第二百七話 聖騎士が殺された日

 何度か予告状で騙された、というか誤認した事があるシエルさんは現在臨戦態勢で『奥の院』を守る聖騎士団を見て、深いため息を吐いた。

 まあ予告状の曲解に関して、俺にとっては計画通りでしかなく……むしろ現在警備に当たる連中は命の危険も無く数日は安全な任務に就けると考えれば悪い事では無かろう。

 何か納得いかない様子のシエルさんを伴い、本日の目的地である『外の院』にある図書室へと至る道筋にも臨時で配備されたっぽい聖騎士たちはいたのだが、誰もがこの場所に侵入者が来るとも思っていないようで……正直気が抜けている感は否めなかった。

 そして図書室内にも誰かがいる事は無く……全く人気を感じないその場所は静けさのみが支配する暗闇に包まれていた。


「……魔道具なんかの侵入者防止みたいな仕掛けも無いな。入り口の鍵も簡素なもんだったし」

「ここは主に聖職者にはフリーですが、一般の方も許可さえ出せば自由に閲覧できる程度の蔵書しか置かれていないですから……むしろお昼でも良かったのでは?」

「ま……この図書館の蔵書に用事があるならそれでも良かったんですどね」


 そこそこの広さの図書室に資料室が隣接しているこの場所は、シエルさんの言う通り申請さえ出せば結構お手軽に来れる場所でもある。

 彼女の言う通り、本来正体を隠して安全にこの場所に来たいなら昼間にジジイの姿で堂々と申請を出せば良いのだが……今日入り込んだ理由を考慮すると人気のある昼間はあまり宜しくないのだ。


「どうしても昔の気配はなるべく人がいない時じゃないと探り難くて……」

「それはどういう…………」


 シエルさんはそこまで言うと、俺の様子に邪魔してはいけないと察したように口を閉ざした。

 お気遣いありがとう……実際コレから俺がやる事は“別の気配”があるとノイズになってしまうからな。

 呼吸を整え五感を集中させて、俺は図書室全体に感覚を向けて『盗賊の嗅覚』を意識する。

 現在の人の気配では無くその場所に残された人の気配を探って、本来の用途は家主が大事似ているお宝の場所を探り出す技法だ。

 当然だが年月が経つにつれて昔の気配は徐々に薄れていくもの……誰かが歩いたり本を手に取ったりと新たな行動で昔の気配は塗りつぶされて行く。

 静かな図書室の中に残された“新しい気配”を時間を遡るように意識から排除して行き……微細に残された気配を探り出していく。


「ダイモスが存命だったのは確か30年くらい前……のはず」

「47代大僧正は貴族であっても低い身の上から上り詰めた叩き上げであったと、当時の人々に期待されていたそうです。そして、ご存じの通り彼はここの図書室で長年勉学に励んでいたとか……」


 シエルさんの補足情報は俺の調査でも分かった事実だ。

 平民に近い男爵家の出身だったが、聖職者として大僧正にまで上り詰めたダイモスは云わば庶民の味方、俺たちの英雄的な扱いだったらしい。

 この図書室で若い頃から勉学に励んでいたというのは精霊神教でも有名な逸話だそうだが……そんな人物が就任2週間で暗殺されたのだから、当時から陰謀論が囁かれていたとか。

 そして『盗賊の嗅覚』で図書室の過去を徐々に遡るにつれて……感覚では30年近く前から誰よりも図書室に入り浸る人物の気配が引っかかった。

 …………コイツだ。

 俺は探り当てた僅かな気配に、コイツこそダイモスに違いないとほくそ笑む。

 今現在の図書室の配列が当時と同じであるかは分からないが、その人物は勉学の為か図書室に設置された机を拠点に様々な蔵書を読み漁っていた事が分かる。


「……随分と勉強熱心だったみたいだな、47代目。色んな蔵書を持って来ては読み漁って・……古代亜人種の言語も解読しようとしていたっぽい」

「!? そんな事も分かるのですか?」

「この図書室に残る気配がダイモス氏のモノであるなら……な」


 俺のこうした“盗人っぽい”技術を初めて目の当たりにしたせいが、シエルさんは若干色めき立つ。

 しかしそんな彼女とは裏腹に俺はこの気配がこの図書室で起こしていた行動のある一貫性に違和感を感じる。

 色んな蔵書を読んでいるのは間違いないのだが、主に動線が最も多いのは歴史書と古代亜人種言語の翻訳…………たまに“持ち込んだ何か”を解読しているような動きも……。

 思い付きから注目した47代目大僧正であったが、もしかして大当たりを引いたのでは?

 だが俺がそんな事を考え始めた時……全く意図しない気配が唐突に割り込んで来た。


「だれかいるのですか?」

「「!?」」


 静まり返る暗闇の図書室に急に響き渡った声は……ノートルムの兄貴のモノ!?

 慌てて普段の『気配察知』に意識を変えると、入り口から声をかけているのは兄貴一人……さっきペアだった部下は別行動らしい。

 俺たちは慌てる事なく『気配断ち』を続行しつつ、口を噤み身動きせず、誰もいない図書館の闇として潜伏する。

 驚くのは専門ではないハズのシエルさんは、調査兵団団長に匹敵するほどの見事な潜伏技術を披露して……目の前にいるのに意識できないという状態だ。

 兄貴は『気配察知』も『魔力感知』も使えないハズ……これなら見つかる事は……。

 しかし俺はそう高をくくっていたのだが、兄貴が次に発した言葉に仰天する事になった。


「おかしいな? 今確かに、あの人を感じた気がするんだが……ここにいますか? 聖女エリシエル?」

「「!!?」」


 俺たちは思わず顔を見合わせてしまう。

 ウソだろ!? 気配断ちとしては完璧で、俺よりも遥かに人の気配を断って見せているシエルさんがここにいる事を看破しやがった!?

 それが実行可能だとするなら、兄貴はホロウ団長すらも凌駕する武人である可能性すら……。


「…………あれ? 確かに今、シエルの匂いがした気がしたんだけど…………奥の方かな?」

「…………」

「む? やはりシエルの匂いを感じる……何故こんな時間に“一人で?” シエル? どこにいるのでしょうか?」


 しかし今の兄貴の発言で一瞬考えたホロウ越えの武人説はアッサリと消え去った。

 同時に驚愕の事実が判明してしまったけど……。


『わ、私一人が見つかってしまったのですか!? やはり未熟な私が足を引っ張って……』

『…………マジかよ兄貴』


 シエルさんは自分のせいと思ってオロオロし始めるが、俺は違う意味で驚愕していた。

 ……断言できる、そういう事じゃない。

 ヤベェぞあの人……俺よりも完璧に気配を断っているシエルさんを匂いで探り当てて、一緒にいる俺の事には全く気が付いていない。

 シエルさん個人の事だけに特化して察知してやがる……。

 しかし……ツッコミたい事は山ほどあるけど、この状況は利用できる!


『シエルさん、兄貴の足止めをお願いします』

『……え!? でもそれでは隊長に我々の正体が……』

『今んとこ貴女しか見つかっていない状況ですから、ここは怪盗としてじゃなく聖女として対応すれば問題ないです。元々聖職者はここを無条件で使えるのですから、たまたま時間外に残っていてもせいぜい指導程度で済むでしょうし』

『ええ……でもいくら知り合いとはいえ、その程度で済むものでしょうか?』


 怪盗としての初仕事でこういう搦手に出る事に不安もあるのだろうが、断言できる……兄貴はシエルさんに関してだったら主義主張、法律だって余裕で後回しにするだろう。

 信仰だろうと神だろうと、彼女の為なら躊躇いなく敵に回す……そういう男だ。

 さすがに匂いだけで彼女を索敵して見せたのはガッツリ引いたが……。

 俺はシエルさんの絶対の安全を確信しつつ、強引にその役を押し付ける。


『いいから! 力ずくでも色仕掛けでも何でもいいから、5分くらい稼いで下さい。そのくらいで事は済みますから』

『え、えええ!? うううう……どうなっても知りませんよ!』


 やけくそ気味にそういうと、シエルさんは飛び出していった。

 しかしこの時俺は大いなる誤算をしていた事があった。

 一つは『光の聖女エリシエル』の天然具合は予想を遥かに上回っていた事。

 そしてもう一つは……兄貴が、聖騎士ノートルムがシエルさんにとって安パイなどではなかったという事だった。


 俺から後押しされて飛び出したシエルさんはこの時、だいぶテンパっていたようだった。

 だから……彼女は俺に言われた言葉をそのまま実行に移そうと、そのまま本棚の陰から見事なまでの踏み込みを駆使して兄貴の間合いまで飛び込んだ。

 その行動は俺が適当に口走った“力ずく”の行動でしかなく、多少の会話程度で切り抜けられる予定だった俺としては誤算もいいところだった。


「え!? な、何だ!?」

「……く!?」

『バカ、そうじゃねぇ!?』

 

 俺は思わず叫びそうになる口を必死に抑える。

 武力制圧など最終手段でしかない……この場面で適当に発言してしまった事が悔やまれる。

 いつもの連中だったらこのくらいの意はくみ取ってくれるが、彼女はさっき加入したばかりで、しかも親友⦅リリーさん⦆が苦言を呈するほどの天然だったのだ。

 色々と、最早これまでか!?

 と……そう思ったのだが…………。

 俺の予想に反してノートルムの兄貴は真正面に現れたシエルさんによって、完璧に動きを止められてしまっていた。

 おそらくシエルさんは“力ずく”という表現を本当に兄貴の動きを止める事のみに意識を向けていたようで、真正面からホールドをかましていたのだった。

 当然そこに他意はないだろうが……兄貴にしてみればただ事ではない。

 嗅覚のみで彼女を探り当てるほどの漢⦅へんたい⦆なのだから、ここまで接近されて相手が何者か分からないはずもない。

 兄貴は抱き着かれた瞬間に顔面を真っ赤に染め上げて、見事に硬直してしまった!

 それは見事なまでの色仕掛けであり……彼女はこの瞬間、完璧に仕事をこなして見せたのだ。


「し、しししししシエルさん!? あの、一体これはどういう……」

「う……ああんもう、しゃべっちゃダメです!」


 しかしシエルさんの、いや『ペネトレイト』の攻撃はそれだけでは終わらなかった。

 ここで兄貴が声を上げる事で別の聖騎士に見つかる危険性を考えたのか、反射的に彼の声を閉ざそうと思ったらしい。

ホールドで塞がった手を使わず口をふさぐ方法……彼女はそれを迷いながらも実行に移したのだ!


「ん!!」

「んん…………!?」

『お、おおおおお!!』


 俺はその時確かに見た!

 シエルさんに時間稼ぎとか言っておきながら、ガッツリと見入ってしまっていた!

 聖騎士ノートルムが聖女エリシエルに悩殺⦅ころ⦆される瞬間を!!






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