閑話 聖女の印 sideシエル
聖都オリジンは精霊神教の総本山で、精霊神教という宗教組織の後ろ暗い裏の部分に目を瞑れば普通に敬虔な信者が集う、日々の暮らしに小さな幸せを願う無辜の民の為の憩いの場という事には変わりはないのです。
当然冠婚葬祭のような催事も取り扱う事は多く、特に結婚式などを聖都で行うのは富裕層だけでなく平民からも一種のステータスと見られています。
だから六大精霊をモチーフにした恋愛成就のパワースポットなども数多く、聡い商人などは聖都にプロポーズ目的で訪れたカップルをターゲットにしたお店も多数存在します。
今日訪れた少しお高めのレストランもご多分に漏れず、聖都の厳粛で美しい夜景を一面にすして神殿などでは信仰を強調していた六大精霊を控えめにかつ美しく、テーブルの二人を精霊たちが祝福するような実にロマンティックでこの席に着いた男女がどういうつもりなのかが一目で分かってしまう席があります。
お客さんたちもその席に座る男女がどういう関係か察していて、暗黙の了解とばかりに温かい目で見ているのです。
私もつい最近までは向こう側だったハズなのですが……予想もしていませんでした。
まさか私が見られる側になって……この席に座る日が来るなど!?
しかもお相手が……。
「今日は一日お付き合いいただきありがとうございました」
「い……いえ……」
“今は”優しく紳士的に話してくれる目の前の男性ノートルムさん。
エレメンタル教会の聖騎士で、その中では私と最も親しくしていただいている男性で“普段は”とても礼儀正しくまさに聖騎士としてふさわしい人物なのです。
でも昨夜私はこの方に………………は!? いけません……思い出すとまた顔が火を噴きそうなほど熱くなってしまいます。
もう今日は一日中こんな調子で運動もしていないのに体温は上がりっぱなしで、呼吸も乱れ心臓の鼓動はいつもより早くて……本当に私はどうしてしまったのでしょう!?
……いえ、本当はなんとなく予想は付いています。
ですがその事実を、私自身の心を認めるには勇気がいると言いますか……今まで対峙してきたあらゆる強者たち、師ジャンダルムやリリーやロンメル師父たちより遥かに強敵です。
昨夜、私が『ペネトレイト・デッド』としての初仕事で早々にやらかした結果ですので、結局逃げるワケには行かないお相手ですけど、今まで戦いの際に自ら選択する事は無かった逃げ出したいという気持ちすら湧き上がってきます。
「その……ノートルムさん。お聞きしたいのですが、なぜ貴方は私などに……その……想いを寄せて下さったのでしょう? 私は見ての通り光の聖女とは言え孤児院出身の平民で格闘バカの色気なし、貴方のように貴族家出身の男性に思われるような女では無いはずですが……」
そんな逃げの精神からか、普段なら気にも留めないはずの身分や女性らしさなどの後ろ向きな言葉を口にしてしまう。
いえ、もしかしたら追い詰められたからこそ出た本音なのかもしれません。
しかし私の言葉を聞いたノートルムさんは真剣な眼差しのまま、俯く私の手をテーブル越しにガッシリと掴んで来た。
「何を言いますかシエル、そういう貴女だから、飾らない自然体なのにいつも美しく正しくあろうとする貴女だからこそ私は惹かれたのです。聖騎士になりたての頃、貴族社会と同じように腐敗していたエレメンタル教会に不貞腐れていた私に喝を入れてくれた貴女だからこそ、私……いや、俺は恋焦がれて来たのです」
「は……はひ!?」
「それに誰が色気なしなのでしょう? いつも貴女の何気ない色気に俺がどれほど惑っていたと思うのか。昨夜の一件だけではまだご理解いただけないだろうか?」
「う、うええ!? そそそそんな堂々と……」
昨夜の事を引き合いに真剣な眼差しを向けられ、お世辞でも何でもなくこの人が私の事を女として性的に求めてきていたのは事実である事をまたもや思い出させられる。
そして熱い視線を私が逸らせなくなった時……彼は言った。
「愛していますエリシエル。出会った日からずっと、貴女の事だけを……」
「あ……」
その瞬間、私の中で何かがストンと落ちた。
認めるのに勇気がいるとか思っていた一つの想いが、腑に落ちたというかあるべき場所に収まったというか、そんな感じに。
そして同時にどうしようもない燃え上がる炎のような気持ちが目の前の男性に起こり始める。
あ……コレ……大変です。
リリーに知られたら絶対にバカにされます。
自分に今まで自覚がなく、この瞬間に初めて恋と言うモノを知ったという事が……初恋を知ったのがこんな年になってからなどと言う事を知られてしまったら!?
いえ、もっと言うなら原因になったのは昨夜の一件、ファーストキスが奪われ……いえ奪った? 時だと考えると……ますます顔が熱くなってきます。
両手で抑えた頬がドンドンと温度を上げていく……何これ恥ずかしい!?
流されたつもりは無かったのに……キスで初恋を分からされただなんて、言葉にすればロマンティックでも自分がその立場だと言われると……。
「う……うう~」
そしてお子様だった自分がいかに彼を振り回していたのか、今となっては過去の自分の行いが責め立てるように押し寄せてきます。
最近で言うならパーティーで想い人のスカートを切らせるとか、何をやっていたのでしょう私は!? そんなのまるで誘っているようではないですか!?
恥ずかしい! 恥ずかしい! 恥ずかしい! このまま宿の戻って布団にくるまりたい! もしくは錫杖振り回して無心で鍛錬したい気分です!!
だけど混乱して思考がまとまらないというのに、何故か私の魔力が勝手に収束して行き、ノートルムさんの右手を包み込み始めて……!?
「え!? あ、待って!?」
「え……」
しかし私の言葉とは裏腹に、小さい時からずっと共にあったはずの光の魔力が意識的に出なく無意識に勝手に動いてノートルムさんの手の甲にそのまま一つの紋章を作り出してしまった。
それは光の精霊レイを象徴する紋章に私という聖女を現す紋を取り入れた、いわゆる『聖女エリシエルの紋章』であり……。
「こ……これってまさか……聖女の印…………?」
「!?」
呆然とする私は絞り出したようなノートルムさんの声でハッとした。
『聖女の印』、それは聖女にとって特別な人である事を認めた証。
それは別に何か能力が与えられるとかは無く、せいぜい互いが今どこにいるのかを確認できる程度のモノなのだが、聖女であっても婚姻を認める精霊神教において、それは婚姻関係、もしくは婚約者である事を本人が認めたという証であり……早い話がパートナーという事に……。
「シ……シエル……君は俺に……授けてくれたのか?」
「あ……ああああああ!? すすすすすすみません! ちょっとお化粧を直しに!!」
突発的に、衝動的に、そして無意識に!? 私は、私は! 私は!?
堪らなくなった私が慌てて席を立ちお化粧室へと向かうと、背後から感極まったとばかりのノートルムさんの勝鬨の如き雄たけびが……。
・
・
・
化粧室の洗面台に向かい息を整えようとしますが、なかなか収まりません。
鏡に映った自分の顔は今まで見た事もないくらいに真っ赤になっています。
こんなの……もう自他ともに認めているようなものじゃないですか!?
「あああああああもう! さっき自覚したばかりなのですよ!? なのに速攻で自分のパートナーと紋章で縛るなど、私はそんなにチョロくて重たい女だったのでしょうか!?」
自問自答しようと何をしようと、最早私が『聖女の印』を彼にしてしまった事実は変わりません。
あの紋は信頼し深く愛しているという証明であり、この場では彼の告白に対する返答という事になる。
更に『聖女の印』があるという事はその人は聖女のパートナーであるという事で、反対に言えば自分の事を女性と強烈に意識している方に“いつでもどうぞ”と返事してしまったのとなんら変わりがなく……。
「どどどどどうしたらいいのでしょう!? リリーはふざけて“その時は全部任せてしまえ”とか言ってましたけど……でも……ううう」
しかしここまで急激に感情を乱れさせる初恋の熱が、次の瞬間には急速に冷却されてしまう。
恥ずかしくてたまらなかったけど決して嫌ではない、むしろ今日はこんな自分がちょっと悪くないかもと思い始めていたところだったというのに。
気配も無く洗面所の鏡に映った背後の人物に、私は不快感を通り越して怒りすら湧いてきた。
「お迎えに上がりましたよ……光の聖女エリシエル」
「随分と無粋ではありませんか、大聖女アルテミア? 私たちは未だデートの真っ最中……しかも一番盛り上がっているところですのに」
「後でお迎えに上がると申しましたよ? それにあのまま下らぬ恋情に振り回されていれば貴女はいつまでも大神殿に出向はしないだろうと判断したまでです」
「断れば?」
「……別に大した事はありません。ですが折角の高級レストランの憩いの時間が台無しになる信者や観光客が出るくらいです。まあ私たちにとっては些細な出来事ですが」
「……むしろ自国の信者を大事にする側ではないのですか? 大聖女殿」
……く、ギラルさんほどではないですが、私にも分かります。
今私を囲んでいるのが大聖女一人ではない事は。
拒否して戦闘になるものやぶさかではないですが、無関係なお客やお店に迷惑をかけるのは非常に心苦しい……。
私はため息を一つ吐いて、不機嫌を隠そうともせずに背後の大聖女に振り返った。
「分かりました大聖女アルテミア、これより大神殿に出向いたしましょう。あの強敵であるなら誰でも好む師が貴女だけは嫌っている理由が良く分かりましたよ」
「それはそれは……お褒めに預かり光栄です」
ニッコリと浮かべたその笑顔は凍り付くように冷たく……同じ年代と言われる大聖女ジャンダルムの笑顔に比べて若々しくはあっても、少しも魅力的には映らなかった。
なるほど……私もこの大聖女⦅ひと⦆は嫌いですね。
*
その頃『聖女の印』の意味を聖騎士であるがゆえに正しく理解していたノートルムは、右手に浮かび上がった『シエルの紋』をうっとりと眺めて今夜の予定を急速に決めようとしていた。
「……今からなら聖都の高級ホテルのスウィートとは言わなくても上等な部屋は取れるのでは!? は……初めての夜なら全力で整える必要が…………いよいよ俺にもこの時が!!」
無意識にとはいえ聖女本人からのOKサインを貰ったノートルムはすっかり発情状態、昼間であればギラルに引っぱたかれていただろうが、今は最早止める者は誰もいない。
完全な獣と化そうとする彼はこの時、化粧室に行った彼女の戻りが遅いことに気が付いていなかったのだ。
一説では魔物や野生動物が最も怒るのは子供を害した時、食事を邪魔した時ともう一つが“交尾を邪魔された時”だと言われている。
野獣化した彼の邪魔をした何者かがその逆鱗に触れるまで……あと少し。
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