閑話 たった一人の否祝福者

 その時の光景は精霊神教の長い歴史の中で、まさしく伝説として語り継がれることになる瞬間であったと目撃した聖職者を始めとする信者たちは口々に語り、そして自分たちがその瞬間に立ち合えた事を誇り思ったという。

 秘密裏に封じられていた太古の邪神の封印を強化する為に、偶然今回各国から聖女や聖騎士たちが集められていた事、そして全ての精霊神教信者たちが一丸となり邪神を再び封印する事に成功した事も含めて『精霊神』、引いては神託を告げる『聖典』へも感謝の祈りを捧げると共に、誰もが奇跡を起こし結ばれた二人に惜しみない祝福の言葉を贈る神々しくも幸せな感性に包まれる

 地位も利害も度返しで一致団結しての勝利と言う空気の中、単純に友人である聖女の幸せの為に率先して前に出た地の聖女ヴァレッタは、盛り上がる空気の中『知らない方が幸せって事もありますよね』と、聖女と言うよりは貴族令嬢に相応しい思考でこの結果が何者かの作為によって作り出されたモノである事実に口を噤んだ。


「ここで口を挟むのは無粋でしょうから……ふふ」


 クレーターの中心に静かに舞い降りた二人……力尽きた聖騎士を聖女が優しく抱き留める光景を微笑ましく眺めながら。


 ……さて、そんな風に周辺では際限なく勝手に神格化されつつある当人たちであるのだが、実際に神々しい出来事であるのかと言うと……。

 精霊たちと大勢の精霊神教信者の協力、仲間たちに援護、そして元凶っぽい『マガツヒノカミ』のお節介により決死のダイブをしたシエルのお陰で怒りに我を忘れていたノートルムは正気には返った。

 まあ、それは予定通りな事で良かったと言えば良かったのだが……正気を取り戻した彼は当然これまでの出来事を理解できていなかった。

 彼としては大事な大事な本当に大事な自分の生涯において確実にトップテン入りする程に重要な夜を邪魔したオリジン大神殿、引いては精霊神教を本気で叩き潰そうとしか考えていなかったのだが……気が付くと瓦礫となった神殿の上空で最愛の人とキスをしているのだ。

 しかも大勢の衆人環視の真っただ中でだ。

 しかし…………彼は聖騎士ノートルム、ギラルに兄貴と尊敬される男だ。

 当然の如く衆人環視そんなものは今最も愛しい女性にキスをされているという極上の状況に些末な事へと変換される。


『あれ……? マア、ドウデモイイカ……』


 熟考する事数秒足らず、彼はそれだけを思うと先日の図書館と同じような結論に達し……シエルよりも遥かに強い力で肩と腰を抱きしめて、より強く激しく彼女の唇を貪り始める。


「ん!? んんん!? ちょ、ちょっとノートルムさん!? んん!?」

「シエル……んん!?」

「まってまって!? みんな見てる……んんん!?」

「シエル……シエル……俺の、俺だけの……ん……」


 うわごとの様に呟く言葉も激しく求める唇も強く抱きしめる両腕も……全てが自分だけを激しく求めているという事にシエル自身も段々とほだされ始め、彼女の思考も“もうどうでもいいかも……”と段々と流されかけ始める。

 彼が望むのなら、良いか……と。

 しかし……やはりここは先日の図書館とはワケが違う、何千人と言う衆人環視のど真ん中である事をかろうじて思い出したシエルはカッと目を見開いた。


「夜までお預け!!」

「ぐぼう!?」


そして耳まで真っ赤に染まった顔面のまま見事な左ボディ、いわゆるリバーブローを叩き込んでノートルムを一撃の元に昏倒させたのであった。

 静かに地上に降り立った時にはシエルに寄りかかり……まるで眠るように彼はグッタリと力を失っていた。


「おお、見事なボディであるな! もう夫婦喧嘩とは仲の良い事で」

「ダメじゃないシエル、彼には優しくしてあげないと~。ああ、夜までお預けって事は……」


 心配したのかはやし立てに来たのか、おそらく後者だろうと思ったシエルは同僚の格闘僧と親友に赤面状態のまま言った。


「これは私たちの問題なの! ほっといて!!」


                  *


「これは一体……何? 何が起こっているのです?」


 大勢の精霊神教の者たちが神々しい光景に感動する中、ただ一人大衆に交じって忌々しく呟く者がいた。

 闇の大聖女にして『聖典』、千年もの間『三大禁忌』成就の為に暗躍を続けてようやく大願成就と思っていた矢先、思惑とはまるで違う展開の連続でアルテミアを名乗る者は頭がおかしくなる想いだった。

 これまで時間をかけて着々と準備していたハズの、人知れずに進行していた計画がまるで砂の山が自然と削れて行くかのように瓦解していく事に焦り、少々強引ではあるが最後のピースである『異界召喚の儀』を不完全ではあるが強行した。

 その結果は邪神を生み出すよりもあるかに強力で強大、凶悪な化け物を引き込む事に成功し確実に世界を、精霊を、人の世の全てを食い尽くしてくれる。

 それこそ指先のみでも確実に……負の力、邪気の使い手アルテミアはその強大さを誰よりも理解して歓喜したのだ。

 そして自分は世界を滅ぼすモノに真っ先に殺される事で終わる……そのつもりであったのに、反射的になのか邪気を囮に逃亡するといういつものクセで生き長らえていた。

 その事実を特に気にする事も無くアルテミアは“だったら自分の復讐の結果が見られる”とこれから阿鼻叫喚の地獄が始まると嬉々として待っていたのだが……。

 結果は希望した物とはかけ離れた悲劇と絶望とは程遠い、復活した邪神に操られた恋人をオリジン大神殿を始めとする精霊神教全ての力を結集しての精霊魔法と友人たちによる決死の援護により接吻、そして愛の力で聖騎士が正気を取り戻した事で邪神は再び封印されることになった…………という大衆にとっては伝説的奇跡、アルテミアにとっては最悪の茶番となってしまった

そう、祝福と希望に満ち溢れた結婚式の様に展開し……終わってしまったのだ。

 誰よりも負の力『邪気』を知るからこそ、現れた存在『マガツヒノカミ』は人間は元より精霊ですらも敵う存在ではないのは一目で分かったのに、それこそ巨人に対する羽虫の如き圧倒的な差で、喩え指先のみの力であっても奇跡の介在などあっても無くても結果は同じ事だったハズだったのに。


「どういう事? どういうことなのです!? 何故あのような邪悪な存在が破壊も災いも貰らさずに大人しく封印されるなど……む?」


 混乱するアルテミアだったがそんな折、光り輝く二人の陰でコソコソと瓦礫と化した『奥の院』の内部へと姿を消すハーフ・デッドの姿を見つけ、咄嗟に自身の邪気を追跡させる。

 それはアルテミアにとって使い魔のようなもので、ある程度の距離であるなら感覚を共有する事も可能である、戦闘時の分体の応用でもあった。

 そして追跡させた分体からもたらされた情報は衝撃的であり、アルテミアは絶望のあまり腰が砕けてしまう。

 彼女とて伊達に長い年月を精霊神教の『聖典』として暗躍してきたワケでは無い。

『マガツヒノカミ』、『最後の聖女』そしてハーフデッドことワースト・デッド頭領『ギラル』の会話のを聞く事でようやく自分自身の失策を理解するに至ったのだ。


「ぐぐ……つまり、ヤツは……ギラルという少年は私の千年の計画の末に世界の終焉を齎すハズの『邪神』と『最後の聖女』が送り出した時戻りの改編者だという事ですか!?」


 それはアルテミアにとっては何十、何百年ぶりに湧き上がるどうしようもない類の“他者に出し抜かれた”事に対する悔しさからの憎悪の感情。

 目は血走り、食いしばった口から握りこんだ手から血が流れ始める。

 そして気の遠くなるほどの計画を自分よりも矮小な存在であるハズのギラルが『マガツヒノカミ』と単純な“気に入らないから”というアルテミアにとっては下らない同調をしただけでアッサリと潰した事も理解する。


「私が……私が千年の時を掛けて計画してきた復讐を……ついさっき会ったばかりの存在の気分で茶番にされてしまったというのか!?」


 同時に彼女は理解する。自分が今、何ゆえに生き長らえているのかも。

 さっきまでは運よく『マガツヒノカミ』の攻撃から邪気を囮に逃げたのだと思っていたが、実はそうではない。

 意図的に逃がされただけなのだ。

自分の復讐が成ると信じて何も知らずに気分よく死ぬのではなく、こうして自身の復讐計画が下らない茶番として崩れ去る様を実際に目撃させるために。

 更に言えば今『邪気』を通じて自分たちの会話を知られている事を邪気を感じられないギラルや『最後の聖女』はともかく『マガツヒノカミ』が気が付いていないワケがない。

 その上で、ギラルと共に『マガツヒノカミ』が口にした言葉がアルテミアの神経を逆撫でる。


 てめ~でやれ…………。


「おのれ……おのれおのれおのれおのれえええええええええ!!」


 後から後から湧き上がる新たなる憎悪。

 それは自身の計画を台無しにした者たちに対するモノは勿論であるが、何よりも千年も掛けた自身の計画を潰した最大の要因、気付かぬうちに実力の及ばない盗賊風情と油断し捨て置いていた自分自身に対しての憎悪が凄まじかった。

 油断しなければ容易に始末できる矮小な存在であったはずなのだ。

 真っ先に始末すべき、真っ先に始末できるはずの……油断さえしなければ、自分が気が付く事さえできていればどうとでもなったハズの綻びであったのに。

 そして最後の最後、世界の破壊を強大な存在にさせるという、言うなれば他者に委ねる……押し付ける方法を選択した事で、最早引き返す事も出来ない程に始末で来たハズの矮小な存在に全てを台無しにされてしまったのだ。

 せめて『聖典』としての立場で大僧正をコントロール下に置いておくか、もしくは今後の憂いを断つために殺傷していれば、まだリカバーする機会もあったのかもしれない。

 しかし最早今の状況は収拾不可能。

 大僧正の号令という名目で精霊神教を上げて封印を成功させた奇跡の結婚式として、三大禁忌最後のピースである『異界召喚の儀』は『邪神召喚の儀』として知れ渡ってしまったのだ。

 今回の件でオリジン大神殿の主だった上層部の連中、元老院の連中は騒ぎの中で逃げ出した暴食熊の餌食になり、まだ残っている連中とてこうなった以上、秘密裏に召喚を実行する事も不可能になった。

 最後の詰めを怠ったが為に…………。


「ギラル…………時戻りの盗人め……この恨み、忘れるものか。


 未だに歓声を上げて聖女と聖騎士を祝福する精霊神教信者たちの中、アルテミアはただ一人憎悪の感情をまき散らしながら背を向け歩き始める。

 千年以上も昔から抱く世界の全てを憎む古代亜人種の生き残りとしては珍しい事に、今だけはたった一人の盗賊への激しい憎悪を。


「ご助言痛み入る…………。ならばやってみせましょう…………自分⦅てめ~⦆で……」







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