第二百五十話 傀儡《ダダイログ》の活用法

 第五十代大僧正ダダイログ、今でこそ精霊神教のトップとして清濁と言うよりも清い水すら濁らせる勢いでどっぷりと同じ穴の狢どもと汚職の闇に染まり切っている男だが……彼の人生は孤独から始まったのだ。

 元は精霊神教が経営する孤児院の一つに、とある貴族の不義の子として捨てられた子供として預けられた一人であったのだが、彼は幼少のころから類まれな魔力、魔法の才能に恵まれていたのだった。

 そんな自身の名前も自覚していない幼児期から魔力の才能にあふれた彼の事を、大多数の者たちは恐怖し、そして嫉妬する事になった。

 魔力の才能が劣る事で魔導僧になれなかった者、そもそも魔法を使えるだけの魔力を持ち合わせない魔力所持者へ嫉妬する者、自分たちには持ちえない魔力きょうきを持った者に対して使おうと使うまいと過敏に避ける者。

 大人も子供も、更には保護し育てる立場の職員、聖職者ですら同様の視線を向ける結果になった。

 そんな孤独な幼少期、深夜ふと目を覚ました彼の傍らに古めかしい本『聖典』が現れて、何も書かれていない白紙のページに文字が現れたかと思うと……彼に一つの助言を与えた。


『今この時間、大神殿の聖堂にて精霊神へ祈りを捧げよ……』


 半信半疑、意味不明……そんな『聖典』の指示だったが、誰にも相手にして貰えなかった孤独な彼は助言だろうと命令だろうと“自分に接してくれた”唯一の存在に従ったのだった。

 そして深夜月明りに照らされた荘厳な聖堂の精霊神像に祈りを捧げに訪れた彼は……その日の晩に火事のせいで跡形も無く消失してしまった孤児院の唯一の生き残りとなった。


『聖典が、精霊神様が……自分を助けてくれたのだ!』


 幼き日の彼にとって、それだけが事実だった。

 聖典が“火事が起きるからみんな避難させろ”という常識的な助言では無く自分だけを助けたという事も“連中は精霊神様に選ばれなかった”という歪んだ解釈へと移り変わり、罪悪感すら抱く事も無かった。

 それからも、彼の人生で何か大きな事件が起こる前には『聖典』が現れる事になった。

 魔導士として自分と争うライバルが功績を上げ対立した時。

 自身の派閥とぶつかり政敵として活動を始めた時。

 大僧正選別の際、他の候補が自分にとって不利な情報を得ていると知った時……。

 ダダイログは現れた『聖典』の指示に従う事で、対立する者はある者は傷を負い、ある者は家族を失い、ある者は権力を、財力を、命を失い……自分だけが『聖典』に救われ続ける。

 そんな人生を辿って来た男だ。

 大僧正として最早老年を迎えた現在になっても、その心根が変わるはずなく……ダダイログの行動の全ては『聖典』に依存したままであった。

 その考え方に善も悪も成否もない、ただただ『聖典の指示は正義である』という誰よりも深い盲信があったのだった。

 それが自称闇の大聖女を名乗る何者かによる人身操作、幼少期から都合の良い傀儡を作り上げる為の手段であったなど知る事も無く。

 だからこそ……召喚された『アマツヒノカミ』に吹っ飛ばされ気を失っていたダダイログが目を覚ましたそこに『聖典』があった事は彼にとって天啓以外の何物でもなかった。


「こ、これは!? なるほど……つまり今起こっている現象は異界の勇者召喚ではなく、古代に精霊神教が封じた異界の邪神が憑りついたという……」


 大僧正ダダイログ、彼には最早自分の考えなどありはしない……その『聖典』に現れた言葉に今までとは違う矛盾があろうと、気が付く事もなくただただ言われた通りに動くだけの立派な傀儡でしかなかったのだ。


                   *


「ぐわ!?」

「むう!?」


 張り巡らせた魔蜘蛛糸を伝って宙に浮かぶ兄貴に接近しようと試みた俺とロンメルのオッサンだったが、今度は肉薄するどころか兄貴が左手を一度振るっただけで吹っ飛ばされてしまった。

 それも俺は上から鎖鎌、ロンメル氏は下から拳でと方向も距離感も全て違うというのに一体どういう技術や力量で左手のみで一度に対応したのか全く分からない。

 それでも兄貴の力量だけを使っている事だけは確実なのだ……まだ俺たちが生きているのだから。


「ロンメルさん、一体今何をされたんです、俺ら?」

「あ~、あの左の振りだけで我の腕を掴んで一回転して君に振り回した我をぶつけたのだ。無論その所作にほぼ筋力を使っておらん。技術だけでここまで圧倒されるとは恐れ入る」

「マジですか……いや、マジなんだよな」


 俺だってそこそこ死線を潜ってきた実力を持っている自負はあるものの、今ロンメル氏が教えてくれた兄貴の動きを見切る事が全くできていない事に軽くショックを受けていた。

 俯瞰の中間距離でチーム全体を見極め仲間たちのサポートをするのが本業のハズの『盗賊』としての役割が出来ない程の圧倒的な力の差。

 鍛え上げた体、力量に関しては兄貴本人のモノなのだろうが、こういった技術面オンリーの事に関しては『アマツヒノカミ』本人の力……入れ知恵のようなものなのか?

 兄貴はその場から動いていないのに、さっきから5人同時に攻撃を仕掛けても掠る事すらめったに無い。

 兄貴に憑いた『アマツヒノカミ』が本当に遊んでいるのか? と疑問に思うくらいにその差は圧倒的なのだが、俺たちがまだ生きていてしかも兄貴は積極的に動いていない事からも、それは明らかな事。

 人間が蟻んこを弄ぶのと同様、向こうが少し触れただけでもこっちは即死クラスの攻撃になりかねないのだ。

 ハッキリ言って初めての経験だ。

 向こうが殺る気が無いはずなのに、過去遭遇した殺る気になっているどんな敵よりも遥かに死の恐怖を感じてしまう存在など。


「……牽制するだけでも魔力も体力も削られ続けるし、そろそろ常備したミスリル弾も底をつきそうだよ、リーダー?」

「走り回る体力だけは自身がありますが、この殺気の中での疾走は精神力の消費の方が……せめてノートルムさんの微細な動きを止める事が出来るなら……」


 ヒク付いた顔で愚痴るカチーナさんとリリーさんだが、気持ちは痛いほどに分かる。

斬撃に弾丸、スピード特化の俺達パーティーにとってこれほどキツイ相手はいない。

 変な話だが攻撃に大きく動いてくれた方が幾分かはマシ、高速で動き接近しても最小でいなされる徒労感は半端ではないからな……。

 大きく動いて本気を出されても、それはそれで終わるのだが。


「敬虔なる精霊神教の信者たちよ…………聞いてくれたまえ!!」

「「「「「!?」」」」」


 しかし俺たちが自分たちの力の無さを嘆いていると、不意に『奥の院』だけではなく『オリジン大神殿』全域に聞こえる老人の声が響き渡った。

 おそらく大神殿には特殊な魔法で上層部の声を伝える伝声管のようなシステムがあるのだろう。静かにハッキリと声を上げる老人、大僧正ダダイログの声がこの場にいるすべての人々の耳へと伝わっていく。

 それは俺達だけではなく、一階部分からワケもワケらず突如現れた強大な力を持った存在に恐怖し見つめる事しか出来なかった聖職者たちや信者たちも含まれていた。


「今、オリジン大神殿、いやこの世界は圧倒的な危機に直面しておる! それは太古の昔、この地に封印されていた異界の邪神が完全では無いが復活してしまったからに他ならない!」

「「「「「「「「「!?」」」」」」」


 それは精霊神教最高峰『オリジン大神殿』の現役最高権力者からの衝撃の発言であり、未だ恐怖に震える大勢の信者も、はたまた巨大な存在を前に恐怖に震えながらも無辜の民を脅威から救うために気丈に行動していた聖女や聖騎士、魔導僧、格闘僧を始めとする聖職者たちにも等しく衝撃として伝わり……俄かに辺りがザワつく。


「この場に留まる勇気ある者たちよ、突如大神殿に現れた強大な存在を前に最も最前に立たねばならぬはずの元老院は私を除き我先に逃げ出しおった。死の恐怖に震える己を鼓舞し、弱者を救うために力を尽くし、あるいは足になろうと、盾になろうと、尽力する尊き者たちよ……貴殿らこそ真なる精霊教徒! 紛れも無く勇者たる君たちには真実を知る権利がある!!」


 そんな腐っても大僧正、演説だけ見れば威厳は感じられるダダイログの姿に……俺は成程、そういう方向で行くのかと……作者ホロウをチラ見した。


「な~るほど、そう来ますか先生」

「細かい突っ込みは無しで頼みますよ。何しろ締め切りがシビアでしたから……」


 今回は本当にこの人らしからぬ色々な表情を見る事になったものだ。

 数分で書き上げた『聖典』の文章、伝承の改ざんについて、納得はしていない渋い顔をしているのだから。


「……かつてこの地に現れた危機に対して召喚魔法にて呼び出された『異界の勇者』によって救われたという伝承は、実は精霊神様による“自身の功績などよりも人々の安寧を優先する”ご意志により改ざん、隠蔽された物。本当は“異界より現れた邪神を精霊神様の力を授かった勇気ある者たちが封じた”という事が真実であるのだ!!」


 伝承を大僧正の口から否定する言葉は一瞬にして信者たちに衝撃を与えるが、目の前の圧倒的な脅威とこの場に残る自分たちは“本物の精霊神教徒である”という特別な自尊心を抱かせる事で否定する考えを持てる者はいない。

 全ての者たちがダダイログの言葉を黙って聞いていた。

 それが今さっき、数分足らずで創作された即興の脚本である事など知る事も無く。


「綻びかけの封印を何とか補強、強化する為に昨日より大勢の聖女や魔導僧を始めとした高魔力所持者たちに集まって貰っていたのだが、もしかすれば諸君たちがこの場に集まったのは精霊神様からの秘めたるご意志であったのかもしれん……。我には感じる事が出来ぬが、精霊たちに寵愛を受ける聖女たちよ! 感じぬか……今まさに己に寵愛を与える精霊たちが、普段は相容れぬ六大属性の魔力たちが、今この瞬間だけは協調して大いなる厄災に対抗しようとしている、世界の息吹を!!」


 ダダイログの芝居がかった……まあ本人は芝居のつもりもないのだろうけど、オーバーなアクションと共に発せられた言葉に、こちらを見下ろしていた大勢の聖女たちがハッとした表情になった。


「残念ながら封印は完全では無いが解けてしまい、不幸にも一人の聖騎士に憑りついてしまっている。しかし、まだ諦める時ではない!! 『聖典』による精霊神様のお言葉では精霊たちの力と、皆の魔力全てを集約させる事であの聖騎士、エレメンタル教会のノートルムの唯一の最愛である光の聖女アリシエルと結びつける事で、邪神の憑依は退くとの事!!」

「「「「「「「!?」」」」」」」

「…………え?」


 ダダイログの言葉にますますザワつく一階層の連中を他所に、本当に場違いな間の抜けた声が近くから聞こえて来た。

 まあそっちは置いておいて……本来見聞きする事も出来ないが、気持ちを感じ取れるくらいの意思疎通を可能とする聖女たちには精霊たちが協力し合おうとする気持ちは分かるのだ。

 それを精霊の寵愛を受けていないハズのダダイログが何故知っているのかとか、そんな些細な疑問を抱いている余裕はなく、聖女たちを中心にそんな“精霊の意志”が伝わっていく。

 その中でも一際反応したのは巻髪金髪の聖女……あれって確かシエルさんの友人だっけ?


「皆さん! 大僧正様のおっしゃる通り、これは精霊神様の思し召し。伝承にあった『異界の勇者』を呼び出すのではなく、異界から現れた邪神を封じる為に集まった者たちが勇者となるという事が真実なのでしょう!」

「まさか!?」

「いや、でも確かに私のイフリートからも……」

「私のアビスも否定の感情は伝わってこない」


 目を凝らすと手にしているのは『ダイモスの手記』であり……俺はそれだけで彼女は協力者である事を察した。

 そしてここからでも分かるほどに、彼女の目が燃えているのが分かる。

 ……もしかして彼女には薄々気が付かれているのかもしれない。

 邪神と称された『アマツヒノカミ』が、今何を求めて遊んでいるかを。


「聖女の皆さん! クレーターとなった『奥の院』を各属性で集まり六方向へ!! 魔導僧や聖騎士、魔法を使える方々は聖女たちへの魔力供給をお願いします!!」

「地の聖女殿、各所への移動は我ら格闘僧、聖騎士に任せてくれ! 魔法を使える者たちは魔法に専念するのだ!!」


 魔力が劣る事で精霊神教では魔導僧となった者たちも多いのだが、そんな連中も今が自分たちの活躍の時と自慢の肉体を駆使して瓦礫で足場の悪くなった場所でも聖女、魔導僧たちを所定の位置まで抱えて疾走し始める。

 妙な気分だが、やはり腐っても大僧正……恐怖に震え何もできなかった連中も我先に動き始めるのだから、信者たちを動かすのには効果的なのは認めざるを得ないな。

 ただこれって……。

 チラッと戦闘が始まってからもズ~っとオロオロしていたシエルさんに視線を向けると……彼女はますます顔面を赤らめて周囲の反応に戸惑っている。

 無理も無い、何せつい先日自覚したばかりの恋心をこんな大々的に、しかも精霊神教にとっての大事件の最中に最高権力者大僧正からハッキリ告げられたのだから。


「あの……もしかしなくても大変な事になりますよねコレ。オリジン大神殿総出で伝承の邪神を打倒したって結果と一緒に解決する手段ってのが……」

「まあ……そこは飲み込んでいただきましょう。歴史的に名を遺す程に祝われる、それこそが聖魔女としての贖罪であるとでもこじつけましょう」

「司書だからって、アンタは『聖典』には向いてないっスね……」

「無論です、最初から言っているでは無いですか。私は何でも言う事を聞く傀儡には興味がありません。成功も失敗も、年寄りの出しゃばりが無く経験するからこそ尊いのです」


 シレっとそんな事を宣うホロウ団長は完全に他人事モードに突入。

 どーも未だに自分の創作物に納得が行っていないようだった。


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