第二百十五話 袖掴む娘、腕を取る娘

「あああああの、昨夜は申し訳りませんでした。その……閉館時間を過ぎていた事に気が付かず、動転してしまいまして……」

「いやいやいや、気になさらずに。確かに閉館時間は過ぎてはいましたが、貴女がいたのは重要度の低い『外の院』ですし。幸いにも発見したのは私だけですから何も問題は無いです。むしろそのおかげで俺にとっては幸運なハプニングがあったワケですし」

「はう!? あ……の……、その……出来れば昨日の私の事は忘れていただければ……」

「無理です、生涯最高の瞬間としてすでに胸に刻み付けていますから」

「さ、最高の瞬間!? そそそそそんな事は!?」


 う~わ……懸念した通り、本日のシエルさんは兄貴の言葉の一つ一つが確実にヒットしてその度に驚き、狼狽し、赤くなって俯くという、いつもだったらあり得なかった可愛らしい反応を繰り返していて……当然外野の俺たちが分かるくらいだから兄貴が気が付かないワケも無く、反応するたびに兄貴が興奮しているのが手に取るように分かる。

 それにシエルさんは鈍感ではあったものの、無知でも愚かでもない。

 今まで長年兄貴がしてきたアプローチの数々も負債のように一気にのしかかり、すべての言動、行動に強化魔法の如きバフを掛けてしまう。

 これが怒りや恨み、悲しみ何度と言う負の感情ならいたたまれないが、効果はせいぜい“シエルさん限定の羞恥心“くらいだからどうしようもないけど。

 さっきからチラチラとシエルさんが俺たちの方を見て暗に『助けてください』って訴えてくるけど、その様すら可愛らしい。

 まあここは今までスルーされていた兄貴の反撃として甘んじて受けていただこう。


「で……俺たちの今日の役目は二人が絶妙な距離でデートが出来るようにレフェリーするって事らしいですが、平たく言えば過度に親密になりそうなところを邪魔するって事っスよね? なんかもう、勝手にやってればいいんじゃ? って感じですけど」

「同感です。これが以前の王国軍での部下なら“とっととモノにして来い!”と突き放していたかも、ですが……シエルさんは人生初の女友達のひとりですから、無下にはできません」


 侯爵家で男性として育てられても女性としての精神を失う事のなかったカチーナさんとしては、初めての女友達にどこまで意に沿うべきなのかが悩みどころなのだろう。

 ちなみに兄貴に頼まれた俺であるが、せいぜい日が高いうちのみと決めている。

 それまでにお望みのロマンスが確立できんのなら知った事じゃねぇやな……。

 ちなみに今現在、シエルさんは兄貴の右腕の袖をちょこんとつまんで歩いている。

 これは兄貴からの希望であり、普段であれば“直接手をつなげヘタレ!”とでも言いそうなものだが、今日のところは全く意味合いが違う。

 直接肌を触れてしまうと、どうなるか分からないから……という180度真逆の意。

 しかし今日はデートであるという確固たる意志は示したい、というヤツの折衷案らしいのだが…………その様も子犬が甘えているかのようで、ヤツのテンションを上げているようにしか見えない。

 やれやれ、今日の外出に47代目が一応の意味を持たせてくれたのが良かったのか何なのか。


「兄貴、色々お楽しみのところ悪いけどよ。一応俺たちは聖都オリジンは初めてだから、有名どころは名前しか知らんのよ」

「そうですよお二人とも。教会関係なのですから我々よりは詳しいのでしょう? 話に聞く六大精霊の遺跡に案内していただけます?」

「「!?」」


 そう声をかけただけで、兄貴だけでなくシエルさんもビックリしたようにパッと手を離してしまった。


「そそそうだな! よしよし、確かにエレメンタル教会所属の者は何度かここに訪れているから多少の地理は頭に入っているからな!」

「まま任せて下さい! 以前リリーたちと来た時に散策はしているのでバッチリです!!」


 何でもない会話のはずなのに慌てふためきやがる。

この一瞬でもすでにこの二人、自分たちの世界を作りかけていやがったな。

 マジで今日の俺たちは何しに付いてきたんだろうか?


「まあまあ、そんな顔をせずに私たちは私たちの目的を済ませましょう。本当にお邪魔であるなら自然と離れればいいのですから」

「…………え!?」


 そんな事を真剣に悩み始める俺の腕に、唐突に何かやわらかいモノが自然に絡みついてきた。

 それがカチーナさんの腕であり、偉大なる双丘が当たるほどの密着をされているという事実を理解するのに数秒を要した。


「え!? え!? え!?」

「……リリーさんから“一応ここは敵地なのだから、普段とは違う雰囲気になる為にギラル君の腕に抱き着くように”と教えられましたので。今日の我々はダブルデートなのですから必然的にこういうスタイルが自然だと」

「…………あ、そうっスか」


 そういいつつ腕に抱き着くカチーナさんはほんのりと頬を染めていて……決して何も理解せずにやっているワケではなさそうだ。

 ……仲間になった頃に比べて最近、カチーナさんは恥じらいを見せるようになってきた気がする。

 そしてリリーさん、何て事を教えやがるんだアンタは!?

 畜生! 後で覚えてやがれ!! 絶対に高い酒を奢ってやるんだからな!!

                

                 *


 ギラルが右腕に神経の全てを集中させて青春を感じている頃……その企みの発案者である魔導士リリーは一人カフェテラスで、優雅にブレイクタイムを楽しんでいた。

 その恰好は例によって『変化のケープ』を使っての老婆の姿なのだから、はたから見ると観光地で歩き疲れて一人で休憩中のお婆ちゃんように見えてしまう。

 しかしそのまったりしている老婆に見える人物が、決して一人ではない事を看破できる者は周囲にはいなかった。


『我としては少々意外であったな。親友のデートであるなら嬉々として尾行するのでは? と思っておったのに』

「失礼ね……って、まあ言いたいことは分かるけどさ」


 注文したミルクティーを一口含み、控えめな甘さを堪能しつつリリーは今頃待ち合わせをしているであろう親友たちに思いをはせる。


「今までみたいにシエルが隊長の想いに全く気が付かない状態ならフォローもいるだろうけど、今の二人は意識しあっている。そこにフリーのアタシがしゃしゃり出るのは無粋にもほどがあるでしょ? 似た境遇のカップルを当てがったんだから、もう追加の要素はいらないよ」

『ふむ……野次馬的にはだからこそ気になるのではないのか?』

「ふふ……こういうのは実際に見るんじゃなくて、後で恥ずかしがるシエルの口を割らせて喋らせるからこそ良いんじゃない。ついでにカチーナも何かアクシデントがあればパーフェクト、今からパジャマパーティーが楽しみってもんよ」


 親友だからこそとるべき距離感を分かっていて、そして祝い方も楽しみ方も理解しているリリーの言葉に自然とテーブルの上に鎮座しているドラスケは苦笑する。


『ヤレヤレ程々にしろよ、いじめっ子め』

「わ~かってるよ。まあ今日に限っては別に調べておきたい物もあるしね……」


 そう言いつつリリーが懐から取り出したのは、昨夜ギラルが『外の院』より持ち出した第47代目大僧正ダイモスの手帳であった。

 昨夜の内にその手帳には生前のダイモスの意思が封じられている事はリリーも聞いてはいたのだが、彼女自身はそっちよりも手記に何が記してあるのかの方が気になっていた。

 妹分が寵愛されていると予想される『時の精霊』に関した詳細が気になるのは勿論なのだが、それ以上に特定のエレメンタル教会関係者には気になる噂もあったから。


「さ~って……一体何が書かれているのかな? あのババアの男だったって噂の大僧正様の手記には……」



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