第二百十九話 蝙蝠たちの密談

 闇の精霊アビスを祀る神殿『ダークネス・アビス』は六大精霊の神殿の南側に位置するのだが、字面では物騒にも思える名前とは裏腹に白い大理石を使用した建物は実に荘厳で静謐な印象であり、闇の名にふさわしい程日常的に静寂に満ちた神殿の中で最も“神殿らしい”場所だ。

 そして建造の方法の中に闇、つまり影を取り入れるという考えから視界の中に常に影が入り込むという造りがなされていて、夏場ともなれば風通しの良い木陰が多いこの場所は信者だけではなく観光客からも静かな涼を取れる場所として人気がある。

 しかしそんな静寂こそが似合う神殿を、似つかわしくない不機嫌を隠そうともしない足音を立てて歩く一人の女性がいた。

 その人物こそ、この神殿においては最も“らしくなくてはならない”立場であるというのに。

 

「大聖女アルテミア様、どうかなされましたか? そのように足音を立てて歩くとは……」

「……何用ですか、シスターミズホ。貴女は現在『奥の院』での仕事があるハズですが? ブルーガで不可能になった召喚術の代替作業が」


 そんな彼女は声をかけて来た修道服の女性……元ザッカール王国調査兵団『テンソ』の一員召喚術師ミズホに対して不機嫌そのままに嫌味をぶつける。

 しかしミズホは表情を変える事もなく恭しく頭を下げた。


「無論です……他ならぬ『聖典』より直接指示を受ける元老院の筆頭たる貴女の指示に従い、現在我々は高魔力保持者を募っております。私がこの場にいるのは闇の神殿の魔力保持者の確保に参った次第で……」

「…………すみません、どうにも冷静さを欠いていたようです」


 そんな彼女の行動でを目にしたアルテミアは一息ついて冷静さを取り戻す。

 その瞬間に纏っていた感情の高ぶりが収まり、闇の神殿の雰囲気にふさわしい静寂さが大聖女に馴染み始める。


「ブルーガでの一件は貴方たち『テンソ』の責ではない事は『聖典』より伺っているというのに……わたくしもまだまだ未熟ですね」

「我らが……いえ、私が失敗した事は事実。苦言も咎も私であれば幾らでも請け負う所存ですのでお気になさらずに」

「……あまりそのように上司の活躍の場を奪うものではありませんよ? そう言われてしまうと此度の件は全て『テンソ』の頭領たる自分の責であると明言したジルバ殿が恰好つかないではないですか。部下なら上司の矜持は受けておくモノです」

「…………御意に」


 そう言ってクスリと笑うアルテミアはすでに冷静さを取り戻し、自らの非を認めた上で相手が最も敬っている上司を間接的に持ち上げるという事も忘れていない。

 精霊神教の中でも『精霊を従属する』という理念を持ってはいるものの、それでも彼女を慕う信者は少なくは無い。

 彼女も彼女で、伊達に大聖女と呼ばれているワケではないのだ。


「ここ『ダークネス・アビス』での魔力保持者はすでに大神殿へと出頭を命じております。別の神殿にもすでに私が直々に通達しましたので問題はありませんよ」

「大聖女様自らですか? さすが、お早い」

「此度の召喚術に関して『聖典』からは大層危機感を抱かれている様子でした。『テンソ』同様に余計な横やりがある前に……と」


 余計な横やり、それが『怪盗ワースト・デッド』の事を指しているのは明らか。

 ミズホは力量も実力も経験も自分たちよりも、遥かに劣るハズの連中に感じた言いようのない不気味さを『聖典』も感じているだろう事を元老院自らが動いている事から強く思う。


「しかし『聖典』の思惑は分からなくはないのですが、大丈夫なのでしょうか? 今までも膨大な魔力を集約する事での召喚術は実行されて来ましたが、軸になるモノが何かが判明していない現状では何が召喚されるのか分からないのでは?」

「それはその通りです。しかし『聖典』には何か考えがあるようですので、貴女方は心配する必要はありません。今は一人でも多くの高魔力保持者を集める事です」


 そこまで言うと大聖女アリテミアは思い出したとばかりにニヤリと笑った。


「ああそれと……他国より召集された聖騎士と行動を共にする聖女が、現在光の神殿『セブンス・レイ』にいましたね。本人や師の出来はさておき、魔力だけは相当なモノでしたから是非とも早急に大神殿へ連行していただけますか?」

「聖騎士……ですか。しかし今聖都には各国より大勢の聖騎士が集まっているのですから、それぞれの休暇に口を出すのはある意味内政干渉にも繋がりませんか?」

「そうであったとしても、精霊神教の大聖女にして元老院でもあるこの私の命をないがしろにして良いワケではないでしょう? 何しろ私の言葉は引いては『聖典』の……精霊神教の意思として信者への問いかけと同意なのですから」


 表情を変える事もなく“当然の事”としてそう言うアルテミアは自分の考えが正しいと頑なに信じているようで……ミズホは思わずため息を吐きそうになった。


 元々が調査兵団から出向する形でオリジン大神殿に入ったミズホは生粋の信者とは言い難く、教義を元に教え導く聖職者たちに比べると若干貴族よりの考えを持っていた。

 だからこそ精霊神教の総本山である聖都オリジンの聖職者たちに多く見られる頭の固さに辟易している部分があった。

 いくら信者だとは言え信仰の深さは個々で違うのだから、結果だけを考えるのなら他に言いようがいくらでもあるだろう……と。


『……腹の内で何を考えようと、口に出さず結果的に利用できればそれで良い。休日を楽しむ聖騎士の彼女に協力を願いたいのなら、素直に逢引きが終わった後に要請するとかすれば余計な角を立てずに済むだろうに……これだから』

「まったく……さすがはザッカールの駄犬の関係者。信者を名乗っておきながら反抗的なのはどれもいっしょです。 ……ノートルム、と言いましたか?」


 しかしミズホは大聖女が苛立ち紛れに呟いた言葉に、思わず聞き返した。


「ノートルム? 大聖女アルテミア、今ノートルムとおっしゃいましたか?」

「確かに言いましたが……それがどうかしたのですか?」

「ザッカール王国聖騎士団5番隊隊長のノートルムですか? 間違いなく?」

「そう名乗りましたね」

「まさか……逢引きの相手は光の聖女エリシエル……?」

「……ご存じでしたか。隣国では随分と聖女たちの貞操観念が緩いようですね。あのように公の場で貞淑の鏡であるべき聖女と清廉潔白の代表たる聖騎士が……嘆かわしい」


 そう呟いた大聖女アルテミアだったが、少しだけ視線を外した瞬間、すでにミズホがこの場からいなくなっていた事に気が付いた。


「シスターミズホ? ……随分とせっかちですね」


                *


 大聖女に“せっかち”と評された当のミズホはと言うと……己の俊足で神殿を後にすると、商店街で露店を開き野菜を売っている中年の男に声をかけていた。

 見た目だけなら若いシスターが神殿の使いで買い物に来たようにしか見えないのだが、にこやかな二人の目はどちらも笑っていない。

 どちらもが裏の世界に生きる者同士の目……『テンソ』の目であった。


「……どうしたミズホ」

「火急の知らせだ。聖騎士ノートルムが、ここ聖都で逢引きしているとの事」

「まさか……あの堅物が別の女と逢引きなど…………まさか!?」

「そのまさかだ。知っての通りあの男が逢引きを良しとする女などたった一人しかいない。結界発動以前から聖女エリシエルがすでに入国していた!」


 元調査兵団の『テンソ』にとって、目下最大の排除対象が前回悉くの計画を台無しにした『ワースト・デッド』なのは間違いないのだが、先日の予告状騒ぎで既に聖都に侵入されていた事が判明し、現状は潜伏先を捜索する方向で動いていたのだ。

 

「迂闊であった。連中の表の顔である『スティール・ワースト』と懇意である光の聖女一行が入国しているのなら、最も疑わしい捜査対象ではないか」

「まだ我らが直接調べたワケじゃなく、正規ルートでの入国した冒険者の情報しか上がっていないのだから仕方がない。気が付けた事を幸運とするとしよう」

「……まあな」


 実際怪盗の予告状が届けられたのは昨日の事、今現在はまだ書面でしか情報を伝えられていない段階で精査する事も出来ていないかったミズホたちにとって、片道一週間はかかる距離のブルーガにいたはずの聖女たちがすでに入国してた事実は脅威だったが、大聖女からの情報は朗報と言えた。

 特定の女性に恐ろしい程執着心を燃やす聖騎士ノートルムが逢引きする女性はこの世でただ一人……その認識から速攻でギラル達の潜伏先に目星を付けられる辺り、『テンソ』たちにとってその情報がどれほどの共通認識なのかがうかがい知れる。


「しかし一体どういう事だ? ザッカール国内では特別な進展があったとは聞いていないぞ」

「分からない……。しかし大聖女によると聖職者としては嘆かわしい程の見ていられない様子であったとか」

「!?」


 その瞬間、物売りの男は表情を変えた。

 絶対に逃してはいけない獲物を見つけた猛禽類の目で……。


「ミズホ、お前は頭領に連絡と『テンソ』に集合をかけろ。俺はこのまま情報の二人の監視に向かう。そのような進展を迎えている状況であるなら……」

「ええ、そうでしょうね。絶対に近くにいるはずです。デートの邪魔はさせない……その名目であれば、喜んで連中は正体を現すでしょうから」


 ミズホはニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべて、腰に差した毒塗りの短剣をそっと撫でた。


「ま、我々にとっては聖騎士と聖女がいかがわしい関係になろうと、知った事ではありませんからね」




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