閑話 魂宿る石像
ウキウキの夜を邪魔され怒り狂う獣がよりにもよって精霊神教の総本山である聖都に生まれてしまった翌日……そんな事件が起こっているとは露ほども考えていない大神殿では、今日も聖職者の皆さんが粛々と自分たちの業務をこなしていた。
実際何も内部事情を知らない大多数の聖職者にとっては、怪しげな怪盗に備えて各国から聖騎士を派遣されていようと、大神殿が未だかつてない程に厳戒態勢が敷かれていようともやる事に変わりはない。
今日も今日とて敬虔なる信者を始めとする参拝者たちの応対に向けて準備している者たちは、みな爽やかな笑顔を浮かべて「おはようございます」「おはよう、今日もがんばりましょう」などと朝の挨拶を交わしている。
そんな朝の爽やかさの中で、格好はしっかりと聖職者のハズなのだが語尾に(?)を付けたくなるような一団がゾロゾロと歩いていた。
その者たちは一様に体格が大きく、はち切れんばかりの筋肉を見せつけるように、いやむしろ見てくれと言わんばかりに主張させていて……近づくどころか目に入れただけでも暑苦しさを感じる男たちであった。
その中心で最も体格が大きいハゲ頭の大男……ザッカール王国エレメンタル教会所属の格闘僧ロンメルは機嫌よく声を上げて笑っていた。
「カカカカ! いやいや久方ぶりのお主らとの組手⦅かたらい⦆が楽しすぎてうっかり時間を忘れてしまったぞ。すっかり夜が明けてしまった!!」
「それは我らも同じ事。休息をしっかり摂らないと筋肉に良くないのは分かっておるのに」
「然り……調子に乗ってしまったな。しかしロンメルよ、未だ衰えぬ貴殿の大腿四頭筋には惚れ惚れするが、昨夜の獣の如きしなやかな動き……貴様、何か掴んだか?」
「そうだぞ! 無駄のない僧帽筋から大胸筋を連動させるあれは何なのだ!?」
「な~に、別業種の筋肉にも目を向ける事は大事という事よ。我の場合は最近知り合った冒険者、盗賊の男子が興味深い筋肉を持っておってな……」
「なんと!? ロンメルが認めるほどか!?」
「おう、しかも我らが『撲殺の餓狼』も一目置いておるし、何と出合い頭の一撃すらも受けて見せた強者よ」
「おお……かの大聖女からも…………それは楽しみであるな」
嬉々として最近知り合ったとある盗賊の話をするロンメルと、明らかに不穏な笑顔を浮かべる大神殿所属の格闘僧集団。
件の盗賊本人がこの場にいたら速攻で逃亡を選択することだろう。
筋肉ハゲオヤジ事ロンメル……昨夜結局宿に帰る事が無かったのは本人が語った通り、今の今まで組手をしていたからに他ならない。
もともと昨日は自分の同僚が聖騎士の友人とデートの予定で業務が無いと考えた彼は、良い機会だから大神殿の格闘僧たちとも交流を図っておこうと思ったらしい。
そして現在……百人単位でいるはずの大神殿の格闘僧の中でも夜通しで組手に付き合えたのが現在一緒にいる筋肉どもという状態……他の連中は皆、道場の隅でぶっ倒れていた。
全ての格闘僧がロンメルと同類という事もなく、唐突に現れたロンメルに倒れながら恨み言を吐く者も多数いた。
そんな様を思い返して大神殿の筋肉たちは眉をひそめた。
「しかし情けない事にロンメルの組手に最後までたっていられた者はこれだけとは……大神殿所属であるからと鍛え方とタンパク質が足りておらんようだ」
「然り……恨み言を吐いて倒れるならまだしも、逃げ出した者もおっただろう? 超回復の機会を逃すとはのう」
「逃げらるという事はまだ筋肉は限界には達していないという事。筋肉よりも先に音を上げるとは……精神のバンプアップが足らん」
「ふむ、筋肉は裏切らん……裏切るのはあくまでも人である。至言よな……」
突っ込み不在の脳筋どもの語らい……。
根本的にこの手の連中と会話を成立させられるのは同類か、もしくは突っ込みを入れてくれる優しさを持った奇特な者のみ。
そんな状態で暑苦しい連中とゾロゾロと歩くロンメルだったが、不意に知った顔が大神殿の『外の院』から『内の院』に至る通路にたむろっている事に気が付いた。
「おや? 貴殿は確か……ノートルム殿の隊の副隊長……ワーゲン殿、だったか?」
「え? おおロンメル師範じゃないですか! お久しぶりです。覚えて頂けているとは光栄であります」
「なんのなんの、我も一度見えた筋肉は忘れん。特に貴殿ら第五部隊は集団戦として特化した見事な鍛え方であるからなぁ」
「ははは……貴方もお変わりないようで何よりです」
エレメンタル教会の聖騎士第五部隊所属の副隊長ワーゲンは困ったような苦笑を浮かべた。
腹黒い思惑が渦巻く上層部は別として、派閥や思想が別であろうと現場で自らの力を高めようとする戦闘を生業にする連中は基本的に仲が良い。
その理由は当然、戦闘訓練として組手をする機会が多い事が上げられ……連中に習って言うなれば“一度でも筋肉で語り合った者は友である!”という価値基準なのだ。
反対にそういうノリについてこられない者たちは記憶にも残らない……実にシンプルな思考をしている師範に覚えられてしまっている副隊長殿としては光栄なのか不運なのか。
「とこでどうしたのだ? このような場所で暇そうに駄弁っているなど……一応貴殿らは大神殿に呼ばれた任務中。そのような気の抜けた振る舞い……ノートルム隊としてはいささか珍しいというか……」
「あ~、まあ実際暇持て余しているのは事実ですね」
「……ぬ?」
「各国の聖騎士たちが、彼の怪盗を警戒した大神殿に召集されたのはご存じの通りでしょうが……別に大神殿も常駐している聖騎士だけじゃなく魔導僧も格闘僧もいます。聖都全体を守るための召集ならまだしも限定された場所を守るには過剰戦力……端的に言うと邪魔にしかならないんですよね」
「……なるほど」
「それでも今回の召集をチャンスと考えた連中は上層部に取り入ろうと常駐の連中と衝突したりしてトラブルを起こしますし……今回の我々は隊長の意向で“常駐の聖騎士たちの邪魔をしない”事をモットーにしておりますので」
言われて辺りを見回すと、そこかしこに時間を持て余している聖騎士たちが見て取れる。
人員過多で気が緩んでいるのか、あくびをかみ殺している連中すらいるのが現状を物語っている。
しかし一見緊張感がない状況だが、この場で暇を持て余している連中は余計な事をしないと各国の隊長が判断した連中が多く……妙なモノで大神殿サイドの聖職者たちからは余計な事をしないでくれると評価されていた。
「……かと言っていざと言うときに動けないワケにも行きませんが、動けなくなるほどの訓練をするワケにも行かず、間を取って適度に動きつつゴシップに花を咲かせるしかないのですよ」
「むう……それは大変であるな。調子に乗って一晩組手をしていた事が申し訳なくなるぞ」
「はは、ご心配には及びませんよ。これは聖騎士に課せられた任務ですから、異端審問官所属の貴方とは別の事でしょう? それよりも……」
それまで聖騎士副隊長として話していたワーゲンだったが、唐突に笑みの種類を苦笑から幾分崩した……悪く言えばゲスい感じの笑みを浮かべて見せた。
「ご存じですか? 我々の隊長殿とお宅の光の聖女が昨日デートに行ったのは?」
「……知っとるも何も、我はその兼ね合いで暇になったからこそ、ここに来ておったのだからな。何だ? また懲りずに賭場でも開いとるのか? お主ら」
「ええまあ……最早我が隊では恒例行事ですからね。久々にロンメル師範も一口乗りません?」
最早知り合いであれば知らない者はいない程周知の事実であるノートルム隊長の恋心。
一番近くで彼と一緒に行動する第五部隊が応援していないワケも無く、彼が行動を起こすたびに娯楽として博打が成立するのも恒例の事ではあった。
一応は聖職者の類であるはずの聖騎士にも格闘僧にとっても博打は基本的に忌避される部類の事ではあるものの、特に以外でも何でもなくロンメル師範とて何度か参加した事があった。
「……どうせ今回もいつも通りであろう? 先日かの聖女はノートルム殿の決死のお誘いに“みんなで行きませんか?”などと宣いおったから説教くれてやったくらいだからなぁ。して? オッズはどのくらいなのだ?」
しかしロンメルは呆れたように先日のシエルの振る舞いを思い出し溜め息をを吐いたが、ワーゲンの言葉に耳を疑う。
「いつも通りが7、成功するが3ってところです」
「……いつもよりも成功予想が高いな。普段はせいぜい9:1というところだろうに。何か変化でもあったというのか?」
この賭け事にロンメルが参加した時は、正直成功の祈願を込めてダメだろと考えていても成功の方にご祝儀的に乗っていた……言うなればいつも負ける予定で乗っていた彼にとってそれは聞き捨てならない事であった。
「根拠というほどではありませんが……今回の隊長は何かが違う。隊長と付き合いの長い者であればあるほど、今回はやってくれるのではないかと……あの興奮状態にあった隊長なら、今回こそは現状維持ではない成否が出るのでは……とね」
「ちなみにワーゲン殿は?」
「無論……3の方です」
「ふむ……では我も3の方だな。我が遊んでいる間に何か進展でもあったのだろうか?」
銀貨を一枚はじいてワーゲンに渡すロンメルはこの時になって昨日宿に戻らなかった事に“しくじったかのう”と残念な想いを抱いていた。
実際に昨日その場にいたら、彼はここで朗らかに笑ってはいられなかっただろうが……。
「……失礼ですが、エレメンタル教会のロンメル様ですよね?」
「ぬ?」
そんな風に他人の恋愛を娯楽にするという、言い方を変えれば応援ともゲスとも言える会話を繰り広げていると、不意に背後から一人の男性が声をかけて来た。
その瞬間、ロンメルは全身を緊張させてその人物、ただ背後から声をかけただけの男に対してなんでもない風を装いつつ戦闘態勢を取った。
『出来る……』
ただ背後から声をかけられた……それだけなのにその男からは気配を感じる事はなく、それどころか地面を踏みしめる音すら感じなかったのだから。
「……私と対面してそのような顔を浮かべる人は久方ぶりですね。実に聖職者らしくない」
「褒めてくれるな、照れるではないか」
その人物と対面した時、大抵の人間は恐怖を感じるのが恒例。
彼の盗賊ギラルを代表として誰もが“出来る事なら会いたくない”とすら評する人物なのだが、強者と感じた瞬間に浮かべるのは歓喜の表情。
根っからのバトルジャンキーであるロンメルにとって、調査兵団団長ホロウですら好敵手の対象にしかならないらしい。
「私はザッカール王国所属、調査兵団団長を務めるホロウと申します。先日、王宮ではご挨拶出来ずに申し訳ありませんでした」
「ほお! 貴殿がギラル殿が言っていたホロウ殿であるか! なるほど、噂に違わぬ目視していてもその場に存在するかも怪しい佇まい……。その細身に見える体つきには一切の無駄な筋肉が存在しないのが見て取れる。おそらく魔力の恩恵もあるのだろうが、相当特殊な鍛え方をされているようだな」
「……なるほど、貴殿も中々の眼力ですね。大抵は私の気配や魔力に意識が向きやすいというのに、一目で体の作り方が特殊である事まで見抜くとは」
「して、団長殿は我に何用であるかな? 組手のお誘いなら是非ともお願いしたいところであるぞ!」
ホロウとて元から強かったワケじゃなく長年鍛え続けて今の技術を手に入れた類ゆえに、ちょっとだけニッカリと好戦的に笑う脳筋に同調しそうになる自分にホロウは苦笑する。
「いや、今回は少々別件がありましてね。ロンメル師範には『外の院』に届けられたこの石像を『内の院』の特定の場所まで運んで頂きたいのですよ」
「石像……であるか?」
それは白い布に包まれた人型と思しき石像で、試しに触った感触も言われた通りの固い石のモノであった。
しかしロンメルはその石像……と言われた物体に妙な違和感を感じていた。
「団長殿、こいつは本当に石像なのであるか? 我は芸術的な事は全く理解できんが、石像からは妙な気配を感じるぞ? 例えるならこれを置いた屋敷は呪いを受けるのではないかと思えるような激しい怒りと言うか……」
「……さすがです。殺気を抑える為だというのに“こう”なってまでも抑えきれない当人の方に問題があるのですけどね」
「当人に問題?」
そう呟いて、ホロウ団長は右手に特殊な魔導具『石化の瞳』を光らせつつロンメルにしか聞こえないくらいの声色で言う。
「詳しい経緯とこの石像に関しての事は運びながらお伝えします。同時にこれから貴方にしていただきたい事もまとめて…………これは貴方の賭けた3にも関わる事ですので」
「!? ……何だかよく分からんが、そう言われてしまえば放ってはおけぬな」
了解の言葉と同時に見た目百キロオーバーは確実な石像をヒョイッと肩に担いだロンメルだったが、少しだけ捲れた布の隙間から石像の右手がのぞいていた事には気が付かなかった。
いわゆる『聖女の印』と言われるモノが記された右手が……。
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