第二百五十二話 懺悔の博打

 しばらく走っている最中にも背後から大勢の何やら盛り上がるような声が聞こえてくる。

もしかして正気に戻った兄貴が調子に乗ってシエルさんにぶっ飛ばされたか? とかあり得そうな予想をしつつ、俺は盛り上がる外とは逆走する方向に、意外と下層部は無事だった『奥の院』の中を移動していた。

 しかしどこか広めの……書物が多く並んでいる事から恐らく書庫か何かに差し掛かった辺りで突然人ならざる、聞いただけでも身がすくみそうになる声が聞こえた。


『小僧、そろそろ我を離せ。人の身でいられなくなるぞ』

「う、うえ!?」


 声を出したのは『紅い大剣』であり、その声は紛れも無くさっきまで地上で千を超える聖職者や魔導師たちを圧倒していた『マガツヒノカミ』のモノ。

 俺は慌てて剣を放り投げると、剣は床に金属音を立てて落ちるが……その形はまるでスライムか何かのようにグニャグニャと変形をして、召喚時に見た何か巨大な存在の指先に戻る。

 その様を不気味だな~と思っていると、自分の鼻からぬるりとした感触……結構な量の鼻血が知らぬうちに流れていた事に気が付いてギョッとする。

 そして剣から手を離した途端に、たった数分しか走っていないというのに一日中走り回ったかの如き急激な疲労感に見舞われて、その場にへたり込んでしまった。


「ぐ!?」

『無茶をする。短期間とは言え憎悪の契約を結んだ貴様の兄貴と違い、契約で守られていない生身の人間が高次の存在に触れるなど、どうなる事か』

「う……マジっすか? まさか死……」

『死ねる程度で済まない事態にもなりかねん……。まあ今のところはまだ大事無いようだがな』


 死ねる程度……つまり死よりもヤバい事態になる危険もあると?

 言っている存在が人知を超えた存在である事を考えると全く持ってシャレにならない。


「……そういうのは先に言っておいて欲しいっスよ」

『貴様の茶番に付き合ってやったのだ。これ以上のサービスを望むでない』

「そう言われるとぐうの音もでねぇっスけど……」


 多分だけどこの『異界の神』は本来ならこうして直接話す事だって御法度になるような存在なのだろう。

 俺の知る神様とも精霊などとも全く違う、どこにでもいるようでどこにもいない、妙な感覚を覚えてしまう危険さを、既に戦闘を終えたというのに未だに感じるのだ。


「……今更だけど、マガツヒノカミ様、でいいのか? 貴方は一体何者なんだ? こんな指先だけにでも意志を宿し、それだけでも世界を壊せるクラスの力を示す存在。しかも『予言書』の事も俺以上に詳しいみたいだし」

『…………』


 恐る恐る俺が聞いてみると、指……『マガツヒノカミ』は少々考え込むように間を開けてから言葉を発した。


『本来なら時空の事を知るべきではないが、貴様は“奴ら”に選ばれた当事者。本来なら何も成す事無く死んでいた者に伝えるのも一興か』

「一興って……」


 俺の今までの行い、苦難の人生を“面白そうだから”でまとめられた感じでいまいち釈然としないが……俺は黙って聞く事に集中する。


『まずは我の禍津日神マガツヒノカミはとある世界、とある国で使われている字。貴様が神様と崇める国での俗称だ』

「神様の国の!?」

『そして我はどんな世界、どんな時間、どんな場所にも存在する憎悪と厄災を司る存在。生きとし生ける者は必ず我の存在を身近に怯える……名を変え姿を変え』

「それってつまり…………」


 名を変え姿を変え……それはつまりこの世界であっても、神様の世界であっても絶対的に存在する避けようのないナニか。

 魔力や邪気、精霊などの不可視の存在と言うワケでもないのに確実にある虚ろな存在。

 そんなのはどう形容して良いのか分からないけど、目に映る、触れることが出来るという事象を基本にしているこの世に生けるすべてのモノにとって、こっちから関わっていい存在ではないんじゃないだろうか?

 朧げにだかそんな事を今更思い始めた俺に気が付いたのか、声色は幾らか楽し気なモノに変わる。


『その恐怖する感覚は正しいぞ? 貴様の神様の国で言うなれば……次元が違うと言ったところか?』

「次元……」

『ついでに言えば、我にとって時間の流れの捉え方も貴様らとは違う。言うなれば貴様らは流れる川の水だが我は遠見での観察。流れる水は一方にしか流れていないとしか認識できないとは違い、遠見は川が曲がりくねり逆方向に一度戻る事まで容易に見れる』


 その説明は分かりにくくはあるものの的確……多分だけど、もろに経験している俺だからこそ理解できてしまったのだろうが。

 考えてみれば、マガツヒノカミはずっと『聖騎士』やら『聖魔女』やらを実際に見て来たことのある物言いだったし。


「……つまり貴方は俺みたいに『予言書』で知ったワケじゃなく、実際に時間の流れの外から見ていた。そして『予言書』の出来事は一度起きてしまった未来という事なんですかね?」


 俺は正直、マガツヒノカミの人知を超えた正体よりもそっちの気付きの方にショックを受けていた。


「じゃあ……結局俺は、俺たちは罪人のままって事に……」


 カチーナさんが外道極まる聖騎士として食い殺される、シエルさんがリリーさんの死を切欠に聖魔女としてイリスに息の根を止められる、そして俺が最低な強姦魔として召喚勇者に殺されるという未来はすでに“起こってしまった時間の流れ”と言われてしまうと……起こさない為に今まで苦労してきた事に若干の徒労感も生まれてしまう。

 今の自分は未来の自分とは違う、違う道に進むと思い続けていただけに……流れは同じなのだと言われてしまうと……。

 しかし項垂れる俺とは対照的に、マガツヒノカミはあっけらかんとした様子で言った。


『何を言うかと思えば……。起こっていない、誰の記憶にも無い事を実際にやっておらん貴様が罪悪感を感じてどうなる事でもあるまい。今の貴様は時には陰から、時に道化として奔走して違う流れを作り出したのだからなぁ』

「……え?」

『先の未来で“あの女たち”は貴様という水に切欠を与えたに過ぎん。流れを曲げて違う流れを作り出したのは間違いなく貴様だ』

「その通りです…………ギラル“さん”」

「!?」


 そう言って突然目の前に現れたのは、リリーさんの妹分にしてシエルさんの後輩、俺たちの侵入の際に大活躍してくれたイリスの姿。

 だけど、そんな顔見知りの登場のハズなのに、俺はまたもやギョッとしてしまう。

 何しろ今の今までこの場には俺とマガツヒノカミしかいなかった……『気配察知』の索敵範囲内には誰もいなかったハズなのに、まさに“突然”現れたのだから。


「おいおい……まさかシエルさん並みの隠形をお前さんも身に着けたとは言わないよな? それともまた『石化の瞳』でも応用したのか?」

「いいえ? 私にはそのような技術は持ち合わせていません。たった今この場にはせ参じただけですから」


 そして警戒してしまうもう一つの理由が、目の前のイリスは間違いなくイリスの顔をしているというのに、何やら雰囲気が全く違うのだ。

 まるでイリスの体を使って、別の何者かが入り込んでいるかのように……ついさっきまでの彼女も強者だとは思っていたが、自然な立ち振る舞いに全くの隙が無く……正直言って敵う気がしない。

 

「種も仕掛けもございません。時空魔法『クロック・フェザー』で自分の身をこの場に転移させただけです。ついさっきまでいなかった者が現れた……ただそれだけです」

「……つい数時間前に結界の中に転移して貰った時にゃ~、お前は自分の転移はまだ出来ねぇって言ってたはずだけど?」

「時空魔法の初心者は対象を自分に向けるのが困難なのです。“この娘”もあと数年修練を重ねれば今よりも多く、そして遠くに転移する事が出来るようになる事でしょう」

「…………あ~、成程」


 イリス(?)のその物言いに、俺は何となく察した。

 時空魔法は六大精霊には含まれていない、現精霊神教には伝わっていない、解明されていない属性魔法だ。

 つまり目標にする先駆者はいない、今のところダイモスの遺産からようやく一つの魔法を取得できたイリスだけが唯一無二の使い手のはずなのに、その事を知っているという事は……。


「時の精霊の寵愛を受けたイリスとは同一人物。だけど今俺の目の前にいるのは、数々の苦難を経験し、堪え難き苦痛と悲劇を経験し……精霊神教の最後の聖女として勇者と共に戦った方って事で良いのかな?」

「そのように大層な人物などではありません。私は自身の我儘の為に世界を滅ぼす原因を作り出す切欠を作り、その事に耐え切れず自身の罪を清算しようとする恥知らずでしかないのですから……」


 自分の事を貶める彼女……『最後の聖女』イリス・クロノスは力なく笑って見せた。

 以前カチーナさんが一度だけ『四魔将』の力を顕現させた時、似たように『予言書みらい』の自分が力を貸してくれたとか言っていたが、今回も似たような事なのだろう。

 なんとなく、それを導いた存在にも察しが付くし。

 俺は床に転がったままの『マガツヒノカミ』の指に視線を落とした。


「……貴方の仕業ですか?」

『なに、他意はない。我が本体へ帰るついでに流れを変えた元凶に結果を見せるのも一興と思ったまでの事』

「元凶……ね。つまり俺がガキの頃に神様の国に行った光の扉を作り出したのは、この人って事なのか?」


 俺がそう呟くと、イリスの姿をした『最後の聖女』は深々と頭を下げた。


「申し訳ありませでした。お察しの通り私が……いえ、私たちが貴方の運命に介入し歴史改変の重責を押し付けた張本人でございます」

「私……たち?」

「はい……かつて、いえ“未来の”私は世界を滅ぼす邪神を作り出す大罪を犯しました。そして私はその罪の重みに耐えきれず、更なる罪を犯したのです。それは時空魔法の中でも禁忌中の禁忌、非常に膨大な力を糧に私が……私たちが犯した歴史を全て無かった事にする事。しかしそれを実行するには人知を超えた、それこそ異界召喚など問題にならない程の魔力だけに限らない膨大な力が必要で……私はある方に賭けを申し入れたのです」」


 そういう彼女の眼は深い深い罪悪感に満ちていて、自分の今までの行動が正しかったとは一切思っていない、まるで懺悔するかのように話を続ける。


「私は“彼女”を唆しました。こんな世界、貴女にとって存在しようと無かろうと興味はないだろう。あの人と離され、あの人を奪われた全ての歴史に、あの人を失った自分にすら興味が無いのであれば、私に力を貸さないか? と」

「……彼女?」

「私は大切な男を奪われ憎悪に狂う彼女に持ちかけました。その禁忌を行えば、貴女も私も確実に消える事になる。それでも貴方は愛した男と共に生きる世界があるが、私は愛した男の想い出すらも失う事になる……」

「それって……その彼女ってのは……」

「貴方の愛した男は私が抱いていた想いすら知らず、最後にこれだけは心にとどめておきたかった愛していた事実、思い出すらも全てくれてやるのだ……本望でしょう? いい気味だと思うでしょう……と」


 そういうイリスの瞳からは涙がこぼれる。

 それは自分の全て……最後まで想いを伝える事が出来なかった『異界の勇者あいしたおとこ』の想い出すらも無かった事になる事への悲しみを物語っていた。

 多分、愛する男を奪った世界の全てを憎む彼女は『最後の聖女イリス』だけには共感したのか、それとも同情でもしたのだろうか。

 今更ながら『マガツヒノカミ』が俺に言った“あの女の匂い”という意味が分かった。


「そして、その賭けに彼女……『邪神』が乗ってくれ『最後の聖女』との協力により、俺みたいな悪党になりかけのクソガキの前に光の扉が現れた……。俺は未来の邪神に救われたって事なのかい」

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