第二百四十五話 純粋なる怒りの神
『奥の院』の地下に位置するはずの大広間からギラル達に空が見えという事は要するに『奥の院』という場所がまとめて無くなったという事である。
そんな一瞬にして『奥の院』というオリジン大神殿でも最重要とされている建物が吹っ飛ばされるという現実離れした光景を、間一髪で脱出した地の聖女ヴァレッタを含んだ今回魔力充填に召集された聖女や魔導士たちは呆然と見つめていた。
あと少しあの場所にいたら……そう思うと腰が抜ける連中もチラホラと。
『奥の院』自体を消し飛ばした正体不明の力は『奥の院』を包み込んでいた何重もの結界を消し飛ばしただけでなく、そのまま上空へと届き、ついには『聖都』を包み込んでいた結界すらもぶち抜いて消失させてしまったのだから、恐怖を覚えても仕方がない事。
そんな中でもヴァレッタは気丈に立ったまま、手に持った古ぼけた手帳に向かって口を開く。
「危なかったですわ……。精霊たちの助言に従い脱出を選んでも、貴方が誘導して下さらなければ間に合わなかった事でしょう」
『なに、短時間で全員を誘導できたのは、幸か不幸かあの場に今代の優秀な聖女たちが揃っていたからこそ。いくら私が逃走経路を知っていたからと言って、全員が聞き入れてくれるワケでは無い。お互い様と言うヤツだ』
ヴァレッタが手にしているのはリリーが侵入した際に持ち込まれ、更にシエル経路で渡された『ダイモスの手記』であった。
『忘れずの詩人』としてではあるがダイモスも元は精霊神教の最高位大僧正まで上り詰めた人物。当然『奥の院』という施設において“捕らえられた聖女”を逃がす経路については経験上熟知していた。
短時間でヴァレッタに詳細を説明している暇は無かったのだが、召喚術の危険性を一早く察知した精霊たちは自分たちが寵愛する聖女たちに命の危険を伝える事で、元大僧正ダイモスの言葉に信憑性を与える結果になり……間一髪で魔力充填に集められた聖女、魔導師たちは全員無事に脱出できたのだった。
「ですがオジ様? 先ほど感じられた恐ろしい程の殺気を持った存在は何だったのでしょうか? それに、ここまで厳重に囲われていた結界をただの一撃で消し飛ばしてしまった、この圧倒的力は……」
『分からん……分からんが、別世界の化け物である事は間違いないだろうな』
「別世界の…………」
『太古より伝えられた召喚魔法陣の実用ばかりに傾倒し、解読をおろそかにしていたようだからな。私の代と同じように、ランダムに精神力の高いモノを領域内に留めるくらいしか思いつかなかったのだろう』
最早巨大なクレーターと化し、抉られた場所に瓦礫が降り注ぎ土煙の舞う『奥の院』だった場所を前に『忘れずの詩人』のダイモスは愚痴る。
彼にとっては実に数十年ぶりの大神殿を目撃したのだが、良くも悪くも変わっていない事にそこはかとなく残念なため息を漏らしていた。
生前の彼は精霊神教のあらゆる闇を調べ、ついには精霊神教が起こされた真の目的すらも突き止めたが……それが原因で彼は命を落とす事になってしまった。
その為に彼が突き止めていた召喚魔法陣を形成していた複雑な古代亜人種言語の意味を今代まで誰もが伝え聞く事は無く、最もその時代の言語に精通しているハズの
やがて『奥の院』だった場所の土煙がようやく落ち着いてきた時……その光景、人物を目にした誰もが目を見開き、特に友人から関係性を詳細に聞いていたヴァレッタは驚きの余りその場にへたり込んでしまった。
「あれは……何ですか? もしかして……ノートルム隊長さん?」
『奥の院』の瓦礫の上空に浮かび上がり眼下を見下ろす一人の聖騎士……しかしその光景を目にした者たちは彼が手にしている一振りの剣に注目する。
禍々しく、血のように紅い刀身の……しかし3メートルはあろうかという本来なら絶対に実戦では使えないであろう巨大すぎる大剣。
その剣が何なのか、握る聖騎士が誰であるのか……大半の目撃者はそんな事よりも“そこ”から発せられる尋常ではない巨大な殺意、圧迫感にどうにもできない恐怖と無力感を味わっていた。
「うそ……ですよね? ようやくシエルさんと恋仲になれたのでしょう? 何故……そのような時に……」
逆に面識のあるヴァレッタは普段の温厚な姿とは程遠い憎悪に満ちたノートルムの姿に別種の絶望感を感じる。
彼女の目には思い合っていた友達が恋仲になったというのに、そんな相手が唐突に悪の道に入ってしまったような……そんな姿にしか見えなかったのだ。
だけどそんな絶望する人々の中でただ一人と言うか一冊、ダイモスだけは憎悪の発生源を知って一縷の望みを見つけたように呟いた。
『アレは……“アイツ”の弟子の…………もしや今回の召喚を引っ張ったのは彼の怒り……?そうであると言うのなら…………地の聖女よ!』
「な……なんですの?」
『今回の召喚で“引っ張った”のがあの男、光の聖女エリシエルのパートナーであるのなら、逆にまだ望みがあるかもしれん!!』
「……え?」
『召喚に応じた“ナニか”が一方通行の憎悪をぶつけたい感情ではない、想い合う相手同士での“取り返したい”という想いからの憎悪に同調したというなら……異界の化け物であったとしても破滅を望む類とは思えん!!』
「一体何をおっしゃって……」
未だにショックから抜け出せていないヴァレッタに『忘れずの詩人』の姿とは思えぬほどに生き生きとした様子でダイモスは怒鳴った。
『もう二度とアイツに弟子の、娘の不幸を見せたくない。頼む、今代地の聖女ヴァレッタ殿……力を貸してくれ! 今ならあの二人をハッピーエンドに導けるやもしれんのだ!!』
*
「予想はしたけど……マジか、兄貴」
シエルさんの強固な防護結界のお陰で事なきを得たのは良かったが、降り注ぐ瓦礫と立ち込める土煙がようやく落ち着いてきたと思えば、さっきまで暗かった地下施設だったハズの場所から強制的に広がった青空に浮かび、眼下を怒りの眼光で睨みつける一人の聖騎士がいた。
それは非常に良く知っている、俺に取っちゃ気の合う飲み友達にして兄貴であるノートルムであるのだが、そんな彼は手に3メートルはあろうかと言う紅く輝く禍々しい大剣を携えていた。
ソレが剣ではない事に気が付いたのは俺だけじゃないハズだ。
現に
あれが召喚されてしまった“ナニか”の指なのだと。
「ノートルム……さん?」
「何なのあの剣……なのか? 膨大な魔力と圧倒的な存在感を感じるのに……なんなの、この妙な違和感の無さ??」
「殺気の感じ方に全く迷いが無いのです。強大な存在が支配しているのでも逆に抑え込んでいるワケでもなく、完全に同調しているからでしょう」
どちらかと言えば『魔力』という分かりやすい基準を持っているリリーさんよりも気配の感じ方としては一番抽象的なカチーナさんが最も的確な判断を出来るのが不思議な事。
しかし実に、非常に今の兄貴の状態としては分かりやすかった。
だとするなら、もしかして…………。
「おお!! 何という素晴らしき力……貴殿が精霊神様に仕えし我らの呼びかけに答えた『異界の勇者』であるか!?」
そんな兄貴に対していち早く行動を起こしたのは、ついさっきカチーナさんたちの攻撃でダウンしたハズの大僧正ダダイログだった。
あの瓦礫の中でも無事で、しかも短時間で復活する辺り相当タフなのか、それとも回復魔法でも使えるのか、それは分からないが……。
いずれにしても未だ見下ろしている兄貴に、ダダイログはお得意の風魔法で浮かび上がり笑顔を浮かべて近寄っていく。
そんなヤツの行動に俺は疑問しか浮かばなかった。
チラリと見渡すとさっきの崩壊の中巻き込まれたらしき研究員は数名いるようだが、元老院たちは腐っても精霊神教の上層部、自分たちを守る防御魔法でも使えたのか一つに固まって身を守っている・
ただしガタガタと震えて上空の兄貴を見上げて……だ。
魔力や殺気を感じる事も出来ない達人でなくとも、さっきの崩壊で一撃で『奥の院』を吹っ飛ばしてしまう程の化け物である事は理解できたハズなのだから、反応としてはそっちの方が圧倒的に正しい。
にもかかわらず、一当たりした時には少なくともカチーナさんたち3人と渡り合って見せたほどの実力者に目の前の存在が自分が御せる存在かどうか、判断できないとは到底思えない。
だというのに、なんでそんなに対等な立場のように……?
「我が名はダダイログ、神聖なる精霊神の従者にして最上位、大僧正の任を受けし者。大僧正ダダイログの聖名において命じる、異界の勇者…………」
そしてダダイログの言葉はそこから続かなかった。
代わりに聞こえたのは瓦礫の山に何かが突っ込んだ衝突音……悲鳴の一つも聞こえる事なく、何をされたのかもよく分からず、ダダイログは吹っ飛ばされていた。
「ひ、ひいいいいいい大僧正!?」
「やはり、あれは勇者などではない!」
「だからワシは反対したのだ! 確証の無い異界召喚なぞ実行するから!!」
「何を言うか! 貴様とて賛成したではないか!! 今更責任逃れなぞ……」
ダダイログが攻撃された事でますます恐怖が増したのか、醜い罵り合いを始める元老院共……もしかしてコイツ等、召喚魔法の失敗例とかを軽く考えていたのだろうか。
過去召喚されたファイアードラゴンなどであれば多重結界クラスであれば封じる事もできるからとか? 見積もりが甘いにも程があるがよ。
そんな奴らを他所に、ただ一人大聖女アルテミアだけは呆れた表情を浮かべて吹っ飛ばされたダダイログを見つめていた。
「あらあら……そう言えば召喚された者に対する対応については追加の設定をしておりませんでしたね。忠実なのは良いですが、応用が利かないのは難点です」
「……!? コイツ」
その一言で俺は察してしまう。
大僧正ダダイログは確かに実力者ではあるものの、狂信的に『聖典』の命令に忠実に従っていた。
しかし逆に言えば『聖典』の命令のみに盲目的に従うように長年コントロールされていて、最早自分の意思すら持っていなかったのだと。
実力の及ばない相手であっても決められた行動を取るだけの、ただの道具としても行動しか出来ないくらい……それこそドラゴンの目の前で卵を取ってこいと言われて実行するように。
同情はしないが……喩え悪事であっても自らの意思で行えないというのは何とも哀れである。
そんな自らが吹っ飛ばしたダダイログに一瞥も向けることなく、ノートルムの兄貴……というか兄貴が同調した『
『我が名は…………マガツ……ノ……ヒノカミ……………。実に心地よい……純粋な怒り…………気に入ったぞ…………『聖魔女の番』よ…………』
「「「え!?」」」
聖魔女? 確かに今、兄貴と同調した何かは兄貴の事を『聖魔女の番』と言ったか!?
それを知っているのはこの世界では『予言書』を知る俺と、話した事がある連中、この場においてはカチーナさんとリリーさんだけのハズなのに。
「聖魔女? 誰の事ですそれ……」
その辺の事情を一切知らない、『予言書』では聖魔女だった当の本人は、彼氏の番とかの話に別種の引っ掛かりを感じて若干の苛立ち、嫉妬を覚えたようだが……。
まあ
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