第二百三十五話 顔が見えずに、見える事

 最初から腐敗している果実は無い。

 果実は実り、熟し、そして腐って行くのだ。

 現在の精霊神教という組織を教義の下、自分たちの都合のいいように解釈、改変をして信者たちを信仰で縛り、国ですらも裏から操り自らを精霊神に仕える最高の信者であると名乗りつつ、私腹を際限なく肥やし富を貪り続ける腐敗の象徴と言うべき老人たち……元老院も元々は精霊神の信仰で人々に安念と平和を齎す事を喜びとする敬虔な信者であった。

 そして……それはその中でも最高権力者である大僧正ダダイログも例外ではない。

 彼も元々は当時の一部の権力者のみが富を独占し、多くの人々が貧困にあえぐ事を良しとする精霊神教の在り方に不満を持ち、自らがトップに立つ事で現状を変えようと燃える若き清廉な聖職者だった。

 しかし血の滲むような努力を重ね、泥水を啜るような屈辱に耐えつつ上の立場になると、それまでは見えなかった現実……出来ない事の余りの多さ、ままならなさを知る事になったのだ。

 特に多いのは、苦悩して血反吐く想いで仕事をしようとも自分の意見が通らず、対立する元から権力もコネも持った者たちは涼しい顔で出世の階段を駆け上っていく。

 そんな日々の繰り返しは徐々に清廉で経験だったハズの想いを腐らせて行く。

 そして、そんな不安定な状態の彼はある日当時の大僧正にこの場所呼び出された。

 大僧正にしか知る事の出来ないハズの精霊神教最大の秘事、精霊神の意思を唯一知ることが出来る秘宝中の秘宝……『聖典』の前に。

『聖典』と対話できるのは大僧正のみ。

 それは建前であるかの如く、先代大僧正に導かれた若き日のダダイログは自らの心の内を『聖典』に打ち明けて、己の境遇や精霊神教への信仰、正しいと信じている事を成すことが出来ないままならなさを訴えたのだった。

 すると、開かれたまま白紙だったハズの『聖典』は彼を慈しむように文字を浮かび上がらせたのだった。


『我が愛し慈しむべき敬虔なる信徒、真なる聖職者たるダダイログ。

お前は何も間違っていない。

その想いは必ず報われるであろう。

精霊神の聖名において、祝福を…………』


 それからだった……彼が精霊神教と言う魑魅魍魎の巣くう場所で頭角を現して行ったのは。

 今まで対抗していたハズの者たちはいつの間にかいなくなり、自身の提案した政策などに反論する者はいても翌日には姿を消し、呼応して精霊神教内での地位は上がり続ける。

 迷いを持った時には『聖典』が正しき答えを齎してくれる。

 何時しかダダイログは『聖典』からの指示を実行する事のみに執着し、それだけが正しい事なのだと盲信するようになっていた。


『奥の院』と思われていて、実は闇の神殿ダークネス・アビスの奥……歴代の神殿長であった大聖女たちの肖像画の回廊を抜けた先、関係者以外立ち入りが禁じられている場所に『神託の間』は存在していた。

 そこで現大僧正ダダイログは膝を付き、ひたすらに古めかしい古書に対して頭を垂れる。


「私が信仰に迷い、道を見失いかけたあの日から……貴方様は変わらず私を導いて下さる。『聖典』を介してでしか対話できないとはいえ、貴方様の無限の愛に対して我ら精霊神教信徒は末端に至るまで魂すら賭ける所存でございます」


 目の前に鎮座した古書にしか見えない『聖典』に対して心酔し祈りを捧げる姿に二心は見受けられず、口にしたそれが只管に本音である事は開き切り他に何も映していない瞳が語る。

 自分自身が既に過去疎んだはずの過去の精霊神教と同様に、もしくはそれ以上に腐りきっているのだという事を。

 その古書は彼の祈りに応えるように……昔から変わらず白紙のページに文字を浮かび上がらせる。


『愛しく愚かな信徒たちの騒ぎに乗じて下賤者の横やりが入る前に、召喚の儀を済ますように。

精霊神の聖名において世界の終末に備え、一刻も早く異界から勇者を呼びだす必要あり。

大僧正ダダイログ……頼りは其方ら敬虔にて優秀な者たちである。

我が愛しき子、精霊神教信徒全てに大いなる祝福を…………』


                  *


 大僧正ダダイログが神妙な顔付きで部屋から出て行き、完全に気配が離れた事を確認してから俺たちは天井裏から部屋に降り立った。

 目の前の燭台にはさっきまで大僧正が捲っていた古い書物……この流れで行くのならば、これこそが目的にしていた『聖典』そのものという事になりそうだが。


「聖典とは言葉の通り、精霊神教にとって重要な書物だったという事なのでしょうか? 先ほどの大僧正を見ている限り、必要な時に書き記した言葉に対して返答を返してくる魔導具のようにも見受けられましたが……」

「確かに、今出て行ったジジイのやり取りじゃそんな感じにしか見えなかったが……」


 見た目だけなら確かにカチーナさんの言う通り『聖典』は本、すなわち物だった事になるハズなのだが……何だろうか、この妙な気持ちの悪さは。

 俺も最初から『聖典』が人物か物体なのかと予想はしていたのだから、予想外と言う事も無いのだけれど、いささか腑に落ちない。

 それもこれも『聖典』の役割、立ち位置が酷く曖昧に見えるせいだ。

 精霊神の意思を大僧正に伝える為の道具だった、そうだとするならこの世界のだれよりも『ワースト・デッド』にとっては容認できない事実がある。

 何故なら俺たちは精霊神を信じていない、ではない。

 精霊神が何であるかを知っているからこそ、精霊神がいない事を知っているのだから。

 だとすると……『聖典これ』は一体何だというのだろう?

 歴代の大僧正はこの場所で『聖典』を使って精霊神(仮)と対話をして、従順に従い精霊神教を運営した者は長く大僧正を務め、反発した者はダイモスのように秘密裏に速やかに消されてしまう。

 ……歴代の大僧正か。


「グール・デッド、少しの間見張りを頼む。ちょっと『盗賊の嗅覚』を集中してこの部屋の残滓を探ってみるから」

「構いませんが、何か気になる事でも?」

「……ちょっとな」


 そう断ってから俺は部屋の隅に背中を預けて腕組みをして『盗賊の嗅覚』をこの部屋の中限定で極限まで集中していく。

 元々人の行動の残り香を感じ取る事で部屋を使った人物が重要、もしくは大切にいた物や場所を探る技能だが、集中を深めれば先日『外の院』でダイモスの手記を発見した時のように数年前の残滓も感じ取ることが出来る。

 ただ『気配察知』を全力展開するのと同じで、こっちも深く集中すればするほど他の感覚や動作を犠牲にする事になり動く事が出来なくなる。

 昔に行けば行くほどに残った気配の残滓は薄くなり、この部屋だって長い年月の間に模様替えや改装、改修もしているからその時点で以前の残滓が途絶える事もある。

 だけど……やはりこの部屋に入る人物は特定されているようで、数年、数十年と時を遡っていく間にも基本的にこの部屋は大僧正以外は、時折清掃に入る雑用の存在しか感じ取れない。

 ……最も近い年代は現大僧正なのは当然…………前の代もその前も、そしてその前…………一度だけここに訪れた者……多分これがダイモスだな。

 数十年の内で『聖典これ』を床に叩きつけたヤツは彼だけだ……相当気分の悪い神託だったんだろう。

 そして俺は更に深く部屋の残滓を探っていく……………………アレ?

『盗賊の嗅覚』を深めて行き、歴代の大僧正と思しき別々の気配を遡って20人以上は代替わりがあったと思った辺りで、俺は妙な事に気が付いて不意に集中を解いてしまった。


「どうかしましたか? 何か良からぬ者の気配でもこの部屋に残っていて……昔この部屋で何か惨劇でも起こっていた可能性が?」

「い……いや……そうじゃない、当たり前の事しか起こっていないよ。20人は大僧正が代替わりをしている事は探れたけど」


『盗賊の嗅覚』で感じ取るのはあくまでも部屋に残った人気の残滓、人物の声や顔が分かるワケじゃない。

 部屋の軋みや僅かに残った傷、逆に直した感触掃除された気配、そんな物を感じ取って総合的に人物の影を作り出すようなものだ。

 そう、20人も代替わりをしているのだが大僧正と呼ばれる者たちに大きな違いはあまりなかった。

 床に叩きつけたダイモスっぽいヤツ以外は、逆算しても2~300年の間に期間の大小はあれど、大仰に置かれた『聖典(仮)』に書き込み指示を仰ぐ……その行動しかしていない。

 問題があるのは……。


「気になったのは大僧正の方じゃない。この部屋に立ち入る別の存在だ」

「別の存在? ではその者が何か特殊な事でも……」

「いや……そいつも特別な事はしていないよ。定期的にこの部屋を訪れて、当たり前だけど部屋の掃除をするだけださ。隅々まで几帳面にね」


 そう……別に行動に問題はないのだ。

 この部屋を掃除する、雑用を任された何者かがいたとしても何ら不思議な事じゃないのだ。

 ますます不思議そうにするカチーナさんに、俺は引きつったままの顔で『盗賊の嗅覚』で感じ取ってしまった奇妙な事を口にする。


「問題なのは20人は代替わりをする中で、この部屋を掃除している何者かだけは……変化が無いんだよね。多分2~300年は経過しているってのに、そんな時代から今までズ~っと同じクセや歩幅の何者かがこの部屋のお掃除を繰り返しているんだよ」

「……は? ……はあ!? 300年!?」


 俺が感じ取った残滓の中で、そんな長い年月を変わらずにいた奇妙な人物はその一人のみ。

 容姿や仕草は変わっているかもしれないが、歩幅や掃除の時のクセなどは変わらないようで……顔が分からないからこそ、俺には同じ人物がこの部屋に出入りし続けていたとしか感じられなかった。

 冷や汗が全身からドッと流れ出す。

 同じように冷や汗を額から流すカチーナさんが引きつった顔で口を開いた。


「ギ……ギラル君? 確かここは闇の神殿ダークネス・アビスの奥、関係者以外立ち入り禁止の場所なのですよね?」

「そのハズですね……」

「では、そんな闇の神殿において……秘密裏に『奥の院』と繋がり、『聖典』などと言う重要アイテムを置かれるような場所に掃除とは言え立ち入れるような人物とは…………」


 そう、当たり前の結論……カチーナさんが気が付かないハズもない。

 気が付いてしまったからこそ、思わず俺の本名を言ってしまうくらいに戸惑っているのだ。

 この神殿において、そんな重要拠点を任されるような人物と言えば一人しかいないから。


「女性に対して、こんな疑問を持つのは礼を失する事かな~とは思うけどさ……。大聖女ジャンダルムの同期と思っていたあの人……一体何歳なんだ?」

「いえ、そもそも…………人ですか? 大聖女アルテミア」


 小皺さえ見当たらない若作りの燃えるババアの同期……そこで思考停止していた事に今更ながら気が付いた。

『異界召喚』に関する重要組織精霊神教……そんな場所に長年居座っている同一人物など、正体が何であれ経験上碌なもんじゃない。

 代々名を変え姿を変え回廊に代々名を連ねた大聖女、闇の神殿の長として存在を続けた何者か……。

 俺はその時、そんな可能性の中で最もあって欲しくない可能性を真っ先に思い浮かべてしまっていた。

 幼少期に神様が言っていた『言霊』や『フラグ』という意味に思いを馳せることなく。


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