第二百四十三話 聖典の正体と真意

「よし、抜いた!!」


 あの三人が総がかりになっても手こずるほど大僧正ダダイログが手練れであった事は驚いたが、見事な三位一体攻撃で吹っ飛ばされたヤツの姿に俺は一瞬安心“しかけた”。

 だが次の瞬間に俺は妙な違和感を今現在対峙しているアルテミアから感じた。

 俺には邪気なんて見る事は出来ないが『気配察知』で五感を強化して拾い上げた情報である程度の分析をするのだが、アルテミアから一切の焦った様子は感じられなかったのだ。

 一瞬の呼吸の乱れ、死線の動き、身じろぎ一つも起こさずに何一つ予定外の事が起こっている動揺を浮かべていない。

 何があっても動揺しない精神力だとか、そんな事ではない。

 どんな手練れであっても予定外の事態が起こったなら相応の反応を見せないのはおかしい……もしもこの事態が予定外の事でないと言うなら?


『おいドラスケ? 何か見落として無いだろうな……例えばあの魔法陣の中心のミズホが邪気の分体であるとか……』

『それは無い。アレは紛れも無く生身の人間である』


 仲間内で唯一邪気を見ることが出来るドラスケのお墨付きをもらっても拭えない嫌な予感。

 その答えは次の瞬間に魔法陣の中心、ミズホに向かって放たれたリリーさんの弾丸によってもたらされた。


「キャン!?」

「……うえ?」


 その反応に思わず声を漏らしたのは当のリリーさん。

 召喚士とは言えミズホは『テンソ』の一員、彼女自身も手練れの一人で牽制のつもりで撃ったであろう弾丸にアッサリと当たり、魔法陣の中心から弾き飛ばされ気絶しただから。

 とは言え術者が意識を失ったのなら魔法陣は発動を停止するハズ……そう思ったのも束の間の事。


「……召喚魔法が中断しない?」


 呆気に取られるリリーさんの言葉通りに召喚魔法陣は相変わらず青白い光を放ち続け、それどころから徐々に光量を増して行く。

 確実に発動しようとしているのだ。


「何故!? 召喚者のミズホは今確かに……え?」


 リリーさんが驚きの声を上げた理由……それは弾かれてフードが捲れた、今しがたまで中心で召喚術を実行しようとしていた女性の顔を見て分かった。


「!? あれは召喚術者ミズホじゃない!?」

「ウフフフ、どうか致しました怪盗さん? これまで密やかに進められていた計画を確実に邪魔していた貴方を前に、虎の子の召喚術者を表に出すと思っていたのですか?」


 そう言ってアルテミアが浮かべるのは嘲笑、予定外の事は起こっていない、予定通りだからこそ何もリアクションをする事が無かっただけの証明。

 つまり一杯食わされたという事だった。


「そんな……召喚術に限らず魔法陣を使った術は、発動までは術者が近くにいるのは必須条件。なのにこの部屋のどこにもミズホの姿は……」

「おやおや、どこの下賤な出身化と思えば意外と物知りですね。しかし魔法陣の発動条件は術者がそばにいるのは必須ですが、何も平面で近くなければいけないという事では無いのですよ?」


 これ見ようがしに下に視線を向けるアルテミアに、俺はようやく悟った。

 本物の召喚術者ミズホはここよりも下の階、多分“魔法陣の中心の真下”で何の影響も無く召喚術を続けているという事に。


「く!? みんな、本物は下の階に……」


 俺は慌ててここから更に下の階に至る道を探し始めるが、当然だけどそんな事を許してくれるほどアルテミアは甘い存在では無かった。

 途端に虚空に黒い無数の錐が浮かび上がって、俺の思考や行動を阻害して来る。


「これはこれは怪盗さん? どちらへ行かれるのです。この年寄りにここまで情熱的なアプローチをしておいて、飽きたらほったらかしとは連れないではないですか」

「アンタらの種族的には大した年じゃないんだろ? あのホロウ氏だってあの見てくれで2百オーバーなワケだしよ」

「……あのような未熟な混ざり物と同列にされるのは心外ですね」


 混ざり物? そんな風にホロウ団長の事を云うアルテミアの声色は変わっていないように思えて、どこか侮蔑に満ちている気がした。

 どういう事だろう? 長命と考えればホロウ団長と同じように古代亜人種、エルフの血を受け継いだ何者かと予想していたのだが?

 だからこそその長命を利用して長年精霊神教の『闇の大聖女』として姿や名前を変えて君臨し続けて、そして裏から精霊神教を操っていた……と当たりを付けていたのに。


 ゾ…………


 しかし俺がアルテミアに対する決定的な“ナニか”に気が付きそうになった瞬間、本能的にヤバいと思うとてつもない気配が当たりに満ち溢れた。

 それは昨夜兄貴から感じた膨大な殺気とも似ているようで違う、存在自体この世に存在してはいけないと思えるような異質な殺気。

 生きとし生ける者であるなら何者であっても決して関わってはならないナニか……。

 それを感じたのは俺だけではなく、この場にいる仲間ワーストデッドも精霊神教サイドの元老院や戦闘経験もなさそうな研究員たちですら動きを止め、中には腰を抜かす者すらいる始末。

 気が付くと召喚魔法陣の青白い光は一転、血や炎の如き紅へと変貌していた。


「な……んだコレ? 兄貴みたいに明確な目標があるワケじゃねぇ。まるですべての存在に憎悪しているかのような圧倒的な化け物じみた怒りの塊……」


 ランダムに実行された召喚魔法とはいえ、最悪の最悪、凶悪な魔物などが出現したとしても同じ世界の凶悪な魔物、それこそファイアードラゴンとかのレベルで考えていたのだが……その見積もりですら甘かったのかもしれない。

 実力の及ばない相手であるなら、真っ先に逃亡を考えるはずの盗賊である自分が今……発想の中から逃亡を選び取れないほどに足が竦んでいるのだ。

 それは俺だけじゃない、仲間ワーストデッドも元老院共も研究員たちも、戦闘の実力がある無しに関係なく全員が恐怖に慄きその身をすくませているのだ。

 ただ一人だけを除いて……。


「これは……もしや作り出す必要もなく現れたという事なのでしょうか? 予想外ではありますが……」


 敵も味方も関係なしに、何だったら元老院の老人たちは「一体、何が起こるのだ!?」「な、何をしている!? 今すぐに中止を……」と本能的にも絶対にマズイ何かを呼び出してしまったと慄いているというのに。

 そんな溢れかえる殺気を前に、大聖女アルテミアはただ一人……満面の笑顔を浮かべていた。


「おいアンタ……何がそんなに可笑しいんだ? どう考えてもこれから現れようとしている何かは精霊神教が望む『異界の勇者』なんかじゃねぇだろ?」

「ええ……うふふ……そうですわね。このような強大な存在の登場を精霊神教は望んではいないでしょう。このように、まるで世界そのものを壊しそうな圧倒的な殺意の塊を持った者など……私自身計算外ではございましたよ」


 狂気を孕んだその瞳を前に、俺は初めてこの大聖女の本音が見えた気がした。

 こいつは喜んでいるのだ。

 まるで自分と同じ事を考える仲間が現れたかのように、心から喜んでいやがる。

 歯がみしている間にも召喚魔法は継続されていて……次第に魔法陣の中心から何かがせり上がって来るのが見えた。

 それは怒りを体現したようなマグマの如き赤い……何かの一本の指先だった。

 ここの魔法陣だけでも相当に大きいというのに、指先しか出てこない程巨大な何か……。

 そんなモノが出てきたらどうなるか……考えただけでも全身から冷や汗が噴き出す。

 一体兄貴の怒りの感情に触発されて、どこから何が呼び込まれたというのだろうか?


「先ほどのご様子ですと、貴方には召喚に同調した精神力の持ち主に覚えがありそうですね? それは先刻より結界内に侵入した殺気の持ち主……でしょうか? どうやらわたくしが苦労して集めた高魔力所持者たちは役には立たなかったようですね」

「……計算外にも程があるぜ。まさかアンタの目的に図らずも協力しちまったようだ……大聖女アルテミア……いや、精霊神の代弁者『聖典』さんよ!」


 ヤケクソ気味にそう言ってやるが、大聖女アルテミアは動揺した様子も全くなく、むしろそう口走った俺にご褒美とばかりに拍手し始めた。


「ご名答……さすがは怪盗ハーフ・デッド。これまで誰にも暴かれる事の無かった、いえ興味すら持たなかった歴代闇の大聖女の正体に気が付いただけでなく『聖典』の正体にまで至るとは驚きです」

「……否定する気も無しかい」

「ええ、そうれはそうです。どうせ知ったところで貴方も私も、結果は変わらないでしょう?」


 更にネタ晴らしとばかりにアルテミアは懐から一本の羽ペンを取り出して見せて来た。


「もっと教えて上げましょうか? 闇の神殿の『聖典』は単なる連絡用魔導具の一種。この羽ペンに少々の魔力を込めて虚空に文字を紡げば、どこからでも精霊神のご意志とやらを唯一目を通せる大僧正に届けることが出来るのですよ」


 闇の神殿『ダークネス・アビス』に隠されていた本としての『聖典』を安置している場所に何百年も変わらずに訪れる何者かの気配を知った時から、大聖女アルテミアを名乗る者が歴代闇の大聖女と同一人物であり、精霊神教の影の支配者だとは睨んでいたのだが……。

 そんな秘密を知られたというのに、彼女の反応は軽い、まるで小さな悪戯がバレたくらいに。

 その時俺が抱いたのは実に子供じみた感情だった。

 今まさにヤバイ存在が現れようとしている状況だが、ヤツの長年の秘密を暴いてやったと言うのに余裕の笑みを崩す事のないコイツに対する苛立ち。

 何とかして、そのムカつく笑みを崩してやりたい……それだけの考えで俺は口を開いた。


「なあアンタ……アンタは何がそんなに憎いんだ? よく分からんが、世界の全てを憎むかのような化け物の殺気を感じてなお喜べるくらい……」

「あらあら何を言うかと思えば……所詮お子様に思い至れるのはその程度の事。わたくしは憎んでなどいません。この世界が救済される事を真に喜んでいるところです」


 違う……相変わらず俺の事を嘲笑するのは変わらないが、コイツが喜んでいるのは世界が救済されるという思想、一部の破滅論者が語るような終末思想とかでは断じてない。

 そうでなくては操る事は出来ない……そう専門家が教えてくれたのだからな。


「じゃあ何で、アンタは邪気なんて使えるんだ? 死霊使いって特殊な輩がいるのは知っているが、そいつらの力の根底にあるのは負の感情……激しい憎悪のハズだろう?」

「…………」


 いや……そうか、もっと単純に考えればよかったのだ。

 今の状況……精霊を崇め奉る『精霊神教』が召喚した何か強大な存在が世界を滅ぼすとしたならば、それは精霊神教の、突き詰めれば『精霊』の失態として流布する事も出来る。

 そう考えるならば…………コイツが憎んでいるのは世界そのものではなく……。


「言い方を変えようか……お前は何でそんなに『精霊』を憎んでいる? エルフの血を引く死霊使いさんよ!!」

「…………!!」






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