第二百二十五話 夜を奪われし獣からの依頼

 そんな圧倒的な殺気を纏う何か。

俺達はそれが何故か明らかに自分たちに向かってきている事に更なる恐怖と緊張をしていたのだが……約数十分後には呆気に取られていた。

今までの人生でも呆気にとられた事は何度かあったが、これほどまでに思考停止するくらい見事にポカンとする事は無かったと思う。

 俺は当初、ホロウ団長が『火竜』と例えた事で、大神殿でのランダム召喚が失敗して何らかの凶悪な魔物でも召喚された事を想像したのだが……索敵範囲に入ったソレが人間である事にまず呆気にとられ、更にソレが普通に俺たちのいる宿の二階への階段を上がって部屋のドアをノックしてきた事にも驚かされる。

 そして今……この部屋にいる誰もが見事に目が点になっていた。


「ノートルム……兄貴?」


 言うまでもなくそれは知り合い。

 数時間前に分かれたハズの、一世一代の告白をかます予定だった兄貴の姿をしていた。

 そう、姿かたちは間違いなく兄貴なのだが……纏う空気が完全にいつもの兄貴ではない。

 団長の見立てにふさわしい程、まるで怒り狂う火竜が猛る魔力に任せて獄炎を吐き出す寸前の如き怒りの闘気をまき散らしている。

 し……しかし何故この状態なのだ?

 兄貴が数時間前にしようとしていたのは愛の告白、反応の可能性として俺に予想できるのは二つしかなかった。

 ほぼ99%でオッケーを貰った兄貴が有頂天になり婚前交渉に雪崩れ込むか、もしくは残り1%の確率で振られた兄貴が死にそうなくらいに絶望して落ち込むか、くらいだった。

 仮に振られたとしても兄貴はシエルさんに逆上して怒るタイプでは断じてないはずなのに?

 そんな風に疑問に思ったのだが、怒りの闘気を纏った兄貴はその雰囲気にはまるで似合っていない笑顔で言った。


「なあギラル? 君は思わないかい……精霊と精霊神教って別物じゃないかって」

「…………は?」

「ほら、精霊ってのは気まぐれであくまでも聖女っていう個人的に気に入った人に力を貸してくれたりする友人であって、個々人の付き合いの中で他人が“自分たちが人間代表です”みたいに精霊を大義名分にして上に立つってのは違うんじゃね~かってさ~」


 まるっきり脈絡なくそんな事を言い始める兄貴は終始笑顔であるが……その言葉の内容は聖職者にとってはよろしくない発言である。

 聖騎士として精霊神教の教会に仕える兄貴にとっては、思っていても公言するべきではない批判の言葉…………普段のこの人だったらそんな分別は付くはずなのに。

 今のこの人ヤバくね?


「だからさぁ……無くても良いと思うんだよね。精霊神教とかオリジン大神殿とか…………光の精霊レイですら祝福する俺たちの仲を邪魔する余計な汚物なんかさぁ」

「ちょちょちょい!? どうした兄貴、一体何があった!?」


 最早匂わせではない完全な背信である精霊神教批判どころではない反逆発言……完全にブチぎれている兄貴に慌ててしまう。

 しかしその時、リリーさんが兄貴の右手の甲を見て驚きの声を上げた。


「え!? ちょっとノートルム隊長。それってまさか『聖女の印』!? シエルの紋章じゃないの!?」

「聖女の印?」


 言われて俺も気が付いた。

確かに昼間は無かったはずの紋章が彼の右手の甲に刻まれている。

 そしてそれと同時に『予言書』での記憶がよみがえってきた。

 それはちょっとアレな記憶だが、『予言書』で何度かベッドシーンのあった聖魔女と元聖騎士の睦愛のシーンで、二人が恋人繋ぎをする右手に象徴的に刻まれていた紋章だ。


「リリーさん、あれって何なの?」

「え~……あ~……あれはねぇ……」


 当時は何も思わなかったのだが、珍しい事にリリーさんが顔を赤らめてモジモジしながら説明してくれる。


「ようは聖女が自分の伴侶に名前を付けるみたいなもんよ。互いが互いの所有を認めた時に現れるっていうか……ね?」

「……もうちょっと詳しく」

「俗っぽく言えばOKサインよ。貴方は私のモノで私は貴方のモノ……いつでも好きにしていいですよっていう……」


 ……つまりそれは兄貴の告白が成功したという事に他ならない。

 しかし一瞬喝采を上げそうになったが、今の兄貴の状態を見るにそれから何か不測の事態があったのだと考えるべきだ。

 っていうか兄貴の発言だけで何があったのか、予想は出来てしまうが……。

 それから今にも爆発しそうな兄貴をなだめつつ、何があったのかをようやく聞き出した俺たちは衝撃的な事実をする事になった。

 ジルバに教えられた召喚術の魔力補充要員にシエルさんが連行された……というサブ情報など問題にならない事実を。


「!? つ、つまり兄貴に無自覚に『聖女の印』を授けた後でシエルさんは恥ずかしくなって中座したと!?」

「隊長の告白に返事できず、でも自分の魔力の方が勝手に反応して!?」

「つまり口では誤魔化そうとしても本心では望んでいる……そういう事なのでしょうか?」


 カチーナさんが結論を口にした瞬間、俺たちの脳裏にそのままデートの邪魔されなかった今晩の様子が浮かんでくる。

 有頂天で今夜のホテルを予約して躊躇はするけど拒否もしないシエルさんを連れ込む兄貴。

 チェックインしてから『そんなつもりは……』『だったら何故ここまで来てくれたのかな?』と最早『聖女の印』を授けられた兄貴は少し強引に突き進み……。

 そんな兄貴に最初は困っていたシエルさんも徐々に絆されて流されて……


「許せねぇ精霊神教め!! くだらない召喚術の為に大事な大事な二人の夜を邪魔しやがって!!」

「こんなの、絶対に明日の朝にはあの娘にニヤニヤウリウリ出来るの確定だったんじゃないの! 『彼は優しかった?』からの『激しかった』のコンボまで決められそうだったのに……どうしてこうも上層部の輩ってのは……」

「どうしても馬に蹴り殺されるのをお望みのようですね。男女の決戦に水を差すとは……何と無粋な連中でしょう……」

「さすがはシエルが認める冒険者『スティール・ワースト』……君らなら絶対に分かってくれると思っていたぞ」


 当初は恐怖でもあった兄貴の怒りが理解できて俺達にも伝播してくる。

 これからって時に無粋な横やりを入れられてお預けを喰らったとしたら、そりゃあ怒り狂うだろうさ、我が子を奪われた火竜に匹敵するほどに。

 リリーさんは怒り心頭に、カチーナさんは冷淡無表情に自分たちの主武器をチェックして臨戦態勢。俺もダガーと七つ道具を確認する。

 しかし思わずそのまま部屋から飛び出す寸前でホロウ団長がストップをかけて来た。


「コラコラコラ待ちたまえよ諸君。怒りのままにノープランで特攻するつもりかい? ノートルム隊長、君だって策なしでは無理と思ったからここに来たのではないのかね?」

「あ……そうだったそうだった……ここに来たのは一応冒険者パーティー『スティール・ワースト』に個人的に依頼しようと思っていたからだったんですよ」


 そんな他人目線の冷静なホロウ団長の言葉で、兄貴は思い出したとばかりに動きを止めた。

 相変わらず圧倒的な殺気を放ったままではあるが……。


「しかし今後の事を考えれば君らにとってもリスクが高いし、もちろん断って貰っても良いのだが……こんな事を頼めるような友人は、今この聖都では君らしかいなくて」


 そして今更ながら頼もうとしている内容に相当なリスクがある事に思い至ったのか、言いよどむ兄貴であるけど……そんなの本当に今更だろう。

 俺たちは目くばせし合い、全員が頷くのを確認する。


「そんな殺気まき散らしながら現れといて、今更別件の頼み事でもねーだろ? お姫様を魔王から取り返す足の速い馬が必要だってんだろ?」

「それも魔王を蹴り殺せるくらいの強力な馬がね」

「そのお姫様も座して待っているタイプには見えませんが?」


 大神殿に連れ去られたシエルさんを取り返しに行く手伝いをして欲しい。

 それは兄貴としては自身の都合に巻き込んだように思うのだろうが、俺たちとしてはある意味で都合が良いのだ。

 変な話だが、これで表の聖職者である兄貴を『奥の院』攻略の味方として含める事が出来るのだからな。

 ホロウ団長も今まさに大神殿の上層部に邪魔された兄貴の存在は使えると思ったらしく、思案気に頷く。


「まあ少々強引ではありますが休日中に邪魔をしてきたのは向こうが先、しかも他国の聖女であるのだからノートルム隊長が抗議する事は不当ではありませんしね」

「現状では召集をかけられたエレメンタル教会の聖騎士が正面から言っても門前払いにしかされないだろうけど……分かりやすく陽動にはなるだろ?」

「それって……」


 それは殺気どころか殺意バリバリな兄貴ではあるものの、自分が正面から出張っても『奥の院』まではたどり着けないという冷静な判断だった。

 つまり『奥の院』の結界については自分が囮になるから、その間に侵入を果たしてシエルさんを奪還してほしいと……そういう事なのだ。


「幸か不幸か、今の大神殿はとある怪盗への備えで右往左往している。そこで君らになるべく迷惑が掛からないように、その怪盗の名を利用させて貰おうと思ってね」

「「「…………は?」」」

「ギラル……君ら『スティール・ワースト』には今回巷を騒がす怪盗集団『ワースト・デッド』に化けて欲しいのだ。俺の最愛の女⦅ひと⦆を奪い返す……いや盗み出す為に!!」


 しかし次に兄貴が発した言葉に……俺達はまたもや呆気に取られてしまった。

 それは何と言うマッチポンプなのか……気が付くと向こうでホロウ団長が耐え切れずに噴出しているし。

 そいつらの正体を知らないからこその提案なのだろうけど。

 その最愛の女すら、つい最近仲間入りした事実を知らず……。




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