れた黒い巨大な存在に避難民たちが悲鳴を上げて逃げ惑うが……俺は現れた魔物の姿に驚愕してしまう。
それが大河の主である
黒い巨大な姿にヌメヌメブヨブヨした肌、そして揃った牙に蛙の様に見える顔付き……それは以前この地で魔導霊王と対峙した時に召喚された魔物と同一のモノだった。
「アイツは、アクロウの時のグロガエル!? マズイ! リリーさん、魔力弾は絶対に打つな!!」
「え!?」
「皆も下手に切り刻んだりするなよ! アレは魔力を利用して分裂増殖するぞ!!」
「げ!? じゃああれが前に言ってた……」
俺の言葉でアレが以前話した事のある邪気から生まれたアンデッド系のカエルっぽい奴である事に思い至ったリリーさんは慌てて狙撃杖の構えを解く。
千切れてそこから増殖するのも厄介だが、魔力を利用されると攻撃を受けた傷口から“生えて”来るんだから、もしもいつものようにリリーさんの高威力な弾丸を受けでもしたら、見た目も結果も最低な事になってしまう。
「間に合うか!?」
慌てて俺は避難民たちに襲い掛かるグロガエルへと距離を詰めつつ、ザックから鎖鎌を取り出して投擲しようと構える。
だが、そんな俺の行動は“幸いにも”無駄に終わった。
「時を飛ばせよ、
俺が射程距離に入るよりも早く、グロガエルの前に一人の少女が踏み込んでいた。
それは決して俺が油断したとか見逃したとか、そんな事では無く……間違いなくさっきまでいなかったハズの場所に少女は突然に現れたのだった。
まるで自分だけの“時間を早めた”かのように……。
そして、未だに自分の眼下に潜り込まれた事に気が付いていないグロガエルの顎に向かって、手元で回転させたトンファーを叩き込んだ。
「ゴボギャ!?」
ボチャって感じの水を叩いたような音と共に上空へと吹っ飛ばされるグロガエル、それを見据えたまま少女は声を張り上げた。
「お願いします、ジャイロさん!!」
「任せろ、干物になってしまえ! 熱砂の
「ギョオオオオオオオオオ……!!」
そして周囲に発生した竜巻に巻かれながら、体内の水分を強制的に抜かれてカラカラに干からびて行くグロガエルは、しばらくすると枯れ木の様に細く縮んで川べりにカランと乾いた音を立てて落ちた。
自らの時間を操ったような動きをする少女、そして水生生物の水分を一瞬で飛ばしてしまえる魔法を使える男……そんなヤツ他に思いつくのはいない。
助けられてお礼を言う避難民たちに『大河付近に不用意に近づかないように』と注意喚起して再び護衛に戻ろうとする“知り合い”に、俺は鎖鎌をしまいつつ声を掛ける。
「腕を上げたなイリス! 正直間合いに潜り込む動作は全く見えなかったぞ」
「……ギラル先輩!?」
「え? ギラル!?」
そんな俺に気が付いた二人の反応は真逆なモノで、リリーさんの妹分にしてシエルさんの後輩であるイリスが嬉々として近寄って来るのに対して、『ツー・チザキ』近郊の子爵家嫡男ジャイロ君、通称『漆黒の黒騎士シャイナス』は露骨に顔色を悪くして顔を背ける。
……そういや俺は彼の変装後としか対面していない事を今更ながらに思い出した。
これが普通の魔法とかで撃退しているのなら知らないフリでスルーしてやっても良かったんだけど、今の魔法は前回共闘した時に俺のアイディアで彼が作り出したヤツで……。
あ~向こうも俺がシャイナスの正体に気が付いた事に気が付いたらしい。
めっちゃ気まずそうにしているし……。
まあその辺の彼の複雑な心情はひとまず置いておく事にして、まずは数日前にザッカールへ帰国したハズだったイリスに話を聞く事にする。
「良かった、この町にいれば何れ会えるとは思っていましたが……予想よりも遥かに早かったです」
「俺達の事を待っていてくれたって事なのか?」
「ハイ、これからどう行動するにしても、まずはリリ姉たち『スティール・ワースト』と合流するようにシエル先輩に言付かっていますので」
シエルさんに言付かった……って事は彼女はこの場にはいないという事になる。
となると彼女は脱出中の避難民と共にいるのか、もしくは……。
「イリス! まさかシエルはまだ王都に!?」
「どういう事だい!? アタシは全員に王都から脱出するように指示を出したハズだぞ」
「あ、リリ姉! それに……もう来ましたか大聖女ジャンダルム」
もう来ましたか、と言うイリスの言葉にあからさまな“はえーな、オイ”という気持ちが含まれている。
多分、大聖女が搬送されたのは避難民の第一陣で、完全に回復できない事も織り込む済み、何が何でも戦場に戻ろうとする事すら計算の上でザッカール王国でも一番南方のファーゲンまで遠ざけられていたんだろうな。
それでも予想よりも遥かに早かったのだろうが。
「皆さんも大まかな状況はお聞きでしょう。王都ザッカールが正体不明の『黒い霧』の影響でアンデッドや黒い魔物などが徘徊する魔都へと変貌してしまい、現在順次王国民が陸路、または水路を使って脱出、避難をしているところです」
「それは大体聞いているけど、他の皆は!? シエルは一緒じゃないの!?」
「王都の人口を考えても一辺に脱出する事は不可能。特に王都内には非戦闘員が多いのに対して魔物が跋扈しているから子供や老人、それに妊婦なんかの体に負担を掛けられない人たちも大勢いて……今は『黒い霧』に包まれた王都の要所要所で結界を張りつつ、順次戦闘員を派遣して脱出させているの」
「……!? そ、そうか」
王都から脱出できない人々を結界で守っている……それだけでリリーさんには親友がどんな行動を取るかなどすぐに理解したらしい。
そんな状況で『光の聖女』であり広域結界を扱えるシエルさんが残らないハズがないものな。
同時に旦那の方も残らないハズがない。
帰国後の夫婦の共同作業がこんな事であるのは何とも皮肉ではあるが……。
そんな事を考えていると、不意に今のイリスの言葉に引っかかるモノがあった。
「ちょっと待てイリス、今妊婦って言ってたけど……まさか」
俺がその事を聞くのは予想通りだったのだろう。
イリスは神妙な顔で頷いた。
「ご想像の通りです。ギラル先輩のお師匠スレイヤさんは幸か不幸か臨月で……それこそ激しい動きが御法度の時期。今は心ある貴族の館に収容され、シエル先輩の『光域結界』にて保護されているハズです」
「く……タイミングが悪い……」
俺が『予言書』の様に最悪な未来に進まなくて済んだ、最も世話になった師匠の出産にこんな事件がかぶってしまうなど。
正直俺は今まで古代亜人種の生き残りであるアルテミアに対して直接的な恨みは余り無かったのだが、ここに来て初めて個人的な怒りが湧いてきた。
そして同時に、前回の戦いでヤツを逃がしていた自分自身にも……。
「それにしても心ある貴族か。その言い方じゃこの期に及んで心無い貴族もいるって事になるのかい?」
「ハハハ……それはもう」
大聖女ジャンダルムの心底呆れた顔での質問に、イリスも似たような顔で頷いた。
「筆頭は誰あろう王族連中です。この緊急事態にも関わらず王都の結界を扱える魔導師を集めて王城の敷地に結界を張り巡らせて、自分たちだけで閉じこもっています。逃げ惑う国民が中に入れてくれと懇願してもお構いなしに……」
「……チッ、日和見国王は役に立たないとは知ってたけど、傀儡にしたがっていた王家の連中も側近も使えない部分は一緒ってワケかい」
まさにその通り。
以前の騒動で国王は日和見から抜け殻になったが、この結果を見ると四魔将が邪神軍を立ち上げた『予言書』の状況とさほど変わらない気がしてくる。
あんまり長くは無いと思ってはいたけど、まさかここまでとは……。
「高位貴族の中には同じようにお抱えの魔導師に結界を張らせて籠城決め込んでいる連中も多いのですが、そんな中でギルドなどを通じて平民たちにも進んで敷地を提供して避難場所にしている貴族も少なからずいらっしゃるのです。その辺が少しだけ救いですが」
「そ、そうか……王侯貴族でも全てが腐っているワケでは無いのだな」
貴族の中にも進んで平民を助けようと動く本物がいるという事に、元貴族であったカチーナさんは複雑ながらも少しだけ救われた顔になった。
だがその顔はイリスの齎した次の情報で驚愕に染まる。
「中でも真っ先に避難場所に自らの館を提供、危険を冒してでも残った冒険者や傭兵たちと王都から国民の脱出を支援していて、今現在シエル先輩が『光域結界』を維持し続けているのがファークス侯爵家です。当主バルロス氏自らが陣頭指揮を取って、現状王都と外部を繋ぐ唯一の中継所となっています」
「……………………え?」
ファークス侯爵家、そして当主バルロス。
それはどちらもカチーナさんにとって長くいたはずなのに“馴染浅い”名前。
こんなところで再び耳にする事になるとは彼女も予想していなかっただろう、実家と父親の名前であった。
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