第二百四十六話 予言書《もとのせかい》を知る者

 微妙に違った感情で兄貴を見つめるシエルさんは置いといて、大抵の連中は恐怖以外の感情を持つ事は出来ず、ある者は腰を抜かして、ある者は何とか自分だけでも遠ざかろうと逃走経路を探している。


「ひいいいいいい!? 別世界の魔神!?」

「ワシは関係ない! 関係ないぞ!!」

「呼び出したのはワシらではない! 大僧正の命に従ったまでで……」


 そんな中でも自身の保身に掛けては右に出る者はいない連中、元老院の老人たちはさっきダダイログが瓦礫に吹っ飛ばされて以降必死に逃走経路を探していたようで……大僧正の責任だとか自分のせいでは無いとか、いっそ清々しいばかりの責任の押し付けを口にして、奇跡的に無事だった下に向かう階段を勢いよく下って行ったのだった。

 そっちの方が安全であると思い込んで……。

 地下施設の地図をホロウ団長に叩き込まれていた俺には、その階段が“どこ”に続いているのか見覚えがあったのだが……。


「バカかアイツ等……下の階層に自分たちが何を飼っていたのか忘れたのか?」

「お忘れなのでしょうねぇ~。高い地位を持とうと所詮は人間、恐怖に目が眩んで圧倒的な恐怖を前に道を誤る……そちらに進んでも絶望しか無いのは変わらないというのに」


 そんな様を実に楽しそうに見ている、一番仲間として近しい場所にいたはずの大聖女アイルテミアは嗜虐に満ちた笑顔で話す。


「もう少し恐怖に耐える事が出来るなら、彼らもこの世界の終焉を齎す神の手で逝けたでしょうに……今まで自分たちが嬉々として観戦していた暴食熊の危険性を忘れて、最後は餌食になるとは……精霊神とは随分と皮肉がお好きなようで」

「精霊神とやらが本当にいるなら、そうなのかもな。俺には“人肌恋しい哀れな女”にしか見えなかったがよ」

「……これは驚きです、貴方だけですよ? そんな風に精霊神の真実を的確に見抜けた者は」

「ソレは俺の功績じゃねぇな。責任感皆無のどっかの国王様のお陰だ」


 まるで今まで話す事が出来なかった悪事を話す事が出来るのがうれしいように。

 千年間も秘匿して計画を進めて来たとするなら、千年はそんな正体を隠し通す必要があったという事……だと思えば分からなくも無いが。

 ほんの少し後から下の階から複数の老人たちの、熊さんたちに遭遇した悲鳴が聞こえて来て……アルテミアの笑みは更に深くなる。


「共に世界への復讐を誓った妹が憎き人間の子を産まされたと知った時には気が狂いそうではありましたが、こうなってはその事にも意味があったと言えるのかも知れませんね」

「妹………?」

「ええ、寂しがり屋で甘えん坊な可愛い娘でしたが……本当は私がなるハズだった精霊神いけにえになどなったばかりに……」


 中々に衝撃的なカミングアウトを……。

 要するにザッカールのエレメンタル教会で見た“黒い顔のある邪気の塊”を操っていた精霊神としてまつられた“アンデッド・エルフ”はアルテミアの肉親という事らしい。

 千年も前から、古代亜人種を滅ぼした人間に復讐する為に『三大禁忌』を実行する為にあらゆる手段を、それこそ種族としての尊厳すらも利用してなりふり構わずに。

 姉は人間に紛れ『精霊神教』を作り精霊を祀り上げる事で人心を掌握しつつ、邪神が集める邪気を作り出しやすい下地を教義なんかを利用して作り出し、そして妹は『精霊神』として邪気浄化の名目で千年前から邪気を集め続ける役目を……。


「あの人間が何者かは存じませんが、この場に現れた事には感謝いたしますよ。そしてあの人間をこの場に導いて下さった貴方にも……怪盗ワースト・デッド殿」


 まるでそんな苦労が報われたとでも言うように、晴れ晴れとした表情で憎悪に燃える兄貴マガツヒノカミをアルテミアを見上げる。

 だが、俺はこんな状況だというのに今のアルテミアの言動に小さな違和感を感じた。

 何者か知らない? そして今も俺のことを怪盗と…………?

 小さな小さな違和感……だというのに個人的には妙に引っ掛かった言葉。

 もしかしてコイツは……。


「よおアンタ……あの邪神が誰なのか分かんね~の? って言うか、俺らが誰なのかも知らねぇってのか?」

「……? 何故私がそのような事を知っているかなど。私にとって利用できる人間かそうでないか、興味はそれのみですから」


 その言葉は人間などどれも見分けがつかない魚類などと同じと言われているようで若干イラつくが……そこは置いておくとして、今更ながらコイツの綻びが見えた気がした。

『聖典』として今まで陰から命令を下していたハズだが、その指令を受けていたハズの元調査兵団テンソの連中は頭のジルバを始め俺たちの正体を知っていた。

 そんな情報をコイツが知らないという事は、つまり計画の為に利用していた者たちにも信用されていなかったという事になり……。


「アンタ……ずっと一人なのか? 妹は誰にも触れられない孤独だったがアンタは人の中にいたからこその孤独。どっちも千年もの長い間……」

「おや怪盗さん、人間如きが説法ですか? 生憎千年前に同族を殺して孤独を齎したのが愚かなアナタ方の先祖という事実で和解などあり得ないのですよ?」

「…………」


 ……別にそう言う事を言いたかったワケじゃない、俺は思わず口走りそうになった言葉を飲み込んだ。

 今更千年の因縁、他人の憎悪に茶々入れる趣味も無いし、同様に『三大禁忌』成就の為に散々外道行為を繰り返して来たのはコイツも同じ。

 そもそも俺が『予言書』のように真っ二つで死んだのも遠因を考えれば黒幕こいつが諸悪の根源と考えれば、同情の余地などありはしない。

 気になったのはもっと単純な事。

俺達ワーストデッドの正体を知っているとすれば親しい人間関係などアッサリ割れる。

そして未だ上空で見下ろす者が何者なのか、そして何に執着して何に怒り狂っているのか、少しでも関係性が分かっているのなら簡単に辿り着く結論のハズなのに……。

 もっと言えば一度は会っているハズなのに、だ。


「大聖女アルテミアさんよ、アンタはあの人が何に怒り狂ってここに来たのか知らねぇのか? てっきり報告くらい受けてるもんだと思ってたが……」

「はい? 何を言いたいのかは分かりませんが……精霊神教も今までさんざん恨みを買ってきた事は否めません。聖職者になのか、それとも自身に都合の悪い教義のせいなのか何らかの不都合を被った事でオリジン大神殿に襲撃した者の一人かと」

「いや……違うな」


 俺は無理やり口角を上げて……試してみる事にした。

 他人の命をベッドすると言えば聞こえが悪いが、自身のやらかしの責任を取らせると考えればそれほど良心も傷まない、そんな博打を。


「大好きな人との初デートからの夜、これからって時を邪魔された野郎が女を返せって怒り狂っているだけだよ。良いところで邪魔しやがった大聖女アルテミア……アンタ個人に対してな」

「? 何を言い出すと思えば、そんな下らな……………………」


 その瞬間、何も音がしなかった。

 何の前触れも無く、アルテミアは喋れなくなったかと思えば細切れにバラバラに斬り離されて……崩れ去ったそこには紅い巨大な剣を手にした兄貴、マガツヒノカミがすでにそこにいたのだった。

 速いとか目で追えないそんな問題ではない……既に最初からそこにいたとしか思えない、そんな感じなのだ。

 あ、こりゃダメだ……。

 最早ミンチ状に地面に広がっていくアルテミアの状態になど目を向ける余裕も無い程、俺は目の前の存在に圧倒されていた・

 実力が全く及んでいないホロウ団長辺りと対峙しても、多少は策を弄する頭は在ったものだが、今は巨大な存在を前に逃走する事すら頭に浮かんでこない始末。

 恐らく宿り先が兄貴であったからこそ俺は今生きているのだろうが、あっちがその気であるなら、俺も一瞬にして同じようなミンチ状に……

 兄貴の逢瀬を邪魔した事を言及すれば矛先はアルテミアに向くんじゃないか? とか安易に考えていたのだが、見積もりが甘すぎたか……。

 しかし俺がある種の覚悟を決めようとしていると、紅い大剣を構えた兄貴が俺の事を見つめたまま首を傾げて見せた。


『む…………ナンダ、貴様。路傍の小石の如き存在かと思えば……ナゼに“あの女”の匂いを纏っているのか……』

「…………へ?」

『イヤ……そもそもこの時流はナンダ? 四魔将の気配は感じる……にも関わらず誰もが破滅の気を纏っておらん…………? それどころか……“元”がおるのに『聖騎士』の存在が消えている!?』


 何を言っているのだろうか?

 妙な事だが兄貴に宿ったらしい超常的な何かは“俺”という存在に対して混乱……では無いな、疑問、もしくは不思議がっているように見える。

 もしも……この超常的な存在が、神様のように『予言書』に関する未来を知っている側であるとするなら…………。

 もしも『アマツヒノカミ』が言っている“あの女”が俺が想定する、あった事も無い『彼女』の事だとするなら……!?

 さっきから体は震え、脚は動く事を拒否して動かない。

 冷や汗が止まらずドンドンとのどが渇いて、口の中はカラカラだ。

 だけど動け、口だけでも動かせ!

 何にも出来ないなら、せめて何か出来る事をしろ!!


「どうやら、俺は選ばれたらしいんです。その女が見せたくない本性を化粧する役に……」


 ようやく口にしたその言葉を理解できた者はカチーナさんとリリーさん以外、この場にいないだろう。

 だけど、そんな俺の思いつきを含んだ戯言を聞いた『アマツヒノカミ』の変化は劇的だった。


『ククク、クワハハハハハ! そういう事か!! 難儀であったな小僧、そうかそうか、あの女は怨念成就の神に成るより、再開する男に見せる己の方を優先した……そういう事なのだな!! 全く……ヒトが神になるより女を選びよったか……分からんモノよ』

「そうは言いますが、貴方様が今宿っているのもその類の人間ですが……」

『フン……』


 そう鼻を鳴らすと『アマツヒノカミ』は再び宙に舞って、地下施設にいる俺達だけじゃない大神殿全域に響くような声で言った。

 それだけでも相当な圧迫感なのだが、それでも声色はどこか楽しげでもあった。


『よかろう、遊んでやる。面倒を押し付けられた方がまともな死に方であれば良いなぁ“トサカ頭”の野盗よ!!』

「個人的には真っ二つもミンチも勘弁なんですが……」


 遊ぶつもりになった大剣を持った『アマツヒノカミ』を前に、他に気を取られる余裕が無いのは致し方ない事だったかもしれない。

 だがこの時、一瞬のうちにミンチにされたアルテミアの跡がない事に気が付かなかったのは俺の不注意であった。



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