第二百五十四話 越されて喜ぶ者あれば悔しむ者あり

 邪神の復活を精霊神教の力を結集し、愛し合う二人の想いによって再度封印が成されたというオリジン大神殿にとって歴史的な出来事があったその日の夜の事。

 昼間の事件比べれば多少インパクトが劣るせいか人々の印象に残り難くなってしまったのだが、本来であれば大事件となるハズの出来事が人知れず起こっていた。

『奥の院』を中心にしてのオリジン大神殿の崩壊、『聖典』によって齎された異界召喚の真実(?)による今後の弊害、そして何より事件後から姿を見せない元老院たちとこれから発生する責任の所在の諸々など……それら一切の仕事が上層部の中でただ一人残される事になっていた大僧正ダダイログの下に全て集まってくる状態になっていた。


「く、自分が手にする金勘定には率先して現れる老人共が、今回に限って全く顔も出さんとは……このような時こそ“精霊神様のお導き”などと口上垂れて金集めに奔走しそうなモノを」


 逃亡しようとしたその連中が既に暴食熊の腹に収まっている事など知る由も無いダダイログは増え続ける調書の山に愚痴っていた。

 しかし精霊神、『聖典』にこれまでも人生の岐路で意図的に救われて来た彼は“これも『聖典』から齎された試練なのだ”と思い直し……自分の傍らに置かれたままの『聖典』、本来の魔導具名『転書の書』に視線を向かわせる。

 彼にとって『聖典』は人生の指標であり神であり母……自分の歩む人生の全てを成功に導き努力も苦行も決断も、すべてを示してくれていた無二の存在であった。

 それが千年もの遺恨を持つ物から利用される為の物だったとも知らずに……。


「やはり『聖典』の指示に従っていれば間違いはない。実際に今回もそのお陰で今まで秘密裏に封印されていた邪神すらも撃退する事が出来たのだからな」


 大僧正ダダイログは既に老齢であるのだが、自分の意思決定を『聖典』に依存し続けていた結果、精神年齢は母親の庇護下で指示に従い続ける幼子と大差ない状態であった。

 そんな彼が視線を移したその時、『聖典』がいつものように光り出し……新たな文字が浮かび始めた事に気が付いたダダイログは嬉々として手に取った。


「……は?」


 しかし黙読した彼はその文章の意味が理解できずに間の抜けた声を漏らす。


『邪神の封印が成された今、『聖典』の存在する理由なし。これからの精霊神教の行く末は汝ら敬虔なる信徒たちに委ねよう……』


 その文章の意味する事が理解できずにダダイログが混乱していると、次の瞬間には手にした『聖典』に激しい炎が起こり、一気に燃え上がったのだった。


「うわああああああ! 聖典が!? 聖典に火があああああああ!!」


 自分の人生であり命よりも大事な『聖典』が燃え上がるのをダダイログは火傷も厭わずに両手で消そうと半狂乱になるが、叩こうとも踏もうとも火が消える事は無く……数秒もしない内に何百年も精霊神の神託を伝えると言われ続けて来た『聖典』は黒い煤となって虚空へと散って行ったのだった。


                  ・

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「さ~て、何でも指示を出してくれる便利な依存先を失った時、今代大僧正はどうなるのでしょうね」


 そう呟いて調査兵団団長ホロウは『聖典』の消失に半狂乱で泣き叫ぶ大僧正の姿を暗がりから確認していた。

 燃え盛る羽ペンを手にしながら……。

 魔導具『転書の書』はその特性上『羽ペン』と対になる存在であり、平たく言えばどちらかが壊れたり燃えたりすれば、もう片方も消失してしまう事になるのだ。

 最早役目を終えたと判断したホロウは何のためらいも無く『羽ペン』を処分したのだ。

 

「良いのか? それは裏側から精霊神教という国すらも超えた巨大な組織を操ることが出来る代物だったはず」

「馬鹿を言わないで下さい。今回は流れで一度だけ任されましたが、私に執筆などの創作活動は無理ですよ。万人が求める世界平和な物語を夢想するには血を見過ぎていますかね」


 そして陰に隠れてはいるものの、不意を打つわけでもなく正面から現れたのは彼にとって直弟子であり元調査兵団『テンソ』の首領……ジルバであった。

 彼は不満とも怒りとも何とも言えない複雑そうな表情をしていた。


「君とて私が燃やそうとするのを阻止する事も出来たでしょう? 何ゆえに傍観を決めこんでいたのですか?」

「…………」

「なんとなくギラル君には聞いてましたが、どうやら君の目的はこの年寄りを引っ張り出す事だったようですね。私はいつも口にしていたでしょう? 不用意に年寄りが口出しするモノでは無い、その最たる結果がアレですよ?」


 そう言って消失した『聖典』の灰をかき集めようと必死になり泣き叫ぶダダイログを示されるとジルバは露骨に嫌そうに眉をひそめた。


「……反論しづらい題材が目の前にいるとやり難い」

「私は2百オーバー、君とて40は既に超えているでしょう? 10代の若者に説教される事は避けたいのですよ、本当に」

自分てめぇでやれ、か。耳が痛いな。我々の元雇い主……『聖典』を自称していたあの女はどういう気なのか知らんが世界を終わらせたがっていた。だが、あの男ギラルは世界を救いたいとかそんな義憤に溢れる意志で止めたワケじゃない。ただ破壊だろうと悪事だろうと自分でやろうとしないのが気に入らないという個人的な感情からの横やりだと言う」


 又聞きなのかそれとも直接聞いたのか、それはギラルが口にした言葉である事をホロウは察した。まああの少年ならそう言うだろうな、と。


「ははは、その辺に関して彼は容赦ないですよ。自身の無様な最期を知っているからか、自分が生き残る事を大前提にしても自分がカッコ悪く死ぬのを心から恐怖し、誰よりも“終わり方”にこだわっています。ハーフ・デッドの名が示す通りに」

「終わり方に……か」

「はい、その為であれば自分よりも力も権力もある存在でもあらゆる手段を講じて利用します。あまり前に出たがらない私のような年寄りでも敵対関係にあるハズの『聖典くろまく』であっても、利用するつもりで近寄って来た敵対組織の首領……君であってもね」


 それは目的の為にあらゆるモノを利用し、達成できれば結果を見ずに死んでもかまわないと考えていたジルバにとって、似て非なる生き様だった。

 自身の死に様にこだわる……聞きようによっては独りよがりの自己満足に過ぎないのに、ギラルは生き残る事を前提にしているのだ。

 やらかした自分を知っているからこそ、やらかした自分の無様さと無責任さを知っているからこそ……。


「……なるほど、あれほど巨大な厄災の化け物に気に入られるワケだ」

「…………ん?」

「いや、何でもない。こちらとしては目的に利用できる雇い主がいなくなっては動きようがなくなってしまったが、最初に目的にしていたアンタを担ぎ出そうとか考えるとヤツの洗礼を受ける羽目になる未来しか浮かばん……ハッキリ言えばこのまま行動を移すのに躊躇する」


 それは聞く者が聞けば驚愕する……裏の世界では知らぬ者はいないとまで言われたホロウの直弟子であるジルバの敗北宣言であった。

 どんな経緯であっても結果的に世界を滅ぼしかねない存在すらも流れで味方にしてしまった事実は、現実的な仕事を常にする者たちには理解不能……死の恐怖すら克服しているハズの彼にとって違う形の恐怖を呼び起こすモノだったのだ。

 あるいは……。


「少々俺も感化されてしまったようだ。確かに誰ぞに重責を押し付けてさっさと死に逃げるのは冷静に考えると酷く無責任で格好が悪い……クソ」

「そうやって己を顧みる事が出来るのであれば、貴方はまだまだ若いという事。私を担ぎ出す事を考えるよりは私を超える事を成し得れば良いでしょう?」

「アンタだって、人にとやかく言えるもんか? 年寄り気取って流れを傍観するだけってのはどうなんだよ。小僧に説教されたくね~んだろ? 師匠殿」


 不満顔でジルバが言い返すと、ホロウは珍しく眉を顰めて見せた。


「私の様に長年居座れる者がのさばるのは組織として片寄るから難しいのですよ。だから優秀な弟子を育て上げるつもりであったと言うのに……」

「あ……やべ」


 ホロウにとっては実に何十年ぶりになるかという愚痴を直接“優秀な弟子”にぶつけようとした途端、当の本人は危険を察知して既にこの場から消え去っていた。


                 *


「んで、逃げられたんっスか? 団長さんにしちゃ珍しいっスね」

「そう言わないで下さい。私も年なんですよ……彼の異界の邪神に直接干渉したせいか、あそこまで疲弊するのは何十年ぶりの事でしたし。体調万全の元弟子を追跡できる余力はありませんでしたよ」


 事件の翌日の早朝、そんならしくない失敗談をむしろ嬉しそうに語るホロウ団長が現れた。

 何だかんだ、この人は弟子が条件付きでも自分を超えた事を喜んでいるんだろうか?

 昨日のオリジン大神殿で起こった大事件はすでに『精霊の祝福する大結婚式』などと呼ばれて始めていて、商魂たくましい神殿教会の連中は元より商店も宿もこぞってそのスローガンを元に新たな儀式を企画したりバーゲンの開催準備したりと、崩壊した瓦礫の撤去もまだだというのに朝から奔走を始めている。

 ちなみに、そんな生徒全体が盛り上がりを見せる状況の中、最も中心人物であった二人は既にこの国にはいない。昨日の内に聖騎士たちの飛竜に便乗する形でザッカールへと帰ってしまったのだ。

 その理由は肉体的な要因は関係なく、何なら最も密接に『マガツヒノカミ』と関わった兄貴こそ満身創痍であってもおかしくなさそうなのに、兄貴はむしろ傷どころから疲労すら無いようで誰よりもピンピンしていて、何だったら数日は晴れて両思いになれた愛しい彼女と滞在する腹積もりだったようだ。

 だから当然滞在を拒否したのは彼女、シエルさんの方だった。

 と言うのもあの事件の後、何千人の目の前で愛し合う姿を見せ付けた二人に聖都中の宿、ホテルなどがこぞって“無料で部屋をご用意します”という打診が来たのだ。

 それこそ俺の年収3年分が一晩で吹っ飛ぶような王侯貴族御用達の超高級ホテルなども名を連ねていたのだが、シエルさんはその状況に顔を真っ赤にして『この状況で私の初めての夜の場所が周知されるのはイヤです!』と言ったそうな……。

 ま、気持ちは分かるか。

 精霊神教の総本山で起こった歴史的で誰の目にも神聖な出来事として記憶された出来事の主役が、その後でお泊り下さった~などと言う事実をホテル側が利用しなワケ無いものな。

 喩えホテル側が黙っていても人の口には戸が立てられないもの、文言を変えて『邪神の封印を愛の力にて成した聖女と聖騎士が羽を休めた止まり木』な~んて言ったとしても……まあそういう事だとは思うだろうし。

 親友リリーさんは飛竜でタンデムして帰っていく姿を見送りながら『隊長は宿舎だから、今夜はあの娘ん家しかないだろうけどね~』などとニヤニヤしてたが……。

 俺達はその後、再び老人の姿に擬態しつつ宿へと戻り今に至るというワケだ。

 ……しっかし、太陽が昇る早朝に全くこの団長が似合ってないと思うのは偏見だろうか?


「で、こんな朝っぱらから何でここに?」

「ああ、実は取り逃がしはしたがジルバは君への伝言を残していたようでね」


 そう言うとホロウ団長は懐から一枚の紙を取り出して俺へと渡して来た。

 その紙にはご丁寧に『ワースト・デッド首領へ』などと記載されていたのだが、俺はその内容に目を見開いた。


 今回の件で唯一の召喚士ミズホは呼び込んだ存在の強大さに当てられ引きこもってしまった。しばらくそちら方面で『テンソ』が動く事は無いので安心されたし。

 我らの元雇い主が事件後聖都を脱出するのを目撃、注意されたし。


 今回俺たちを欺くために下の階で術を行い直接会う事も無かった召喚士ミズホに関しては、あそこまで人知を超えた世界を滅ぼせるような邪神を召喚してしまった事がトラウマになったっぽいが……そこは正直どうでも良い。

 問題なのはもう一つの事実。


「マジか!? 生きてたってのかよ大聖女アルテミア……」

「そのようですね。さすがは古代亜人種の亡霊……異界の邪神すらも欺き逃亡して見せたという事でしょうか?」

「……どうっスかね」


 ホロウ団長の言葉に俺は違和感があった。

 あれほどの存在が喩え千年以上も経験を重ねた者とは言え取り逃がす事があるのだろうか? 

『マガツヒノカミ』は異界の厄災そのモノであり、たまたま利害の一致があったから茶番に付き合ってくれたが、それはそれ……確実に俺たちに味方でも“この世界の”味方と言うワケでもない。

 だったら『自分でやれ』という言葉を実行できる道くらいは示しているのでは?


自分てめ~でやる事を期待して、ワザと逃がした……何て事は……」

「あ~はは……やはりそう推察しますよねぇ。昨夜、ようやく私も『予言書みらい』の自身と決別する夢を見れたのでコレで終わったのかもと期待していましたが」

「…………なぬ!?」


 その言葉に俺はアルテミア生存の情報よりも遥かに衝撃を受けた。

『予言書』の自分と決別する夢、それはカチーナさんを始めとした仲間たちから幾度か聞かされてきた、おそらく『予言書みらい』から決別出来た証。

 今のところ見ていないのは団長と俺の二人だったというのに!?


「マジで!? マジで団長さん見ちゃったの!? 生物的に色々やめちゃってるアンタなら睡眠も必要ないだろうから先を越される事は無いと思っていたのに!?」

「……君も大概失礼ですね。私とて眠る時は眠ると前にも話したでしょう。疲労も相当にあった事ですし」

「まじかあああああ……」


 自分でも何故なのかは分からないが、最後の一人が自分だけという事よりもホロウ団長に越された、という事実がやたらとショックであった。


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